双五、空と地を結ぶ

皐月 翠珠

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幕間 ある少女の憧憬

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 まだ少し冷やりとした風がスカートを揺らす。青く晴れた空の下、周りでは同級生達がわいわいと集まっては別れを惜しんでいる。手に持っているのは、黒い賞状筒。その中には、自分達が三年間この学び舎で苦楽を共にした事を証明するものが入っている。
 そう、今日は卒業式。春という出会いと別れの季節に相応しい日だった。



 私が"彼女"に初めて出会ったのは、高校に入学した時の事。
「新入生代表、祓戸和梧」
「はい」
 凛とした声が講堂に響いたかと思うと、ちょうど私の斜め前の席から一人の女子生徒が立ち上がった。ぴんと伸びた背中が綺麗な彼女は同性の私が見ても目を惹いた。
("はらえど"…どんな字書くんだろ)
 "田中"という全国苗字ランキング四位の自分の苗字は画数も少なく覚えやすいけれど、ありふれ過ぎていて少し物足りない。そう思っていた私にとって、彼女は見た目でも名前でも強烈な第一印象を残したのだった。
 ウチの学校は所謂いわゆるエスカレーター式というやつで、早ければ小学校から顔馴染みがいる。私は高校からの入学だったので正直なところもう完成されているであろうコミュニティに上手く入っていけるだろうかと心配したものだが、幸運な事にクラス全体が和やかな雰囲気だったので友達を作るのにそう苦労はしなかった。そして何より、入学式で見た彼女が同じクラスにいた事が私は何だか嬉しくて仕方がなかった。
「ねぇ、あそこにいる…はらえどさん?ってどんな子?」
 座席が前後だった事で最初に仲良くなったきぃちゃんからさり気なく情報を仕入れようと尋ねると、あーと微妙な反応が返ってきた。
「祓戸さんね。私初等部から一緒だけど、色々やばいよ」
「やばいって?」
「まず、家がすんごい旧家。いっつも黒塗りの高級車で送迎してもらっててさ。ウチ私立だし、都心から離れてる割には家柄のいい子結構いるけど、あの子はマジで別格。ザ・ご令嬢って感じ?」
「そうなんだ」
「あとは普通に何でもできる。成績はずっと学年トップだし部活とか入ってないのに運動神経も抜群なんだよ。中等部では生徒会長もしてたし、できない事ないんじゃない?敢えて言うなら、完璧すぎてちょっと近寄りがたいのが難点かな」
 成程、と視線を彼女の方に滑らせる。窓際の一番前の席に座っている彼女は、誰と会話するでもなく窓の外を見つめている。初等部からこの学校にいるのにあんな感じって事は、確かにあんまり交友関係はなさそうだ。本人もそれを気にしている様子はない。
(でも、喋ってみたいなぁ)
 仲良くしてくださいとは言わないから、せめてクラスメイトとして最低限の会話くらいはできるようになりたい。そう思って機会を窺ってみたけれど、結局高校三年間で彼女と言葉を交わしたのはたった一度きりだった。



 あの日の事を私は一生忘れないだろう。
「最悪すぎる。何でこんな時間に学校行く羽目になっちゃったの?」
 定期テストの前日に教科書を忘れるとか、まるで漫画みたいなドジを踏んだものだ。でも高三一学期の期末、指定校推薦を狙っている私としてはこんな事で成績を落とすわけにはいかない。
「とは言うものの…」
 夜の学校って何でこんなに不気味なんだろう。東京とはいえ、片田舎にある校舎の周りはのどかな風景が広がっているせいで夜はほぼ真っ暗に等しい。夏という季節もあって、自然と頭の中にはホラーな想像が溢れてくる。
「いやいや、大丈夫大丈夫。絶対大丈夫」
 必死に自分に言い聞かせながらも、私は一つ気がかりな事があった。高校生になってから二年と少し。私の周りで不思議なものが見えるようになったのだ。
 最初の内は、灯りのない場所にぼんやりとした謎の白い光が浮かんでるなぁぐらいのものだった。それがだんだん人の形に見えてきて、明らかに目を合わせちゃいけないものが見える頃には夜に外を出歩くのが躊躇ためらわれるようになった。
 正門を潜って学校の敷地内に入る。今回は助かったけど、このご時世にこんな簡単に侵入できてしまっていいのかウチの学校よ。
 そのまま教室を目指して廊下を歩く。
「…」
 ぴたりと足を止める。誰もいない校内は静まり返っている。また歩き出す。
 ひた、ひた、という足音が後ろから聞こえてくる。振り返る勇気はなかった。
(いる…!絶対何かいる…!)
 涙目になるのを感じながら、努めて冷静に歩き続ける。本能的にその"何か"を見てはいけない事だけはわかった。
 やや早足で辿り着いた教室。自分のロッカーからお目当ての教科書を手にする。
「あー、良かった。これでテスト勉強ができる」
〈ベンキョウ、スキ?〉
「いや、好きってほどじゃないけどね。点は取っておくに越した事はないでしょ」
 そう答えたところで固まる。え、今私誰と喋った?
〈ヤッパリ、見エテルンダ。見見見エテテテテテ〉
「ひっ…」
 思わず振り返ってしまった自分を殴りたい。そこにいたのは、どう見ても普通の人間じゃなかった。
(逃げなきゃ…!)
 伸ばされた腕を間一髪で躱し、転がるように教室を出る。
「あっ…」
 けれど、走ろうとする足を掴まれてどたっと無様に転んでしまう。
〈ベンキョウ、イッショ、シヨ。ベベベ、ベンキョウ〉
 ぐぱっと赤い口が大きく開く。もう駄目だと目を瞑った時だった。
「トラ!」
 誰かの声の後に動物の唸り声がした。そのまま静けさが訪れ、私は恐る恐る目を開ける。そこには黒い袴姿の女の子が立っていた。黒い布で顔を隠しているけど、さっきの声でわかった。
「祓戸、さん?」
 虎の背中を撫でていた彼女は布越しでも驚いた様子で(っていうか虎…?)私を見る。
「…どうしてわかったの?」
「あ…えっと、何となく?あっ、私同じクラスの…」
「知ってるわよ。田中さんでしょ」
 今度は私が驚く番だった。
「何で、名前…」
「クラスメイトの名前くらい覚えてるわよ。三年間一緒なら尚更ね」
 その言葉に私は感激した。一方的に知ってると思ってた人が自分の事を認識してくれていた。さっきまでの恐怖が一気に消えていくのを感じた。
「というか、今日襲われたのも私のせいよ」
「えっと、それはどういう…」
「元々素養はあったんだろうけど、私の近くに長くいたせいで"見える"ぐらいまで霊力が強くなったって事。かなり癪だけど、ここを頼りなさい。私からも話は通しておくから」
 そう言って渡されたメモには、"神異対策庁"の文字。途端、私の中で何かが色々腑に落ちた。どこか浮世離れした雰囲気を持っていた彼女。"オカルト省庁"なんて呼ばれてるところを頼れと言ったのは、私が見たアレがものだという証拠なんだろう。
 その後、祓戸さんはまだやる事があるからと可愛い鼠を護衛につけてくれた。夏の夜空に浮かぶ月は、いつもより明るく見えた。



「きぃちゃ~ん!寂しいよ~!」
「私もだよ~!何で京都なんかに行くのさ、たなっち~!」
 三年間いつメンというやつだったきぃちゃんと涙ながらにぎゅーっと抱き締め合う。私は色々あった結果、京都の大学に進学する事にした。実家を離れ、地元を離れ、遠い異国の地…いや、異県の地に行くのは勇気がいったけど、それでも行かなきゃいけない理由があったのだ。
 散々写真を撮り、別れを惜しんでから私は祓戸さんの姿を探す。
(いた…!)
 誰とも会話をしないままの彼女は、ちょうど送迎の車に乗り込むところだった。
「祓戸さん!」
 懸命に走って声をかけると、朱色の瞳が黙ってこっちを振り返った。
「あの…私…」
「…保護される事になったんでしょ?」
「!」
 自分の口であの時のお礼を言おうとしたのに、向こうからその話題を出してくれた。
「うん。本当にありがとう」
「別に…私はただ自分の務めを果たしただけよ」
 ふいっと顔を背けられてしまったけれど、それが彼女の精一杯の優しさである事を私はもう知っている。
 祓戸さんは家の都合で進学はしないらしい。きっとあの夜の事が関係しているのだろう。
(ありがとう。あなたは私の憧れでした)
 走り去っていく車を見送りながら、心の中でそう呟いた。
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