叶願の軌跡

凍明

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叶願の軌跡 第一章〈聖火の照らす街〉

07 我の知る記憶と汝は

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 街の主というこの氷刃龍にも、自身の記憶について分からないと言った。龍幻郷やらアトウェルチェやら、意味の分からない言葉をただ言われたが女にはそれがなんなのか分かるはずもなく……。

 すっかりと、氷刃龍の表情は諦めへと変わっていた。女に対する諦めだろうか。苦笑いの引き攣った女の顔を見ては、深く溜息をついた。

「シヴィアエレジナ様……」

 男性司祭が氷刃龍に話し掛けた。…この者も同様に、表情に諦めという感情が滲み出ていた。何を、諦めているというのか。当然それは女には分からない。

 再び沈黙が場を支配しようとした時、女は氷刃龍に対し言った。

「あの……私は別に大丈夫です。自分の記憶は、自分で探していくべきだと思うので…」

 だから、大丈夫と。
 氷刃龍はそんな女の無理をしていそうな発言を聞き、低く唸ってから

「すまぬ……」

 と一言だけ再び詫びた。

 女に期待をさせておいて、期待通りにしてやれなかったという自身に対する失念に頭を痛くさせられる。だから代わりに、氷刃龍は他になにかしてやれることは無いかと考えた。

「……」

 今この女にしてやれる事は、住居の提供といったところか。身を休める場所は必要であろう、そう氷刃龍は思い自身の隣にいる男性司祭に命令した。

「ヴォルゲンよ。この者に、住居の用意をせよ。場所は……我の間の隣の空き室でよい」

 氷刃龍の命令を受けて、男性司祭─ヴォルゲンは威勢よく

「承りました!」

 と言って、ここ 龍司教の間 の隣にある空き室へと向かっていった。
 氷刃龍はそんな従者の後ろ姿を眺め、何処か申し訳なさそうな顔をしている女に視線を移した。

「女よ。汝が、今日より此処カルフスノウ大聖堂に住まう事となった訳だが、そんな申し訳なさそうな顔をするな。我もこの街の者も汝を歓迎するぞ。それと……」

 氷刃龍はさらに言葉を続ける。


「何でも自力で解決しようとするな。適度に周りを頼り少しずつ記憶の手がかりを探してゆけばいい。汝は一人では無いのだからな」


 そんな氷刃龍の言葉に、女は少しばかり気が軽くなったようで、自然と笑顔が零れた。

「…ありがとうございます。こんな私にここまでして下さって…」

 そんな笑顔で礼を言う女を見て氷刃龍はズキン、と胸の内に鈍い痛みが走るのを感じた。その痛みが、何であるかは分からない。ただ、自身も何も知らないという女の笑顔が……氷刃龍にとって、酷く寂しく感じた。




「あの、ちょっといいですか、氷刃龍様」

 今までずっと黙って氷刃龍と女のやり取りを見ていたラービスが口を開いた。

「なんだ?」

 氷刃龍が女の後ろにいたラービスに反応する。女とのやり取りですっかり忘れていたが、この者も自分に何か用があるのだろう。女に着きそって来ただけと言うならば、直ぐに空気を読んで退出していったであろうから。

「この娘に、名前を付けて欲しいと思って。この街で暮らすにも、名前が無いと、色々と不便ですから…。何より皆仲良くしたいと思っているでしょうし、名前も分からないようではどう呼べばいいのか分からなくなってしまうと思って…」

 ラービスがそう言うと、氷刃龍は頷く。

「確かにそのとおりだ。名前が無いことは相手も困る」

 そして暫く考えた後、氷刃龍は少し躊躇った……が、自身の中で何かを決めたような顔をして言った。

「…女よ。汝の名は……『エルザ』。これからは自分をそう名乗るがよい」

 氷刃龍にその名を付けられた女は一瞬ピクリ、と反応し表情がなんとも言えないもの(本人からすれば無意識にだろう)に変わったが、すぐ元の表情に戻った。

「エルザ……、私は、エルザ…」

 そして何度も復唱した。自身の名として覚えるためだろうか、何度も。

「エルザ……いい名前ですね。氷刃龍様。流石です」

 ラービスが氷刃龍にそう言った。女もその名前を気に入ったようだし、ラービス自身もその名前がとてもよく似合っていると思ったから。





「さて……そろそろ部屋の支度も終わった頃であろう。ラービス、エルザを自室へと案内してやってくれ。我の間の隣の空き室だった場所だ」


 氷刃龍にそう言われたラービスは、「はい」と返事をし、

「さ、エルザ。行きましょう」

 と 女─エルザに声掛けをして、龍司教の間の隣の空き室、今やエルザの自室となった部屋へと案内して行った。

 



 氷刃龍は二人の姿が見えなくなると、再び聖火を見つめた。そして、段々と険しい表情になり、勇猛と猛る聖火を睨みつけては深く溜息をついた。そして何かをぶつぶつと呟き始め……。


「………」


 氷刃龍は、静かに、一粒の涙を流した。






     
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