古の巫女の物語

葛葉

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第三章

5話

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 朱華の先導のもと、森を進んでいけば不意にぞわりと悪寒が走った。
「落神……?」
 気配から察するに、先日唯の炎から逃げ出した一柱だろう。
「朱華、どういうつもりだ?」
 朱華がピタリと止まる。
『どうもこうも無いよ。みっちゃんには、唯ちゃんの守り人になるの、諦めて貰おうと思って』
「は?」
 光留が月夜と交わした会話は、当然朱華にも伝えていない。
 だが、様子のおかしい朱華にそれを言えるはずもなく、光留は黙って朱華に先を促す。
『みっちゃんは、唯ちゃんのこと、憎くないの?』
「何の話?」
『みっちゃんは唯ちゃんのこと、こんなにも思ってるのに、昔の男がいいなんて、どうかしてると思わない?』
 光留の質問に答えず、朱華は淡々と負の感情を吐き出す。
「……はあ。買いかぶり過ぎだ、朱華。俺は、そこまで出来る男じゃねえよ」
『みっちゃんの意気地なし』
「うるせぇ。俺だって女々しいと思ってんだよ」
 光留の傷を容赦なく抉ってくる朱華。軽口を叩いているが取り憑かれている光留には、さっきからゾワゾワと身体を、精神を侵食するように冷たい何かが這い上がってくる。
(不味いな……。朱華を祓うのは今の俺じゃ無理だ)
 月夜なら出来る。だが、彼に頼るのは癪だし、彼から守るための壁が朱華の呪いから光留を守っている。彼を呼ぶのはあまり得策ではない。
『唯ちゃんを殺したいと思わない?』
 ぶわり、と朱華を取り巻く黒い靄が膨れ上がる。
「そんなこと、どうやって……」
『唯ちゃんを殺せる人を知ってるの。ねぇ、白狐びゃっこ
 ぬっと現れた白面の落神。先日、唯に幻を見せ逃げた一柱だ。
「お前は……」
 月夜から近い内に向こうから接触してくると言われていたが、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。
『オ前ヲ我ガ主ノ守リ人ニスル』
 光留としては、向こうから接触してきてくれるのはありがたい。願ったり叶ったりだ。
 これは、チャンスだろう。出来るだけ警戒心を抱かれないように、降参とばかりに手を挙げる。
「まあ、振られて傷心の俺を慰めてくれるってんなら、そっちについてもいいぜ」
 白面の落神――白狐の主に光留がつくのは、月夜の計画であり、光留の決めたことだ。目的は一致している。
『ホウ。いさぎよイナ』
「俺だって普通の男子高校生だからな。好きな子に振られたら傷つくし、見返してやりたいくらいは思う」
『……みっちゃんは唯ちゃんを殺すことに抵抗ないんだ』
「あるに決まってるだろ。でもさ、これ以上あいつの辛そうな顔見たくないんだよ」
 紛れもない光留の本心だ。
 月夜の計画が成功すれば、月夜は光留の中から出ていくし、唯もようやく眠ることが出来る。
 ずっと、夢で二人が幸せな時間を過ごすのを見ていた。羨ましい、妬ましいと思った数は数え切れない。だけど、それ以上に、この形が自然なんだと妙に納得していた。
『みっちゃんは、優しすぎるよ』
 朱華を取り巻く黒い靄が一層濃くなる。
『唯ちゃんばっかりずるいよね。守り人にも恵まれて、みっちゃんにも愛されて、神様にだって……』
 
 羨ましい、妬ましい、嫉ましい、憎い、嫌い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いニクイニクイ殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロス――。
 
『遂ニ落チタカ』
「朱華っ!?……ぐっ、ぁ、あがっ……!」
 朱華の感情が膨れ上がるにつれて、宿主である光留に負荷がかかる。
 息が苦しくて、心臓が痛い。まるで握り潰そうとするかのような力で締め付けられる。
 魂の守りがピシピシと嫌な音を立てて罅を広げていく。

 ――ちっ、貴様、そこを代われ! 貴様に死なれると俺の可愛い巫女姫が泣く。俺以外の男が泣かせるなんて許せるものか!

 月夜が光留に訴えかけるが、光留は無視した。
 
(お前に代わると、朱華が……)
 ――馬鹿か。あの小娘はもう無理だ。ひと思い祓ってやる方があの娘のためにもなる。

 月夜は厳しいことを言うが、光留も唯に同感だった。
 彼も優しすぎる。巡り巡って自分と唯のためになるのだろうけれど、やはり兄妹なのだなと頭の片隅で思う。
(せっかくのチャンスなんだ。それに、お前にとっても俺が死んだ方が都合がいいんだろ? 死んだ理由なんて後でどうとでも言い訳できるわけだし)
 ――呪いが魂にまで侵食すれば意味がない。俺は巻き添えはごめんだからな。
(わかってる)
 とはいえ、どうすれば朱華を切り離せるのか。
(効くかわからないけど……)
 ポケットに入れていた唯が作成したお札をノロノロと取り出す。上手く力が入らないけれど、光留はその札を朱華に向って投げつける。
『キャアアアアアアアッ!!』
 腕に札が張り付き、朱華の腕から火傷のような煙と悲鳴があがる。
「げほっ、ぅ……はっ、げほっ……」
 呪いが僅かに弱まり、ほんの少し息が楽になる。
『ひどい……ひどいよ……』
 ボロボロとなく朱華。だけどその表情は可愛らしい笑顔を浮かべる女の子ではなく、醜い化け物の姿になっていた。
「朱華……」
 唯と対象的で守り人に恵まれなかった憐れな巫女の末路。
『いたい……くるしい……ひどい……きらい……にくい……こわい……しにたくない……さびしい……』
 朱華の本音だろう。
 結局光留は朱華のことを理解していなかった。自分のことに精いっぱいで、友達のためという朱華の言葉を鵜吞みにして、彼女を傷つけた。
 おっとりした友達思いの少女は、もうそこにはいない。いるのは悪意を巻き散らす悪霊だ。
「なぁ、あんたアレを祓えるか?」
 光留は近くにいた白狐に尋ねる。
落神ヲ頼ルノカ』
「俺は、まだ守り人としての力を十分に発揮できない。朱華の呪いもあるし、そんなに持たないだろうからな」
『ソレデ我ニ見返リハ?』
「あんたの主っていうのは、月夜と凰花の娘の揚羽だろ? いいぜ、守り人になっても。まぁ、最初からそのつもりだけどな」
 白狐は白面の下から怪訝そうに光留を見る。
『何ヲ企ンデイル?』
「何も。しいて言うなら、俺なりに彼女を助けたいだけだ。目的は一致している、だろ」
 白狐は思う。最悪痛めつけてでも連れて行くつもりだったが、本人の同意があるのならそれに越したことはない。
 理由はどうあれ、目的は光留の言う通り一致している。裏切られる可能性はあるが、それなら殺せばいい。
 どのみち唯を殺せれば光留は用済みだ。
『イイダロウ。ダガ、我ガ出来ルノハアレヲ消滅サセルコトダ。生マレ変ワルコトモ出来ナクナルガ、イイノカ?』
「できれば加減してほしいけど、それしか方法が無いなら」
 光留の了承を得た白狐は朱華に向かって駆け出す。
 光留が持っている札は自作を含めてあと三枚。祝詞も祓詞もまだ諳んじられるほど覚えていない。
(ほんと、何も出来ねぇな、俺……)
 朱華を助けることも、祓うことも出来ない。無力な自分が憎い。だけど、下ばかりを向いていられない。
 光留は自作の札を朱華に投げつける。
『いやあああああーーーーッ!!』
 唯のものより効果は弱いが、朱華の顔に張り付いたそれは、彼女の顔を焼いた。左半分が、どろりと溶け、朱華の形がどんどん失われていく。
『ひどいひどいひどいっ! あたしだって、あたしだって愛されたかった! しにたくなかった! 巫女になんてなりたくなかった!!』
 朱華の悲鳴が響く。ざわざわと木々が揺れ、散った木の葉が白狐を襲う。
『……憐レダナ』
 落神になった自分が言うことではないのだろうけれど、生に見放され、神にも見放された可哀想な娘。自分の主もそうなっていたかもしれないと思うとやるせない。
 白狐は腰に佩いていた刀を抜き、朱華に斬り込む。
 真っ二つに切り裂いたつもりだった。
(手応エガナイ)
 逃げたか、と周囲を見渡す。
 数メートル先で光留が蹲っていた。
『あは、あははっ、キャハハハッ! みんな、みんな死ねばいい! 光留も月夜も凰花も、そこのお前も、みんな、みんなっ!』
 朱華の耳障りな甲高い嗤い声が木霊する。
「っ、の、やろ……ごほっ、はぁっ、ぅぐっ、う、ああああああーーっ!!」
 光留の身体がミシミシと音を立て、ポキリと枯れ枝を折るような軽い音の後、絶叫した。
 腕と肋骨の骨が何本か折れた。あまりの痛みに光留はのたうち回る。
『あーあ、惨めだね、みっともないねぇ。いい様だよ~。もっと、もっと、苦しんでねぇ』
 人思いに一瞬で殺さないのは、それだけ朱華の恨みが深いのだろう。
 白狐にとって、光留を見捨てることは簡単だ。しかし、彼以外に白狐の主――揚羽の守り人になれる逸材を探すにはなかなか骨が折れる。そうでなくとも、彼の中には彼とは別の意識を感じる。蛇が出るか鬼が出るか。
(厄介ダナ)
 しかし、白狐の結論は既に出ている。
 白狐は刀を握り直し、朱華に狙いを定める。
『いいの~? 大事な守り人なんでしょ~? みっちゃん、殺すよ』
『好キニスレバイイ。守リ人ハマタ探セバイイカラナ』
『んふふ~、ひどいひどい! みっちゃん、見捨てられちゃったよ~。あーあ、かわいそ』
 朱華が嬉しそうに笑う。
『大丈夫、あたしが一緒にいてあげる』
 甘やかな声で囁くと、朱華の爪が鋭く伸び、光留の首に添えられる。
 痛みで意識が朦朧とするなか、さくさくと土を踏む音が聞こえた。
「あらまあ。悪霊がいるとは思ったけど、なんだ、思ったほど大した事なさそう」
 若い女の声だ。
『揚羽、来タノカ』
 白狐が驚いたような顔をする。
(揚羽って……)
 光留は重い頭を持ち上げて、声のする方を見る。
 唯とよく似た少女だった。口元のほくろが色気を出していて、それでいて年相応のあどけなさがある。
「父様の帰りが遅いから、迎えにきちゃった」
 無邪気にそう言った先には光留――ではなく、白狐がいる。
 確かに揚羽――月夜と凰花の娘は、月夜が死んだ後に生まれたから、父親の顔を知らないのだが、まさか落神にそのポジションを奪われると思っていなかった月夜は光留の中で大変ショックを受けていた。
『来ルナラ一言言ッテクレ』
「はぁい」
 まるで本当の父娘のようなやりとりだ。
『っ、なんなのよ、あんた……!』
 揚羽が現れたことで、朱華が怒りを増幅させる。
「わたし? 強いて言うなら巫女よ。普段は女子高生だけど」
 揚羽は光留を見つけると、目を見開く。
「あらあら、こっちも珍しい……先祖返りね。ていうか、あなた取り憑かれているのね」
 揚羽は可愛らしく首を傾げる。
「もしかして、父様が言ってた守り人ってこの人?」
 白狐は頷く。
「ふぅん、確かに潜在能力は高いけど……ん? もう一人いる? え、誰。二重人格?」
 かがんでじっくりと光留を観察する。朱華のことなど眼中にないように。
『くっ、それ以上近寄らないで! 近づけば、こいつを殺す!』
「がっ、っ、うぁ……」
 光留が悶え苦しむのを見て揚羽は小さく息を吐き出す。
「じゃ、ちゃちゃっと剥がしちゃいましょうか」
 揚羽が人差し指を口元に持っていき、小さく何かを唱える。
 光留の中で何かがふつりと切れた気した。
「っ、はぁ、はぁ……何が、起きて……?」
『嘘、やだっ、剥がれちゃった!? あたしの呪い……』
 朱華が動揺する。
「あなたも、かつてはそこそこ力のある巫女だったと思うけど、魂の半分にも満たない、この程度の侵食なら剥がすのは簡単よ」
 揚羽は光留を見る。
「少しは楽になった?」
「あ、あぁ、助かる……」
 触れもせず、簡単な呪文だけで光留と朱華を引き剥がし、ひと目見ただけで光留の中の月夜の存在にも気付く。あの二人の娘なだけあって相当霊力も高い。それこそ、先日の複数帯の落神を一人で相手しても自力でどうにかできてしまうだろう。
「へえ、確かによく見ると綺麗な顔。女装しても違和感ないかも。あ、でもやっぱり背が高いみたいだし、男役よね。霊力も申し分ないし、これならわたしの守り人になっても大丈夫そう。もう一人の人は、なんだか懐かしい感じがする」
 揚羽はにこにこと光留を見つめるする。
 こんな時だと言うのに唯によく似た少女に見つめられて、ドキッとしてしまう。
「ねえ、わたしの守り人にならない? あ、守り人はわかる?」
「あ、あぁ。けど……」
 ちらりと朱華を見る。その姿は人の形を徐々に失いつつある。
『許サない許さなイ許サナい、ミンナミンな死ネばいイ!!』
 くぐもった声がこだまする。
 元の朱華の可愛らしい声は、聞くに堪えない呪詛を吐き出し、周囲に巻き散らす。
「確かに、アレを先に片付けたほうがいいかも」
 揚羽は光留が起き上がる手助けをする。
「うーん、あなたまだ守り人として完全に力が使えないのね。もう一人からあなたを守っている壁が原因だからかしら?」
 少し考えるそぶりをしてから、揚羽はニコリと笑う。
「あなたの血が出ているからちょうどいいわ。仮契約しましょ!」
「は?」
 光留がぽかんとしている間に、揚羽は光留の頬に手を添え顔を寄せる。唇が触れたと気付いた時には揚羽が唇についた血を舐めとった後だった。
「なっ、えっ!?」
「へえ、守り人と繋がるってこういう感じなんだ。悪くは無いけど、ちょっとかわいそうね」
 揚羽が光留の腕に手を添えると、骨が折れた場所の痛みが引いていく。
「ちゃんとした契約なら綺麗に治せるんだけど、仮契約だと痛みを無くすくらいが精いっぱいね。あとでちゃんと契約しなおしましょ!」
 光留は折れていないほうの腕を見る。揚羽にキスされた時、確かに身体の中に熱い何かが一瞬駆け巡った。しかし馴染まないのか、すぐに抜けていく感覚があった。
(仮契約って、もしかして……)
「なぁ、もしかして俺の痛みを……」
 光留は確信を持って揚羽に聞く。揚羽はなんでもないことのように答える。
「あ、やっぱり気づいちゃったか。そうだよ。あなたの痛みをわたしが引き受けたの。でも痛み止めの札も薬もあるし、大丈夫」
 明るく平然としているが、きっと相当辛いはずだ。
「っ、後でちゃんと対従ノ儀を絶対やり直すからな」
「そうしてくれると助かるわ。じゃあ、彼女を助けましょうか」
『揚羽』
「父様、お願い」
『アァ、ワカッテイル』
 白狐が朱華に向って刀を振り上げる。先ほどと同様に真っ二つに切るが感触はない。
『チッ、逃ゲ足ノ早イ小娘ダ』
「後ろだ!」
 光留が叫ぶと同時に朱華の足元に炎が上がる。
「取り憑かれてたせいだろうな。朱華とわずかに残ってた繋がりが媒介になった」
『清メノ炎……、お前、おおおおオ前エエエエッ!!』
 たったひと月足らずだが、一緒に過ごしてきた少女だ。恋ではなかったが確かに情はあったのだ。
 あまり痛めつけるようなことはしたくない。
「ごめんな」
 光留は一本の炎の矢を朱華に向って投げる。それが、朱華の胸に刺さった。
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