灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

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るんるんの母

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「まあまあ!何て爽やかなイケメンさん!美奈海、あんたいい人捕まえたわね!」
「ちょ、お母さん!課長の前で何て事言うの!」
「いいじゃないの!とりあえず上がってくださいな!お父さ~ん!お見えになったわよ~!」
 相変わらずパワフルだなぁ。二階にいるパパを呼ぶママに圧倒されている課長を見て、ご主人様は恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
「すみません。こういう人なんです」
「ああ、いや…元気なところはそっくりなんじゃないか?」
 何とか絞り出された一言に、ご主人様はさらに小さくなった。
「───改めまして、和生怜音と申します。本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
 ここはご主人様の実家。プロポーズされたご主人様は、家族に課長を紹介するために帰ってきた。少し日にちが空いたのは、電話で軽く話を聞いたママがどうせなら年末の帰省のタイミングで会う方が家族揃って挨拶できるからって言ったからだ。
 大掃除やお正月の準備なんかで忙しい時にお邪魔してもいいのかと課長は心配してたけど、ママはいつも早めに全部終わらせちゃうからそこは問題ないというご主人様の言葉に甘える形になった。ちなみに、お正月は課長の実家に挨拶させてもらうらしい。さすがにおいらは行けないから、お正月の間はここに預けられる事になっている。
 そして、今リビングのソファにはママとパパ、それから師匠がご主人様と課長に向かい合う形で座っている。おいらはご主人様の足元でおすわりだ。いい子にしてるよ。課長の自己紹介に、ずっとむっつりしていたパパがピクッと反応した。
「れのん?」
「はい。伯父が名付け親なんですが、ブートルズが大好きでジャン・レノンのファンだったのでこの名前に」
「ほう」
「あらあら、その方とお話が合いそうじゃない。ウチの人も、ブートルズのレコードを聴くのが唯一の趣味なんですよ」
 ママがパンッてパパの肩を叩くと、パパは何とも言えない複雑そうな顔をした。
「和生さんはおいくつなの?」
「三十四です」
「あら奇遇きぐう。私達も五歳違いなのよ。何だかご縁を感じるわぁ。ねぇ、あなた」
「う、うむ」
 ママの援護射撃がすごい。よっぽどご主人様の結婚が嬉しいんだろうな。援護の圧が半端ない。
「ところで…」
「聞いておきたいんですけど…」
 不意にママと師匠が真顔で体を乗り出して、課長が緊張の顔で姿勢を正す。
「「本当にウチの子(姉ちゃん)でいいんですか?」」
「は?」
「ちょっとお母さん、理久!何言ってんの⁉」
「和生さんみたいに素敵な方に見初みそめて頂いたのはとても光栄なのですけど…」
「姉ちゃんの生活力が、一人暮らしならまあギリ合格程度のものだってのは知ってますよね?本当に後悔しません?今ならまだ引き返せますよ?」
「実の娘、姉に対する言い草とは思えない」
「それだけの実績があるのがいけないんでしょ?」
 ママの一言にぐうの音も出ないご主人様。でもおいらも思う。課長、ホントにいいの?
 ポカンとしていた課長は、すぐに問題ありませんと笑顔を浮かべる。
「私も決してできた人間ではありません。お互いを尊重して、高め合えるような家族になれるように努めるつもりでいます。至らない点も多々あるかと思いますが、美奈海さんを大切にしたいという気持ちに嘘はありません。どうか、美奈海さんとの結婚を認めてください」
 そう言って頭を下げる課長に、ママがあらまあと赤くなったほっぺに手を当てる。
「こんなイケメンにお願いされてお断りする人はいませんよ。こちらこそ、不出来な娘ですがどうぞよろしくお願いします。あなたもいいわよね?」
「うん?う、うむ」
 ママに気圧けおされて頷いたけど、パパの複雑そうな顔はずっと崩れなかった。



「姉ちゃん、入るよ」
 ノックの後にそう言ってご主人様の部屋のドアを開けたのは師匠。
「何、理久?今パック中なんだけど」
「顔見りゃわかるし、姉ちゃんに用はねぇから大丈夫だよ」
「ホントに可愛げのない弟だな」
「色気のない姉貴よりマシだろ」
 嫌味を嫌味で返した師匠は、こっちに来るとおいらを抱っこした。
「ちょっととむ借りるよ」
「え、何で?」
 スタスタと部屋を出た師匠は、顔だけ振り返ってニヤッて笑った。
「男だらけの親睦会」
 訳が分からないっていう顔のご主人様を置いて、師匠はドアを閉めて一階に下りる。向かった先は、課長がいるお客様用の和室だ。
 ふすまを開けると、窓際にパパと課長が並んで座っていた。二人の間には、お盆に乗ったお猪口ちょこが三つと徳利とっくり。まだ空っぽのお猪口ちょこを見て、師匠が何だと口を開いた。
「先に始めてていいって言ったのに」
「いいだろう、別に」
 素っ気ない返事をするパパに対して、課長はちょっと困ったような笑みを向けている。確かに、この状態のパパと二人きりにされたらどうしていいかわかんないよね。
 師匠はおいらを畳に下ろして、持ってきたお皿に犬用ジュースを入れてくれた。この空気は重いけど、ジュースが飲めるのは嬉しいな。
 師匠が二人の間に座って徳利とっくりを手に取る。
「どうぞ」
「あ、すみません」
 師匠に促されて、課長は慌ててお猪口ちょこを持ち上げる。
「敬語なしでいいですよ。兄弟になるんだし、年も上だし」
「あ、ああ、ありがとう」
「ほら、親父も」
「うむ」
 会話が生まれない二人の間を取り持って師匠がお酒をいでくれてるけど、無表情だから盛り上がりはしない。課長、居心地悪いだろうな。
 大人の男が三人、黙ってお酒を飲む姿って結構地獄だな。ここはおいらが場をなごませてあげるべきかな。何か前にも同じような事考えた気がするな。
「…娘は」
 ポツリとパパが呟く。
「会社でご迷惑をおかけしてはいませんか」
「はい?」
「私に似て不器用な娘です。理久のように世渡りが上手いわけでもない。ご存じかはわかりませんが、その性分ゆえに折れてしまった事もある」
「…」
 パパがしゃべる横で、師匠が黙ってお猪口ちょこを傾ける。
「元気を取り戻した今でも、たまに心配になるんです。またあの頃のように笑顔を忘れてしまうのではないかと。親バカは承知の上ですが、もうあの時のような事は…」
「お義父さん」
 どこか辛そうなパパの言葉を課長が柔らかく遮る。
「私事の話で恐縮ですが、私の家族は私以外とても優秀な人間です。私だけがこれと言った取り柄もなく生きてきました。美奈海さんは僕の事をとてもできた人間だと信じてくれていますが、そんな事はないんです。恥ずかしながら、学生時代はもちろん新人の頃にも多くの人に迷惑をかけてばかりでした。そんな自分に腐っていた時期もあります。そんな私とは違って、美奈海さんはいつもひたむきに仕事と向き合っていた。努力を重ねる彼女が慕ってくれるから、それに応えられる人間であろうと自分を律する事ができた。私の方こそ、美奈海さんと出会えて良かったと思っています」
 そう言うと、課長はお猪口ちょこを置いてパパに頭を下げた。
「美奈海さんと過ごした時間は、到底あなた達に及ぶとは思っていません。ただ、同じくらいの気持ちで美奈海さんを守っていきたいという思いは持っています。きっと幸せにすると約束します」
 しばらく沈黙が続く。
「…ウチは」
 またパパが小さく声を上げる。
「酒に強い者しかいませんが、ついてこれますかな?」
 徳利とっくりを差し出すパパに課長はパチパチとまばたきをして、それから笑って答えた。
「鍛えておきます」

るんるんの母、託す父。
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