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第一章 ブレイン・クラッキング
第12話 新宿中央公園
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新宿の交差点で見かけた少女を、恋華はおぼつかない足取りで追いかけていた。
小さなその背中は小走りに人波の中へと紛れていく。
「待って……待ってよ……」
困惑の表情を浮かべながら恋華は少女を追っていく。
その胸中には混濁とした感情が渦巻いていた。
(そんな……でも砂奈はもう……)
少女の面影が記憶の中の亡き妹に重なる。
恋華は何かにとりつかれたように少女の後を追うが、人波に遮られて思うように進むことができない。
少女の背中は通行人の姿の間に見え隠れしている。
やがて恋華は少女を追って新宿中央公園に入り込んだ。
公園の中は公道の路上より通行人の数も少なく、恋華は思い切って足を速めることが出来た。
すると少女は石畳の道を外れて道の脇に広がる雑木林へと駆け込んでいく。
「待ちなさいったら!」
恋華はそう叫ぶと、少女を追いかけて自らも雑木林へと踏み入っていくが、今度は密集した木々に邪魔をされて満足に走ることが出来ない。
対照的に少女はその小さな体を活かして、スイスイと雑木林の中を奥へと進んでいく。
しばらく恋華が苦労しながら奥へと踏み入っていくと、突如として開けた場所へと躍り出た。
すでに石畳の道は遠く見えない。
周囲にあるのは木ばかりであり、遠くにそびえ立つビル郡が見えなければここは都会のど真ん中などではなく人里離れた山の中であるかのような錯覚すら覚えていただろう。
その場所に少女はひとり佇んでいた。
幼いその少女はうつむいて立ったままピクリとも動かない。
恋華は少女を見つけると数メートルの距離を挟んで立ち止まり、弾む息を懸命に整えながら少女に声をかけた。
妹の砂奈はすでにこの世にはいない。
そんな冷たい現実を知っていてなお、恋華は動転して尋ねた。
「砂奈……なの?」
恐る恐るそう言う恋華の前で少女はゆっくりと顔を上げた。
高鳴る胸の鼓動が極限を迎え、恋華はぐっと息を詰める。
「あ……」
だがそれは恋華の亡き妹・砂奈ではなかった。
恋華は安堵とも落胆ともつかない複雑な気持ちを胸に抱えたまま、少女の姿をまじまじと見つめる。
雰囲気や髪型、服装など、砂奈によく似た少女だった。
だが、恋華はその少女の表情が歪むのを見て、背筋が寒気だつのを感じた。
あどけない少女の顔に浮かんだのは邪悪な笑みだった。
少女は禍々しい笑みを浮かべたまま口を開く。
『久しぶりだな。梓川恋華。待っていたぞ』
その口から発せられたのはおよそ愛らしい少女のものとは思えない、ひび割れたしわがれ声だった。
その声で恋華は悟った。
少女の中に巣食っているのが、自分が日本まで追ってきた【それ】であることを。
そして雑木林の中の空気がすっかりと魔気に覆われて黒く澱んでいることに今さらながらに気がついた。
無我夢中で少女を追ってきた自分がいかに動揺していたかを知り、恋華は唇を噛む。
『妹が黄泉返りしたとでも思ったか? 馬鹿め。貴様の妹はもはやこの世のどこにも存在せぬ』
そう言うと少女は不愉快な声を立ててケラケラと笑う。
その言葉に恋華は怒りで顔を紅潮させ、低く抑えた声を絞り出した。
「……やめて」
だが少女の中に巣食う【それ】はかまわず話を続ける。
『貴様の妹は、実験の贄となった。誉れに思うがいい』
「……砂奈のことをその汚らわしい口で語るのを今すぐやめなさい! そしてその子を解放するのよ!」
恋華は強い口調でそう咎めると、腰を落として少女に飛びかかった。
彼女の両手にハメられた霊具の指輪がキラリと光を放つ。
だが、その左手で少女の頭に触れる前に、突如として横から突進してきた黒い人影に体当たりを浴びせられ、恋華は悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
「きゃっ!」
背中を地面に打ちつけたものの痛みをこらえてすぐに立ち上がると、恋華は突然の乱入者の姿を振り仰いだ。
そこにいたのは見知らぬ青年だった。
それはジャージ姿の20代前半くらいの何の変哲もない男だったが、その顔は無表情であり、目の焦点は合っていない。
恋華はそれがまともな人間の顔でないことをよく知っている。
(感染者だわ。クラッキングされている。やっぱり……2体同時に出来るんだ)
『ククク……』
少女は含み笑いを漏らしながら指をパチンと鳴らす。
すると雑木林の中から数人の男が現れた。
その数は恋華に体当たりを浴びせた男も含めて6人。
恋華を囲むようにして立っているその全員が、正気を失った虚ろな目をしていた。
「こ、こんなに……」
想像していた以上の敵の数に驚くと同時に、冷静さを失って雑木林の中に誘い込まれた自分の迂闊さを恋華は呪った。
少女はそんな恋華を蔑むように見据える。
『貴様らの見立ては甘い。条件さえ整えば私は何人でも同時に乗っ取れる』
その言葉に恋華はあらためて敵の脅威が自分たちの想像以上であることを理解した。
こうなると恋華が今朝、空港で感じた脅威も決して大げさなものではない。
より多くの人間がブレイン・クラッキングの餌食にされる恐れがある。
それが人間社会にとってどれほどの危険をもたらすのか、恋華には想像もつかなかった。
じりじりと迫る感染者の男らを前に恋華は覚悟を決めた。
雑木林の中は他に人気もなく、大きな声で叫んでも誰かに気付いてもらえる望みは薄い。
(戦うしかない)
恋華は口元を引き締めて腹に力を込めると、決然と男らに立ち向かった。
小さなその背中は小走りに人波の中へと紛れていく。
「待って……待ってよ……」
困惑の表情を浮かべながら恋華は少女を追っていく。
その胸中には混濁とした感情が渦巻いていた。
(そんな……でも砂奈はもう……)
少女の面影が記憶の中の亡き妹に重なる。
恋華は何かにとりつかれたように少女の後を追うが、人波に遮られて思うように進むことができない。
少女の背中は通行人の姿の間に見え隠れしている。
やがて恋華は少女を追って新宿中央公園に入り込んだ。
公園の中は公道の路上より通行人の数も少なく、恋華は思い切って足を速めることが出来た。
すると少女は石畳の道を外れて道の脇に広がる雑木林へと駆け込んでいく。
「待ちなさいったら!」
恋華はそう叫ぶと、少女を追いかけて自らも雑木林へと踏み入っていくが、今度は密集した木々に邪魔をされて満足に走ることが出来ない。
対照的に少女はその小さな体を活かして、スイスイと雑木林の中を奥へと進んでいく。
しばらく恋華が苦労しながら奥へと踏み入っていくと、突如として開けた場所へと躍り出た。
すでに石畳の道は遠く見えない。
周囲にあるのは木ばかりであり、遠くにそびえ立つビル郡が見えなければここは都会のど真ん中などではなく人里離れた山の中であるかのような錯覚すら覚えていただろう。
その場所に少女はひとり佇んでいた。
幼いその少女はうつむいて立ったままピクリとも動かない。
恋華は少女を見つけると数メートルの距離を挟んで立ち止まり、弾む息を懸命に整えながら少女に声をかけた。
妹の砂奈はすでにこの世にはいない。
そんな冷たい現実を知っていてなお、恋華は動転して尋ねた。
「砂奈……なの?」
恐る恐るそう言う恋華の前で少女はゆっくりと顔を上げた。
高鳴る胸の鼓動が極限を迎え、恋華はぐっと息を詰める。
「あ……」
だがそれは恋華の亡き妹・砂奈ではなかった。
恋華は安堵とも落胆ともつかない複雑な気持ちを胸に抱えたまま、少女の姿をまじまじと見つめる。
雰囲気や髪型、服装など、砂奈によく似た少女だった。
だが、恋華はその少女の表情が歪むのを見て、背筋が寒気だつのを感じた。
あどけない少女の顔に浮かんだのは邪悪な笑みだった。
少女は禍々しい笑みを浮かべたまま口を開く。
『久しぶりだな。梓川恋華。待っていたぞ』
その口から発せられたのはおよそ愛らしい少女のものとは思えない、ひび割れたしわがれ声だった。
その声で恋華は悟った。
少女の中に巣食っているのが、自分が日本まで追ってきた【それ】であることを。
そして雑木林の中の空気がすっかりと魔気に覆われて黒く澱んでいることに今さらながらに気がついた。
無我夢中で少女を追ってきた自分がいかに動揺していたかを知り、恋華は唇を噛む。
『妹が黄泉返りしたとでも思ったか? 馬鹿め。貴様の妹はもはやこの世のどこにも存在せぬ』
そう言うと少女は不愉快な声を立ててケラケラと笑う。
その言葉に恋華は怒りで顔を紅潮させ、低く抑えた声を絞り出した。
「……やめて」
だが少女の中に巣食う【それ】はかまわず話を続ける。
『貴様の妹は、実験の贄となった。誉れに思うがいい』
「……砂奈のことをその汚らわしい口で語るのを今すぐやめなさい! そしてその子を解放するのよ!」
恋華は強い口調でそう咎めると、腰を落として少女に飛びかかった。
彼女の両手にハメられた霊具の指輪がキラリと光を放つ。
だが、その左手で少女の頭に触れる前に、突如として横から突進してきた黒い人影に体当たりを浴びせられ、恋華は悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
「きゃっ!」
背中を地面に打ちつけたものの痛みをこらえてすぐに立ち上がると、恋華は突然の乱入者の姿を振り仰いだ。
そこにいたのは見知らぬ青年だった。
それはジャージ姿の20代前半くらいの何の変哲もない男だったが、その顔は無表情であり、目の焦点は合っていない。
恋華はそれがまともな人間の顔でないことをよく知っている。
(感染者だわ。クラッキングされている。やっぱり……2体同時に出来るんだ)
『ククク……』
少女は含み笑いを漏らしながら指をパチンと鳴らす。
すると雑木林の中から数人の男が現れた。
その数は恋華に体当たりを浴びせた男も含めて6人。
恋華を囲むようにして立っているその全員が、正気を失った虚ろな目をしていた。
「こ、こんなに……」
想像していた以上の敵の数に驚くと同時に、冷静さを失って雑木林の中に誘い込まれた自分の迂闊さを恋華は呪った。
少女はそんな恋華を蔑むように見据える。
『貴様らの見立ては甘い。条件さえ整えば私は何人でも同時に乗っ取れる』
その言葉に恋華はあらためて敵の脅威が自分たちの想像以上であることを理解した。
こうなると恋華が今朝、空港で感じた脅威も決して大げさなものではない。
より多くの人間がブレイン・クラッキングの餌食にされる恐れがある。
それが人間社会にとってどれほどの危険をもたらすのか、恋華には想像もつかなかった。
じりじりと迫る感染者の男らを前に恋華は覚悟を決めた。
雑木林の中は他に人気もなく、大きな声で叫んでも誰かに気付いてもらえる望みは薄い。
(戦うしかない)
恋華は口元を引き締めて腹に力を込めると、決然と男らに立ち向かった。
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