甘×恋クレイジーズ

枕崎 純之助

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第一章 ブレイン・クラッキング

第6話 幼馴染の八重子

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 東京都内。
 午前5時過ぎ。
 まだ薄暗い街並みの中、酒々井しすい甘太郎あまたろう談合坂だんごうざか医院という看板をかかげた診療所に併設する二階建ての自宅アパートへと戻ってきた。

「注文はありがたいけど、あの劇場は目の毒だぜ」

 つい一時間ほど前に後にした劇場のことを思い返し、甘太郎あまたろうはため息をついた。
 実際のところ、女子との交際経験も無く女性に免疫めんえきの無い甘太郎あまたろうにとって、先ほどの客の前で気圧けおされないようにするのはひと苦労だった。
 『異界通信』と表紙に書かれたカタログ雑誌を手に、甘太郎あまたろうは自宅のアパートの門をくぐる。
 2階フロアへと続くアパートの外階段を昇りながらカタログのページをパラパラとめくると、甘太郎あまたろうは女性ものの下着のページに目をめた。

媚薬びやくアロマ香るブラ。魔界特製の媚薬びやくアロマをふんだんに塗り込んだこの超刺激的しげきてきエロティック・ブラで彼もイチコロよ』

 それは今日の守谷もりやという女性客が購入するに至った下着だった。

「何だ。このふざけたキャッチコピーは」

 あきれ顔でそうぼやく甘太郎あまたろうの目の前から声がかかった。

「朝から何見てるのよ」
「うあおっ!」

 階段上のおどり場に立って、階段を昇る途中の甘太郎あまたろうを見下ろしているのは彼と同じ年頃の少女だった。
 淡い水色のブラウスにベージュのフレアースカート姿のその少女は、長くてつややかな黒髪を後ろで一本に縛り、右肩から下ろしていた。
 突然のことにおどいて甘太郎あまたろうは階段から足を踏み外しそうになったが、少女が甘太郎あまたろうの手を握って引き留めたために事なきを得た。
 その少女は甘太郎あまたろうおどり場に引き上げると、手を放してっ気ない表情で挨拶あいさつを口にした。

「おはよ。甘太郎あまたろう
「お、おう。おはよう。八重子やえこ

 彼女の名は談合坂だんごうざか八重子やえこ
 甘太郎あまたろうと同じ18歳。
 甘太郎あまたろうが住むアパートのとなりにある談合坂だんごうざか医院のひとり娘である。

「そういうのは部屋に隠れて一人コソコソ見るものじゃないの?」

 冷たい目で甘太郎あまたろうを見ながら八重子やえこあきれてそう言った。

「そ、そんなんじゃねえよ! 仕事で使ったんだって」

 甘太郎あまたろう八重子やえこは幼少の頃から互いによく知る仲であり、同じ高校に通う同級生でもあり、さらには同じ業界で働く仕事仲間でもあった。
 八重子やえこは英語と中国語によく通じていて、甘太郎あまたろうが海外向けの仕事をする際は必ず通訳として彼女を通すため、甘太郎あまたろうの仕事の内容についての一番の理解者と呼べる人物だった。

「仕事。順調みたいね」
「おかげさんでな。まあ、中にはやっかいな客もいるけど、何とかやれてるよ」
「そう。今日はいよいよ新規の仕事の日ね。もう一度詳細を詰めておくわよ」

 そう言う八重子やえこに、甘太郎あまたろうはその目に喜びの色をありありと浮かべる。

「それならウチに上がれよ。立ち話もなんだろ」

 そう言うと甘太郎あまたろう八重子やえこうながしてアパート二階にある自分の部屋へと歩き出した。
 その様子をジトーッとした目で見ながら八重子やえこはつぶやいた。

「あんた。まさかそうやって誰でも部屋に上げてるわけじゃないわよね?」

 八重子やえこの言葉の意味が分からず甘太郎あまたろうはワケが分からないといった顔をした。

「はぁ? そりゃそうだろ。俺の部屋に入るのは八重子やえこくらいしかいねえよ」

 甘太郎あまたろうの言葉に八重子やえこはほんのわずかに安心したような表情を浮かべる。

「……そう。それならいいけど」
「何の話だ?」
風紀ふうきの話よ。年頃の男子一人暮らしは何かと誘惑も多そうだし」

 ようやく八重子やえこの言葉の意味するところが分かったようで、甘太郎あまたろう拍手かしわでを打った。

「ああ。女連れ込んでるんじゃないかとかそういうことか。あいにくそんな色気のある話はないよ。何しろ部屋に上がるのはくさえん八重子やえこだけときてるからな。色気どころの話じゃない」

 少し意地悪そうにそう言う甘太郎あまたろうしり八重子やえこはスパンと遠慮なく蹴り上げた。

「イテッ! 何すんだ!」
「いいからさっさと部屋に入りなさい」

 冷たくそう言い放つと、甘太郎あまたろうの背を押して八重子やえこは彼の部屋に入った。
 部屋はどうということもない1Kの部屋であり、玄関前すぐの台所を抜けて奥の居間へと入った二人は座卓をはさんで座り、向かい合った。

「お茶でも飲むか?」
「けっこうよ。それより、ちゃんと薬飲んでる? 今日は黒の7番よ」

 薬と聞き、甘太郎あまたろうは少しバツの悪そうな顔をする。

「ああ。夜とかたまに寝落ちして飲み忘れるけどな」

 それを聞くと八重子やえこは顔をしかめて忠告する。

「……あんた。自分の体がどういう状態なのか分かってないのかしら?」
「何度も聞かされてるよ。よく分かってるって」

 うんざりした顔でそう言う甘太郎あまたろう八重子やえこはぞんざいに言いつける。

「それならさっさと服を脱ぎなさい」
「さっさとって。……おまえ少しくらい恥ずかしがったりしないのか。男の裸だぞ?」
「あんたの裸なんかもう見慣れたわよ」

 平然とそう言う八重子やえこ甘太郎あまたろう気色けしきばんでワナワナと拳を震わせる。

「くっ……この女。それなら下も脱いでマッパになってやろうか!」

 意気込んでそう言う甘太郎あまたろうを前にしても八重子やえこまゆ一つ動かさない。

「そう。どうぞ。ほら早く脱ぎなさいよ。全裸になるんでしょ」
「……じょ、上半身だけでお願いします」

 ぐうのも出ずに甘太郎あまたろうはしぶしぶ服を脱いで上半身を八重子やえこの前にさらした。
 八重子やえこは落ち着き払った様子で甘太郎あまたろうの胸にそっと手を置き、じっと目を閉じる。
 甘太郎あまたろうは医師の聴診器ちょうしんきを当てられているような神妙しんみょう面持おももちで宙の一点を見つめた。
 八重子やえこの身の内に霊的な波動がつのっていくのが甘太郎あまたろうにも感じられた。
 
 談合坂だんごうざか八重子やえこ
 彼女も甘太郎あまたろうと同じ特異な能力を持つ者だった。
 目を閉じて暗転した視界の中、八重子やえこの目には甘太郎あまたろうの体内に宿るものが見えてきた。
 八重子やえこの霊視能力によって彼女の脳内にありありとその姿を映したのは漆黒しっこくの器。
 それはだった。
 そのからはひとすじのけむりのように黒いきりが静かに立ち上っている。

 魔気まき
 それは甘太郎あまたろうの能力をつかさどる力の源だった。
 彼ら能力者の特性は『神魔じんま天秤てんびん』と呼ばれる、ある属性に分類される。
 神の属性ぞくせい
 魔の属性ぞくせい
 そしてその中間の属性ぞくせい
 甘太郎あまたろうは魔の属性ぞくせいを持つ能力者だった。

 彼の体内に鎮座ちんざする漆黒しっこくのそのは『暗黒炉あんこくろ』と呼ばれ、とてもおごそかな雰囲気ふんいきただよわせているものの、八重子やえこは自分が感じている嫌な雰囲気ふんいきぬぐい去ることが出来なかった。
 漆黒しっこくは静けさを保っているものの、それはまるで休火山のように感じられ、いつか爆発するのではないかという不安は八重子やえこの胸の内にくすぶり続けていた。
 十と少しを数えるほどの時間が経過した後、八重子やえこは目を開けて
甘太郎あまたろうの胸から手を離した。
 そして気を取り直すと、いつもの冷静な表情のまま静かに告げた。

「今日も変化なし。最近安定してるわね。しばらくの間、薬の分量を変えずにいくわよ」

 八重子やえこがそう言うと甘太郎あまたろううなづいて服を着ながらポツリとつぶやいた。

八重子やえこはおふくろみたいだな」

 甘太郎あまたろうの言葉はやわらかな口調で嫌味いやみのない言い方だったが、おふくろと言われた八重子やえこは少しムッとして口をとがらせた。

「……お断りよ。あんたの母親なんて」
「何を怒ってんだ?」

 不思議ふしぎそうにそう言う甘太郎あまたろう八重子やえこは静かにため息をついて話題を変えた。

「別に怒ってないわよ。それより仕事の話だけど……準備は出来てる?」
「ああ。カントルムのエージェントを護衛ごえいする話だろ」

 護衛ごえいという言葉に八重子やえこはほんの一瞬、わずかに顔をしかめた。
 アメリカからやってくる国際的な悪魔ばらい組織・【カントルム】のエージェントを護衛ごえいする。
 それが先日、甘太郎あまたろうのもとに持ち込まれた依頼の概要がいようだった。
 その仲介ちゅうかいをしたのは八重子やえこだった。
 だがしかし甘太郎あまたろうの本職は異界貿易士いかいぼうえきしであり、あくまでも商売人である。
 荒事あらごとの現場に出張でばるような仕事は本来であれば彼の領分りょうぶんではない。
 だが、この世界と異界との間にあな穿うがつ彼の能力は、使い方次第しだいで強力な武器になる。
 実際に甘太郎あまたろうは仕事の最中に起きたトラブルを、そうした能力を発揮はっきすることで回避し、自分の身を守ったことが幾度かあった。
 それでも貿易士ぼうえきしは事務屋であり、机の上で算盤そろばんはじき、電話やメールひとつで商品を右から左へと流すことで利潤りじゅんを得るのが本来の姿だ。
 わざわざ危険をおかしてまで護衛ごえいの仕事などする必要はない。

 だが、甘太郎あまたろうにはどうしてもこの仕事を引き受けなければならない事情があった。
 そのことを八重子やえこもよく知っているからこそ甘太郎あまたろうに仕事を紹介したのだが、それが甘太郎あまたろうに危険を及ぼすかもしれないと思うと、八重子やえことしては心おだやかではいられなかった。

「お客さんは今日、来日するんだろ?」

 そう問いかける甘太郎あまたろう八重子やえこうなづく。

「ええ。アメリカ本部のエージェントがね。私、今日の午前中にその人に会うことになってるの。だから学校は休むわ」

 その話に琴線きんせん刺激しげきされ、甘太郎あまたろうは身を乗り出した。

「なら俺も行くよ」
「だめ。あんたは学校行きなさい」

 にべもなくそう言う八重子やえこ甘太郎あまたろうは不満を口につのらせる。

「いいじゃねえか。一日くらいサボったって、どうってことないだろ。それにサボるのはおまえだって一緒だろ?」

 そう軽口をたたく甘太郎あまたろうにらみつけながら八重子やえこは冷然と言葉を並び立てた。

「あんたと私とどのくらい成績の差がある? 私は仮に一日くらい休んでもどうってことないけど、あんたはどうかしらね」
「う……それを言われると」

 二人の成績は比較しようもなかった。
 八重子やえこは上位から数えてすぐの定位置であり、甘太郎あまたろうは半分より上になったことがない。
 その言葉にたじろいですっかり意気消沈いきしょうちんした甘太郎あまたろう八重子やえこは依頼の概要がいようを再度説明し、彼の部屋を後にした。
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