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第4章
夜灯
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夜の帳が降りるころ、リビングの明かりの下で私はパソコンに向かっていた。
卒業研究の締め切りが近い。あと少しで完成するのに、最後の分析が思うように進まない。
「……もう少し、もう少しだけ」
小さくつぶやいたそのとき、後ろから影が伸びた。
「星羅さん」
静かな声。振り向くと、隼人さんがココアを片手に立っていた。
白いシャツの袖を少しだけまくり、いつものように落ち着いた笑みを浮かべている。
「集中してますね」
「すみません、もう少しで終わりそうで……」
「いいえ。星羅さんが頑張る姿は、見ていて飽きませんから」
彼はカップを差し出した。
「少し休憩しましょう」と言いながら、私の隣に腰を下ろす。
その仕草があまりに自然で、どこか安心してしまう。
「ありがとうございます。隼人さんの淹れるココア、いつも美味しいです」
「ええ。星羅さんの好きな香り、ちゃんと覚えてますから」
そう言って、彼は私の頬に手を添えた。
少し冷たい指先。けれど、その温度が逆に心地よい。
「無理はしないでくださいね」
「はい。でも、もう少し頑張りたくて」
「……そうですか」
その瞬間、ほんの一拍だけ――彼の笑みがわずかに揺れた。
気のせいだろうか。
でも、その目の奥に宿る何かが、少しだけ胸を締めつけた。
□
翌日。研究室では、私の発表準備の打ち合わせが行われていた。
グループの中で、同期の一人・海くんが何かとサポートしてくれている。
同じ班で話す機会が増えただけなのに、周りは妙に茶化してくる。
「篠原と海って仲良いよな~」
「いやいや、研究の話ばっかりですよ」
笑ってごまかしたけれど、ふと――隼人さんがこの光景を見たら、どんな顔をするだろう、と思ってしまった。
その日の帰宅は夜九時を過ぎていた。
部屋の明かりはついていたが、隼人さんはソファに座ったまま、無言で資料に目を通していた。
「……ただいまです」
「おかえりなさい。遅かったですね」
責めているわけじゃないのに、なぜか心臓が強く打つ。
「ごめんなさい、少しゼミが長引いて……」
「そうですか。誰と一緒でした?」
「え……? いつもの班の人たちです」
その言葉に、彼はほんの僅かだけ目を細めた。
けれど、すぐに穏やかな笑みを取り戻す。
「……そうでしたか。星羅さんが頑張っているのは、俺が一番知っています」
そう言って、立ち上がるとキッチンへ向かい、温かいスープをテーブルに置いた。
「冷えたでしょう。食べてください」
「隼人さん……」
「あなたが笑ってくれないと、俺の夜は終わらないので」
その言葉に胸が熱くなる。
けれど――どこか、背筋が震えるような感覚もあった。
□
食事を終えて、私が片付けをしていると、後ろから腕が伸びてくる。
静かに、でも逃げられないほどの力で抱きしめられた。
「……隼人さん?」
「寂しかったですよ」
「えっ……」
「星羅さんが、俺の知らないところで誰かと笑ってると思うと……少し、落ち着かなくなります」
低い声が耳元で震える。
優しいのに、どこか危うい。
「……でも、頑張ってる姿は本当に好きです」
「…ありがとうございます」
「だから、ちゃんと覚えておいてください」
囁きが、頬をかすめた。
「俺は一番近くで見ている。誰よりも、あなたの努力も、疲れも、全部知っています」
彼の腕が、少しだけ強く締まる。
息が詰まりそうなのに、不思議と嫌じゃなかった。
「……これからも、ずっと隣にいてくださいね」
その声は、まるで誓いのようで――
私はただ、小さくうなずくしかなかった。
温もりと、わずかな怖さが同居する夜。
それが、私たちの“普通”になっていくのを、私はまだ知らなかった。
卒業研究の締め切りが近い。あと少しで完成するのに、最後の分析が思うように進まない。
「……もう少し、もう少しだけ」
小さくつぶやいたそのとき、後ろから影が伸びた。
「星羅さん」
静かな声。振り向くと、隼人さんがココアを片手に立っていた。
白いシャツの袖を少しだけまくり、いつものように落ち着いた笑みを浮かべている。
「集中してますね」
「すみません、もう少しで終わりそうで……」
「いいえ。星羅さんが頑張る姿は、見ていて飽きませんから」
彼はカップを差し出した。
「少し休憩しましょう」と言いながら、私の隣に腰を下ろす。
その仕草があまりに自然で、どこか安心してしまう。
「ありがとうございます。隼人さんの淹れるココア、いつも美味しいです」
「ええ。星羅さんの好きな香り、ちゃんと覚えてますから」
そう言って、彼は私の頬に手を添えた。
少し冷たい指先。けれど、その温度が逆に心地よい。
「無理はしないでくださいね」
「はい。でも、もう少し頑張りたくて」
「……そうですか」
その瞬間、ほんの一拍だけ――彼の笑みがわずかに揺れた。
気のせいだろうか。
でも、その目の奥に宿る何かが、少しだけ胸を締めつけた。
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翌日。研究室では、私の発表準備の打ち合わせが行われていた。
グループの中で、同期の一人・海くんが何かとサポートしてくれている。
同じ班で話す機会が増えただけなのに、周りは妙に茶化してくる。
「篠原と海って仲良いよな~」
「いやいや、研究の話ばっかりですよ」
笑ってごまかしたけれど、ふと――隼人さんがこの光景を見たら、どんな顔をするだろう、と思ってしまった。
その日の帰宅は夜九時を過ぎていた。
部屋の明かりはついていたが、隼人さんはソファに座ったまま、無言で資料に目を通していた。
「……ただいまです」
「おかえりなさい。遅かったですね」
責めているわけじゃないのに、なぜか心臓が強く打つ。
「ごめんなさい、少しゼミが長引いて……」
「そうですか。誰と一緒でした?」
「え……? いつもの班の人たちです」
その言葉に、彼はほんの僅かだけ目を細めた。
けれど、すぐに穏やかな笑みを取り戻す。
「……そうでしたか。星羅さんが頑張っているのは、俺が一番知っています」
そう言って、立ち上がるとキッチンへ向かい、温かいスープをテーブルに置いた。
「冷えたでしょう。食べてください」
「隼人さん……」
「あなたが笑ってくれないと、俺の夜は終わらないので」
その言葉に胸が熱くなる。
けれど――どこか、背筋が震えるような感覚もあった。
□
食事を終えて、私が片付けをしていると、後ろから腕が伸びてくる。
静かに、でも逃げられないほどの力で抱きしめられた。
「……隼人さん?」
「寂しかったですよ」
「えっ……」
「星羅さんが、俺の知らないところで誰かと笑ってると思うと……少し、落ち着かなくなります」
低い声が耳元で震える。
優しいのに、どこか危うい。
「……でも、頑張ってる姿は本当に好きです」
「…ありがとうございます」
「だから、ちゃんと覚えておいてください」
囁きが、頬をかすめた。
「俺は一番近くで見ている。誰よりも、あなたの努力も、疲れも、全部知っています」
彼の腕が、少しだけ強く締まる。
息が詰まりそうなのに、不思議と嫌じゃなかった。
「……これからも、ずっと隣にいてくださいね」
その声は、まるで誓いのようで――
私はただ、小さくうなずくしかなかった。
温もりと、わずかな怖さが同居する夜。
それが、私たちの“普通”になっていくのを、私はまだ知らなかった。
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