古の巫女の物語

葛葉

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第一章

2話

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 小さな祭壇の前で手を合わせ、祈るように俯く巫女装束の少女がいた。
 光留はその少女を知っている気がした。
 少女の名を呼ぶと、彼女は祈りを中断させ、光留の方を向く。
 少女は嬉しそうに微笑むと、光留の傍にやってきて、花のような唇で光留を呼ぶ。
『――兄様』
 少女の口からそう呼ばれると、優しい気持ちになった。
 少女を守るのが自分の役目であることが誇らしかった。
 一言で言うなら、少女を愛していた。実の妹としても、一人の女としても。
 抱きしめれば、神様の前だからダメだと、身じろぎするが、本心では嫌がっていない。
 ならば外へ出ようと、光留は誘う。
 少女は恥ずかしそうにしながらも頷いた。
 誰もいない二人きりの場所で、口付けを交わし、愛を囁き合う。
 幸せだった――。
 禁忌を犯しているという罪悪感以上に。
 いつまでも続くとは思っていない。少女が巫女であり、自分が守人である以上。何より実の兄妹としてもこの思いは二人きりの秘密にしなければならない。
 それでも、願ってしまう。いつまでもこの幸せが続くことを。
 少女の笑みが守られることを――。

 光留は胸に苦しさを覚えて、目を覚ます。
 朝日が目に突き刺さり不快な思いをしながら体を起こす。
「……夢、か」
 最悪だと思った。
 苦手意識の強いクラスメイトの、現実では絶対に見ないような笑みを夢に見るなんて。
「なんの嫌がらせだよ……」
 入学当初は確かに思ったのだ。
 あんな美少女と恋人同士になれたらさぞ楽しかろう、と。
 そう、まさに夢で見たようなラブラブライフが現実に起きたら、そりゃもう浮かれない男はいないだろうと思うぐらいには。
「はぁ……。現実辛い……」
 光留は溜息を吐くと、のろのろと支度を始めた。
 そして、光留の苦悩はその日から始まった――。

「お? 光留、今日も元気ないな!」
 登校中、ドンと背中を強くたたかれ前のめりにこけそうになる。
「うおっ!?」
 なんとか踏ん張り、体勢を立て直すと、振り返り突き飛ばした犯人を睨む。
「ゆ~う~や~」
 声を低くして、唸るように言えば「ぎゃあ!」とわざとらしく大げさに飛びのいてみせる。
 殴ってやろうと固めた拳が届かないと、光留はチッと舌打ちして、すたすたと歩き始めた。
「待てよ、光留!」
 置いていかれた裕也は慌てて光留の後を追う。
「んだよ、殴られにきたのか?」
「そんなわけ無いだろ。俺、痛いのやだし」
「じゃ、なんだよ。ていうか、今日は朝練無いのか?」
「おう。もうじき期末だろ? 県大会まで近いけど、放課後だけで朝練は無いんだって」
 裕也はつまらなさそうに唇を尖らせる。
「んじゃ、今度こそクラスワーストスリーの汚名を返上するのか」
「ぐ……中間のアレはしょうがねえだろ…マジでわかんなかったし…」
 野球は出来ても勉強はからっきしの裕也は、痛い思い出を突かれ、項垂れる。
 しかし、本来光留に声をかけた理由を思い出し、ぱっと顔を上げる。
「お、俺のことは別にいいんだよ! そんなことより、光留こそ大丈夫か? なんていうか……げっそりしてるけど……」
 嫌なことを思い出したと、光留の目が据わる。
「…………夢見が悪いんだよ」
 ボソッと言えば、裕也はぽりぽりと頬をかく。
「あー……、最近毎日見るって言うアレか?」
「そう、アレだ」
 不満丸出しの光留に、裕也は溜息を吐く。
「お前さ、それ他の奴に聞かれたら相当うらやましがられるぞ」
「俺は嬉しくない」
 そう、嬉しくなんて無い。
 なにが悲しくて、毎日自分を邪険に扱うクラスメイトとのラブラブライフを夢で見せ付けられるのか。しかも相手が自分そっくりともなれば、嫌がらせかといいたくなるのも無理は無い。
「夢は願望を映すって言うけど……。ハッ! まさか、お前、本当は唯ちゃんのこと……」
「そんな馬鹿なことあるわけ無いだろ! たまたまだ。たまたま!」
「たまたまでそんな毎日同じ夢って見るか?」
「……み、見るかも知れないだろ……」
 自信なさそうな光留に裕也は呆れたように光留を見る。
「なら、一度告ってみれば? 何か変わるかもしれないぜ!」
「はぁ? あいつに告白するくらいなら、近所の犬にでも告白する!」
「う~ん、それはそれでネタになりそうで面白そうだけど」
 裕也は光留が犬に真剣に愛の告白をする想像をして、腹を抱える。
 横で大笑いをされた光留は、さっきの仕返しとばかりに頭を小突く。
「いたたたっ! 痛いって!」
「さっきのお返しだよ」
「んもう、悪かったって!」
 ようやく裕也の笑いがおさまる頃には、朝の鬱々とした気分は薄れていて、心の中で裕也に感謝した。
「そういや、光留知ってるか?」
 夢の話が終わり、新しい話題を持ち出す。
「何が?」
「学校の怪談的な話」
「……俺が知ってると思うか?」
 怖い怖くないではなく、根本的に信じていない。
 以前、化け物に襲われはしたが、それでもまだ信じきれていなかった。
 化け物云々の話はともかく、裕也は光留とは逆に、怪談類の話は好きなほうだった。
 だからこういった話題には事欠くことなく、いろんな場所から仕入れてくる。
「だよなぁ。まぁ、だから話しがいがあるんだけどな」
「でも、そういうのって、女子とか怖がる奴に普通話さないか?」
 怖がりもせず、興味も抱かない光留に話してもたいして面白いとは思わないのが普通だ。
「そうか? 俺は話し聞いてくれるだけでも結構嬉しいっていうか……。そりゃ、女子とかに「きゃあ! 怖い!」とか言われて抱きつかれるのも役得っていうか、ちょっとときめいたりするかもしれないけど! でも、あんま怖がらせすぎたりするのも、可哀想かなって」
 なるほど、一応健全な男子としての欲望も抱えているが、紳士的というか優しいというべきか。とにかくその場のノリを大事にする裕也としては、この手の話題は女子には積極的に聞かせたい訳ではないらしい。
 どうせ学校の怪談も作り話だろうと、光留は暇つぶしぐらいにはなると思い、裕也に先を促した。
「で? 学校の怪談っていうくらいだから、なんか流行ってんのか?」
「あぁ、そうそう。最近学校で小火騒ぎがあったろ?」
 小火。そういわれて思い出したのは、化け物に襲われた日に見た、唯が炎を使って化け物を退治したときのことだ。
 だが、裕也の言う小火はそれではなく、先週あたりに理科室で起きた小火のことだ。
「理科室のやつだろ。でも、あれは科学部だかが、実験に使ってたアルコールランプしまい忘れて、近くに虫眼鏡かルーペだかがあって、日中放置してたから、なんかよくわかんねえけど引火したってことじゃなかったのか?」
「表向きはな」
 さっきまで悪戯を仕掛ける子供のような顔をしていた裕也の表情が一変して、真剣なものに変わる。
「表ってことは裏があるのか?」
「まぁ、そういうことだな」
 自分から言い出しておいて、妙に歯切れが悪い。
「で、裏って何だよ」
「――理科室の幽霊」
「…………」
「なんだよ、驚かないのか?」
 光留は拍子抜けしたと溜息をつく。
「いや、なんか、そんなおどろおどろしく言うから、てっきりもっとすごいのがくるのかと……」
「もっとすごいのって?」
 光留は自分を襲った化け物を思い出すが、それは言ってはいけないような気がして、口を噤む。かわりに、最近はやっているゲームのキャラの名前を出す。
「あっはは! そりゃすげえや!」
「俺を驚かしたいなら、それくらいの奴出してこいよ」
 ケラケラと笑いながらその日もいつもと変わらない日常が過ぎていくのだと思っていた。



 放課後、光留は日直日誌を書き終えると職員室にそれを届け、帰り支度を始める。
 一緒に日直をしていた女子は吹奏楽部で、今週末にコンクールがあるからと、先に部活に行かせた。美少女というほどではないものの小柄な体躯や大きな瞳は愛嬌がある。そんなクラスメイトの困った表情を見ては、つい気前良く請け負ってしまった。
 後悔はないが、少し帰りが遅くなってしまったのは少々気になった。
(夏間近だから、まだ日があるのはありがたいな)
 窓から西日が差し込み、日中よりは涼しいとはいえ窓の近くは汗が滲むほど暑い。
 視線を向ければ、くらりと目がくらむ。夕方とはいえ日差しが強すぎる。チカチカする目を閉じると、不意に話し声のようなものが聞こえた。
「……じゃない。――……火で…………とでも?」
 声には聞き覚えがあった。
(鳳凰……?)
 数歩先には先日の小火騒ぎで話題となった理科室がある。話し声はどうやらそこから聞こえるようだ。
 下校間近のこの時間、しかも先日小火騒ぎのあった場所になど、曰くがありすぎて誰も近づきたくない。
 そんな場所に学内一の美少女と名高い唯が誰かとなにやら話している。しかもあまり良い雰囲気とは言い難い。
(一体、何を話してるんだ?)
 盗み聞き。そんな言葉が脳内を過ぎったが、それよりも好奇心が勝った。
(ちょっとだけなら……)
 別に弱みを握ってやろうとかそんなことは考えていなかった。ただ、なんとなく気になる。
 特に最近は奇妙な夢を見るだけに。ほんの少しでもいいから、唯のあの柔らかで愛らしい笑みを現実で見たいという願望も無いわけではない。
 どくり、と心臓が跳ねた。
(なんだ……?)
 扉に手をかけると、妙な緊張感が走る。嫌な予感がした。
 そっと、戸を開ける。
 「消えて」
 ゾッとするような、冷ややかな声が耳朶を打つ。
 直後、ゴオオォォーッ!! と勢いよく炎が上がり、壁が燃えた。

 ウオオオオオオオォォォーーーーー!!!

 耳を塞ぎたくなるような断末魔が響く。

「なっ……!?」
 何が起きたんだ、と目を丸くしているとすぐに炎は消えた。
 まるで、何事もなかったかのように焦げ跡もなく、唯がポツンと立っているだけだった。
「え……」
 不意に、唯が振り返る。
 いつもの無感情な瞳だ。唯一違うとすれば、瞳の色が金色に見えることだろうか。
 この間の出来事は、夢ではなかったのだと思い知る。
「お、まえ……何やって……」
「……別に」
 そっけない返事。やはりいつも光留にだけ見せる唯の声に、先ほどの声とは別人かとも思ったが、そうでもない。
 ただ、瞬きの間に瞳の色はいつもの翡翠色に変わってしまった。
(綺麗なのに、勿体ない……)
 夕陽に照らされる唯は、茜色の空とどこか似ていて、今にも消えそうな儚さがあった。
「何か、用?」
 見惚れていると、唯の感情を抑えたような声に現実に引き戻される。
「用っていうか、たまたま通りかかっただけだけど……」
「……そう。なら、もういいかしら。そこ、退いてくれる?」
「っ、悪い」
 慌てて扉から横に身体を引くと、理科室から出てくる唯はいつもと変わらないような気がしたが、ふと表情に陰りがある気がした。
「ちょ、待った!」
「何?」
 思わず唯を引き留めてしまった。しかも腕を掴んで。
 唯はまるで軽蔑するかのような辛辣な目を向けてきて、怯みそうになる。
 何を言いたかったのか、自分でもわからない。ただ、放っておけないと思った。
「その、ここ、例の小火があった理科室だろ。さっきも、火が出てたし……。その……怪我、してるのか?」
 唯は驚きに僅かに目を見開く。それから視線を逸らす。
「……私が怖くないの?」
「いや、前にも言ったけど、別に……」
「なら、余計な心配しないで……っ!」
 唯は拒絶する言葉を吐き捨てると、光留の腕を振り払う。声は僅かに震えている。一瞬だけ見えた瞳も心なしか潤んでいるように見えた。
「そんなに俺が嫌いか?」
 唯の肩がビクリと震え、キッと鋭い目つきで睨まれる。それから、心が引き裂かれてしまうような悲痛な声で叫ぶ。
「っ、嫌いよ。大っ嫌い!」
 嫌いと言いながらも、心の底から拒絶しているようには聞こえなかった。
 光留はどうしていいかわからず、唯から目を逸らす。
「俺、鳳凰に嫌われるようなことした覚えないんだけど」
 つい言ってしまった。
 唯を責めるような口調になってしまったことを少し後悔したが、ずっと聞いてみたいと思っていたのも本当だ。
 けれど、唯は光留から逃げるように踵を返す。
「知らないっ! もう私に関わらないでっ!!」
 そういうと、唯は窓から飛び降りる。
「おい、ここ3階だぞ!!」
 光留の心配なんて本当に不要だとばかりに、唯は身軽に地面に着地する。
 周りに生徒が誰もいなく、見られなかったのは幸いだろうか。
 光留は安堵なのか、先ほどの出来事に対してなのかわからないため息を吐いた。
「大っ嫌い、か……。マジでなんなんだよ……」
 こっちは毎晩訳の分からない夢にうなされているのに。
 現実と夢のギャップに頭がおかしくなりそうだ。
「俺だって泣きたい……」
 いっそ自分も嫌いになれたらいいのだろうが、どうしても気になるのだ。
 まるで、自分じゃない誰かに責め立てられるかのように。
 しばらく項垂れていたが、下校のチャイムが鳴ってしまい、光留はようやく重い腰を上げた。

 せめて、今夜はいい夢が見られますように――。
 
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