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第一章 ブレイン・クラッキング
第3話 エマージェンシー・ラッシュ
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恋華は舌を噛まないよう、固く口を引き結んで走り続けた。
恋華の座るエコノミークラスの座席は機体の最後方であり、先端の操縦室で行くにはビジネスクラスとファーストクラスの区画を駆け抜けて機体を縦断する必要がある。
これだけ揺れ動く中で走り続けるのはひと苦労だったが、恋華は体をあちこちにぶつけながらも決死の覚悟で通路を走り抜けていった。
「お客様! 何を……」
「おかまいなく! ちょっとトイレに行くだけですから!」
客室乗務員のひとりが驚きの声を上げて恋華を止めようとするが、彼女はそれを振り切ってエコノミークラスの区画からビジネスクラスへと突入した。
すると途端に先ほどまで感じていた黒い空気の澱みが強く濃くなり、恋華はピリピリとした緊張感が背中に走るのを感じた。
「お客様! 危険です!」
呼び止めようとした客室乗務員に目もくれず、恋華はひたすら前へ前へと走り続けた。
ビジネスクラスやファーストクラスの乗客らはやはり突然の不安定な飛行によって混乱状態に陥っており、いきなり駆け込んで来た恋華の姿を気にかける余裕はないようだった。
やがて恋華の前方に操縦室の扉が見えてきた。
扉は閉まったままだが、恋華は迷うことなく扉に向かって突進する。
(予言は操縦室前であって操縦室内じゃない!)
だが恋華が現れた途端、ファーストクラスで機体の迷走についての対応に追われていた客室乗務員らの顔色が変わった。
恋華が操縦室へと一直線に向かっていることがすぐに分かったからだ。
「お客様! コックピットへの立ち入りは航空法にて固く禁じられております」
そう言う客室乗務員らの顔は厳しく、その対応はすでに不審者に対するそれだった。
彼女らのうち最も恋華の近くにいた一人が力ずくでも恋華を止めようとその体に手をかけた。
恋華は自分に組み付いてくる乗務員に向かって金切り声を上げた。
「知ってます! 中には入りませんからご安心を! 放して!」
「お席にお戻り下さい!」
操縦室はもう目前だというのに、恋華は客室乗務員ともみ合って前に進めない。
他の客室乗務員らも恋華を阻止すべく近づこうとするが、いっそう激しくなる機体の揺れにそれもままならない。
その時、操縦室の扉が勢いよく開いた。
予期せぬことに、その場にいる客室乗務員の全員が驚いた顔でこれを振り返る。
恋華は自分の体を押さえていた乗務員の気がそれた隙を見て、腕に力を込めた。
「ごめんなさい!」
そう叫ぶとその場に客室乗務員を引き倒し、立っていられないほどの揺れの中、床を転がり這うようにして操縦席前へとたどり着いた。
開いた扉の中から現れた男の制服の肩章についている金色の3本線を見て、恋華はそれが副操縦士であることを知り、その男の顔を見た。
男は左のこめかみと鼻から血を流していたが、その目は正気を失っていなかった。
「き、機長が突然錯乱して……助けてくれ!」
副操縦士の言葉に恋華は即座に反応して操縦室に目を向けた。
(ということは、クラッキングされているのは機長……)
「前言撤回! 入ります!」
そう叫ぶと恋華は迷うことなく操縦室の中へと突進した。
どちらにせよこのままでは機体は墜落し、乗っている人間はほぼ全滅の憂き目にあう。
法規違反だろうが何だろうが行動する以外に道はない。
中は思ったよりも狭く、恋華はすぐに立ち止まる。
操縦室の中はむせ返るほどの黒い霧が立ち込めていた。
そんな中、機長はまっすぐに前を向いて操縦桿を握っている。
恋華は精神を研ぎ澄ませ、正気を失って襲い掛かって来るであろう機長の襲撃に備えた。
そして先ほど乗客の男に対処したように、両手で機長の頭に触れようとした恋華は思わず声を上げて動きを止めた。
「えっ?」
恋華の両目が戸惑いの色を帯びて揺れた。
なぜならば機長が予想外の反応を見せたためだ。
「き、君は? どうしてここに……」
機長は動揺していたが、確かな口調でそう言ったのだ。
操縦桿にかじりついている機長は、突然入ってきた恋華に驚愕の表情を浮かべた。
殴られた痕らしく顔を赤く腫らしていたが、その顔から人間らしさは失われていない。
恋華は困惑した。
本来ならば機長の顔は狂気に歪み、その目は悪意と憎悪を宿しているはずだった。
彼女はこの3年の間にそうした人間の顔を嫌というほど見てきている。
その度に嫌悪したものだが、目の前にいる機長の顔にはそうした嫌悪を感じさせる色は微塵もうかがえなかった。
そして恋華は気がついた。
機長が必死に操縦桿を握っていて、そのために機体の揺れはいつしか止まっていることに。
(機体を不安定な状態にしていたのは……機長じゃない?)
「う、後ろだ!」
機長がそう叫び、反射的に恋華は自分の背後を振り返った。
恋華の座るエコノミークラスの座席は機体の最後方であり、先端の操縦室で行くにはビジネスクラスとファーストクラスの区画を駆け抜けて機体を縦断する必要がある。
これだけ揺れ動く中で走り続けるのはひと苦労だったが、恋華は体をあちこちにぶつけながらも決死の覚悟で通路を走り抜けていった。
「お客様! 何を……」
「おかまいなく! ちょっとトイレに行くだけですから!」
客室乗務員のひとりが驚きの声を上げて恋華を止めようとするが、彼女はそれを振り切ってエコノミークラスの区画からビジネスクラスへと突入した。
すると途端に先ほどまで感じていた黒い空気の澱みが強く濃くなり、恋華はピリピリとした緊張感が背中に走るのを感じた。
「お客様! 危険です!」
呼び止めようとした客室乗務員に目もくれず、恋華はひたすら前へ前へと走り続けた。
ビジネスクラスやファーストクラスの乗客らはやはり突然の不安定な飛行によって混乱状態に陥っており、いきなり駆け込んで来た恋華の姿を気にかける余裕はないようだった。
やがて恋華の前方に操縦室の扉が見えてきた。
扉は閉まったままだが、恋華は迷うことなく扉に向かって突進する。
(予言は操縦室前であって操縦室内じゃない!)
だが恋華が現れた途端、ファーストクラスで機体の迷走についての対応に追われていた客室乗務員らの顔色が変わった。
恋華が操縦室へと一直線に向かっていることがすぐに分かったからだ。
「お客様! コックピットへの立ち入りは航空法にて固く禁じられております」
そう言う客室乗務員らの顔は厳しく、その対応はすでに不審者に対するそれだった。
彼女らのうち最も恋華の近くにいた一人が力ずくでも恋華を止めようとその体に手をかけた。
恋華は自分に組み付いてくる乗務員に向かって金切り声を上げた。
「知ってます! 中には入りませんからご安心を! 放して!」
「お席にお戻り下さい!」
操縦室はもう目前だというのに、恋華は客室乗務員ともみ合って前に進めない。
他の客室乗務員らも恋華を阻止すべく近づこうとするが、いっそう激しくなる機体の揺れにそれもままならない。
その時、操縦室の扉が勢いよく開いた。
予期せぬことに、その場にいる客室乗務員の全員が驚いた顔でこれを振り返る。
恋華は自分の体を押さえていた乗務員の気がそれた隙を見て、腕に力を込めた。
「ごめんなさい!」
そう叫ぶとその場に客室乗務員を引き倒し、立っていられないほどの揺れの中、床を転がり這うようにして操縦席前へとたどり着いた。
開いた扉の中から現れた男の制服の肩章についている金色の3本線を見て、恋華はそれが副操縦士であることを知り、その男の顔を見た。
男は左のこめかみと鼻から血を流していたが、その目は正気を失っていなかった。
「き、機長が突然錯乱して……助けてくれ!」
副操縦士の言葉に恋華は即座に反応して操縦室に目を向けた。
(ということは、クラッキングされているのは機長……)
「前言撤回! 入ります!」
そう叫ぶと恋華は迷うことなく操縦室の中へと突進した。
どちらにせよこのままでは機体は墜落し、乗っている人間はほぼ全滅の憂き目にあう。
法規違反だろうが何だろうが行動する以外に道はない。
中は思ったよりも狭く、恋華はすぐに立ち止まる。
操縦室の中はむせ返るほどの黒い霧が立ち込めていた。
そんな中、機長はまっすぐに前を向いて操縦桿を握っている。
恋華は精神を研ぎ澄ませ、正気を失って襲い掛かって来るであろう機長の襲撃に備えた。
そして先ほど乗客の男に対処したように、両手で機長の頭に触れようとした恋華は思わず声を上げて動きを止めた。
「えっ?」
恋華の両目が戸惑いの色を帯びて揺れた。
なぜならば機長が予想外の反応を見せたためだ。
「き、君は? どうしてここに……」
機長は動揺していたが、確かな口調でそう言ったのだ。
操縦桿にかじりついている機長は、突然入ってきた恋華に驚愕の表情を浮かべた。
殴られた痕らしく顔を赤く腫らしていたが、その顔から人間らしさは失われていない。
恋華は困惑した。
本来ならば機長の顔は狂気に歪み、その目は悪意と憎悪を宿しているはずだった。
彼女はこの3年の間にそうした人間の顔を嫌というほど見てきている。
その度に嫌悪したものだが、目の前にいる機長の顔にはそうした嫌悪を感じさせる色は微塵もうかがえなかった。
そして恋華は気がついた。
機長が必死に操縦桿を握っていて、そのために機体の揺れはいつしか止まっていることに。
(機体を不安定な状態にしていたのは……機長じゃない?)
「う、後ろだ!」
機長がそう叫び、反射的に恋華は自分の背後を振り返った。
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