蛮族女王の娘《プリンセス》 第3部【王国編】(完結編)

枕崎 純之助

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第281話 堕落せし者

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「ふぅ。ここのところ忙しくてロクに楽しむことも出来ん」

 黒帯隊ダークベルトの副隊長ヴィンスは、数日ぶりに自身の瞑想めいそう室を訪れた。
 王都内で活発化する内通者狩りには黒帯隊ダークベルト黒髪術者ダークネスらが連日駆り出されていた。
 内通者をあぶり出すのに、黒髪術者ダークネスらの力は重宝されるのだ。
 副隊長のヴィンスも部下たちを指揮しきして王都内の見回りにいそしむ日々で、個人的な趣味を楽しむ時間も取れなかった。

 今、彼の手には白い包み紙が握られている。
 包み紙に入っているのはシャクナゲからもらった粉薬だ。
 その粉薬を鼻から吸うと、ほんの1分ほどで陶酔とうすい感が訪れるのだ。
 その後、それは覚醒かくせい感に変わり、疲れや憂鬱ゆううつが吹き飛ぶほど爽快そうかいな気分になれる。
 それはヴィンスの心身にかかっている負荷をあっという間に消し去り、彼に幸福感を与えてくれた。

 それが欲しいがためにヴィンスはシャクナゲの手足となって働いているのだ。
 瞑想めいそう室に入ったヴィンスはさっそく机の上で包み紙を開ける。
 中から出てきた白い粉は、彼の目には光りかがやく秘薬に見えた。
 粉末を吸い込むために使う小さな筒状の紙を手に取ったその時、それを取り落としてしまう。

「おっと……」

 屑籠くずかごの近くに落ちたそれを拾い上げようとしゃがんだその時、ヴィンスはふと動きを止めた。
 彼の鋭い黒髪術者ダークネスの力により、屑籠くずかごからある思念を感じ取ったのだ。
 それはおどろきや嫌悪といった他者の感情だった。
 ヴィンスは思わず屑籠くずかごに手を触れ、目をく。

 何者かがこの屑籠くずかごに手を触れ、そこで何かを見つけておどろいたのだという思念がそこには残されていた。
 ヴィンスは思わず冷や汗をかく。
 薬を使用した後の包み紙を無造作にこの屑籠くずかごに捨てたことは幾度いくどもあったが、薬の効果が切れて素面しらふに戻った際に、彼はそれらのゴミをきちんと焼却炉に投げ込んで処理していたのだ。
 だがもしかしたらそれを失念してしまったことがあったかもしれないと、ヴィンスは不安になった。

 シャクナゲからもらった薬を彼はこの瞑想めいそう室でしか使っていない。
 ここならば掃除係以外の他者が入ることはないからだ。
 この薬を使っていることを誰かに知られるわけにはいかない。
 特に黒帯隊ダークベルトの中でヴィンスは厳格な副隊長として部下から恐れられ敬われているのだ。
 その自分がこのような不埒ふらちな薬をたしなんでいるなどと知られてしまえば面目は丸潰まるつぶれだった。

(この瞑想めいそう室に入った掃除係……そうだ。隊長が最近雇い入れた小間使いの女がいた……ココノエの娘だ)

 ヴィンスは薬をふところにしまうとすぐに瞑想めいそう室を出る。
 そしてある場所へと向かうのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

(ジュード……)

 かつて黒帯隊ダークベルトから脱走したジュードが王都に戻ってきた。
 同じ黒髪術者ダークネスであるショーナは自身の瞑想めいそう室で、その特徴的な力を感じ取っている。
 ジュードは幼い頃から優秀な黒髪術者ダークネスだった。
 だが黒帯隊ダークベルトに所属している時はえてその力を隠しているように見えた。
 あまり力をひけらかすことは良い結果にはつながらないと理解しているさとい子供だったように思える。

 そして先日、ショーナは約10年ぶりにジュードと再会を果たし、大人の男に成長した彼が黒髪術者ダークネスとしても洗練された能力を持つようになっていることを知ったのだ。
 そのジュードの気配がする。
 この王都はジュードにとっては絶対に寄り付くべき場所ではない。
 脱走兵の彼は捕まれば厳しい拷問ごうもんの末に処刑されることになるからだ。
 だというのにジュードはここに来た。

 どういう縁なのか詳しくは知らないが、ジュードはダニアの女王ブリジットの子女であるプリシラとエミルの姉弟に肩入れしている。
 ということはもしかしたら今もプリシラと行動を共にしているかもしれない。
 だとしたらそれはすなわちエミルを取り戻しに来たということだ。
 かつて彼の逃亡を手助けしたショーナにとって、ジュードの来訪は決して歓迎できない事柄だった。
 しかし今はもしかしたらジュードの存在がショーナの計画を成功させるための大きな架け橋になるかも知れない。

 そう思ったショーナは自身の力でジュードに意識的接触を試みようとした。
 だがその時だった。
 瞑想めいそう室のすぐ外から気配を感じたのだ。
 ショーナはすぐに力を閉じた。
 それとほぼ同時にとびらが叩かれたのだ。

「……誰?」
「隊長。ヴィンスです」

 突然の訪問者は副隊長のヴィンスだった。
 ショーナはまゆをひそめる。  
 ヴィンスは今や完全にシャクナゲの傀儡かいらいと化している。
 そんな人物が今このタイミングでたずねてくることをショーナはいぶかしみながら用心してとびらを開けた。 

「内通者狩りの任務ご苦労さま。ヴィンス。何か報告かしら?」

 いつもの調子を保ちながらそう言うショーナにヴィンスは少々苛立いらだった様子で言った。

「いえ……ご報告ではなくお願いに上がりました。あのヤブランとかいう小間使いのことですが……隊員の瞑想めいそう室に立ち入らせるべきではないかと」

 ヴィンスはそう言うだろうとショーナは思ったが、ここでめても面倒なだけだとショーナは思った。 
 何よりヤブランはすでに証拠しょうこつかんでいる。
 ヴィンスが麻薬におぼれているという証拠しょうこを。

「そうね。少々軽率だったかしら。瞑想めいそう室は隊員にとって自身を高める大事な場所だものね。掃除は小間使いに任せず、各自でするよう規則を改めるわ」
 
 ショーナは巧妙に心を閉じて、自身の思惑をヴィンスに悟られぬよう努めた。
 黒髪術者ダークネスとして才能をかし、たゆまぬ訓練を長年に渡って続けてきた彼女だからこそ出来る芸当だ。
 目の前にいる男は何でもないフリをしながらショーナの胸の内を探ろうとしている。
 彼は自分が麻薬におぼれていることを知られたかどうかを探るべく、ショーナの元を訪れたのだ。
 ヤブランにも用心するように言わねばならないとショーナはきもめいじた。

「……ご理解いただけて感謝いたします。ご瞑想めいそう中に失礼いたしました。明日は非番ゆえ今夜は早々に休ませていただきます」

 そう言うとヴィンスは苛立いらだちをその顔から消して一礼し、その場を後にするのだった。
 副官が廊下ろうかの角を曲がって見えなくなるまで見送ると、ショーナは静かに息を吐く。
 ヴィンスは功名心の強い男だ。
 いつかはショーナに取って代わり、自分が隊長になろうという野心が見え隠れしている。
 
 シャクナゲに取り入っているのも、薬物のためだけではない。
 権勢を増大させるシャクナゲのを早々に借りようとしているのだ。
 だがショーナには隊長の地位に固執こしつする気持ちは微塵みじんもない。
 今から自分がやろうとしていることが失敗すれば、隊長の立場どころか命まで失うのだ。
 
 ショーナはそれでもやろうと決めた。
 今さら地位など惜しくもない。
 ただ、シャクナゲの子飼いであるヴィンスが隊長の座にけば、黒帯隊ダークベルトは実質的にシャクナゲの直轄ちょっかつ部隊になってしまう。
 それでは残された隊員たちが不憫ふびんだった。

 やはり黒帯隊ダークベルトは権力を正しく常識的に使える者の手にゆだねたい。
 ショーナはそう願いながら暗く頭上におおい被さる夜空を見上げた。 
 そして王城の尖塔せんとうもうけられている火時計を見やる。

(そろそろエミルも夕食を終える時刻だわ。ジュードと意識的接触するのは後にしよう。どこかでヴィンスが神経をませているでしょうし。多分ジュードはエミルの力を感じ取って天空ろうまで来るはずだわ)

 ショーナは瞑想めいそう室に戻るとあらかじめそこに置いてあった新しい服に着替えていく。
 そして今まで着ていた衣服を洗濯籠せんたくかごに入れると、しばし目を閉じて心を休ませた。
 それから30分ほど後にショーナは宿舎に戻らずに、着用済みの衣類を放り込んだ洗濯籠せんたくかごを手に王城の洗濯せんたく室へと向かう。

 明日の朝一番で洗濯せんたくをしてもらうために今夜のうちに衣類を洗濯せんたく係に預けるのだ。
 花の香のような洗剤のニオイがただよ洗濯せんたく室を訪れると、そこには黒髪の少女が1人、そして赤毛の修道女が1人待っていた。
 ショーナはうやうやしく頭を下げる2人に声をかける。

「ラモーナ。アニー。お待たせしたわね。思わぬ足止めを食ってしまって」

 ラモーナ。
 先日、ショーナから秘密の手紙を預かり、ダニアの都にいる伯母おばに送った彼女はかつてダニア分家に所属しており、今はこの王国に残っているダニアの女だ。
 今は修道女の身分である彼女は盲目もうもくだった。

 もう1人のアニーは黒髪だが、黒髪術者ダークネスとしての力がほとんどなく、黒帯隊ダークベルトには入れなかった少女だ。
 黒髪の者を多くようする王国には、そうした者たちもいる。
 そうした者たちは黒帯隊ダークベルトの補佐員として、雑務を行うようになる。
 アニーもその一人であり、ショーナのいる女子宿舎で働いていた。

「アニー。これをお願いね」

 そう言うとショーナはアニーに洗濯物せんたくものを手渡す。
 それを受け取ったアニーはかごの中身を確認した。
 着用済みの衣類の下に、未使用の手拭てぬぐいがかれている。
 その手拭てぬぐいの下には2枚の黒い札が入っているのだった。
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