17 / 105
第一章 ブレイン・クラッキング
第17話 米国・聖歌隊【カントルム】本部にて
しおりを挟む
アメリカ合衆国。
人里離れた山奥に古びた修道院が存在する。
外界から隔絶されたようなその場所に建つ修道院の名を【カントルム】と呼んだ。
さほど大きくはない修道院の建物は単に組織本部の入り口に過ぎず、広大な山の地下に作られた施設はまるで要塞のようであった。
組織の幹部であるイクリシア・ミカエリスは山頂近くに作られた天文台を訪れていた。
天文台と言えば聞こえはいいが、レンガ造りの粗末な小屋がいくつか立ち並んでいるだけだ。
だが、この小屋には見る限り、星を見る設備などは備え付けられておらず、代わりに数多くのアンテナが小屋の屋根の上にずらりと360度全方位に向けて隙間なく配置されていた。
ここにはカントルム所属の予言士が常駐しており、イクリシアは本部にいる時はほとんど毎日欠かさずここを訪れている。
彼女はスラリとした長身を揺らしながら、そのうちのひとつの小屋の前に立ち、扉を叩くと返事を待たずにその中に足を踏み入れた。
燃えるような赤毛を頭の後ろでひとつにまとめた彼女は、凛とした光を宿す焦げ茶色の瞳で、それほど広くはない室内の中央に目をやった。
そこでは何台もの大きなモニターやパソコンに囲まれたデスクに埋もれるようにして、一人の人物がイクリシアを出迎えてくれた。
「毎日お疲れさまです。イクリシア」
「そちらもな。どうだ? カノン」
カノンと呼ばれたのは、まだ12~3歳くらいの少女であり、やわらかそうな茶色の髪を腰まで垂らし、翡翠色の美しい目が特徴的だった。
彼女は赤子の時にこの修道院に捨てられ、以来ここで予言士として育てられた。
「今は大きな変化はありません。で勢力図の変化は必ず起きます。それもごく近いうちに」
そう言ってカノンは目の前にある大きなモニターを指差す。
その大画面には米国を中心とした世界地図が映し出されていて、地図上には一定の地域に黄色や赤の靄のようなものがかかっていた。
それは異界の大気である神気や魔気の濃度を表していて、黄色から赤の色が濃い地域ほど神気の、緑から青の色が濃いほど魔気の濃度が高いということだった。
地図上の日本の近くには色がついておらず、現在のところ神気、魔気ともに濃度は低いようだった。
「嵐の前の静けさ、かな」
魔気の濃度が高いということは、それだけ異界からの干渉が強まっている証拠であり、そうした地域では悪魔憑きなどの現象が発生しやすい。
つまり予言士とは何も未来を言い当てているわけではなく、特殊な衛星によって映し出された神気や魔気の濃度の分布図を見て、その地域ごごとに今後の情勢の移り変わりを予測する専門家なのだ。
気象予報士が天気図を見て雲の動きや気圧の配置から天候を予測するのと同じ原理である。
「イクリシア。日本に行かなくていいのですか? 恋華一人では厳しいと思いますが」
カントルムの予言士・カノンはそう言ってイクリシアを見上げた。
だがイクリシアはゆっくりと首を横に振る。
「私には私の仕事がある。日本はあくまでも恋華に任せるさ。新米だろうが何だろうが恋華がエージェントであることに変わりはないんだ。カントルムのエージェントならば与えられた仕事を必ずやり遂げるもんだ。それに、日本では恋華を助けてくれる騎士殿が待ってる」
そう言ってイクリシアは地図の中の日本列島に目を向けた。
つい先頃、彼女の旧知の友である談合坂幸之助から連絡があり、以前より恋華のパートナーとしてイクリシアが推薦していた異界貿易士・酒々井甘太郎が恋華に協力する
旨の報告があった。
それを聞きイクリシアは本作戦行動に必要な霊具等の物品はすべて甘太郎から購入する旨の約束を自分の権限において取り付けた。
カントルム最強のエージェントであるイクリシアの組織内における発言力や影響力は絶大である。
だからこそ、カントルムではまだ正式な事象として認められていないブレイン・クラッキングへの対策投資もイクリシアの鶴の一声で認められてきた。
だが、それでも全てが彼女の思うままに進むわけではない。
上層部に居並ぶ重鎮らの中でも、彼女の躍進を快く思わない何人かに睨みを利かされ、イクリシアは恋華とともに最前線に赴くことは出来ずにいた。
「今回、私はここを動かん。【スブシディウマ(援軍)】も完成していないしな」
肩をすくめてそう言う彼女の言葉にカノンは反応を見せた。
「【スブシディウマ(援軍)】。新しいプログラムですね。仕上がりはいかがですか?」
自分を見上げてそう言うカノンにイクリシアは頷いた。
「9割方ってところだな。あとは最後に必要なスクリプトを入手すれば完成だ。上層部に睨まれながら新開発するのは骨が折れたよ。だが、これが完成しないと恋華の奴も先々困ることになるだろうからな」
「上層部は今、あなたを失脚させる機会を窺っています。細心のご注意を」
生真面目な表情でそう言うカノンの肩にイクリシアは自分の手をそっと乗せる。
「分かっているさ。カノン。だが、私はこうも考えている。今こそが千載一遇の好機なんだ。この機に私欲にまみれた豚どもを一掃する」
そう言うとイクリシアは美しい赤毛をかき上げ、カノンに片目をつぶってみせた。
人里離れた山奥に古びた修道院が存在する。
外界から隔絶されたようなその場所に建つ修道院の名を【カントルム】と呼んだ。
さほど大きくはない修道院の建物は単に組織本部の入り口に過ぎず、広大な山の地下に作られた施設はまるで要塞のようであった。
組織の幹部であるイクリシア・ミカエリスは山頂近くに作られた天文台を訪れていた。
天文台と言えば聞こえはいいが、レンガ造りの粗末な小屋がいくつか立ち並んでいるだけだ。
だが、この小屋には見る限り、星を見る設備などは備え付けられておらず、代わりに数多くのアンテナが小屋の屋根の上にずらりと360度全方位に向けて隙間なく配置されていた。
ここにはカントルム所属の予言士が常駐しており、イクリシアは本部にいる時はほとんど毎日欠かさずここを訪れている。
彼女はスラリとした長身を揺らしながら、そのうちのひとつの小屋の前に立ち、扉を叩くと返事を待たずにその中に足を踏み入れた。
燃えるような赤毛を頭の後ろでひとつにまとめた彼女は、凛とした光を宿す焦げ茶色の瞳で、それほど広くはない室内の中央に目をやった。
そこでは何台もの大きなモニターやパソコンに囲まれたデスクに埋もれるようにして、一人の人物がイクリシアを出迎えてくれた。
「毎日お疲れさまです。イクリシア」
「そちらもな。どうだ? カノン」
カノンと呼ばれたのは、まだ12~3歳くらいの少女であり、やわらかそうな茶色の髪を腰まで垂らし、翡翠色の美しい目が特徴的だった。
彼女は赤子の時にこの修道院に捨てられ、以来ここで予言士として育てられた。
「今は大きな変化はありません。で勢力図の変化は必ず起きます。それもごく近いうちに」
そう言ってカノンは目の前にある大きなモニターを指差す。
その大画面には米国を中心とした世界地図が映し出されていて、地図上には一定の地域に黄色や赤の靄のようなものがかかっていた。
それは異界の大気である神気や魔気の濃度を表していて、黄色から赤の色が濃い地域ほど神気の、緑から青の色が濃いほど魔気の濃度が高いということだった。
地図上の日本の近くには色がついておらず、現在のところ神気、魔気ともに濃度は低いようだった。
「嵐の前の静けさ、かな」
魔気の濃度が高いということは、それだけ異界からの干渉が強まっている証拠であり、そうした地域では悪魔憑きなどの現象が発生しやすい。
つまり予言士とは何も未来を言い当てているわけではなく、特殊な衛星によって映し出された神気や魔気の濃度の分布図を見て、その地域ごごとに今後の情勢の移り変わりを予測する専門家なのだ。
気象予報士が天気図を見て雲の動きや気圧の配置から天候を予測するのと同じ原理である。
「イクリシア。日本に行かなくていいのですか? 恋華一人では厳しいと思いますが」
カントルムの予言士・カノンはそう言ってイクリシアを見上げた。
だがイクリシアはゆっくりと首を横に振る。
「私には私の仕事がある。日本はあくまでも恋華に任せるさ。新米だろうが何だろうが恋華がエージェントであることに変わりはないんだ。カントルムのエージェントならば与えられた仕事を必ずやり遂げるもんだ。それに、日本では恋華を助けてくれる騎士殿が待ってる」
そう言ってイクリシアは地図の中の日本列島に目を向けた。
つい先頃、彼女の旧知の友である談合坂幸之助から連絡があり、以前より恋華のパートナーとしてイクリシアが推薦していた異界貿易士・酒々井甘太郎が恋華に協力する
旨の報告があった。
それを聞きイクリシアは本作戦行動に必要な霊具等の物品はすべて甘太郎から購入する旨の約束を自分の権限において取り付けた。
カントルム最強のエージェントであるイクリシアの組織内における発言力や影響力は絶大である。
だからこそ、カントルムではまだ正式な事象として認められていないブレイン・クラッキングへの対策投資もイクリシアの鶴の一声で認められてきた。
だが、それでも全てが彼女の思うままに進むわけではない。
上層部に居並ぶ重鎮らの中でも、彼女の躍進を快く思わない何人かに睨みを利かされ、イクリシアは恋華とともに最前線に赴くことは出来ずにいた。
「今回、私はここを動かん。【スブシディウマ(援軍)】も完成していないしな」
肩をすくめてそう言う彼女の言葉にカノンは反応を見せた。
「【スブシディウマ(援軍)】。新しいプログラムですね。仕上がりはいかがですか?」
自分を見上げてそう言うカノンにイクリシアは頷いた。
「9割方ってところだな。あとは最後に必要なスクリプトを入手すれば完成だ。上層部に睨まれながら新開発するのは骨が折れたよ。だが、これが完成しないと恋華の奴も先々困ることになるだろうからな」
「上層部は今、あなたを失脚させる機会を窺っています。細心のご注意を」
生真面目な表情でそう言うカノンの肩にイクリシアは自分の手をそっと乗せる。
「分かっているさ。カノン。だが、私はこうも考えている。今こそが千載一遇の好機なんだ。この機に私欲にまみれた豚どもを一掃する」
そう言うとイクリシアは美しい赤毛をかき上げ、カノンに片目をつぶってみせた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる