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第五章 皮一重の喜劇
第七話 君の影を見てきた
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白倉が遠い。物理的な意味で。
以前のような、精神的距離ではないから、まだマシということではない。
遠いのは、どっちでも辛い。
トレーニングルームに練習に誘ったら、時波がついてきた。
九生は他の生徒と用事があるらしいから、助かったが。
「しら」
「白倉。組み手をしないか?」
吾妻の声を遮って、時波が白倉に誘いをかけた。
超能力戦には、超能力の強さが一番必要だが、同時に運動神経・反射神経・体力や格闘スキルも関わってくる。
多くは敵の攻撃を交わすための運動神経、反射神経、場合によっては長時間に及ぶ戦闘を乗り切る体力。
格闘スキルを会得する生徒の多くは、流河のような接近戦を得手とする生徒だ。
時波は自分と同じタイプなので、組み手はあまりやらずともよい。
嫌がらせだ。
「俺、吾妻と」
「吾妻は媒体無しの放出型だろう?
組み手は特に必要ないはずだ」
「それをあんたが言う?」
自分が今思ったことを、白倉に対して真顔で言い切った時波に思わずつっこむ。
時波に睨まれた。
「白倉がいいんだから、別にいいでしょ?
あんたは娘の彼氏に異を唱える父親か?」
白倉と一緒にいたいので、意地で向かい合う。
「大体そんなものだが、それでは不服か?」
時波はしれっと認めた。
吾妻が一瞬怯む。
「白倉がいいって言ってるよ」
「そんなの、お前の解釈間違いじゃないのか?」
なかなかひどい言いぐさである。
口下手に見せかけてこの男、意外と語彙が豊富だ。
「時波、あの、俺が誘ったんだ。だから、今朝のは」
「白倉」
時波はくるっと白倉に向き直って、真剣な眼差しで首を振る。
「嘘を吐くな」
「嘘じゃないよ?」
「では、白倉が昨日、最後までしたいと言ったのか?」
吾妻はぎくりとした。
一部始終を見ていないはずなのに、なんだそのピンポイントに自分に不利な質問。
白倉は頬を赤く染めながら、戸惑った。
「…え」
「言ったのか?」
「………最後、までは言って、ない」
白倉は俯き、ぽそりと答えた。
時波相手では、嘘もつけない。
「だそうだ。なら、調子に乗った狼は腹を裂かれても文句は言えない」
時波は吾妻を振り返り、真声で言う。
「それはなんの童話だよ!」
思わず反論した吾妻は、時波に真正面から凄まれた。
「知らないのか? 『赤ずきん』だ」
「お前の口からその単語はホラーだ!」
「なにを言う。
お前だって、白倉のことを『荊姫』とか『シンデレラ』とか思っているクセに」
「エスパーか!?」
本当に、時波のどこが口下手なのか。
次々放たれる台詞は予想外なうえ、的を得ていて恐ろしい。
「超能力者だ。文句があるか」
「……」
吾妻は「ある」と即答しそうになって、口をつぐんだ。
時波で、わからないことがある。
彼との試合のとき、九生が乱入した際に、時波の使った力。
あれはなんなのか、わからない。
多分、時波のもう一つの超能力だが、白倉と違い、彼はまだ未覚醒なはずだ。
「お、やっとるやっとる」
思考に沈みかけた時、トレーニングルームの扉が開いた。
入ってきたのはジャージ姿の岩永と、優衣、流河。
「多分おるやろなーって思っとったんや」
よかった、と喜んだ岩永は、その場の空気を察して、
「なんかあったん?」
と一応聞いてくれた。
「なんでもない。吾妻一人の馬鹿騒ぎに過ぎん。
チームでの練習か?」
「……まあ」
時波の言い訳のひどさに、岩永はなにか言いたげだったが、結局は普通に頷くに留まる。
岩永も、時波に強くは出れないのか。
「こっちのチームも三人だしな…探していたなら、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の許可はとってあるのか?」
「ああ。相手願いたいなーって」
時波の問いに、岩永は吾妻を見る。
吾妻は、時波と同チームなのはまだ認めていない。
「僕はまだ、お前と一緒のチームは…」
「吾妻」
時波はすっと、左手を出して吾妻の顎を指先ですくう。
「今のお前に、拒否権があると思ってるのか?」
「僕はなんにもしてない!」
「じゃあどこまでしたんだ」
顎をもの凄い力で掴んだままの時波を睨み、吾妻は息を吸い込む。
「挿れてはな」
はっきり言ってやろうとした瞬間、後頭部に衝撃と激痛が走って、吾妻はその場にぶっ倒れた。
荒い息を吐く、真っ赤な顔をした白倉が、背後から飛び蹴りを見舞ったのだ。
「…公衆の面前…っ! 公衆の面前…っ!
吾妻。お前は出会った当時のセクハラ魔人に格下げだ!」
耳や首まで赤く染めて、白倉はぶつぶつ罵る。その荒い呼吸で掠れた台詞が、かわいいと薄れる意識の中で思う吾妻は、反論するすべがない。
どうにか床に突っ伏した顔を上げると、時波が満足そうに腕を組んでいた。
さては、この結果に誘導したな? 確信犯か。
向こうの方で岩永が呆れている。
「吾妻クンがおとなしくなったところで、バトル形式を決めておこうか?」
流河がさらっとその場を仕切った。
「形式…?」
吾妻が床に倒れたまま問う。
「あ、生きてた。
あのね、戦闘試験の戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉では、バトル形式は『ハンデなし』『片方のリタイア』までって決まってるんだけど、自主対戦ではいくつかから選べるの」
「…さらっとひどいこと言った…」
どうにか起きあがりながら、吾妻はぼやいた。
「大まかに、チーム中何人まで減ったら負け、とか、片方のチームもしくは両方のチームのハンデつけ、かな」
「ハンデ」
「そう。
たとえば現在、俺達は全員Aランクだけど、君たち全員Sランクでしょ?
君たちの力の発動力を、『Aランクレベルに制限』することも出来るわけだ」
「なるほど…」
吾妻は納得して呟く。あたた、とまだ痛む後頭部を撫でた。
容赦なく蹴られたが、あれは自分が悪い。
そう自分を納得させていると、左手の袖を引っ張られた。
振り向くと白倉の姿がある。
「…」
俯いていた白倉は、視線を吾妻と合わせると、小さな声で心配そうに、
「…ごめん。痛かった……?」
と訊いてきた。
吾妻は胸がきゅんと鳴った気がする。
白倉に向き直って、白金の髪を撫でる。
「もう痛くないよ」
「ほんと?」
「うん。僕こそ、ごめんな」
優しく微笑みかけて謝ると、白倉は頬を赤く染めながら、首をふる、と左右に振った。
吾妻を見上げて、可愛らしくはにかむ。
ああ、やっぱり、白倉はかわいい。
「吾妻、話聞かへんとがつんとやられるで」
見とれていたら、岩永の不穏な声が聞こえて、吾妻は咄嗟に腕で頭を庇う。
なにも衝撃は来ない。おそるおそる顔を上げると、時波が舌打ちしていた。
多分、構えるのが数秒遅かったら、がつんとやられてた。岩永ナイス。
「ほな、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉に移動してから決めるか」
とりあえず移動しよう、と岩永が促す。皆、頷いた。
そこでトレーニングルームの扉がまた開く。
岩永が露骨にびびって、背中を向けた。
村崎だ。
しかし、彼は真っ直ぐこちらに向かってくる。
流河が岩永の肩を叩いた。
「どうも、俺等に用事みたいよ?」
囁かれて、岩永はちらりと視線をあげた。
村崎は迷いなく歩いてくると、岩永や流河たちの前に立った。
岩永がすーっとその場を離れようとしたので、流河は手を掴もうとしたが、その前に村崎の大きな手が腕をとらえた。
感触だけで村崎だと察したのか、岩永の肩が顕著に揺れる。
「っ………………流河たちに用事やないの?」
逃げたいオーラを全身から出しながら、村崎と視線を合わせずに言う岩永に、村崎ははっきりと、
「広い意味ではそうやが、多くはお前に用事や」
「はぇっ!?」
あまりに予想外のことだったため、岩永は反射的に村崎を見上げた。
「…儂も、お前と同じチームに入ってかまわんか?」
村崎のどういう風の吹き回しかという申し出に、流河と優衣は顔を見合わせて小さく笑った。
弟の存在に、そろそろ危機感を持ったか。
「……」
腕を掴まれたままの岩永は、怯えた表情で、
「…ほな、俺、チーム抜けた方がええの?」
と大真面目に聞いた。
流河と優衣が驚く。
「なんでそうなるんや。“お前と同じ”チームって言ったやろ!」
焦ってつっこんだのは村崎だ。
「え、やって、俺邪魔やない?」
「お前が目的やゆうたやろ」
「え、言うた?」
なんというか、猫の前の鼠。
完全に怯えた様子で、岩永は理由を探している。
「…あ、」
やっと理解したか、と思ったが、
「攪乱作戦?」
岩永の口から出てきた台詞に、優衣はずっこけそうになった。
「ちがう」
「…嫌がらせ?」
「なんでそうなるんや!」
どこまでも本気で問う岩永に、村崎は苛ついて大声で否定する。
が、無理もないと思うのは、優衣と流河だ。
あれだけ今まで嫌われていたら、普通はそう考えるだろう。
だって、岩永が記憶を失ってから、村崎が自分から話しかけた初めてが、「今」なんだぞ?
翌朝、目覚めると、気怠い身体を起こして寝台から降りた。
夢だといいような、でも、現実であって欲しいような。
あのあと、村崎は「考えて欲しい」と言った。
自分と一緒のチームになりたいって言った。
でも、でも、ずっと、振り向いてくれなかったのに、本当にどういう風の吹き回しなんだ。
「…」
動きやすい私服に着替えて、寝室の扉を開ける。
リビングでくつろいでいた流河が顔を上げて微笑んでくれた。
「おはよう」
「おはよ」
岩永が挨拶を返すと、流河は椅子から立ち上がって、傍に近寄ってきた。
「で、今日は休みだし、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の許可、白倉クンたちが取ってあるってさ」
「…ああ」
やっぱり。予測して動きやすく破れてもいい服を選んだけれど。
浮かない顔をする岩永に、流河は微かに驚いた。
「そんなに、嫌?」
「え」
「そういう顔してたけど」
「…」
そんなあからさまなのか。岩永は自分にため息を吐いた。
「願ってもないじゃない。村崎クンから向き合ってくれて」
「…そやけど」
「ちゃんと話してみなよ」
沈んでいる風な岩永に、流河も心配そうな表情をする。
「…幻滅されるんとちゃうか。すぐに」
「え」
「…やって、どうせ、俺、思い出せへんもん。なにも、わからんもん」
村崎の望む自分には、なれはしない。
「…村崎かて、すぐに呆れるし、失望する」
「……」
流河は無言だった。望みを持たない自分に呆れたのか。
「…前にも言ったけど、記憶がないと恋愛は出来ない?」
「え」
流河は、さも意外そうな表情で言う。
「村崎クンもキミも、記憶があることを前提に話すからさー…。
まあそれを前提にするとして、この一年間の記憶だけだっていいじゃない。
少なくとも、キミはそれで村崎クンを好きになったんだから」
「……やって、俺は、」
村崎と付き合っていたらしいけれど、それを覚えていない。
だから、村崎も自分を見限ったんだ。
だから、記憶を取り戻せない自分は、村崎には、不要で。
「…俺、関係ないと思うよ。
忘れてても、岩永クンは岩永クンで、俺から見たらキミはなにひとつ変わってない。
真面目なとこも、妙にドライなとこも、人に優しいとこも、なにひとつ、昔のキミのまんま。
足りないのは記憶“だけ”。
なら、記憶よりも今のキミの方が、俺は要るわけだ」
「………」
「他のみんなもそうなんだよ」
流河の声は暖かくて、自分を真っ向から受け入れてくれるから。
素直に嬉しい。
本当は、記憶がなくてへこたれるたび、いつもそんな言葉に励まされた。
どう頑張っても昔の自分にはなれない。戻れない。
なら、今の自分を見てもらえなければ、どこに行ったらいい。
「俺は村崎クンが馬鹿なだけだと思う。
今のキミを見ないで、嫌ってる。
馬鹿なのは、キミじゃなくて、彼だ」
「……」
「だから、」
はっきり言い切った流河に、言葉を失った。
胸が痛んだのは、何故だろう。
「どんな風の吹き回しでも、今のうちにちゃんと話して、こっち見てもらいなさい」
にっこり微笑んだ流河が「ね?」と促す。
泣きそうになる。
いいのだろうか。
記憶のない自分でも、望んでも。
欲しがっても、いいだろうか。
朝食のために食堂に向かう。
「あ、今日はビュッフェか」
たまにビュッフェ形式の食事になる。
不定期だが、事前に情報は張り出される。
自分が見なかっただけだ。
「岩永、サラダ全滅だぞ」
出てくるの遅いから、と仲のいい友だちが教えてくれた。
「ああ…」
岩永は少し残念に思う。
ここの食堂のサラダはおいしいから好きだ。だから残念。
トレイを持って、他の料理を選ぼうと歩き出す。
「岩永」
不意に背後から名前を呼ばれて、岩永はとんでもなくびびった。
思わずあげた声が裏返って、トレイを落としてしまう。
直後に、よかった、まだなにも乗せてなくて、と思う。
背後からの沈黙が痛い。
トレイを拾ってから、おそるおそる振り返ると、村崎の姿。憮然としている。
「……おはよ」
怯えながら挨拶すると、村崎は顔をしかめたまま、挨拶を返してくれた。
「そこまで怯えられると傷付くが」
「…ごめん」
不満げな声に謝る。
村崎の身体が唐突に前に傾いだ。
村崎がぎょっとして背後を振り返る。
村崎の背中を遠慮なく叩いた手は、流河だった。
「今まで散々無視して傷付けてきた人が無茶言わなーい」
明るく一言忠告して、さっさとテーブルの方に行ってしまった流河の背中を、村崎は茫然と見送る。
「…村崎?」
「…あ、いや」
岩永の位置からは、流河は見えなかったらしい。声も聞こえたかあやしい。
「…」
お互い、顔を見合わせて固まる。
言葉が互いに浮かばない。
「…傷付いとったんか」
気まずさに、ついつい口を吐いた言葉は、よく考えればひどかった。
村崎は遅れて気づく。
岩永はびっくりしたあと、切なそうに笑った。
村崎はそれが傷付いた反応だと理解した途端、胸が痛む。
自分を罵倒したくなるくらいの後悔を、未だに味わえると思わなかった。
『…今でも好きだったりするんでしょ? あの人を』
弟の言うとおり、自分は今でも、岩永が好きなのだ。
でも、昔の彼を愛してると思っている。
今の彼が、自然に、自分の中の彼に重なる。
村崎は自分のトレイに乗っていたサラダの皿を掴んで、岩永のトレイに置いた。
「え」
「好きなんやろ」
罪悪感からだったと思う。
「もう落とすなや」
「……」
ぽかんとしていた岩永の表情が、ふと明るくなった。
「…ありがと」
小さな声で礼を述べたその顔には、昔の彼と違わない微かな微笑み。
些細なことで嬉しくなった時に、よく見せた控えめな笑顔。
今の行為は罪悪感からのはずだ。
なのに、村崎の心まで嬉しくなる。
久しい感情が沸く。
まるで、ただ彼が愛しくて、優しくしてしまったような、気持ち。
ただ、その笑顔が見たくて、優しく話しかけていた時のように。
「……相変わらず好きなんやな」
「え」
「そのサラダ」
昔の彼も、好きだった。
懐かしさに甘えて、そんなことを言うと、岩永は表情を曇らせる。
「……うん」
なんでそんな風に沈むのだろう。わからなくて、村崎は言葉を見失う。
「…ごめん」
「…なんで謝るんや」
本当にわからなくて、問いかけた。
「…その程度のことしか、俺って、…覚えとらんやんか」
村崎の足下を見て、心底申し訳なさそうに言う。
項垂れた肩を、細く感じた。
「……それは、お前の所為なんか?」
痛ましい気がして、思わずそう言っていた。
岩永が驚いて、村崎を見上げる。
泣きそうだった。
泣いて欲しくなかった。
今でも、変わらずに思うくらい、自分は彼が好きだったのか。
餓えていたのか。
その、声や笑顔を渇望していたのか。
「…一緒のチームに入ってええか?」
「…」
「御園たちには、一応許可もろたが」
なるべく怯えさせないように、優しく言った。
いつも、きつい言い方しかして来なかったのに、自然に言えた気がする。
だって、昔はいつも、こんな風に話しかけていた。
岩永は理解が追いつかないのか、しばらく無言で村崎を見上げていた。
ふと、口元を綻ばせて、嬉しそうにはにかむ。
「うん」
低くて、でも自分よりは高くて、柔らかい声。
村崎はなぜだか泣きそうになった。
戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉10号室。
一日ここを使う許可は出ている。
白倉・吾妻・時波のチームと、岩永・流河・御園優衣・村崎のチーム。
「とりあえず、一回戦ってみるか」
優衣の言葉に、全員頷く。
「俺と流河が前衛でええかな?」
岩永が優衣に問いかけた。
流河は接近戦メインだし、岩永の吸収の力は防御に有利だ。
「そやな。
俺や村崎のは、後衛からでもいけるし」
前衛後衛を話し合う二人に、白倉は吾妻と時波を振り返った。
「俺ら、基本全員放出系だしな」
白倉の力は多様性があるが、吾妻と時波は基本放出する攻撃パターンだ。
「そうだね…。
まあ」
「お前が前衛だ」
考え込む吾妻の横で、時波が言い切った。
「身体を張って白倉を守れ。
そのでかい身体を役立てろ」
「……まあそれでいいよ」
なんかいろいろ文句言いたい言い方だったが、そのつもりだったから吾妻は頷く。
「時波は?」
「俺も前衛と言いたいところだが、相手のランクによって前衛一人か二人か変えた方がいいんじゃないか?」
「そうだな」
今回は吾妻一人が前衛ということになるらしい。
「ほな、始めんでー」
優衣の言葉に、意識を集中させる。
防護壁が発生して、フィールド内を覆う。
チーム戦は、一回夕とやったが、完全に流れを掴んだわけではない。
どんな戦闘の運び方が有利か、コツを掴まないと。
向こうとの距離はおおよそ百メートル。
前衛と後衛の距離は一メートルほどだ。
「様子見で行けよ。
あっちには岩永がいるんだ」
「ああ」
背後の時波の言葉に、吾妻は頷く。
岩永は自分の力すらあっさり吸収する。
手の平に業火を発生させ、酸素を取り込んで大きく広げる。
向かい合った位置で、流河が傘を開いた。
そうだった。流河もやっかいだった。
「ぶっ放せ。俺がフォローしてやる」
白倉の頼もしい言葉に、吾妻は安堵して微笑んだ。
炎を放つ。
流河が傘を振るって、弾いた。
岩永の手から無数の水弾が撃たれる。
吾妻が炎の壁を発生させ、防いだ直後、こちらに単騎でつっこんできた流河の姿が見えた。
焦ったのは一瞬で、流河の身体がなにもない空間に弾かれ、向こうまで吹っ飛ぶ。
白倉だ。
「俺がいる限りは、接近戦は無理だって」
「そうでした…」
不敵に笑った白倉の声。流河はどうにか片足で着地して、引きつった笑みを浮かべた。
「白倉クンと戦ったことないから、うっかりしてた」
「しっかりせぇや」
言いながらも、優衣は「多分俺が影の間移動してっても同じやな」と思った。
「あ」
そこで、二人とも引きつった。
一瞬、隙を作ってしまっていた。
白倉が両手を大きく振るう。手加減なしの衝撃波が飛んできた。
それに重なって放たれたのは、時波の閃光。あれは倍返し付きだ。
「っ」
全員を背後に庇って、岩永が両手で大きな円を描く。
その中に、ほとんどの衝撃波と閃光は吸い込まれたが、カバーしきれなかった攻撃が流河と岩永の身体を掠める。
負荷と痛みが走った。
息を吐く暇なく、眼前を襲ったのは吾妻の業火。
背後から影を使って、岩永と流河の前に出現した優衣が、大きく影を広げて防ぐ。
が、途中で影が破れて、優衣が吹っ飛ばされた。
「んんーっ! イケてるぅ!
やっぱり、ハンデつけるか?」
白倉は腕を組んで微笑む。
このままなら完膚無きまでにのされるぞ、と言いたげに。
どうにか起きあがった優衣が「アホ抜かせ」と反論する。
「……?」
衝撃に堪えていた岩永が、ふときょとんとして、流河の肩を叩く。
吾妻を指さした岩永に、流河も怪訝な顔をした。
そこには、顔を赤面させた吾妻の姿。
白倉が気づいて、首を傾げる。
「白倉…そんな声は公衆の面前で言ったら駄目だよ!
はしたない!」
大真面目に説教した吾妻に、白倉は間抜けに「は?」と返すしかない。
「あ、そっか。
白倉のあの決め台詞、吾妻の前で言ったこと今までなかったわ」
岩永は合点がいって手を叩いた。
流河と優衣もそういえば、と思い出す。
「はしたな…ってなに。
これはただの感嘆符や感嘆符。
なんも恥ずかしいことないだろ?」
「はしたないよ。破廉恥だ!」
真剣に語る白倉には悪いが、自分たちは馴れたから平気なだけで、ぶっちゃけ吾妻と同意見だ、と岩永達は思う。
「は? なんで。それで変なこと想像したのかお前?
そんなんお前の脳内が卑猥なだけだ」
「白倉の声とか身体がやらしいから駄目」
「はあ!?」
すっかり戦闘中だということなど忘れて、言い合う二人に、岩永は背後を振り返る。
優衣達と顔を見合わせた。
「とにかく、その声はもう出したら駄目!」
「じゃあいつ言ったらいいんだ!」
「僕の前でだけ言ったらいい!」
「いつ!?」
「決まってるだろ。セ」
大真面目な顔で言った吾妻の後頭部に、時波の蹴りが当たった。
吾妻が床に沈む。
「やはりそういうことを速攻する気なんだな」
「…今のは買い言葉だよ…」
呻きながら吾妻が反論した。
白倉は時波の言い分に大仰に反応する。
「いやだ。恥ずかしい!」
「…じゃ、言わないでいい。
だから、普段も言わないでくれよ」
「え、あれ感嘆符だもん」
「…僕が一人でむらむらしててもいいの!?」
立ち上がって、吾妻は本当に困る、と訴える。
白倉は顎に手を当てて考え込んだ。そして、
「…じゃあ、俺が夜、発散させたげるから、許して?」
小首を傾げて上目遣いでお願いする。
吾妻はその瞬間、鼻血を噴いた。
休憩しようか、そうしよう。
岩永と優衣、流河はそう思った。
村崎は久しぶりに味わう賑やかさに、なんとなくついていけずに戸惑っていた。
以前のような、精神的距離ではないから、まだマシということではない。
遠いのは、どっちでも辛い。
トレーニングルームに練習に誘ったら、時波がついてきた。
九生は他の生徒と用事があるらしいから、助かったが。
「しら」
「白倉。組み手をしないか?」
吾妻の声を遮って、時波が白倉に誘いをかけた。
超能力戦には、超能力の強さが一番必要だが、同時に運動神経・反射神経・体力や格闘スキルも関わってくる。
多くは敵の攻撃を交わすための運動神経、反射神経、場合によっては長時間に及ぶ戦闘を乗り切る体力。
格闘スキルを会得する生徒の多くは、流河のような接近戦を得手とする生徒だ。
時波は自分と同じタイプなので、組み手はあまりやらずともよい。
嫌がらせだ。
「俺、吾妻と」
「吾妻は媒体無しの放出型だろう?
組み手は特に必要ないはずだ」
「それをあんたが言う?」
自分が今思ったことを、白倉に対して真顔で言い切った時波に思わずつっこむ。
時波に睨まれた。
「白倉がいいんだから、別にいいでしょ?
あんたは娘の彼氏に異を唱える父親か?」
白倉と一緒にいたいので、意地で向かい合う。
「大体そんなものだが、それでは不服か?」
時波はしれっと認めた。
吾妻が一瞬怯む。
「白倉がいいって言ってるよ」
「そんなの、お前の解釈間違いじゃないのか?」
なかなかひどい言いぐさである。
口下手に見せかけてこの男、意外と語彙が豊富だ。
「時波、あの、俺が誘ったんだ。だから、今朝のは」
「白倉」
時波はくるっと白倉に向き直って、真剣な眼差しで首を振る。
「嘘を吐くな」
「嘘じゃないよ?」
「では、白倉が昨日、最後までしたいと言ったのか?」
吾妻はぎくりとした。
一部始終を見ていないはずなのに、なんだそのピンポイントに自分に不利な質問。
白倉は頬を赤く染めながら、戸惑った。
「…え」
「言ったのか?」
「………最後、までは言って、ない」
白倉は俯き、ぽそりと答えた。
時波相手では、嘘もつけない。
「だそうだ。なら、調子に乗った狼は腹を裂かれても文句は言えない」
時波は吾妻を振り返り、真声で言う。
「それはなんの童話だよ!」
思わず反論した吾妻は、時波に真正面から凄まれた。
「知らないのか? 『赤ずきん』だ」
「お前の口からその単語はホラーだ!」
「なにを言う。
お前だって、白倉のことを『荊姫』とか『シンデレラ』とか思っているクセに」
「エスパーか!?」
本当に、時波のどこが口下手なのか。
次々放たれる台詞は予想外なうえ、的を得ていて恐ろしい。
「超能力者だ。文句があるか」
「……」
吾妻は「ある」と即答しそうになって、口をつぐんだ。
時波で、わからないことがある。
彼との試合のとき、九生が乱入した際に、時波の使った力。
あれはなんなのか、わからない。
多分、時波のもう一つの超能力だが、白倉と違い、彼はまだ未覚醒なはずだ。
「お、やっとるやっとる」
思考に沈みかけた時、トレーニングルームの扉が開いた。
入ってきたのはジャージ姿の岩永と、優衣、流河。
「多分おるやろなーって思っとったんや」
よかった、と喜んだ岩永は、その場の空気を察して、
「なんかあったん?」
と一応聞いてくれた。
「なんでもない。吾妻一人の馬鹿騒ぎに過ぎん。
チームでの練習か?」
「……まあ」
時波の言い訳のひどさに、岩永はなにか言いたげだったが、結局は普通に頷くに留まる。
岩永も、時波に強くは出れないのか。
「こっちのチームも三人だしな…探していたなら、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の許可はとってあるのか?」
「ああ。相手願いたいなーって」
時波の問いに、岩永は吾妻を見る。
吾妻は、時波と同チームなのはまだ認めていない。
「僕はまだ、お前と一緒のチームは…」
「吾妻」
時波はすっと、左手を出して吾妻の顎を指先ですくう。
「今のお前に、拒否権があると思ってるのか?」
「僕はなんにもしてない!」
「じゃあどこまでしたんだ」
顎をもの凄い力で掴んだままの時波を睨み、吾妻は息を吸い込む。
「挿れてはな」
はっきり言ってやろうとした瞬間、後頭部に衝撃と激痛が走って、吾妻はその場にぶっ倒れた。
荒い息を吐く、真っ赤な顔をした白倉が、背後から飛び蹴りを見舞ったのだ。
「…公衆の面前…っ! 公衆の面前…っ!
吾妻。お前は出会った当時のセクハラ魔人に格下げだ!」
耳や首まで赤く染めて、白倉はぶつぶつ罵る。その荒い呼吸で掠れた台詞が、かわいいと薄れる意識の中で思う吾妻は、反論するすべがない。
どうにか床に突っ伏した顔を上げると、時波が満足そうに腕を組んでいた。
さては、この結果に誘導したな? 確信犯か。
向こうの方で岩永が呆れている。
「吾妻クンがおとなしくなったところで、バトル形式を決めておこうか?」
流河がさらっとその場を仕切った。
「形式…?」
吾妻が床に倒れたまま問う。
「あ、生きてた。
あのね、戦闘試験の戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉では、バトル形式は『ハンデなし』『片方のリタイア』までって決まってるんだけど、自主対戦ではいくつかから選べるの」
「…さらっとひどいこと言った…」
どうにか起きあがりながら、吾妻はぼやいた。
「大まかに、チーム中何人まで減ったら負け、とか、片方のチームもしくは両方のチームのハンデつけ、かな」
「ハンデ」
「そう。
たとえば現在、俺達は全員Aランクだけど、君たち全員Sランクでしょ?
君たちの力の発動力を、『Aランクレベルに制限』することも出来るわけだ」
「なるほど…」
吾妻は納得して呟く。あたた、とまだ痛む後頭部を撫でた。
容赦なく蹴られたが、あれは自分が悪い。
そう自分を納得させていると、左手の袖を引っ張られた。
振り向くと白倉の姿がある。
「…」
俯いていた白倉は、視線を吾妻と合わせると、小さな声で心配そうに、
「…ごめん。痛かった……?」
と訊いてきた。
吾妻は胸がきゅんと鳴った気がする。
白倉に向き直って、白金の髪を撫でる。
「もう痛くないよ」
「ほんと?」
「うん。僕こそ、ごめんな」
優しく微笑みかけて謝ると、白倉は頬を赤く染めながら、首をふる、と左右に振った。
吾妻を見上げて、可愛らしくはにかむ。
ああ、やっぱり、白倉はかわいい。
「吾妻、話聞かへんとがつんとやられるで」
見とれていたら、岩永の不穏な声が聞こえて、吾妻は咄嗟に腕で頭を庇う。
なにも衝撃は来ない。おそるおそる顔を上げると、時波が舌打ちしていた。
多分、構えるのが数秒遅かったら、がつんとやられてた。岩永ナイス。
「ほな、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉に移動してから決めるか」
とりあえず移動しよう、と岩永が促す。皆、頷いた。
そこでトレーニングルームの扉がまた開く。
岩永が露骨にびびって、背中を向けた。
村崎だ。
しかし、彼は真っ直ぐこちらに向かってくる。
流河が岩永の肩を叩いた。
「どうも、俺等に用事みたいよ?」
囁かれて、岩永はちらりと視線をあげた。
村崎は迷いなく歩いてくると、岩永や流河たちの前に立った。
岩永がすーっとその場を離れようとしたので、流河は手を掴もうとしたが、その前に村崎の大きな手が腕をとらえた。
感触だけで村崎だと察したのか、岩永の肩が顕著に揺れる。
「っ………………流河たちに用事やないの?」
逃げたいオーラを全身から出しながら、村崎と視線を合わせずに言う岩永に、村崎ははっきりと、
「広い意味ではそうやが、多くはお前に用事や」
「はぇっ!?」
あまりに予想外のことだったため、岩永は反射的に村崎を見上げた。
「…儂も、お前と同じチームに入ってかまわんか?」
村崎のどういう風の吹き回しかという申し出に、流河と優衣は顔を見合わせて小さく笑った。
弟の存在に、そろそろ危機感を持ったか。
「……」
腕を掴まれたままの岩永は、怯えた表情で、
「…ほな、俺、チーム抜けた方がええの?」
と大真面目に聞いた。
流河と優衣が驚く。
「なんでそうなるんや。“お前と同じ”チームって言ったやろ!」
焦ってつっこんだのは村崎だ。
「え、やって、俺邪魔やない?」
「お前が目的やゆうたやろ」
「え、言うた?」
なんというか、猫の前の鼠。
完全に怯えた様子で、岩永は理由を探している。
「…あ、」
やっと理解したか、と思ったが、
「攪乱作戦?」
岩永の口から出てきた台詞に、優衣はずっこけそうになった。
「ちがう」
「…嫌がらせ?」
「なんでそうなるんや!」
どこまでも本気で問う岩永に、村崎は苛ついて大声で否定する。
が、無理もないと思うのは、優衣と流河だ。
あれだけ今まで嫌われていたら、普通はそう考えるだろう。
だって、岩永が記憶を失ってから、村崎が自分から話しかけた初めてが、「今」なんだぞ?
翌朝、目覚めると、気怠い身体を起こして寝台から降りた。
夢だといいような、でも、現実であって欲しいような。
あのあと、村崎は「考えて欲しい」と言った。
自分と一緒のチームになりたいって言った。
でも、でも、ずっと、振り向いてくれなかったのに、本当にどういう風の吹き回しなんだ。
「…」
動きやすい私服に着替えて、寝室の扉を開ける。
リビングでくつろいでいた流河が顔を上げて微笑んでくれた。
「おはよう」
「おはよ」
岩永が挨拶を返すと、流河は椅子から立ち上がって、傍に近寄ってきた。
「で、今日は休みだし、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の許可、白倉クンたちが取ってあるってさ」
「…ああ」
やっぱり。予測して動きやすく破れてもいい服を選んだけれど。
浮かない顔をする岩永に、流河は微かに驚いた。
「そんなに、嫌?」
「え」
「そういう顔してたけど」
「…」
そんなあからさまなのか。岩永は自分にため息を吐いた。
「願ってもないじゃない。村崎クンから向き合ってくれて」
「…そやけど」
「ちゃんと話してみなよ」
沈んでいる風な岩永に、流河も心配そうな表情をする。
「…幻滅されるんとちゃうか。すぐに」
「え」
「…やって、どうせ、俺、思い出せへんもん。なにも、わからんもん」
村崎の望む自分には、なれはしない。
「…村崎かて、すぐに呆れるし、失望する」
「……」
流河は無言だった。望みを持たない自分に呆れたのか。
「…前にも言ったけど、記憶がないと恋愛は出来ない?」
「え」
流河は、さも意外そうな表情で言う。
「村崎クンもキミも、記憶があることを前提に話すからさー…。
まあそれを前提にするとして、この一年間の記憶だけだっていいじゃない。
少なくとも、キミはそれで村崎クンを好きになったんだから」
「……やって、俺は、」
村崎と付き合っていたらしいけれど、それを覚えていない。
だから、村崎も自分を見限ったんだ。
だから、記憶を取り戻せない自分は、村崎には、不要で。
「…俺、関係ないと思うよ。
忘れてても、岩永クンは岩永クンで、俺から見たらキミはなにひとつ変わってない。
真面目なとこも、妙にドライなとこも、人に優しいとこも、なにひとつ、昔のキミのまんま。
足りないのは記憶“だけ”。
なら、記憶よりも今のキミの方が、俺は要るわけだ」
「………」
「他のみんなもそうなんだよ」
流河の声は暖かくて、自分を真っ向から受け入れてくれるから。
素直に嬉しい。
本当は、記憶がなくてへこたれるたび、いつもそんな言葉に励まされた。
どう頑張っても昔の自分にはなれない。戻れない。
なら、今の自分を見てもらえなければ、どこに行ったらいい。
「俺は村崎クンが馬鹿なだけだと思う。
今のキミを見ないで、嫌ってる。
馬鹿なのは、キミじゃなくて、彼だ」
「……」
「だから、」
はっきり言い切った流河に、言葉を失った。
胸が痛んだのは、何故だろう。
「どんな風の吹き回しでも、今のうちにちゃんと話して、こっち見てもらいなさい」
にっこり微笑んだ流河が「ね?」と促す。
泣きそうになる。
いいのだろうか。
記憶のない自分でも、望んでも。
欲しがっても、いいだろうか。
朝食のために食堂に向かう。
「あ、今日はビュッフェか」
たまにビュッフェ形式の食事になる。
不定期だが、事前に情報は張り出される。
自分が見なかっただけだ。
「岩永、サラダ全滅だぞ」
出てくるの遅いから、と仲のいい友だちが教えてくれた。
「ああ…」
岩永は少し残念に思う。
ここの食堂のサラダはおいしいから好きだ。だから残念。
トレイを持って、他の料理を選ぼうと歩き出す。
「岩永」
不意に背後から名前を呼ばれて、岩永はとんでもなくびびった。
思わずあげた声が裏返って、トレイを落としてしまう。
直後に、よかった、まだなにも乗せてなくて、と思う。
背後からの沈黙が痛い。
トレイを拾ってから、おそるおそる振り返ると、村崎の姿。憮然としている。
「……おはよ」
怯えながら挨拶すると、村崎は顔をしかめたまま、挨拶を返してくれた。
「そこまで怯えられると傷付くが」
「…ごめん」
不満げな声に謝る。
村崎の身体が唐突に前に傾いだ。
村崎がぎょっとして背後を振り返る。
村崎の背中を遠慮なく叩いた手は、流河だった。
「今まで散々無視して傷付けてきた人が無茶言わなーい」
明るく一言忠告して、さっさとテーブルの方に行ってしまった流河の背中を、村崎は茫然と見送る。
「…村崎?」
「…あ、いや」
岩永の位置からは、流河は見えなかったらしい。声も聞こえたかあやしい。
「…」
お互い、顔を見合わせて固まる。
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気まずさに、ついつい口を吐いた言葉は、よく考えればひどかった。
村崎は遅れて気づく。
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村崎はそれが傷付いた反応だと理解した途端、胸が痛む。
自分を罵倒したくなるくらいの後悔を、未だに味わえると思わなかった。
『…今でも好きだったりするんでしょ? あの人を』
弟の言うとおり、自分は今でも、岩永が好きなのだ。
でも、昔の彼を愛してると思っている。
今の彼が、自然に、自分の中の彼に重なる。
村崎は自分のトレイに乗っていたサラダの皿を掴んで、岩永のトレイに置いた。
「え」
「好きなんやろ」
罪悪感からだったと思う。
「もう落とすなや」
「……」
ぽかんとしていた岩永の表情が、ふと明るくなった。
「…ありがと」
小さな声で礼を述べたその顔には、昔の彼と違わない微かな微笑み。
些細なことで嬉しくなった時に、よく見せた控えめな笑顔。
今の行為は罪悪感からのはずだ。
なのに、村崎の心まで嬉しくなる。
久しい感情が沸く。
まるで、ただ彼が愛しくて、優しくしてしまったような、気持ち。
ただ、その笑顔が見たくて、優しく話しかけていた時のように。
「……相変わらず好きなんやな」
「え」
「そのサラダ」
昔の彼も、好きだった。
懐かしさに甘えて、そんなことを言うと、岩永は表情を曇らせる。
「……うん」
なんでそんな風に沈むのだろう。わからなくて、村崎は言葉を見失う。
「…ごめん」
「…なんで謝るんや」
本当にわからなくて、問いかけた。
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村崎の足下を見て、心底申し訳なさそうに言う。
項垂れた肩を、細く感じた。
「……それは、お前の所為なんか?」
痛ましい気がして、思わずそう言っていた。
岩永が驚いて、村崎を見上げる。
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泣いて欲しくなかった。
今でも、変わらずに思うくらい、自分は彼が好きだったのか。
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いつも、きつい言い方しかして来なかったのに、自然に言えた気がする。
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岩永は理解が追いつかないのか、しばらく無言で村崎を見上げていた。
ふと、口元を綻ばせて、嬉しそうにはにかむ。
「うん」
低くて、でも自分よりは高くて、柔らかい声。
村崎はなぜだか泣きそうになった。
戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉10号室。
一日ここを使う許可は出ている。
白倉・吾妻・時波のチームと、岩永・流河・御園優衣・村崎のチーム。
「とりあえず、一回戦ってみるか」
優衣の言葉に、全員頷く。
「俺と流河が前衛でええかな?」
岩永が優衣に問いかけた。
流河は接近戦メインだし、岩永の吸収の力は防御に有利だ。
「そやな。
俺や村崎のは、後衛からでもいけるし」
前衛後衛を話し合う二人に、白倉は吾妻と時波を振り返った。
「俺ら、基本全員放出系だしな」
白倉の力は多様性があるが、吾妻と時波は基本放出する攻撃パターンだ。
「そうだね…。
まあ」
「お前が前衛だ」
考え込む吾妻の横で、時波が言い切った。
「身体を張って白倉を守れ。
そのでかい身体を役立てろ」
「……まあそれでいいよ」
なんかいろいろ文句言いたい言い方だったが、そのつもりだったから吾妻は頷く。
「時波は?」
「俺も前衛と言いたいところだが、相手のランクによって前衛一人か二人か変えた方がいいんじゃないか?」
「そうだな」
今回は吾妻一人が前衛ということになるらしい。
「ほな、始めんでー」
優衣の言葉に、意識を集中させる。
防護壁が発生して、フィールド内を覆う。
チーム戦は、一回夕とやったが、完全に流れを掴んだわけではない。
どんな戦闘の運び方が有利か、コツを掴まないと。
向こうとの距離はおおよそ百メートル。
前衛と後衛の距離は一メートルほどだ。
「様子見で行けよ。
あっちには岩永がいるんだ」
「ああ」
背後の時波の言葉に、吾妻は頷く。
岩永は自分の力すらあっさり吸収する。
手の平に業火を発生させ、酸素を取り込んで大きく広げる。
向かい合った位置で、流河が傘を開いた。
そうだった。流河もやっかいだった。
「ぶっ放せ。俺がフォローしてやる」
白倉の頼もしい言葉に、吾妻は安堵して微笑んだ。
炎を放つ。
流河が傘を振るって、弾いた。
岩永の手から無数の水弾が撃たれる。
吾妻が炎の壁を発生させ、防いだ直後、こちらに単騎でつっこんできた流河の姿が見えた。
焦ったのは一瞬で、流河の身体がなにもない空間に弾かれ、向こうまで吹っ飛ぶ。
白倉だ。
「俺がいる限りは、接近戦は無理だって」
「そうでした…」
不敵に笑った白倉の声。流河はどうにか片足で着地して、引きつった笑みを浮かべた。
「白倉クンと戦ったことないから、うっかりしてた」
「しっかりせぇや」
言いながらも、優衣は「多分俺が影の間移動してっても同じやな」と思った。
「あ」
そこで、二人とも引きつった。
一瞬、隙を作ってしまっていた。
白倉が両手を大きく振るう。手加減なしの衝撃波が飛んできた。
それに重なって放たれたのは、時波の閃光。あれは倍返し付きだ。
「っ」
全員を背後に庇って、岩永が両手で大きな円を描く。
その中に、ほとんどの衝撃波と閃光は吸い込まれたが、カバーしきれなかった攻撃が流河と岩永の身体を掠める。
負荷と痛みが走った。
息を吐く暇なく、眼前を襲ったのは吾妻の業火。
背後から影を使って、岩永と流河の前に出現した優衣が、大きく影を広げて防ぐ。
が、途中で影が破れて、優衣が吹っ飛ばされた。
「んんーっ! イケてるぅ!
やっぱり、ハンデつけるか?」
白倉は腕を組んで微笑む。
このままなら完膚無きまでにのされるぞ、と言いたげに。
どうにか起きあがった優衣が「アホ抜かせ」と反論する。
「……?」
衝撃に堪えていた岩永が、ふときょとんとして、流河の肩を叩く。
吾妻を指さした岩永に、流河も怪訝な顔をした。
そこには、顔を赤面させた吾妻の姿。
白倉が気づいて、首を傾げる。
「白倉…そんな声は公衆の面前で言ったら駄目だよ!
はしたない!」
大真面目に説教した吾妻に、白倉は間抜けに「は?」と返すしかない。
「あ、そっか。
白倉のあの決め台詞、吾妻の前で言ったこと今までなかったわ」
岩永は合点がいって手を叩いた。
流河と優衣もそういえば、と思い出す。
「はしたな…ってなに。
これはただの感嘆符や感嘆符。
なんも恥ずかしいことないだろ?」
「はしたないよ。破廉恥だ!」
真剣に語る白倉には悪いが、自分たちは馴れたから平気なだけで、ぶっちゃけ吾妻と同意見だ、と岩永達は思う。
「は? なんで。それで変なこと想像したのかお前?
そんなんお前の脳内が卑猥なだけだ」
「白倉の声とか身体がやらしいから駄目」
「はあ!?」
すっかり戦闘中だということなど忘れて、言い合う二人に、岩永は背後を振り返る。
優衣達と顔を見合わせた。
「とにかく、その声はもう出したら駄目!」
「じゃあいつ言ったらいいんだ!」
「僕の前でだけ言ったらいい!」
「いつ!?」
「決まってるだろ。セ」
大真面目な顔で言った吾妻の後頭部に、時波の蹴りが当たった。
吾妻が床に沈む。
「やはりそういうことを速攻する気なんだな」
「…今のは買い言葉だよ…」
呻きながら吾妻が反論した。
白倉は時波の言い分に大仰に反応する。
「いやだ。恥ずかしい!」
「…じゃ、言わないでいい。
だから、普段も言わないでくれよ」
「え、あれ感嘆符だもん」
「…僕が一人でむらむらしててもいいの!?」
立ち上がって、吾妻は本当に困る、と訴える。
白倉は顎に手を当てて考え込んだ。そして、
「…じゃあ、俺が夜、発散させたげるから、許して?」
小首を傾げて上目遣いでお願いする。
吾妻はその瞬間、鼻血を噴いた。
休憩しようか、そうしよう。
岩永と優衣、流河はそう思った。
村崎は久しぶりに味わう賑やかさに、なんとなくついていけずに戸惑っていた。
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