古の巫女の物語

葛葉

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第一章

3話

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 燦燦と日光が降り注ぐ中、村の広場に一人の男が引き摺り出されるのを、光留はどこか他人事のように感じていた。
 けれど、この暑さも、全身に感じる痛みも、リアルに伝わってくる。
 
 ――痛い。喉が、渇く。暑い。苦しい。
 
 いっそ死んだ方がましなのでは、と思うくらいだ。いや、この後自分は死ぬのだが。
(は? 何で、俺そんなこと知ってるんだ……?)
 不思議だ。見るのも初めてなのに、この後の展開を知っているなんて。
 疑問に思っていると、不意に背中に痛みを感じた。
「おらっ! さっさと起きろ!」
 どうやら背後にいる男が背中を蹴ったらしい。
 意識が身体の痛みに向けられる。
 馬で村中を引き摺りまわし、三日三晩、真夏の炎天下に干された。水と食料を与えられぬまま、この広場へと連行され雑に転がされるみじめな自分の姿を、村人たちはあざ笑う。
 ――実の妹となんて、汚らわしい。
 ――巫女姫様もこんな男となんて、嘆かわしい。
 ――あんな男、死んで当然だ。
 ――あんなのが巫女姫様の守り人だなんて、村に神様の罰が当たらなきゃいいけど。
 ひそひそと囁き合う声。聞こえてくる侮蔑の言葉に傷つきはしない。すべて事実だからだ。
 いつかこうなることはわかりきっていた。
 ただ、それでも、妹として以上に、あの娘を愛していた。
(あれは、火の巫女であり、神に愛された娘だ。だから殺されることはない……。それが唯一の救いだろうか……)
 自分のように惨たらしく殺されることはない。村の制裁はあるかもしれないが、彼女は貴重な神の声を聞く娘であり、次代がいない今、すべての神事を彼女に頼るしかない。いずれ役目を終えるまで、生きていられる。
 そのことに安堵していると、無理やり首を掴まれる。
「ぐっ……!」
 息が詰まる。ただでさえ虫の息なのだ。殺すなら一思いに殺してほしい。
 罪人には過ぎた願いなのかもしれないな、と内心で笑う。
「ふんっ、もう声すら出ねえってか。まぁいい、あれを見ろ」
 村の役人の視線の先を追えば、愛しい娘が愕然とした表情でこちらを見ていた。
「お、か……」
 信じられないと、何度も何度も首を横に振る。
「いやっ、彼は、兄様は違う、違うのっ! 私が、私があの人を巻き込んだ。だから、お願い、処刑は止めて!!」
 娘は役人に縋って懇願する。
「だとさ。はっ、お優しい巫女姫様のことだ。大方お前を庇っているんだろうよ」
 吐き捨てる役人の言葉は半分本当なのだろう。
 でも、このままでは彼女の受ける制裁は酷いものになるのは、容易に想像がついた。
「っ、俺が、俺があの娘を無理やり手籠めにした! 殺すなら俺だけにしろ。罪人は、俺だけだ!」
 そう。死ぬのは俺だけでいい。
 彼女には、まだやるべきことがある。
「殊勝だな」
「違う! 違う!! 私があの人を誘惑した! だから罰せられるのは私だけよ!! どうしてもというのなら私も一緒に殺しなさいっ!!」
 役人に縋る彼女を、もうこれ以上見たくなかった。
 項垂れる首筋に、冷たい刃物が添えられる。
「いやっ、やだっ! やめて、やめてえええええっ!」

 ――そんなに泣いたら、腹の子に障るというのに……。

「いやああっ! 兄様、兄様ああああっ!! いやっ、殺さないでっ!! いやっ、月夜様あああああああっ!!」

 ――せめて、ひと目でいいから、愛しい娘との間に出来た、我が子に会いたかった。
 
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
 
 胸が張り裂けそうなほどの痛く切ない絶叫が、広場に響く。
 刀が振り下ろされる音は、その声にかき消されて聞こえなかった。
 ただ、ぷつりと、音が消えた――。



 光留はハッとして目を覚ます。
 全身が、嫌な汗をかいていた。
「はっ、はぁっ、はぁっ、っ、は…………はぁ……はぁ……」
 荒い呼吸を整えながら、夢の内容を思い出す。
「っ、なんなんだよ、あれ……」
 まるで自分が処刑されたかのような、妙に現実味があるようで、それでいてどこか遠い世界の出来事にも思える。
 夢の登場人物は、最近毎晩見るものと同じ。
 けれど、いつもと違うのは、唯があんなにも取り乱して、金切り声を上げて泣き叫ぶ。見ていられないくらい苦しいものだ。
 男の方も、唯を愛していながら自分の死を受け入れている。多少の未練はあっても、自分の死で唯が救われるのなら構わないと思っている。
 それがいっそう切ない。
 愛し合っていたはずの男女の末路としては、あまりにも悲劇すぎる。
 実の兄妹だとしても、男が抱いていた感情は家族愛と呼ぶには重く、女に向けるには純粋すぎるほどの恋情。
 本当に、本当に大切で、愛していたのだ。それが分かってしまったから、光留は唯を嫌いきることが出来なかった。
「っていうか、あれ、本当に鳳凰か……?」
 仮にそうだとして、どう考えても時代がおかしい。
 唯の着ていた服も、自分が着ていた服も、現代の服ではなく、もっと古い時代の田舎の服だった。
「なんだっけ、あれ……。えっと……あった。直垂と小袴……こんな感じだったよな。ってことは平安時代くらい……?」
 社会科の教科書とは別に、買わされる参考資料に運よく似た服が載っていた。
 だが、これが分かったところで謎が深まるばかりだ。
「……もし、あれが現実に起きたとしたら、鳳凰の年齢って、1000歳超えるよな……?」
 いや、さすがに人間は、そんなに生きることはできない。いくら唯が変な力を持っていたとしても、多分普通の人間のはずだ。
「うん。考えるのは止めよう」
 下手に突くと蛇が出そうだ。それに、女の人に年齢を聞いてはいけないと、母親からも言い聞かせられている。
 資料を本棚に戻し、着替えようとベッドを降りた。


 学校で見た唯は、いつもと変わらないように見えた。
 昨日、光留を拒絶した出来事なんてなかったかのように、クラスの中心で花のように微笑んでいる。
 それが、どこか無理しているようにも見えたのは、気のせいだろうか。
(あんな夢見たから、そのせいだろ……)
 そもそも、あれが唯とは限らない。
 「お、なんだ光留。今日も唯ちゃんとラブラブな夢見てぬ不足か~?」
 裕也が来て、光留をからかう。
 けれど、それに応える気にはなれなかった。
「どうかな……」
 様子のおかしい光留に、裕也もさすがに空気を読んだ。
「何。どした?」
「まぁ、夢……なんだけどさ。いつもと違ったんだよ」
 これ以上は思い出すだけでも胸糞悪い。死ぬ瞬間よりも、あの悲痛な叫びが、心に突き刺さる。頭の中にも響いて頭痛すら覚える。
「……光留、お前ほんと大丈夫か? 保健室行くか? 顔色、マジで最悪なんだけど」
「うん。もう少し様子見てから考える」
「ま、無理すんなよ。テストも近いし」
 裕也が心配するほど顔色が悪いのか、と自嘲気味に笑う。
 「うん。ありがとな」
 チャイムが鳴って、裕也が席に戻る。同時に次の教科の教師が教室に入ってくる。
 「前回は飛鳥時代からだったから、今日から平安時代に入る。教科書の四五ページからだな」
 光留は言われたページを開いて、ざっくり目を通す。
 予習でも流し読んではいるせいか、あまり面白くはない。そもそも、日本史の授業は常に眠気との戦いだった。
 今日も欠伸を噛み殺しながら、教師の話を聞き流す。
「最近ではドラマやアニメの影響もあって平安貴族の文化に注目が集まっているな。当時の文化や価値観は今とは当然違う。代表的なのは成人年齢だろう。個人差もあるが、大抵十歳を過ぎたあたりで元服、あるいは裳着と呼ばれる成人式があり、役職や位を賜ってた。結婚もそれくらいの年齢から許されていたが、まぁ、身体的に難しいこともあり、大体は十五、六歳で結婚していたそうだ。早くても十三歳前後と言われている。さて、ここで問題だ。現代では同母の兄弟はもちろんだが、異母兄弟でも結婚は認められない。だが、当時は違った。さて、どこまで許されていたか」
 教師の出す問題に、光留は出そうになった欠伸を飲み込んだ。
 昨夜の夢の影響もあってか、苦い思いがこみ上げる。
 教師が教室全体を見渡し、光留のいる方角に視線を定めた。
「鳳凰、わかるか?」
「っ……!」
 指名された人物に、光留は変な声が出そうになった。
 もしもあの夢が本当にあったことなら、些か惨い質問だと思った。
 けれど、唯は淡々とした表情で立ち上がる。
「はい。同母兄弟は認められていません。地域によっては近親相姦は重罪にあたり、厳しい制裁もあったとか。しかし、異母兄弟であれば婚姻は認められていました。故に、親族間での婚姻はごく当たり前の事であり、兄弟での利権争いを嫌う家は積極的に取り入れたとも」
「ほう。さすがだな。そう、異母……腹違いの兄弟は婚姻が認められていた。今では考えられないことだがな」
 座っていいぞと教師は満足げに言う。唯は静かに着席する。その手が小さく震えていることに、光留は気付いてしまった。
 やはり唯は、光留の夢に現れる少女と同一人物なのだろうか。
 聞きたい気もしたが、こんな夢を見ているなんて頭がおかしいと思われても仕方ない。
 結局、光留は何も言わず、小さくため息を吐いた。
 授業が終わると、光留は保健室に行った。
 日頃の寝不足もあり、身体が限界を迎えていて、倒れるという無様な姿を誰かに見られる前に行った方がいいと判断した。
 幸い、顔色の悪い光留を見て、保健医は早退の許可をくれた。
 光留は重い足取りで家に帰る。
「ただいま……」
「あら、おかえり光留。今日は早かったわね」
 玄関のドアを開けると、ちょうど玄関前の廊下を掃除していた母――朱鷺子が目を丸くして迎えた。
「うん。ちょっと……」
「なあに、顔色真っ青よ? 病院行く?」
「いや、それよりも早く寝たい」
「そう? あんまり無理しちゃダメよ」
「多分、大丈夫……」
 朱鷺子は心配そうに光留を見つめる。
「光留。最近変わったことない?」
「変わったこと?」
「そう。例えば、変なお化けみたいなのを見た、とか」
 言われて光留は思い当たる出来事があったが、そうすると必然的に唯の事を話さなくてはならない。
 今は、唯の事をあまり考えたくないし、女の子に助けられたなんてカッコ悪いにもほどがある。
 何より、恋愛がどうとか変な勘繰りをされたくなかった。
「……いや。何にもないよ」
「ならいいけど……」
 朱鷺子は近所の神社でパートタイマーの巫女として働いている。
 朱鷺子はいわゆる霊感の類が強いらしく、昔から幽霊だとか、魂だとかが見えていた。
 朱鷺子の実家は、昔は大きな神社で、霊感の強い朱鷺子は幼い頃から巫女としての修行をしていたこともあり、若い頃は近所でも評判の美人巫女だったとか。光留を生んでからはその力が弱くなったと言って、現役を引退したが、今でも親族の間ではそこそこ強い発言力を持ってる。
 父も霊感が強く、朱鷺子の親戚ということで、彼女のいる神社の世話になっていたそうだ。
 二人の馴れ初めには興味ないが、霊感の強い両親の子でありながら、光留にはその片鱗は見られなかった。
 だから朱鷺子は心配なのかもしれない。
 光留が両親のことで虐められているのではないか、とか。全くそんなことはないのだが。
「お昼食べられそう?」
「軽いものなら」
「そう。じゃあ出来たら呼ぶわね」
「うん」
 二階の自室に向かう光留の背を、朱鷺子は困ったように見る。
「目覚めの兆しはないのに、揺らいでいるなんて……」
 光留には普通の子でいてほしいと思う。
 少々捻くれたところもあるが、素直で優しい普通の少年だ。
 家の事にも縛られず、このまま社会人になって好きなように生きられればいいのに、と思う。
 一方で、光留には何か大きな使命が背負わされているような気もするのだ。
 それが何かは朱鷺子には視えなかった。視ようと思っても、分厚い壁に覆われているかのように何重にも守られている。
 覆われてしまっているのは、本人が自覚していないからなのか、あるいはまだ未成熟なせいなのか。
 どちらなのかはわからないが、光留はきっと平穏な人生を送れない。そんな気がするから、余計に心配だ。
「もし、守人なら、あの子の巫女は誰になるのかしら……?」
 親族に未婚で力ある巫女は今、いないはずだ。だからきっと違う。
「ま、考えてもしょうがないわね」
 どんなに朱鷺子が心配しても、いずれその時は来てしまう。
 その時朱鷺子が出来ることは、母として息子の応援をしてやるくらいだろう。
 そう気持ちを切り替えて、朱鷺子は再び掃除に勤しむことにした。
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