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第二章 鬼様に果たし状
第一話 宣戦布告
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「GAME SET! WINNER 吾妻財前!」
戦闘試験の終了を告げる言葉を聞いて、吾妻はすぐ走り出した。
同じ戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の中。足を床についている白倉に駆け寄り、そっと肩を掴んだ。
「白倉…」
心配そうに覗き込む。自分のしたことで、しかも戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉内では本当の怪我など負わないとはいえ、苦痛は残る。心配だった。
「吾妻」
白倉は案外平気そうに顔を上げて、間近の吾妻を見てから、ぽ、と顔を染めて逸らす。
「…白倉?」
「…や、平気だから」
ぱっと吾妻から離れて、白倉は自分の足でしっかり立つ。
吾妻はホッとして、自分も立った。
「……」
お互い、視線をちらちら向けて、頬を染める。
「約束、…だから、だけど、白倉は」
自分を好きになったうえで、自分が勝ったら、と言った。
もし、自分を好きになっていなかったら。
不安になった時、白倉がとん、と吾妻の胸元に自分から飛び込んだ。
その柔らかい匂いと、暖かくて細い、たまらなく触り心地のいい感触に、吾妻は顔を真っ赤にした。
夢みたいだ。
「男らしくない…」
「…ごめん。初恋だから、うまくいかない」
「…はつこい」
吾妻の腕の中で、白倉は乙女みたいに小さく呟いて、頬を染めてお花みたいに微笑んだ。
「…それ、うれしい」
「…しらくら、それって」
「…お前、勝ったし、俺は、…お前のこと、…好きだし、だから、その」
「白倉!」
恥じらって告げられる言葉に、吾妻は今死んでもいいと心底思った。
腕を広げて白倉をきつく抱きしめる。
ああ、夢みたいだ。幸せだ。
こんな日が本当に来るなんて。
でも夢じゃない。
だって、腕の中からは本当に白倉の匂いがするし、白倉の髪の感触だって手の平にしっかり当たってる。
だから、夢じゃないのだ。ああ、幸せ――――
「………あれ?」
唐突に、その温もりや感触や匂いが離れたことに驚いて、吾妻は目を開けた。
視界がよく利かない。身体の自由もよく利かない。
目を凝らすと、眼前には白倉が立っていた。
しかし、さっきみたいな可愛らしい様子ではなく、なんだか怒り顔だ。
腕を組んで立っている。
そこは、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉ではなく、どうやら吾妻の寝室らしい。
どうして、ここにいつの間に。
「は、白倉、まさか夜のお誘い…!?」
「まだ目が覚めてないみたいだな……もう一発いっとくか………」
白倉は綺麗な顔に青筋を浮かべて、指をぼきぼき鳴らした。
「あっはっはっはっはっは!!!!」
寮の食堂。
席につくなり、げらげら腹を抱えて爆笑しているのは、普段落ち着いた理論派で通っている岩永だ。
「アホ! アホすぎる! 馬鹿! 秀逸なんやけど、ちょお夕、俺腹いたい!」
涙を浮かべてまで笑って、隣に座る夕の肩をばしばし叩く。
「俺はリアルに腹痛くなるん嫌だから笑わない……」
「は?」
横隔膜を痙攣させて笑っている岩永は気づいているのかいないのか。
彼の向かいに座っている白倉の顔には青筋。
岩永を信用して話したのだが、見込み違いか、という風に。
白倉の隣には、机に突っ伏してただの屍みたいな雰囲気の吾妻。
「嵐、お前、いい加減黙らないと、吾妻みたくがつんと行くぞ?」
「え? 別にかまへんよ。白倉ができるなら」
岩永は笑いの波が過ぎたのか、笑い声を引っ込めてへらりと微笑む。
「………」
白倉は押し黙った。それが答えになっている。
「差別」
「なんか言ったか夕」
「いいえなんも」
小さな声でつっこんだだけなのに聞きつけた白倉に低い声で脅され、夕は理不尽を感じた。
同じ親友なのに、何故こうも白倉の態度は岩永と自分で違うのか。
別に不満なほどじゃない。
白倉は、自分だってすごく甘いし、優しいからだ。
ただ、こんな時。あくまで日常の冗談や笑い話の中で、岩永には手を出さないのに、自分には結構遠慮ないとことか。
「ああ、それは多分、岩永の人徳っていうか岩永は普段から一言多くないでしょ?
夕くんは多そう」
「うるさい」
「勝手に読むな」
心を読んで聞いてもいないことに返事をした吾妻は未だ机に寝そべったままで、夕と白倉に同時に頭を叩かれてうめく。
岩永がまた笑った。
「しっかし、白倉と和解してからまだ一週間やのに、そんな夢見る神経がすごい」
「俺は災難だ」
「夢の中の白倉に感触や匂いがあってそら当然やなー」
話題が「夢」の話になると、吾妻はいたたまれなくなる。
今の問題はそれで、岩永が泣くほど笑った理由もそこだ。
「夢見てる最中、現実で起こしに来た白倉を抱きしめとったんやから、そら感触も匂いもあるわ」
――――そう、先刻の白倉に勝って相思相愛ハッピーエンド、は吾妻の夢である。
しかし、ちょうどそのタイミングで起きてこない吾妻を起こしに来た白倉が、やけに幸せそうに眠っている吾妻を揺すったり呼んだりして起こそうとしたので、吾妻は無意識に白倉の手を掴み、寝台に引っ張り込んでぎゅうぎゅう抱きしめた。
白倉は最初は腕力で抵抗したが、眠っている所為で手加減なしの馬鹿力。敵うはずもない。
最終的に、吾妻がばらさなければいい。そもそも週番なんだから使っていいんだという理屈で念動力を発動し、吾妻の身体をひっぺがした。
部屋の壁に押しつける形で、力で身体の動きを封じているのに、起きた吾妻が暢気に「夜のお誘い」とかのたまったものだから、吾妻は一発殴られた。腹を。
そして、食堂で朝の挨拶をした岩永たちにやけにへこんでいる吾妻の事情を聞かれ、しかたなく説明したら、冒頭の岩永の大爆笑、というわけだ。
「あー、おもろかった……」
「お前、図太いよな……」
「俺のこと繊細っちゅうアホはおらんと思う。夕の方がまだ繊細」
まだおかしそうな岩永に突っ込んだら、岩永はしれっと答えた。
こういうとこが嫌いになれない、と夕は思う。
嫌味なとこがないのだ、岩永には。
「………」
「白倉?」
なにか考えるように、腕を組んだ白倉に、吾妻は少し怯えた顔で名を呼んだ。
「ん? ああ、お前のことじゃないから」
「…怒ってない?」
「わざとなら怒ったけど、夢ばっかりは仕方ないしな………」
もう気にしてへん、と答えると、吾妻は安堵に胸を撫で、それから白倉にお日様みたいな笑顔を向けた。
「ん?」
「白倉は、本当に人間の器が大きいね。男前で素敵だ」
「………新手のアプローチか?」
「ううん。白倉に惚れてなくてもそう思うよ。
白倉はかっこいい」
「……………………」
あくまで本気で、アプローチのつもりなく本音として、眩しい笑顔で語る吾妻から白倉は視線を逸らした。
「白倉?」
「お前、今日口きくな」
「えっ!?」
さっきまでの喜色が嘘のように、吾妻はショックを受けて青ざめる。
なんていうか、表情に嘘がないよな、と岩永は見ていて思った。
吾妻みたいな力はないけど、今の吾妻の表情が本心に直結していることくらいわかる。
「吾妻、大丈夫。照れただけやから」
「へ?」
泣きそうになっている吾妻の、テーブルに置かれた手を叩いて、岩永は言った。
「吾妻に褒められるんは、満更やないから、照れとるん」
「嵐」
「はいはい」
白倉に睨まれて、岩永は今度はあっさり謝った。笑ったまま。
「……………………」
「なに?」
吾妻はぽーっと、顔を赤くして白倉を見ている。
光が周囲に散っているような、期待に溢れた顔だ。
たとえば、プレゼントを期待する子供のような。
「…………………………まあ、悪い気はしない」
その顔でじっと間近で見つめられることに堪えきれず、白倉は顔を背けて降参した。
髪から覗く耳が赤い。吾妻はそれを見て、あからさまにきゅん、とときめいた顔で白倉を注視した。
が、すぐに周囲をばっと見渡す。自分の頬をつねる。
「岩永、これ夢じゃない!?」
「あー、夢か現実お前の好きなほうで。
それより夕、なに食う? 俺、今日は軽食にしよかなーって」
「お前、ほんとにいい性格してるよな。もうちょい真面目に答えてやれ」
眼前で吾妻が絶望的な顔をして岩永を見ている。さてはこいつ、吾妻で遊んでるな、と夕は岩永を見て思った。
「ゆ、夕くん」
「ああ、現実やから安心しろ」
「…」
優しく笑って言い聞かせてやると、吾妻はとても安堵して、それから白倉を見て反芻して、幸せそうにぽやっと笑った。
(まあこんな顔されたらいじめたい気持ちもわからんでもないけど)
「…夕くん、聞こえてるよ」
そんなこと思っていたら、吾妻がジト目でこちらを見ていた。
「あ、ごめん。心の鍵しめといて」
やばいやばいと思いながら顔には出さずに答えて、卓上のメニューを見る。
さてなんにしよう。朝はそんながっつり食べなくてもいいか。今日は戦闘試験はないし。
「僕は、おお、ジビエある? ここ」
「朝からそれ頼むなよ?」
「わかってるよー」
にこにこと笑って白倉との朝の会話を楽しんでいた吾妻だが、ひゅっと空を切るなにかの音に、ハッとして白倉を腕の中に抱き込む。
「危ない!」
警笛みたいな声。夕と岩永も一瞬で思考を切り替え、腰を浮かせる。
空から飛来したなにかは、吾妻の額にぱこん、と当たった。
岩永も夕も、腕の中に抱き込まれた白倉も、周囲の生徒たちもなんとなく間の抜けた気持ちで、それを見た。
「なんやこれ。しかもこれ吸盤なんやけど」
吾妻の額にぴったりくっついている棒。しかし、先は吸盤だ。
その先に白い長方形の紙が一枚ぴらりとある。
さしずめ、矢で文を射って壁に貼ったみたいに。
しかし、吸盤だ。紙に吸着するはずはないし、そもそも吾妻の額が壁的な位置だから、人間の皮膚に吸着するはずはないし、そもそもその棒は紙を貫通していない。
どうやって、吾妻の額にくっついているんだ。
岩永が身を乗り出し、指で紙を摘むと棒はぽろっとあっさり落ちた。
吾妻は白倉を離すと、困惑しながら床に落ちた棒を拾い、指で吸盤を触る。
そして首をひねった。
「とりあえず、なんて?」
紙にはなにか文字がある。夕は岩永の手にあるそれを覗き込んだ。
「……犯行声明みたいな」
「うん」
「え?」
吾妻が身を乗り出してから、思い直して身体を引っ込め、歩いてテーブルの反対側に回る。岩永の背後に立って、紙を覗いた。
紙には、新聞や広告の文字を切り取って張り付けたまさに「犯行声明」。
内容は、
「『我、汝を倒してSランク昇格を望むもの。
吾妻財前に勝負を挑む。放課後、礼拝堂にて待つ』」
同じくテーブルの反対側に回ってきた白倉が読み上げた。
それを聞いた途端、周囲の生徒たちは「なんだー」という期待はずれ感にぼやいて、その場を離れた。
「……え? つまりどういうこと?」
「果たし状みたいな?
ようあるんよ。転校生が来て、かつ上のランクやとこういうこと」
岩永も「なんだ」という拍子抜けの顔をしている。
「元々おるヤツらは、もう手の内が互いにばれて作戦立てられとるとこあるし。
派閥作っとる奴らも多い。
そしたら、新参で自分の実力が筒抜けになってなくて、かつ自分より上のランクの転校生に勝負挑むのがいるわけ」
「……カモ?」
「いや、ちゃうんやない?
少なくともお前より下位ランクやろ」
「上位ランクが僕のこと気にいらないからぼこるとか」
「ないない」
夕も岩永も、白倉も揃って手を顔の前で左右に振った。
「お前、自分が何ランクや思てんねん?
Sランクやろ? 自分が最上ランク。
お前と同格のヤツなら、真っ向から仕掛けてくるわ。九生みたく」
「……真っ向?」
吾妻は岩永の言葉に途中まで納得したが、最後で引っかかって突っ込んだ。
「あれは、あいつなりに真っ向勝負」
「随分歪曲変化球な真っ向勝負だね。しかも勝負してないし」
吾妻はなんとかそう返した。
だって、納得いかない。
まあでも、と思って紙を手に取る。
「九生に比べたら、まあ手口はかわいい」
「やろう?」
「…そうだね」
吾妻は頷いて、メニューを手に取った。
放課後礼拝堂。どうしようと思ったが、食事が来るころには忘れていた。
戦闘試験の終了を告げる言葉を聞いて、吾妻はすぐ走り出した。
同じ戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の中。足を床についている白倉に駆け寄り、そっと肩を掴んだ。
「白倉…」
心配そうに覗き込む。自分のしたことで、しかも戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉内では本当の怪我など負わないとはいえ、苦痛は残る。心配だった。
「吾妻」
白倉は案外平気そうに顔を上げて、間近の吾妻を見てから、ぽ、と顔を染めて逸らす。
「…白倉?」
「…や、平気だから」
ぱっと吾妻から離れて、白倉は自分の足でしっかり立つ。
吾妻はホッとして、自分も立った。
「……」
お互い、視線をちらちら向けて、頬を染める。
「約束、…だから、だけど、白倉は」
自分を好きになったうえで、自分が勝ったら、と言った。
もし、自分を好きになっていなかったら。
不安になった時、白倉がとん、と吾妻の胸元に自分から飛び込んだ。
その柔らかい匂いと、暖かくて細い、たまらなく触り心地のいい感触に、吾妻は顔を真っ赤にした。
夢みたいだ。
「男らしくない…」
「…ごめん。初恋だから、うまくいかない」
「…はつこい」
吾妻の腕の中で、白倉は乙女みたいに小さく呟いて、頬を染めてお花みたいに微笑んだ。
「…それ、うれしい」
「…しらくら、それって」
「…お前、勝ったし、俺は、…お前のこと、…好きだし、だから、その」
「白倉!」
恥じらって告げられる言葉に、吾妻は今死んでもいいと心底思った。
腕を広げて白倉をきつく抱きしめる。
ああ、夢みたいだ。幸せだ。
こんな日が本当に来るなんて。
でも夢じゃない。
だって、腕の中からは本当に白倉の匂いがするし、白倉の髪の感触だって手の平にしっかり当たってる。
だから、夢じゃないのだ。ああ、幸せ――――
「………あれ?」
唐突に、その温もりや感触や匂いが離れたことに驚いて、吾妻は目を開けた。
視界がよく利かない。身体の自由もよく利かない。
目を凝らすと、眼前には白倉が立っていた。
しかし、さっきみたいな可愛らしい様子ではなく、なんだか怒り顔だ。
腕を組んで立っている。
そこは、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉ではなく、どうやら吾妻の寝室らしい。
どうして、ここにいつの間に。
「は、白倉、まさか夜のお誘い…!?」
「まだ目が覚めてないみたいだな……もう一発いっとくか………」
白倉は綺麗な顔に青筋を浮かべて、指をぼきぼき鳴らした。
「あっはっはっはっはっは!!!!」
寮の食堂。
席につくなり、げらげら腹を抱えて爆笑しているのは、普段落ち着いた理論派で通っている岩永だ。
「アホ! アホすぎる! 馬鹿! 秀逸なんやけど、ちょお夕、俺腹いたい!」
涙を浮かべてまで笑って、隣に座る夕の肩をばしばし叩く。
「俺はリアルに腹痛くなるん嫌だから笑わない……」
「は?」
横隔膜を痙攣させて笑っている岩永は気づいているのかいないのか。
彼の向かいに座っている白倉の顔には青筋。
岩永を信用して話したのだが、見込み違いか、という風に。
白倉の隣には、机に突っ伏してただの屍みたいな雰囲気の吾妻。
「嵐、お前、いい加減黙らないと、吾妻みたくがつんと行くぞ?」
「え? 別にかまへんよ。白倉ができるなら」
岩永は笑いの波が過ぎたのか、笑い声を引っ込めてへらりと微笑む。
「………」
白倉は押し黙った。それが答えになっている。
「差別」
「なんか言ったか夕」
「いいえなんも」
小さな声でつっこんだだけなのに聞きつけた白倉に低い声で脅され、夕は理不尽を感じた。
同じ親友なのに、何故こうも白倉の態度は岩永と自分で違うのか。
別に不満なほどじゃない。
白倉は、自分だってすごく甘いし、優しいからだ。
ただ、こんな時。あくまで日常の冗談や笑い話の中で、岩永には手を出さないのに、自分には結構遠慮ないとことか。
「ああ、それは多分、岩永の人徳っていうか岩永は普段から一言多くないでしょ?
夕くんは多そう」
「うるさい」
「勝手に読むな」
心を読んで聞いてもいないことに返事をした吾妻は未だ机に寝そべったままで、夕と白倉に同時に頭を叩かれてうめく。
岩永がまた笑った。
「しっかし、白倉と和解してからまだ一週間やのに、そんな夢見る神経がすごい」
「俺は災難だ」
「夢の中の白倉に感触や匂いがあってそら当然やなー」
話題が「夢」の話になると、吾妻はいたたまれなくなる。
今の問題はそれで、岩永が泣くほど笑った理由もそこだ。
「夢見てる最中、現実で起こしに来た白倉を抱きしめとったんやから、そら感触も匂いもあるわ」
――――そう、先刻の白倉に勝って相思相愛ハッピーエンド、は吾妻の夢である。
しかし、ちょうどそのタイミングで起きてこない吾妻を起こしに来た白倉が、やけに幸せそうに眠っている吾妻を揺すったり呼んだりして起こそうとしたので、吾妻は無意識に白倉の手を掴み、寝台に引っ張り込んでぎゅうぎゅう抱きしめた。
白倉は最初は腕力で抵抗したが、眠っている所為で手加減なしの馬鹿力。敵うはずもない。
最終的に、吾妻がばらさなければいい。そもそも週番なんだから使っていいんだという理屈で念動力を発動し、吾妻の身体をひっぺがした。
部屋の壁に押しつける形で、力で身体の動きを封じているのに、起きた吾妻が暢気に「夜のお誘い」とかのたまったものだから、吾妻は一発殴られた。腹を。
そして、食堂で朝の挨拶をした岩永たちにやけにへこんでいる吾妻の事情を聞かれ、しかたなく説明したら、冒頭の岩永の大爆笑、というわけだ。
「あー、おもろかった……」
「お前、図太いよな……」
「俺のこと繊細っちゅうアホはおらんと思う。夕の方がまだ繊細」
まだおかしそうな岩永に突っ込んだら、岩永はしれっと答えた。
こういうとこが嫌いになれない、と夕は思う。
嫌味なとこがないのだ、岩永には。
「………」
「白倉?」
なにか考えるように、腕を組んだ白倉に、吾妻は少し怯えた顔で名を呼んだ。
「ん? ああ、お前のことじゃないから」
「…怒ってない?」
「わざとなら怒ったけど、夢ばっかりは仕方ないしな………」
もう気にしてへん、と答えると、吾妻は安堵に胸を撫で、それから白倉にお日様みたいな笑顔を向けた。
「ん?」
「白倉は、本当に人間の器が大きいね。男前で素敵だ」
「………新手のアプローチか?」
「ううん。白倉に惚れてなくてもそう思うよ。
白倉はかっこいい」
「……………………」
あくまで本気で、アプローチのつもりなく本音として、眩しい笑顔で語る吾妻から白倉は視線を逸らした。
「白倉?」
「お前、今日口きくな」
「えっ!?」
さっきまでの喜色が嘘のように、吾妻はショックを受けて青ざめる。
なんていうか、表情に嘘がないよな、と岩永は見ていて思った。
吾妻みたいな力はないけど、今の吾妻の表情が本心に直結していることくらいわかる。
「吾妻、大丈夫。照れただけやから」
「へ?」
泣きそうになっている吾妻の、テーブルに置かれた手を叩いて、岩永は言った。
「吾妻に褒められるんは、満更やないから、照れとるん」
「嵐」
「はいはい」
白倉に睨まれて、岩永は今度はあっさり謝った。笑ったまま。
「……………………」
「なに?」
吾妻はぽーっと、顔を赤くして白倉を見ている。
光が周囲に散っているような、期待に溢れた顔だ。
たとえば、プレゼントを期待する子供のような。
「…………………………まあ、悪い気はしない」
その顔でじっと間近で見つめられることに堪えきれず、白倉は顔を背けて降参した。
髪から覗く耳が赤い。吾妻はそれを見て、あからさまにきゅん、とときめいた顔で白倉を注視した。
が、すぐに周囲をばっと見渡す。自分の頬をつねる。
「岩永、これ夢じゃない!?」
「あー、夢か現実お前の好きなほうで。
それより夕、なに食う? 俺、今日は軽食にしよかなーって」
「お前、ほんとにいい性格してるよな。もうちょい真面目に答えてやれ」
眼前で吾妻が絶望的な顔をして岩永を見ている。さてはこいつ、吾妻で遊んでるな、と夕は岩永を見て思った。
「ゆ、夕くん」
「ああ、現実やから安心しろ」
「…」
優しく笑って言い聞かせてやると、吾妻はとても安堵して、それから白倉を見て反芻して、幸せそうにぽやっと笑った。
(まあこんな顔されたらいじめたい気持ちもわからんでもないけど)
「…夕くん、聞こえてるよ」
そんなこと思っていたら、吾妻がジト目でこちらを見ていた。
「あ、ごめん。心の鍵しめといて」
やばいやばいと思いながら顔には出さずに答えて、卓上のメニューを見る。
さてなんにしよう。朝はそんながっつり食べなくてもいいか。今日は戦闘試験はないし。
「僕は、おお、ジビエある? ここ」
「朝からそれ頼むなよ?」
「わかってるよー」
にこにこと笑って白倉との朝の会話を楽しんでいた吾妻だが、ひゅっと空を切るなにかの音に、ハッとして白倉を腕の中に抱き込む。
「危ない!」
警笛みたいな声。夕と岩永も一瞬で思考を切り替え、腰を浮かせる。
空から飛来したなにかは、吾妻の額にぱこん、と当たった。
岩永も夕も、腕の中に抱き込まれた白倉も、周囲の生徒たちもなんとなく間の抜けた気持ちで、それを見た。
「なんやこれ。しかもこれ吸盤なんやけど」
吾妻の額にぴったりくっついている棒。しかし、先は吸盤だ。
その先に白い長方形の紙が一枚ぴらりとある。
さしずめ、矢で文を射って壁に貼ったみたいに。
しかし、吸盤だ。紙に吸着するはずはないし、そもそも吾妻の額が壁的な位置だから、人間の皮膚に吸着するはずはないし、そもそもその棒は紙を貫通していない。
どうやって、吾妻の額にくっついているんだ。
岩永が身を乗り出し、指で紙を摘むと棒はぽろっとあっさり落ちた。
吾妻は白倉を離すと、困惑しながら床に落ちた棒を拾い、指で吸盤を触る。
そして首をひねった。
「とりあえず、なんて?」
紙にはなにか文字がある。夕は岩永の手にあるそれを覗き込んだ。
「……犯行声明みたいな」
「うん」
「え?」
吾妻が身を乗り出してから、思い直して身体を引っ込め、歩いてテーブルの反対側に回る。岩永の背後に立って、紙を覗いた。
紙には、新聞や広告の文字を切り取って張り付けたまさに「犯行声明」。
内容は、
「『我、汝を倒してSランク昇格を望むもの。
吾妻財前に勝負を挑む。放課後、礼拝堂にて待つ』」
同じくテーブルの反対側に回ってきた白倉が読み上げた。
それを聞いた途端、周囲の生徒たちは「なんだー」という期待はずれ感にぼやいて、その場を離れた。
「……え? つまりどういうこと?」
「果たし状みたいな?
ようあるんよ。転校生が来て、かつ上のランクやとこういうこと」
岩永も「なんだ」という拍子抜けの顔をしている。
「元々おるヤツらは、もう手の内が互いにばれて作戦立てられとるとこあるし。
派閥作っとる奴らも多い。
そしたら、新参で自分の実力が筒抜けになってなくて、かつ自分より上のランクの転校生に勝負挑むのがいるわけ」
「……カモ?」
「いや、ちゃうんやない?
少なくともお前より下位ランクやろ」
「上位ランクが僕のこと気にいらないからぼこるとか」
「ないない」
夕も岩永も、白倉も揃って手を顔の前で左右に振った。
「お前、自分が何ランクや思てんねん?
Sランクやろ? 自分が最上ランク。
お前と同格のヤツなら、真っ向から仕掛けてくるわ。九生みたく」
「……真っ向?」
吾妻は岩永の言葉に途中まで納得したが、最後で引っかかって突っ込んだ。
「あれは、あいつなりに真っ向勝負」
「随分歪曲変化球な真っ向勝負だね。しかも勝負してないし」
吾妻はなんとかそう返した。
だって、納得いかない。
まあでも、と思って紙を手に取る。
「九生に比べたら、まあ手口はかわいい」
「やろう?」
「…そうだね」
吾妻は頷いて、メニューを手に取った。
放課後礼拝堂。どうしようと思ったが、食事が来るころには忘れていた。
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