その風船が緩やかにしぼむまで

森月名希

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2023年、4月10日

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あぁ、これは無理だ。
あの人に連絡するしか無い。
医者から受け取った1枚の紙に書かれた手術費の額を一目見た瞬間、羽香はそう悟らざるを得ず、唇をかみ締めたー。

 「...っ...?」
綰羽香が自身の首に痛みを感じるようになったのは9日前ー。
4月9日のことだった。
前日の午後2時~午後6時まで喫茶店のバイトをして。
午後7時~午前5時までのバイトをし終えた。
4月9日、午前5時2分過ぎー。
羽香の首の後ろが、急にチクチクと痛み出した。
羽香は、きっと連日連夜のバイトで首も凝ったのだろう、と、その時は考えた。
しかし、1日経っても、2日経っても、更に5日経っても、首の痛みは治ってはくれなかった。
それどころか、羽香の気の所為では無く、その痛みは日に日に増していく。
これには羽香も、病院へ行こう、行くしかないと思った。
それが昨夜のこと。
正確に表記すると、4月9日の、午後10時50分のことだった。
始めに羽香が行こうと思っていた病院が、たまたまバイトが全て休みだった4月10日、火曜日が定休日だった。
そのことにより、羽香は地元の希咲大学病院きさらだいがくびょういんに、7時間前ー午前6時から問い合わせた。
午前9時に、ようやく大学病院へと繋がった電話で、午後1時からの予約を入れた。
午前11時40分に、梅干しのおにぎりと鮭のおにぎり、600mlの水で昼食を食べた後、羽香は1人で病院へと向かった。

 病院の受付に行った羽香は、受付の女性に、自身の保険証と問診票を取り出して、渡した。
「ええっと、綰羽香さん?
あなたのお母さんは?」
受付の女性に自然なふうに問いかけられて羽香は目を伏せる。
 こんな風に、親が病院に付いてくるのが当たり前のことみたいに聞かれるのが嫌なのだ。
実際、多くの子供達の病院の付き添いには親が来るというのが普通なので、このように聞かれることは世間的には当たり前。
だが、羽香の場合は、そのことが当たり前ではなかったーそう、彼女が4歳半になった時から、ずっと────────。
しかも、その質問を聞いてきた相手には悪気が全く無いことが多いということを、羽香自身、重々承知しているからこそー。
「母、は...東京の大学病院で、ベーチェット病で、今も入院しているので、来れません。
母方の祖父母は私が1歳の頃、交通事故で亡くなったと母が教えてくれたので来れません。
父はー私が3歳の頃に母と離婚しているので、来れません。
父方の祖父母は住所も名前も生死も不明なので来れません。」
受付の女性が、そう...、と相槌を打つ。
彼女は一気にどのように羽香に接したら良いのか分からなくなった様子だった。
 こんな風に他人と気まずくなる現象が発生してしまう度に。
羽香の心は、1つの風船が今にもはち切れそうになるほどに膨らんだ状態になってしまう。
イライラして、モヤモヤする。
けれど、誰かに八つ当たることなんて羽香には出来なかった。
 受付の女性が、羽香にこれを書いてくれる?、と1枚の用紙を差し出してきたことで、物思いに耽っていた羽香は我に返った。
1枚のクリップボードに挟まれた用紙を、クリップボードごと受け取って、羽香は受付を出て、空いている席を見つけて用紙に自分の症状を書き記す為にそこへ腰を下ろした。
受付の女性に、再び紙を渡すと、再び席へ着くように言われて羽香は席に座った。
数分後、整形外科の方に行ってレントゲンを撮ってから診察です、と言われた。
受付の女性に言われた通りに、整形外科でレントゲンを撮り終えた後、1時間経って、羽香は何やら神妙な顔をした看護師に整形外科の一室に呼ばれた。
 そうして、午後4時5分の、今に至る──────────。

 「先生。
私、本当に手術しないと拙いまずいんですか?」
手術費、49万9990円ー。
指定難病であるベーチェット病を患い入院している母の入院費と、1月に3万のマンションのローンをバイトで稼いでいる羽香にとっては高金額だった。
医者は拙いに決まってますよ、と若干声を荒げた。
 医者の説明によると、羽香の首の骨の3番目と4番目が、恐らくだが数年前から曲がってきており、すり減ってきている。
骨に金属を入れて手術を行わなければ、いずれ羽香の両手両足が麻痺してしまうというのだ。
尚、羽香の首の骨の一部が何故数年に渡って曲がってきているかについては不明だという。「...分かりました...。
手術費に関しては、父に連絡してみます───────。」
羽香は最終的に手術をすることに決めて、病室から出た。
どんよりと曇った空からは、今にも雨が降り出しそうだった。
羽香は看護師から、出来るだけこれを付けてくださいね、と手渡された黒色のコルセットを首に巻いて。
次の火曜日に、また、大学病院で検査をすることを決めて。
重い足取りで、病院を後にしたのだった────────。
 羽香の父は、羽香の話を聞いてお金を貸してくれるだろうか。
なんせ彼を羽香が最後に見たのは、羽香が3歳の春、つまり12年前のことだったー。
古いマンションの一室、つまり自分の家に着いた羽香は、12年前に母が残してくれた、父の電話番号が書かれたカレンダーの切れ端を、古い箪笥から引っ張り出した。
そして自身のガラ携帯を取り出して、震える右手でその番号を打ち込んだ...。
次の瞬間、若い男の声がした。『旦那様に何の御用でしょう?』

2話へ続く
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