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第一章 ブレイン・クラッキング
第17話 米国・聖歌隊【カントルム】本部にて
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アメリカ合衆国。
人里離れた山奥に古びた修道院が存在する。
外界から隔絶されたようなその場所に建つ修道院の名を【カントルム】と呼んだ。
さほど大きくはない修道院の建物は単に組織本部の入り口に過ぎず、広大な山の地下に作られた施設はまるで要塞のようであった。
組織の幹部であるイクリシア・ミカエリスは山頂近くに作られた天文台を訪れていた。
天文台と言えば聞こえはいいが、レンガ造りの粗末な小屋がいくつか立ち並んでいるだけだ。
だが、この小屋には見る限り、星を見る設備などは備え付けられておらず、代わりに数多くのアンテナが小屋の屋根の上にずらりと360度全方位に向けて隙間なく配置されていた。
ここにはカントルム所属の予言士が常駐しており、イクリシアは本部にいる時はほとんど毎日欠かさずここを訪れている。
彼女はスラリとした長身を揺らしながら、そのうちのひとつの小屋の前に立ち、扉を叩くと返事を待たずにその中に足を踏み入れた。
燃えるような赤毛を頭の後ろでひとつにまとめた彼女は、凛とした光を宿す焦げ茶色の瞳で、それほど広くはない室内の中央に目をやった。
そこでは何台もの大きなモニターやパソコンに囲まれたデスクに埋もれるようにして、一人の人物がイクリシアを出迎えてくれた。
「毎日お疲れさまです。イクリシア」
「そちらもな。どうだ? カノン」
カノンと呼ばれたのは、まだ12~3歳くらいの少女であり、やわらかそうな茶色の髪を腰まで垂らし、翡翠色の美しい目が特徴的だった。
彼女は赤子の時にこの修道院に捨てられ、以来ここで予言士として育てられた。
「今は大きな変化はありません。で勢力図の変化は必ず起きます。それもごく近いうちに」
そう言ってカノンは目の前にある大きなモニターを指差す。
その大画面には米国を中心とした世界地図が映し出されていて、地図上には一定の地域に黄色や赤の靄のようなものがかかっていた。
それは異界の大気である神気や魔気の濃度を表していて、黄色から赤の色が濃い地域ほど神気の、緑から青の色が濃いほど魔気の濃度が高いということだった。
地図上の日本の近くには色がついておらず、現在のところ神気、魔気ともに濃度は低いようだった。
「嵐の前の静けさ、かな」
魔気の濃度が高いということは、それだけ異界からの干渉が強まっている証拠であり、そうした地域では悪魔憑きなどの現象が発生しやすい。
つまり予言士とは何も未来を言い当てているわけではなく、特殊な衛星によって映し出された神気や魔気の濃度の分布図を見て、その地域ごごとに今後の情勢の移り変わりを予測する専門家なのだ。
気象予報士が天気図を見て雲の動きや気圧の配置から天候を予測するのと同じ原理である。
「イクリシア。日本に行かなくていいのですか? 恋華一人では厳しいと思いますが」
カントルムの予言士・カノンはそう言ってイクリシアを見上げた。
だがイクリシアはゆっくりと首を横に振る。
「私には私の仕事がある。日本はあくまでも恋華に任せるさ。新米だろうが何だろうが恋華がエージェントであることに変わりはないんだ。カントルムのエージェントならば与えられた仕事を必ずやり遂げるもんだ。それに、日本では恋華を助けてくれる騎士殿が待ってる」
そう言ってイクリシアは地図の中の日本列島に目を向けた。
つい先頃、彼女の旧知の友である談合坂幸之助から連絡があり、以前より恋華のパートナーとしてイクリシアが推薦していた異界貿易士・酒々井甘太郎が恋華に協力する
旨の報告があった。
それを聞きイクリシアは本作戦行動に必要な霊具等の物品はすべて甘太郎から購入する旨の約束を自分の権限において取り付けた。
カントルム最強のエージェントであるイクリシアの組織内における発言力や影響力は絶大である。
だからこそ、カントルムではまだ正式な事象として認められていないブレイン・クラッキングへの対策投資もイクリシアの鶴の一声で認められてきた。
だが、それでも全てが彼女の思うままに進むわけではない。
上層部に居並ぶ重鎮らの中でも、彼女の躍進を快く思わない何人かに睨みを利かされ、イクリシアは恋華とともに最前線に赴くことは出来ずにいた。
「今回、私はここを動かん。【スブシディウマ(援軍)】も完成していないしな」
肩をすくめてそう言う彼女の言葉にカノンは反応を見せた。
「【スブシディウマ(援軍)】。新しいプログラムですね。仕上がりはいかがですか?」
自分を見上げてそう言うカノンにイクリシアは頷いた。
「9割方ってところだな。あとは最後に必要なスクリプトを入手すれば完成だ。上層部に睨まれながら新開発するのは骨が折れたよ。だが、これが完成しないと恋華の奴も先々困ることになるだろうからな」
「上層部は今、あなたを失脚させる機会を窺っています。細心のご注意を」
生真面目な表情でそう言うカノンの肩にイクリシアは自分の手をそっと乗せる。
「分かっているさ。カノン。だが、私はこうも考えている。今こそが千載一遇の好機なんだ。この機に私欲にまみれた豚どもを一掃する」
そう言うとイクリシアは美しい赤毛をかき上げ、カノンに片目をつぶってみせた。
人里離れた山奥に古びた修道院が存在する。
外界から隔絶されたようなその場所に建つ修道院の名を【カントルム】と呼んだ。
さほど大きくはない修道院の建物は単に組織本部の入り口に過ぎず、広大な山の地下に作られた施設はまるで要塞のようであった。
組織の幹部であるイクリシア・ミカエリスは山頂近くに作られた天文台を訪れていた。
天文台と言えば聞こえはいいが、レンガ造りの粗末な小屋がいくつか立ち並んでいるだけだ。
だが、この小屋には見る限り、星を見る設備などは備え付けられておらず、代わりに数多くのアンテナが小屋の屋根の上にずらりと360度全方位に向けて隙間なく配置されていた。
ここにはカントルム所属の予言士が常駐しており、イクリシアは本部にいる時はほとんど毎日欠かさずここを訪れている。
彼女はスラリとした長身を揺らしながら、そのうちのひとつの小屋の前に立ち、扉を叩くと返事を待たずにその中に足を踏み入れた。
燃えるような赤毛を頭の後ろでひとつにまとめた彼女は、凛とした光を宿す焦げ茶色の瞳で、それほど広くはない室内の中央に目をやった。
そこでは何台もの大きなモニターやパソコンに囲まれたデスクに埋もれるようにして、一人の人物がイクリシアを出迎えてくれた。
「毎日お疲れさまです。イクリシア」
「そちらもな。どうだ? カノン」
カノンと呼ばれたのは、まだ12~3歳くらいの少女であり、やわらかそうな茶色の髪を腰まで垂らし、翡翠色の美しい目が特徴的だった。
彼女は赤子の時にこの修道院に捨てられ、以来ここで予言士として育てられた。
「今は大きな変化はありません。で勢力図の変化は必ず起きます。それもごく近いうちに」
そう言ってカノンは目の前にある大きなモニターを指差す。
その大画面には米国を中心とした世界地図が映し出されていて、地図上には一定の地域に黄色や赤の靄のようなものがかかっていた。
それは異界の大気である神気や魔気の濃度を表していて、黄色から赤の色が濃い地域ほど神気の、緑から青の色が濃いほど魔気の濃度が高いということだった。
地図上の日本の近くには色がついておらず、現在のところ神気、魔気ともに濃度は低いようだった。
「嵐の前の静けさ、かな」
魔気の濃度が高いということは、それだけ異界からの干渉が強まっている証拠であり、そうした地域では悪魔憑きなどの現象が発生しやすい。
つまり予言士とは何も未来を言い当てているわけではなく、特殊な衛星によって映し出された神気や魔気の濃度の分布図を見て、その地域ごごとに今後の情勢の移り変わりを予測する専門家なのだ。
気象予報士が天気図を見て雲の動きや気圧の配置から天候を予測するのと同じ原理である。
「イクリシア。日本に行かなくていいのですか? 恋華一人では厳しいと思いますが」
カントルムの予言士・カノンはそう言ってイクリシアを見上げた。
だがイクリシアはゆっくりと首を横に振る。
「私には私の仕事がある。日本はあくまでも恋華に任せるさ。新米だろうが何だろうが恋華がエージェントであることに変わりはないんだ。カントルムのエージェントならば与えられた仕事を必ずやり遂げるもんだ。それに、日本では恋華を助けてくれる騎士殿が待ってる」
そう言ってイクリシアは地図の中の日本列島に目を向けた。
つい先頃、彼女の旧知の友である談合坂幸之助から連絡があり、以前より恋華のパートナーとしてイクリシアが推薦していた異界貿易士・酒々井甘太郎が恋華に協力する
旨の報告があった。
それを聞きイクリシアは本作戦行動に必要な霊具等の物品はすべて甘太郎から購入する旨の約束を自分の権限において取り付けた。
カントルム最強のエージェントであるイクリシアの組織内における発言力や影響力は絶大である。
だからこそ、カントルムではまだ正式な事象として認められていないブレイン・クラッキングへの対策投資もイクリシアの鶴の一声で認められてきた。
だが、それでも全てが彼女の思うままに進むわけではない。
上層部に居並ぶ重鎮らの中でも、彼女の躍進を快く思わない何人かに睨みを利かされ、イクリシアは恋華とともに最前線に赴くことは出来ずにいた。
「今回、私はここを動かん。【スブシディウマ(援軍)】も完成していないしな」
肩をすくめてそう言う彼女の言葉にカノンは反応を見せた。
「【スブシディウマ(援軍)】。新しいプログラムですね。仕上がりはいかがですか?」
自分を見上げてそう言うカノンにイクリシアは頷いた。
「9割方ってところだな。あとは最後に必要なスクリプトを入手すれば完成だ。上層部に睨まれながら新開発するのは骨が折れたよ。だが、これが完成しないと恋華の奴も先々困ることになるだろうからな」
「上層部は今、あなたを失脚させる機会を窺っています。細心のご注意を」
生真面目な表情でそう言うカノンの肩にイクリシアは自分の手をそっと乗せる。
「分かっているさ。カノン。だが、私はこうも考えている。今こそが千載一遇の好機なんだ。この機に私欲にまみれた豚どもを一掃する」
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