灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

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とりっくおあとりーと?

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 今日は十月三十一日。おいらにとっては誕生日やクリスマス、バレンタインに続いて特別な日だ。どうしてかって?
「トリックオアトリート!」
 カゴいっぱいのお菓子を持ったご主人様が、ニコニコ笑ってはしゃいでいる。
 そう、今日はハロウィン。合法的におやつが貰える貴重な一日だ。おいらは朝からずっとソワソワしている。だって、ハロウィンのお菓子といえば代表的なのはカボチャを使ったものだけど、季節的にお芋でできたものもいっぱいあるでしょ?お芋だよ、お芋。おいらの大好物。
 毎年、この日はおやつ解禁日って事でご主人様はおいらにおやつをいっぱいくれる。今年はどんなおやつが貰えるのかなってワクワクして、昨日はあんまり眠れなかった。遠足前の小学生みたいだとか言わないで。
 でも、今年はちょっといつもと違う。実はおいら達が住んでるこのマンション、地域の活動に積極的に関わっていて今日はご近所さんの子供達が仮装をしてお菓子を貰いにやってくるんだ。いつもはご主人様の帰りが遅いから参加できなかったんだけど、今年のハロウィンは日曜日。ずっと参加してみたかったらしいご主人様は、十月に入ってからカレンダーにバツをつけながらこの日を楽しみにしていた。子供好きだもんなぁ。
 どれくらい楽しみにしていたかと言うと、ドンコ・ホーテの仮装衣装を買って着たり、大量のお菓子を用意したり衣装に合わせておどろおどろしい化粧をするほどだ。仮装するのは子供達の方であって、大人がここまで全力で仮装して準備するのは夢の国か渋谷に行く人くらいだと思うんだけど。それと、仮装するなら一人でやってほしい。半ば無理やりパーティー用の帽子を被せられるこっちの身にもなってよ。似合ってるからまだいいけどさ。
 ただいま時刻は朝の十時を回ったところ。普段なら爆睡してる時間だけど、おいらと同じく遠足前の小学生状態だったご主人様は六時頃から起きてウキウキと準備をしていて、すでに用意は完璧。人って、楽しみのためなら疲れやしんどさを忘れられるんだなっていう典型的な例だと思う。
 チラチラと時計を見ては、ベランダに出て子供が来ないか確かめるご主人様。確か、回覧板ではお昼から集合してグループごとに各地域に行きますって書いてあった筈だ。どう考えてもまだ早い。おいらは一体、いつおやつを貰えるんだろう。
「楽しみだなぁ。お菓子足りるかな?何人くらい来るんだろう?」
 わざわざ個包装のお菓子を何種類かまとめて一人分ずつにしてラッピングまでしたご主人様が、もうちょっと入れとこうかななんて言いながら透明の袋にギッチギチにお菓子を詰め込んでいく。似たような光景をこの間テレビでやっていた詰め放題特集で見た気がする。どんだけこのイベントに力を入れてるんだ。パンパンの袋がそのままご主人様のやる気に見えてきたよ。
「とむも楽しみでしょ?い~っぱい可愛いって言ってもらおうね!」
 満面の笑みのご主人様に、顔を包み込んでくしゃくしゃされる。ま、まあ可愛いのは事実だし?きっとおいら大人気になっちゃうから、噂が噂を呼んで子供達が殺到するかもしれないけどさ。そうなったら、出待ちとかされちゃったりして…いやいや、ご主人様につられて浮き足立ってるな。しっかりしろ、おいら。
 そうやって落ち着かない様子で時計とにらめっこする事、二時間。ついにその時が来た。
「!はーい!」
 鳴らされたインターホンに、ご主人様が待ってましたとばかりに玄関に走る。あれ、でも待って。この足音は…
「トリックオアトリート!」
 勢いよくドアを開けるご主人様。本来は訪問される側が仮装した子供達に驚いてお菓子を渡す流れの筈だけど、これじゃどっちが子供かわかったもんじゃない。そしてもう一つ、大事で残酷な事実がある。
「…」
「…あれ?」
 外に立っていたのは、可愛い格好をした子供ではなくきちんとした制服を着た配達員のお兄さん。ご主人様の登場に、文字通り唖然あぜんとしている。そりゃそうだ。冷静に考えてみてほしい。荷物を届けに行ったら、いい大人がドンコのコスプレ衣装を着て全力でハロウィンを楽しんでますって感じでご登場。シンプルに怖くない?
「え、えーっと…矢尾さん、お荷物です」
「は、はい…サインでいいですか?」
 恐る恐る荷物を差し出すお兄さんに、ご主人様は蚊が鳴くような小さな声で応える。チラッと見える顔は、血のりよりも真っ赤だ。わかるよ、ご主人様。恥ずかしいよね。おいらも恥ずかしい。
 受け取りのサインをして、荷物を受け取って、お礼を言いながらドアを閉めるまでご主人様は俯いたままだった。
「今なら恥ずかしさで死ねる…!」
 荷物を抱えたまま、しゃがみ込んで両手で顔を隠すご主人様にドンマイと前足を乗せる。浮かれ倒した気持ちも、これで少しは落ち着くかな。次からは、ちゃんとインターホンで確認しようね。
 それから少しして、今度こそお菓子を貰いに来た子供達にご主人様は笑顔でラッピングした袋を渡してあげていた。子供達は帽子を被ったおいらを見て可愛いと言ってくれたし、ご主人様の格好も褒めてくれた。どっちが大人だかわかりゃしないね。



「ふえ~、終わったぁ」
 夜になって、無事ハロウィンは成功を収めた。衣装を脱いで化粧を落としてお風呂に入ったご主人様は、疲れた様子でテーブルに突っ伏している。
 おいらはそんなご主人様の体を引っ掻いて、おねだりをする。ねえねえ、まだ一つ忘れてるよ?おいらのお芋は?
「そうだったね。おいで」
 テレビの横の箱を開けるご主人様を見て、おいらは一足先におすわりをして待つ。いよいよお楽しみの時間だ。
「はい、じゃあお手!回れ!もう一度お手!」
 ご主人様の命令に素早く反応して、芸を披露する。早く早く。おいらもう我慢の限界だよ。
「よし、どうぞ!」
 お許しが出た瞬間、おいらはお皿に飛びつく。干し芋にお芋のケーキ、お芋のドーナツ。おいらは夢中で食べた。
 でも、楽しい時間っていうのはあっという間に終わってしまうものなわけで。空っぽのお皿を見ていると、足りないなぁっていう気持ちが出てくる。
 おいらはご主人様のところへ行って、尻尾を振る。
「キャン!」
「ダーメ。それで終わりだよ。おやつばっかりじゃ太っちゃうし、病気にもなりやすくなるんだよ?」
 晩酌のし過ぎでダイエットをするハメになった人に言われたくないなぁ。何とかもう少し貰おうと、ご主人様の体にすり寄る。
「甘えても無駄だよ。あげないものはあげません」
 なら、最後の手段だ。おいらはゴロンと床に寝そべりお腹を見せる。
「ぐっ、卑怯な…!だ、ダメだからね!それをやったからって、いつも貰えるとは限らないんだからね!」
 言葉ではそう言いつつも、ご主人様の心は確実に揺れている。おいらは体をクネクネさせてさらにご主人様にアピールする。ほらほら、お腹触らせてあげるよ?こんなサービス、なかなかないよ?
「ぐぐぐ、だ、ダメったらダメ!」
 そう言わず、ほら、今なら笑顔もつけちゃうよ?
「かっ、可愛…いやいや、惑わされるな美奈海!ここで屈したらとむの健康に良くない!ああ、でも触りたい!」
 もうちょっとだ。勝利を確信したおいらは、最後の一押しにかかる。
「クゥーン」
「っあああああ、無理!可愛い!反則!私の負け!」
 もふもふだぁぁぁ!とおいらのお腹をわしゃわしゃ撫でるご主人様。くすぐったいけど、今は達成感の方が勝っているから何て事ない。
 ひとしきりおいらのお腹を堪能したご主人様は、その後ちゃんとおやつをくれた。楽しいハロウィンだった。

とりっくおあとりーと?いいえ、もふもふ一択です。
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