甘×恋クレイジーズ

枕崎 純之助

文字の大きさ
7 / 105
第一章 ブレイン・クラッキング

第7話 梓川恋華の帰郷

しおりを挟む
 早朝の空港ロビーで、梓川あずさがわ恋華れんかは昨夜の機上の騒動を思い返してうめいた。

「うぅ……頭重い。体痛い」

 激しくれる機体の中であちこちに体をぶつけながら全力で走り、操縦室ではあやうく絞殺こうさつされかけたため、首をはじめとして体のいたるところに痛みが走り、恋華れんかはすっかりつかれ切ってしまっていた。
 さらには自身の特殊とくしゅ能力を使った影響でにぶい重さの残るこめかみをさすりながら彼女は一人ごちた。

「1級感染者の修正プログラム作成ってやっぱ負荷ふかキツイなぁ」

 そう言うと恋華れんかはロビーのやわらかな椅子いすに深く腰掛こしかけ、空港の高い天井を見上げた。

「日本に着いた途端とたんにこんなにボロボロだなんて私、大丈夫かしら……」

 あの騒動の後、予定時刻より1時間ほど遅れて飛行機は空港へ着陸したが、操縦室への無断の立ち入りを敢行かんこうしたせいで恋華れんかは真夜中過ぎまで空港の取調室に拘束こうそくされる羽目になった。
 国際機関である【カントルム】の根回しによって、全て不問に処されたときにはすでに空がうっすらと白みがかってきていた。
 頭痛の原因は長時間の取り調べのせいもあるだろうと恋華れんかはうんざりした顔でため息をつく。
 世間一般的にはその存在を知られていない悪魔ばらいの国際組織【カントルム】。
 そこに所属するエージェントである恋華れんかには国際的な捜査権が付与されている。
 世界百数ヶ国で保護されるその捜査権のため、恋華れんかは今こうしてつみに問われることもなく自由の身でいられるのだった。
 彼女はケータイを手に米国のカントルム本部へと連絡をとった。
 2コールで電話に出たのは落ち着いた声の女性だった。

『ああ。恋華れんかか。無事に日本に着いたようだね』
「はい。イクリシア先生。何とか到着しました。連絡が遅れてすみません」

 電話の相手である恋華れんかの師・イクリシアは弟子の言葉に泰然たいぜんと返事をした。

『気にするな。ひと暴れしたせいで拘束こうそくされていたんだろう? 解析かいせきログを見たが、2体の感染者が発生したようだな』
「はい。それも1体は正常者をよそおっていました」
『1級感染者か。ヒヤヒヤしたんじゃないのか?』

 わずかに面白がるような電話の向こうの声に恋華れんかはため息をついた。

「はぁ。しましたよ。無事に私の脳が仕事をしてくれてよかったですけどね」
『そうか。思っていたよりも出来る相手のようだな。事前に伝えた通り、日本側での協力者と落ち合ってくれ』
「はい。イクリシア先生」

 欧米を中心に支局を展開するカントルムだったが、日本には独自の神道組織しんとうそしきが存在することもあって、支局を開設できていない。
 恋華れんかがこの作戦行動において頼れるのはおのれと米国からの支援、そして日本側の協力者だけであった。

『待ち合わせ場所は事前に伝えた通り。時刻は午前9時前後。今回の件、しっかり頼むぞ』
「了解しました」

 恋華れんかは電話を終えると椅子いすの背もたれに再び深く背中を預けた。
 平日の早朝とはいえ、空港の客足は決して少なくない。
 せわしなく行き交う人の群れをながめながら、恋華れんかは首に手を当て、められた箇所かしょのヒリヒリする痛みに目をせた。
 同じ航空便に乗っていた乗客と副操縦士そうじゅうし
 明らかに正気を失っていたその二人。
 恋華れんかの所属するカントルムの常識で言えば彼らは悪魔によってたましいと肉体を乗っ取られた悪魔きと呼ばれる状態にあるのだが、ここ数年の間にそうした業界の常識をくつがえすケースが世界のあちこちで散見されている。
 従来の悪魔ばらいによって解決できない悪魔きとは似て非なる現象は、カントルムの内部でも懸念けねんの種となっていた。
 カントルムにおける数年間の研究の結果、それらは術者が被害者の脳に何らかの霊的なシグナルを送り、その脳を不正に占拠する秘術ではないか、という可能性が浮上していた。
 その秘術によって被害者の自我を失わせ、術者の制御下せいぎょかに置くという悪魔きに似せた人為的犯行であることが強く疑われていた。
 それはまるで他者のパソコンに不正アクセスをして、それを乗っ取るクラッキングという行為に酷似こくじしているため、カントルムではこれらの現象を【ブレイン・クラッキング】(脳への不正アクセス)と呼ぶことにしている。
 そして脳を乗っ取られた被害者をパソコンのウイルス感染を例に、感染者と呼んだ。
 こうした現象の発生による被害を食い止め、状況の解決策を見出みいだすべく、テストエージェントとして梓川あずさがわ恋華れんかは【カントルム】から派遣されたのだった。

「二人同時にクラッキングできるってことは、場合によってはもっと多くの人を同時に感染させられる恐れもあるってことよね……」
 
 そうつぶやくと恋華れんかは目の前を行き交う人々をすがめ見た。
 もしここで大勢の人間が同時にクラッキングされてしまえば、それはもう地獄絵図のような状況だろう。
 想像して恋華れんかは思わず身震いをすると、自分の左右の手にはめた2つの指輪を見つめた。

「……私は絶対に引くわけにはいかない」

 恋華れんかはそう自分に言い聞かせ、弱気の虫を腹の奥底に引っ込めた。
 本音を言えば、危険な感染者を前にすれば恐怖を感じるし、そうした感染者らのいる現場へおもむく際には足取りが重く感じられることも少なくない。
 それでも彼女には後ろを向くわけにはいかない理由があった。

(父さん。母さん。砂奈さな。私、日本に戻ってきたよ)

 恋華れんかは米国に残してきた両親に思いをせた。
 3年前まで彼女はこの日本で両親と10歳はなれた妹とともに暮らしていた。
 だが、ある事件をきっかけに両親は心と生活能力を失い、今ではカントルムの保養所で療養りょうようしている。
 二人ともただ食事を取り、睡眠をとり、それ以外の時間は無言で宙を見ているだけ。
 恋華れんかの両親がそうしたおよそ人間らしからぬ生活を強いられているのは、何者かによるブレイン・クラッキングによって体を乗っ取られてしまったことに起因きいんしていた。
 そして恋華れんかの幼い妹・砂奈さなはその事件の中でまだ若い命を落とした。
 恋華れんかがカントルムという組織に入り今の任務にくことを選んだ理由は、この不可解な現象の解明によって自身の両親を元にもどし、妹のような犠牲者を二度と出したくないという思いからだった。
 左手の人差し指にはめられた指輪型霊具【スクルタートル(調査官)】によって不正プログラミングを検知し、恋華れんかの脳に蓄積ちくせきされた数千種類のプログラミングデータベースの中から選出された最も適切な修正プログラムを右手の指にはめた【メディクス(医師)】で相手に注入する。
 それこそがそれぞれ何千通りもあるしきプログラムにおかされた感染者を解放する唯一の方法であり、恋華れんかのただひとつの武器だった。
 師であるイクリシアが作り出したこのシステムの試作品を身につけ、感染者らを救い、その感染源となっている人物を特定するために恋華れんかは来日した。
 それがいずれこの不可解な現象を解決へとみちびかぎとなり、やがて自分の両親を救うことになると信じて。
 恋華れんかひざの上に置いた両こぶしを固く握りめ、決意の表情を浮かべた。

(必ず元にもどして見せる。絶対に)

 恋華れんかひざの上に置いたベージュ色のバックを手に立ち上がり、空港玄関げんかん外のバスターミナルへと向かった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...