【完結保証】超能力者学園の転入生は生徒会長を溺愛する

兔世夜美(トヨヤミ)

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第八章 さよならの森の中で

第十話 Hide and Seek

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「村崎くん」
 戦闘鳥籠<バトルケイジ>の番号は七。
 見物席で始まるのを待っていた村崎を呼んだのは、一緒に来たのにいつの間にかいなくなっていた流河だった。
「はい、水分補給はしっかりと」
 流河は笑って、買ってきたらしい缶コーヒーを村崎に渡した。
 村崎は礼を言ったが、表情はずっと曇ったままだ。
「…大丈夫だよ。きっとなんでもない…」
「やけど、」
 村崎はフィールドを見下ろし、呟くように言う。
「一年の時からずっと、あいつ、誰が相手でもあんな風に怯えたことなかった…」
「……」
 流河も、それには反論の言葉を持たないのか、黙ってフィールドの方を向いた。
「岩永くんが勝ってきたら、そう言ってあげなよ。
 心配したって。
 大丈夫だよ。相手、Bランクだし、岩永くんの敵じゃない」
 優しく肩を叩くと、村崎はやっとのように一言頷いた。
 戦闘鳥籠<バトルケイジ>の番号からして、間違いない。
 自分が暴走したのは、七号室。
 それに、校舎が古かった。
 暴走で校舎は完全に壊れて、新しく作り直されたから、今の校舎は綺麗だ。
 この世界の校舎は違う。
 本当に、暴走当日の記憶なんだ。
 カウントが始まる。
 フィールド内に自分と、覚えのない生徒が見えた。
 見知らぬ生徒だけど、昔は知っていたのかもしれない。
 もし、本当にこれが暴走の時の試合なら、きっとその相手は自分を恐れて近づかないだろう。
 「GAME START」の人工音声が響いた。
 相手の力は水だ。
 打ち出された水の矢を、彼は発動させた風であっさり防ぐ。
 見物している生徒達にも実力差は明らかに見えるのか、皆緊張感がない。
 その中で、村崎と流河だけが、必死な眼差しでフィールドを見ている。
 不意にその視線が揺らいだ。
 岩永は村崎たちの方を見てしまっていたから、咄嗟にフィールド内の自分に視線を戻した。
 体勢を崩したのか、床に着いてしまった膝を立たせ、姿勢を立て直して吹雪を生み出す。
 だが放った吹雪は、相手の水と相殺した。
 これには見物席がざわめく。
 理由がわかる。
 この当時で自分はSランク近い実力があったと聞いている。
 この試合は、実質Sランク昇格を目標とした試合だった。
 正確には、この試合と、あと二試合。
 全て勝てばSランク昇格。そう決まっていたそうだ。
 だから、Bランクの能力者の攻撃と相殺なんてありえない。
 彼は顔を歪めて、かまいたちを発生させた。
 相手が水の刃を生み出し、放つ。
 今度はかまいたちが完全に水に押し負け、彼に向かう。
 咄嗟に躱した彼の表情は茫然自失に近かった。
 見物席はもう大騒ぎで、誰かが「先生は止めないのか」と言っている。
 彼が顔を上げて、手を突きだした。
 力を発動させようとしたのだろう。
 でも、手のひらからはなんの力も発生しなかった。
 相手もさすがにおかしいと思ったのか、攻撃の手を止める。
 流河が慌てて戦闘鳥籠<バトルケイジ>の外に走り出した。
 教師を呼びに行ったのだ。
 戦闘鳥籠<バトルケイジ>の模様が全て中継されていると知っていてもじっとしていられなかったように。
 村崎が最前列に立って、彼の名前を叫んだ。
「嵐!」
 声が聞こえたのか、座り込んでしまっていた彼がゆっくり顔を上げた。
 視線が交差する。
「……静流」
 彼の口から、そう小さな声が落ちた瞬間、全身から光の粒子が浮かびあがり、一気にふくれあがった。
 一瞬で彼の姿を埋め尽くし、対戦相手と見物席に襲いかかる閃光。
 見物席からフィールド内に現れた化野が対戦相手の腕を掴んで消える。
 フィールドを四方から囲んだ若松、雪代、跡部の超能力は吸収の力にも負けず、その場の生徒達を守った。
 その直後には校舎は全壊した。
 縦に大きく壊れた校舎の破片が地面に倒れている。
 生徒達は全て、化野達が地上に避難させたようだ。
 死傷者はいなかった、と聞いて、安堵していた自分を、愚かに思った。
 吸収の力は、超能力を吸収するだけで、攻撃の力じゃないから、と安心したのを、馬鹿だと思った。
 化野たちの力がなければ、自分はいったい、何人の生徒を殺したか知れないじゃないか。
 村崎や流河や、白倉たちを、殺したかもしれないのに。
 どうして、笑っていた。
 何事もないように、どうして、笑っていられた。
 それほどに、恐ろしい光景だった。
 世界の終わりに見えた。



 場面が飛ぶ。
 寮の廊下を歩いている村崎の姿が見えた。
 右腕が、手首から二の腕まで包帯で隠れている。
「静流!」
 背後から駆け寄ってきたのは、白倉だった。
 その左腕は、指先から肩まで包帯に覆われ、顔も左側は覆われていた。
「…会いに行くのか?」
 呼び止められ、振り返った村崎は硬い表情で頷く。
「じゃあ、俺も…」
「あかん」
 村崎に間髪入れず断られ、白倉はショックを受けたように凍り付く。
「…いや、その、腕とか顔…」
 村崎は白倉の包帯が巻かれた箇所を示して、言いにくそうに口にする。
「儂くらいの怪我ならまだしも、…あいつが気に病むやろ」
「……そう、だな。
 …ごめん」
「いや、治ったら、一緒に行こう」
「…うん」
 白倉は微笑んで頷く。
 無理をした顔だ。
「あ、これ持っていって」
 白倉は持っていたアルバムらしい冊子を村崎に手渡す。
「寂しがってるだろうから」
「……ああ。必ず渡す」
 村崎は受け取って、少しだけ笑みを浮かべた。



 地下都市の特別棟の入り口で、村崎が会ったのは真鍋だった。
「…面会許可、出たんやないんですか…?」
 村崎は目を瞠って、そう尋ねる。
「出たには出たが…」
「ならええやないですか」
 真鍋は言いにくそうに視線を逸らし、帽子を深くかぶる。
「…暴走キャリアの話はどこまで聞いた?」
「……」
 急な話に、村崎はついていけないのか、何度も瞬きをして、記憶をたぐるように頭に手をやった。
 包帯が巻かれた右手。
「……二つ目の能力を、自分では覚醒させられない」
「だけか?」
 村崎はどうにか頷いたが、その顔には不安が出ていた。
 他になにかあるのか、と。
 そうだ。この当時、「暴走キャリア」という超能力のタイプがあると明らかになったばかりで、生徒の多くはまだ詳しく知らなかったはずだ。
「…暴走キャリアは、未覚醒の二つ目が体内で、持ち主の力や身体、記憶を喰らう。
 暴走した場合は、身体や力、記憶に大きな障害が見られる可能性がでかい」
 真鍋は村崎の顔を見ずにきわめて機械的に説明した。
 村崎の顔が、数秒かけて青ざめる。
「…あいつは、記憶にそれが出た。
 …岩永は、お前も、白倉も、流河も、誰も……覚えてへんぞ」
 声すら失った村崎の手から、白倉に持たされたアルバムが落ちる。
「……それでも、会うか?」
 真鍋の言葉に、しばらく村崎はなにも言わなかった。
 凍り付いたまま、なにも言わず、動かなかった。
 自分は知ってる。
 岩永にはわかる。
 それでも、会いには行くのだ。
 自分に会って、確認して、そして諦めたように、振り返らなくなる。
「……行きます」
 岩永の考えたとおり、村崎は長い沈黙の後に、そう言った。



 真っ白い部屋だ。
 寝台しかない、無機質な部屋。
 寝台に腰掛け、ぼんやり宙を見ていた彼は、不意に扉の方を見た。
 足音が響いて、扉が開く。
 村崎一人が顔を覗かせて、廊下にいる真鍋になにか言って、室内に入ってきた。
 村崎の姿を、彼は無邪気な子どものようにじっと見ている。
 村崎は彼の前に立つと、どうしたらいいか迷うように、彼の顔を見下ろした。
「……………友達?」
 彼の方が先に口を開いた。
「…俺の。
 だれ?」
 普通に不思議がった、屈託のない問いかけ。
 村崎は一瞬目を瞠って、顔を歪める。
 これで、自分を覚えているか聞いて、そして、すぐに村崎は出ていく。
 そう思ったのに、村崎は不意に柔らかく微笑んだ。
「村崎静流。
 クラスメイトで、友達や。
 先生に聞いたが、もう身体は大丈夫か?」
 無理していると思わせないような、優しい声だった。
「……っと、へいき。
 特に問題ない、かな…」
「そうか。…よかった」
 村崎はホッと息を吐いて、彼の顔を見る。
 その表情はとても暖かかった。
「……えっと、村崎?
 わざわざ来てくれたん?」
「ああ。心配やったから」
「…おおきに」
 彼は初めて笑顔を浮かべて、そう言った。
 それに、村崎は一瞬固まって、それから泣きそうに微笑む。
「…寂しないか?」
 少し震えた声でそう尋ねた。
「……わからん。
 頭が真っ白で、寂しいとかようわからん…かも」
「ほな、これから覚えたらええ」
 村崎は優しく、いつもみたいに頭を撫でた。
「…村崎が教えてくれんの?」
 無邪気な問いに、村崎はびっくりしたあと、笑う。
「…そうやな。
 儂がおらんときに、そう思ってくれたらええなあと思う」
「…ふうん」
「そうや」
 村崎は思い出したように呟き、持っていたアルバムを彼に差し出した。
「お前の友達の写真。
 見て欲しい」
「……友達みんな?」
「ああ」
「村崎も…?」
「ああ」
 頷いた村崎を見上げ、彼はアルバムを受け取った。
 大事そうに抱く。
「じゃ、見る」
「ああ」
「……」
 彼はアルバムを寝台の上に置いて、それからおずおずと村崎を見る。
「…村崎は、もう、帰る?」
 少し不安そうにそう訊いた。
「…いや、まだおる…が、…帰ったほうがええか?」
 律儀に尋ねた村崎に、彼は思いきり首を左右に振った。
「いや。まだおって」
「……そうか」
 はっきり彼がそう言ったことに、村崎はしばらく驚いていたが、不意に瞳を潤ませて笑った。
 嬉しそうに。
「ほな、毎日来るわ」
「ほんま!?」
「ああ」
 彼はよほど嬉しかったのか顔を輝かせて、村崎の手をぎゅっと掴む。
 記憶がないなりに不安だったのは自分にもわかる。
「あ、」
 彼は不意にはた、と口を閉じて、いったん村崎の手を離した。
 村崎に手を差し出す。
「…挨拶、これであってる?」
 不安そうに訊くから、村崎は笑って頷き、手を握り返した。
「よろしゅう」
 村崎の言葉に、またうれしそうに笑った。
「よろしゅう、村崎」



 知らない。
 こんな記憶は知らない。
 村崎は、もっと冷たい目をしてた。
 ろくにしゃべらずに出ていった。
 笑ってくれたりしなかった。
 優しくなかった。
 よろしくなんて、言ってくれなかった。
 こんな記憶、自分は知らない。
 こんなの、自分の記憶じゃない。
 じゃあこれはいったい、誰の。




 あれから毎日、村崎はやってきた。
 暴走の事件から、一週間が経つ。
 相変わらず窓もなにもない部屋で、彼と向き合っている。
 今は、アルバムと村崎が書いた名前を見て、読み方を覚えている最中だった。
「こっちは?」
「ああ、その二人は」
 彼が示したのは夕と優衣、白倉が写った写真だ。
 村崎がノートに三人の名前を書く。
 見せられて、彼は眉を寄せた。
「………兄弟?」
「従兄弟や」
「ああ、似てへんと思った」
 わからん、と彼は呟く。
「名前は?」
「…ゆうい、とゆう?」
「ああ、正解」
「どっちがどっち?」
 まるで子どもだな、と思う。
 記憶がまっさらだから、とにかくなんでも知りたがる。
 村崎は穏やかに笑っている。
 彼の隣、寝台に腰掛けて、優しい眼差しで彼を見ている。
 やっぱり、知らない。
 こんな記憶。
 こんな村崎。
 自分の知る村崎は、ずっと冷たかった。
「しら………くら……………せいじ?」
「ああ」
「ほんまに、全部忘れとる」
「歴史の人物なんかはわかるか?」
「あ、うん」
 彼はそのまま、織田信長など、歴史上の人物の名前を挙げていく。
 間違っている名前はない。
「どういうくくりなんやろうなあ」
「?」
「同じ人間やのに」
 村崎は不意に遠くの壁を見て、呟く。
 切なげな声音に、彼が目を瞠った。
「あ……すまん。
 気にせんでくれ」
「……うん」
 彼は村崎の表情が気になる様子ではあったが、つっこんでは訊かなかった。
「せや」
 彼は唐突に大きな声で言い、笑って村崎を見る。
「村崎って兄弟おるん?」
 無理矢理な話題転換だとは岩永にはわかったし、村崎にもわかったようだが、村崎は普通に微笑んだ。
「ああ、弟が」
「えっと、生まれは東京やんな?」
「ああ。二人は普通の学校に通っとるが」
 前に村崎から出身地や関西弁を使う理由について訊いてあったから、彼は確認して、屈託なく問いかける。
「家に帰っとる?」
「…うーん、大型連休くらいしか帰らへんな」
「……今は?」
 彼は眉を寄せて、そう尋ねる。
 村崎の方が意味がわからず、困惑した。
「大きな事件になっとるんやろ?
 暴走の。
 帰らんでええのん?」
 内容に、村崎の方がうろたえた。
 彼は邪気のない顔で村崎を見上げている。
「気にせんかてええで?
 帰ったら?」
「……」
 村崎はしばらく黙ったあと、つばを飲み込んで、彼を真っ直ぐに見つめる。
「ここに来たら、邪魔か?」
 少し不安げな村崎の問いに、彼は目を瞠って、首を左右に勢いよく振った。
 村崎がホッとする。
「やけど、村崎のご両親とか心配してんのとちがうかと…思って」
「それなら、事件の後すぐにいったん帰ったから、大丈夫や」
「…そっか」
 村崎の優しい言葉に、彼は安心したようだった。
「…」
 俯きかけた彼が視線を少し持ち上げると、ずっと彼を見ていた村崎と合う。
 びっくりしたように瞬きをしたが、彼は視線を逸らさなかった。
 村崎の手がためらいがちに、寝台の縁に置かれた彼の手を握ると、頬に少し赤みが差した。
 いやがったりはしない。
「…会いたいから、会いに来とる。
 それは、迷惑やないか?」 
「…うれしいくらいで。
 …俺の方こそ、毎日迷惑やないかって」
「そんなわけない」
 ホッと息を吐いた彼が、村崎の顔を見て、はにかんだ。
「…会いに来る。
 お前が学校、復帰するまでずっと」
「……」
 なのに、村崎のその言葉に、彼は意味深に黙ってしまった。
 村崎は戸惑ったように、顔をのぞき込む。
「ずっと?」
 すると、彼はそう尋ねた。
「ずっとはずっと?」
「……ああ。
 ずっとや」
「……学校、復帰してからもずっと?」
 真っ直ぐな彼の瞳。
 少しだけ不安そうに揺れていることに気づいて、村崎は強く手を握りしめた。
「ああ。
 ずっと、や」
 村崎がはっきり言い切ると、彼は口元をゆるませる。
「…ここ、おってな?」
「ああ」
「…遠く、行かんでな」
 きっと、こんな部屋に一人で、自分以外誰も来なくて不安なのだ。
 村崎はそう思ったのだろう。
 大きく頷く。
 実際、面会は村崎以外許可が出ていなかった。



 それから何日かあと。
 彼に会って話して、帰る途中の地下都市の通路。
 村崎は不意に足を止める。
「どうじゃ? 様子は」
 九生が壁にもたれて待っていた。
 手を振って村崎に笑いかける。
「いつも通りや」
「いつも、な」
 九生の向かいにいた瀬生が、相変わらずの白衣姿で、眼鏡を押し上げた。
「目立って不安定な様子はないらしいし、このまま行けば他の生徒にも面会許可おりるそうだよ」
「そうか、よかった…」
 村崎はホッと胸をなで下ろす。
「…お前達にも、出てへんのか?」
 九生と瀬生は方舟。方舟のメンバーはたまに彼に会って、経過を調べているし、彼らが会えないということはないはずだが。
「出とるけど…」
「あえて会わないというか」
 歯切れの悪い九生と瀬生の言葉に、村崎は眉を寄せた。
「…あいつが、悪いと思うてんのか?」
「いや、ちがうちがう」
 低い声で問う村崎に、九生が慌てて手を左右に振った。
「俺らは、その、生徒っちゅうか、岩永ともつき合いが浅いわけじゃないしの」
「…?」
「以前つき合いが深かった人間が何人も岩永と接するのは、危険かもしれないからだよ」
 瀬生が淡々と説明する。
 瀬生は元々声の抑揚がない。
「なにが暴走の原因かわかってない。
 今は安定しているとはいえ、解明されてない以上、起因になりそうな可能性はなるべく避けようって話さ」
「………」
 村崎の顔に滲んだ不安にも、瀬生はあまり表情を変えない。
 九生は居心地悪そうにその場にしゃがみ込んだ。
「完全に、安心とはいかないんか?」
「今のところ。
 まあ、このまま面会許可出るとは思うけど、念のため」
 責任があるからね、と瀬生は言う。
「嵐は、なんか……」
「なにもないよ。事故だし、本意じゃないしね。
 ただ、しばらく能力を制御する装置はつけるかもって」
 村崎はあからさまに安堵したようだ。
「白倉たちは心配してる?
 俺達、ここ最近ずっとこっちに缶詰でさ」
「ああ、心配しとる」
「じゃあはやく出るといいな」
 瀬生は薄く笑って言った。
 瀬生なりの、優しい笑顔だ。
 村崎は頷く。
「でも、随分懐いたよね」
 瀬生は不意に話題を変えたので、村崎と九生は一瞬なんのことかわからなかったようだ。
「ああ、岩永がこいつに?」
「そ」
 九生が立ち上がって、瀬生に確認する。
 瀬生は肯定した。
「そら、唯一の見舞客やから」
「にしたって懐きすぎだよ。
 あれはもう恋愛感情あるだろ。まだ十日なのに」
 瀬生の思っても見ない言葉に、村崎は目を瞠って、微かに赤くなった。
「でもさ、彼は子どもじゃないから。
 まあ年齢的に子どもだけど」
「…?」
 村崎は首を傾げるが、まだ少し赤い。
「なに言っとんじゃ?」
「以前より無邪気そうだろ?
 素直だしね。そういう意味さ」
「ああ、こどもっぽいって意味な」
 九生が納得した、と呟く。
「でも、なにもわかってないわけじゃないよ、きっと。
 わかってないふりで、明るく振る舞ってるけど」
「…どういう」
 瀬生は眼鏡をまた押し上げ、視線をきつくした村崎を真っ直ぐ見上げた。
「自分の暴走による被害とか、それで村崎達が怪我したこととか、なかったことにならないってこと。
 罪悪感持ってるとは思う」
「やけど、あいつに責任は…!」
「うん。わかってる。ないよ。
 でも、自分に責任があるって思い詰める性格だろ? 岩永って」
 瀬生の冷静な言葉に、村崎は反論できず、黙り込んでしまう。
「でも村崎には見せないんだと思う。
 自分が悪い。加害者って思ってるから、自分の不安を村崎にぶつけちゃいけないって思ってると思う。
 本当は、村崎に会って言いたいことは、他愛ない話とかじゃないんじゃない?」
 瀬生はあくまで淡々と口にした。
「本人が言いそうにないから、代弁してみた」
 無茶するよね、と瀬生は言う。
 壁により掛かったままの瀬生と九生を見下ろし、村崎は息を飲んで、すぐに来た道を引き返した。
「たきつけた?」
「だって、きついと思うよ。
 出られなくて、村崎にすら吐き出せないのはさ」
「…案外優しいの」
「…単純に俺が見ててきつい」
 村崎がいなくなった通路で、瀬生は天井を見上げて呟く。
「岩永、すっごくはやく村崎に懐いたじゃない」
「またその話か?」
「呟きだから聞き流して」
 そう言いながらも瀬生は黙らない。
 九生は内心、ただ訊いて欲しいんだなと思った。
「消えたのは、もしかしたら記憶だけなのかも」
「…記憶だけ?」
「九生」
 瀬生は真剣な顔をして、九生を見る。
「記憶と感情は、別物だと思う?」



 部屋に駆け込んできた村崎に、彼は目を瞠った。
「どないしたん?」
 不思議そうな様子だ。
 村崎はあがった息を整える余裕もなく、彼の前に立つ。
 いつも通り、寝台に腰掛けた姿。
「お前、儂に言いたいことはないか?」
「……?
 会ったときに言うてるけど」
 彼は本気でそう思っている顔だ。
 でも、岩永にはわかる。
 この記憶がなんであれ、あれは自分に違いない。
 自分自身だからわかる。
 自分は、病的に嘘がうまいんだ。
 特に、自分の弱みを隠すための嘘は。
「…ほんまに、ほかに言いたいことはないか?」
「…うん」
 素直にこくりと頷く。
「ほななんであんなことを言った?」
 今、瞬きが一瞬止まった。
 きっと、動揺しはじめてる。
「不安そうに、…遠くに行くはずがないやろ?
 ずっと、傍におりたいから、会いに来とる。
 儂の都合や」
 瞳が大きく開いて、揺らいだ。
「……遠くに行くと、思うんか?」
 彼はすぐに首を左右に振ったが、そのまま俯いてしまう。
 唇をかみしめた。
「…行くかもしれん」
「…なんでそう思う?」
「やって」
 彼は顔を上げて、村崎の右腕を指した。
「怪我、俺のせいやろ?
 白倉たちが会いに来れへんのも、もっと大けがしとるからやない?」
 村崎は一瞬言葉を失った。
 白倉が大けがをして、来れないのは事実だ。
「…壊滅させたって、それで、死傷者がおらんほうがおかし…」
「誰も死んどらん」
「でも、怪我人はいっぱいおるやろ」
 間髪入れない彼の言い分には、なにも返せない。
「…俺のせいやないって村崎もみんなも言うけど、…心の中ではわからん。
 …やって、頭ん中、なんもない」
 彼は自分の顔を手で押クゼて、呟くように言う。
「…楽しい思い出も、悲しいのも、なんも。
 わからんから、怖い。
 …ほんまは、みんなが」
 とてもとても、小さな声だった。
 聞き逃しそうな、消えそうな。
 村崎が悲しそうに、顔を歪める。
 本当は、みんなが、怖い。
 今から、一から、生きていくことが怖いと、そう言った。
「…嫌われとるかもしれんし、怖がられとるかもしれん。
 やって、そんな怪我負わせて」
「お前のせいやない!」
 村崎は堪えきれないというように、大声で断言した。
 びっくりして顔を上げたその茶の瞳は濡れている。
「それなら、儂はお前の様子がいつもと違ったのに、わかっとったのに止められんかった。
 意地でも止めてたら、お前はこないなことにならずに済んだのに、儂は止めへんかった」
 彼はゆっくり、首を横に振る。
 村崎のせいじゃない、と。
「同じや。
 お前も、儂も、自分ばっか責めて。
 …お前は、悪うない。
 お前が儂にそう思うように、儂もそう思う」
 そっと伸ばされた村崎の手が、彼の頬に触れる。
「…儂だけは、そう言ったる。
 心から思ったる。
 …やから、怖いなら、ずっと傍におったらええ」
「……」
 喉が鳴った。
 涙が頬を流れる。
「…ずっと、やで?」
「ああ、ずっと」
「…遠くに、行かんで、ずっと」
「…ああ」
 村崎はとても優しく微笑んで、彼を抱きしめる。
「…好きや。
 嵐。
 ずっと、一緒や」
「……うん」
 村崎の胸にすがって、嗚咽を漏らすその背中を、村崎はきつく抱いていた。
「…俺も、多分、…すき」
「ああ、…うれしい」
「……」
 次から溢れてくる涙を拭って、見つめ合ったあと、互いの額を合わせた。
 間近で微笑むと、彼がやっと笑った。
「………静流」
 そうためらいがちに呼んだ名前に、村崎はとても嬉しそうに、泣きそうに笑った。




「村崎くん!」
 背後から呼び止められて、村崎はすこし驚きながら振り返った。
 寮の廊下に佇んでいたのは、流河だ。
 久しぶりに見た。
「怪我はもうええんか?」
 心配そうに尋ねると、流河はピースサインをして笑う。
「もうすっかり!
 ご心配おかけしました」
 明るいいつもの流河だ。
 村崎はホッとした。
「それより、村崎くん、毎日岩永くんに会いに行ってるんでしょ?
 どう? 様子は?」
 元気?と屈託なく訊く流河だったが、顔に少し不安が滲んでいた。
 村崎は一瞬口を開きかけて、言いかけた言葉を息と一緒に飲み込む。
 そして柔らかく微笑んで頷いた。
「元気やで。
 お前らにも会いたがっとった」
「そっか。
 あーあ、俺にも早く許可出ないかなあ」
 流河は気づかなかったようで、笑っている。
「白倉くんがアルバム渡したって訊いたけど、俺も渡したいものあるんだよ」
「あるなら渡すぞ」
「えっ、いいの?」
「ああ」
 流河は目を瞠って、それから素早く身を翻した。
「ちょっと待って! とってくる!」
「ああ」
 大急ぎで傍の自室に飛び込んで行った。
 村崎は顔から笑みを消して、嘆息を吐く。
 胸の中で、言わなくちゃと思うのに。
「お待たせ!」
 予想以上の速さで流河が戻ってきたため、驚いて顔を上げた。
「なに、そのびっくり顔。
 はい」
 流河は村崎の思ってもみないリアクションをおかしそうに笑いながら、持ってきた本を差し出す。
 ハードカバーの一冊の本。
「……御園が読みそうな本やな」
 表紙からしてラブロマンスだったから、率直な感想が口をついた。
「それね、岩永くんが好きな作家さんの新刊。
 岩永くん、前からチェックしてて、発売日当日に買ってくるって言ってたくらい」
「…ああ」
 そう言われてみれば、作家の名前に見覚えがある。
 岩永がよく読んでいる本の作家の名前だ。
「…発売日、もしかして今日か?」
 ふと気づいて、つっこんでみると、流河の顔が微かに赤くなった。
「いや、楽しみにしてたからさ、今買いに行けないだろうしって!
 …別に朝イチで買ってきたわけじゃないよ?」
「そうか…」
 必死で否定する流河を見下ろし、少し残念そうに言うと、流河はまたかあっと赤くなって、小さな声で、
「…いやまあ、開店同時には行ったけど」
 と白状した。
 村崎の頬が思わずゆるむ。
「わかった。
 嵐にはありのまま言うとく」
「うわー、あとで笑われる」
 流河は「だと思った!」と騒ぐが、顔は笑っている。
 嫌がってはいない。
「ええやないか。
 嵐なら嬉しそうに笑うで。お礼つきで」
「それはうれしいけど、なんか照れくさいよ…」
 流河は赤い顔を俯かせながら呟くように言い、顔に手を当てる。
「…ま、岩永くんが喜んでくれるならいいか」
「そうやな。喜ぶ」
「…ならいーや」
 流河は照れたようにはにかむ。
 まだ赤い頬。
「今度はなに買おうっかな。
 ケーキとかは駄目なんだっけ?」
「買ったその日に渡すならええんやないか?」
「よし。じゃ明日買ってくる」
「…『今度』やないんやな…」
 随分すぐの話やなあ、と村崎は笑った。
 でも、嬉しくはある。
 流河の気持ちが。
 だからこそ、苦しくもある。
「そうや。
 訊きたいことがあったんや」
「うん? なに?」
「なに買ってったらええかな?」
 流河はまだ少し赤みの残った顔で、不思議そうに首を傾げた。
「いや、今度お守り買ったらっちゅうたやないか?
 今日、買って持ってこうと思って」
 真桜市には神社が一つあるし、大きな神社だ。
 そこで買っていけばいいと思った。
「ああ、そうだね」
 流河もその会話を思い出したのか、少しだけ複雑そうだったが、笑ってくれた。
「やけど、なんのお守りがええやろう?
 合格祈願とか交通安全とか安産祈願とかは違うやろ?」
「…まあ、ウケ狙いにそういうの買ってく人はいなくはないけど、やめたほうがいいね」
 流河はいつものちょっと呆れた時のトーンで言ったあと、くすりと笑みを漏らした。
「家内安全とか、無病息災あたりじゃない?」
「…まあ、そやな」
「なんなら、俺も一緒に行く!
 今決めた」
 流河は唐突にそう言って、手を頭上に挙げた。
 気合いを入れるように。
「お守りくらい買える」
「そうじゃない。
 岩永くんの代わりってことで、おみくじ引いてくるの。
 それも岩永くんに渡してよ。
 大吉引くからさ」
「…ああ、お前なら引きそうやな」
「でしょ。任せといて!」
 楽しそうに宣言して、流河は急いで自室に足を向ける。
「じゃ、準備すぐにするから待ってて」
「ああ」
 子どもみたいにはしゃいだ流河の姿を見るのは珍しい。
 まだ子どもだしなあ、と思って笑って、また気分は沈んだ。



 地下都市の入り口で流河とは別れた。
 特別棟に向かっていると、廊下で瀬生と出くわす。
 彼は相変わらず白衣だ。
「随分おみやげいっぱいだね」
 村崎が持っている荷物をさして、淡々と言う。
「ああ。流河に頼まれたからな」
「そう」
 納得したような声。
 そのまま通り過ぎていくと思ったが、瀬生は村崎の顔をじっと見た。
「いつ言うんだ?」
 唐突な言葉に、村崎は一瞬戸惑ったが、なんのことだかはすぐにわかってしまった。
 表情が引きつる。
「先生たちの配慮で、岩永が記憶を失ったことはまだ村崎以外に知らせてない。
 だから君が言うべきなんだけど、いつ言うんだ?」
「……」
 なんと返したらいいか、見失いかける。
 それはずっと自分の胸の奥にあった。
 言おうと思って、でも、流河や優衣、白倉や夕が笑うたび、言えなくなっていって。
「君自身が体感しただろう?
 待ち望んだほどに、知った時のショックはでかいんだ。
 岩永の記憶はもう戻らない。
 言うべきなんだ」
 瀬生の鋭い言葉に、気圧された。
 けれど、頭に引っかかった言葉に、村崎は眉を寄せる。
「……戻らない?」
 瀬生は今、そう言った。
 岩永の記憶が戻らない、と。
 呆然とした村崎の顔を見上げて、瀬生ははっきり口にする。
「ああ。
 九生や、テレパス系の能力者で隅々まで調べた結果だけど、彼の脳には記憶が一切残ってない。
 忘れた、じゃなくて、消えた、なんだ。
 暴走キャリアに喰われたんだから、残ってるほうがおかしいしね。
 だからもう一生戻らない。
 だから、待ったって意味はない」
 頭を殴られたどころの衝撃じゃない。
 呼吸すら忘れた。
 だって、戻ると思っていた。
 いつか、少しずつでもいいから。
 思い出すんだと。
「流河たちも、いずれこの事実に直面する。
 なら、いきなり岩永に会うより、君の口から訊いたほうがいい」
「………」
 だって、岩永は笑っている。
 自分に無理をして、明るく。
 どこも、自分の好きな彼と変わらない。
 無茶しがちで、他人思いで、もろい。
 どこも変わらない。
 流河も、白倉も、夕も、優衣も、笑っていた。
 早く会いたいと言って。
 彼らだって、岩永に記憶がないからと見放す人間じゃない。
 優しい人たちだから、きっと悲しんで、でも今の彼を受け入れて、傍にいるだろう。
 だからこそ、ショックだった。
 もう戻らないなんて、あんまりだ。
「村崎。
 君だけ面会許可が下りた意味を考えてる?
 外からの影響を最小限にするためでもあるけど、それだけ君が岩永にとって特別だからだ。
 その絆は切っても切れない。
 それでいいだろう」
 自分より低い瀬生の頭を見ていた視界が、不意に歪んだ気がした。
 悔しいような、とても悲しいような、気持ち。
「…なんで、そない簡単に言う」
「…だって、言い方は関係ないだろ?
 事実は変わらない。
 重苦しく言えばいいのか?」
「そうやない」
 本当はそうかもしれないけど。
 瀬生がもうちょっと、自分みたいにショックを受けていればこんな怒りは沸かなかったかもしれないけど。
「お前は悲しくもなんともないからやな」
「…ちょっと、聞き捨てならないよ」
 瀬生が不愉快げに眉を寄せたのを、いい気味だとすら感じた。
「どこが?
 儂らとちごて、第三者の立場で語れるやろ。
 それほど嵐と親しかったわけでもない。
 高みの見物してられるやつは暢気でええな」
「……」
 低く刺々しい口調で吐き捨て、言葉を失った瀬生に背中を向けて歩き出した。
 村崎がいなくなった廊下に残されて、瀬生は呆然としながら呟く。
「…間違ったこと言ってないだろ」
「そうだね」
 背後から響いた高い声に、思わず声を上げて飛び退いてしまう。
 その様子を楽しそうに笑ったのは、いつの間にかいた九生ともう一人の方舟メンバーだった。
「…お前ら、いつの間に…」
「さっきだよ。
 気づかないんだもん」
 もう一人の方舟メンバーこと、東宮はくすくす笑っている。彼も同じく、高校生ながらに方舟メンバーに選出された天才だ。
「確かに、君の言ったことは間違ってないよ。
 流河たちだって、いつか知ることだし、岩永の記憶がもう戻らないことだって、村崎はいつか知っただろう」
「じゃあ…」
 九生が瀬生を見上げて、少しきつい目をする。
「ただ、言い方を間違ったの。
 お前さんが言ったんじゃ。
 何事も前置きがあったほうが衝撃は少ない。
 あんな唐突に、記憶が戻らんなんて告げたらそら衝撃半端ないじゃろ」
「……………」
 九生の言葉に、今頃そうだと気づいたのか、瀬生は言葉をなくす。
「自分が論理的な人間なんはええと思っとるが、感情に無頓着でもないじゃろ。
 なにを焦っとる」
「………だって、もうすぐ、村崎以外にも面会許可が出るって訊いたから」
 瀬生は少し沈んだ様子で、なんとかそう説明する。
 それでらしくなく慌てたのか。
「それならそう村崎に説明したらよかったんだよ。
 流河たちが心配だったんだって。
 そうしたら、村崎だってああは言わなかったよ」
「……そうだね」
 優しい東宮の口調に、瀬生は静かに頷いた。
「大丈夫だって。
 流河たちだって、それで離れてく馬鹿じゃないし」
「…だから、焦ったんだよ」
 そんなのわかってる。
 優しいって知ってる。
 だから、心配だったんだ。
 瀬生はそう言いたい気がして、東宮は笑った。



「静流!」
 部屋に入ると、岩永はすぐに寝台から立ち上がって、駆け寄って来た。
 嬉しそうに微笑んでから、村崎の顔を見て、真剣な表情をする。
「なんか、沈んどる?」
 鋭い岩永に、村崎はどきりとしながら、笑って否定した。
「なんもない」
「…嘘やん。
 なんか無理しとる」
 岩永はごまかされない、と言いたげだ。
 瀬生の言葉が頭の中を巡る。
 いつかは、思い出してくれると思っていた。
「…静流。
 今の俺には、話せない?」
 でも、彼を見て気づく。
 だからって、誰も彼から離れてはいかないだろう。
 白倉も夕も、流河も優衣も、自分も。
「…嵐」
「うん」
 岩永の頬に手を伸ばして触れる。
「お前は、忘れた記憶が欲しいか?」
 気持ちよさそうに目を細めた岩永は、目を瞠ったあと、柔らかく微笑んだ。
「そら欲しいけど、でもないならないでええ」
「なんでや?」
 自分の手を持ち上げて、頬を撫でる村崎の大きな手に添える。
「欲しいって必死になって、それを静流より優先させるくらいなら、いらん。
 静流は欲しいかもしれんし、俺も欲しいけど…静流と一緒におるのとどっちがええって言われたら、いらん」
 笑って答えた岩永は、きっと知っていたのだ。
 ずっと前に。
 もう、記憶が戻らないことを。
 だから怖がっていて、でも自分といたいと言ってくれた。
 自分の傍で笑っていてくれた。
「…そうやな」
 泣きそうな笑みがこぼれた。
 岩永を抱きしめる。
「お前が生きてて、無事なら……たいしたもんやない」
 彼が無事で、生きていて、ここにいて、自分を好きだといってくれるなら。
 記憶は、そんなに重くはない。
 そう思えた。
「……そうや」
 しばらく抱きしめていたが、不意に思い出して彼を解放する。
 持ってきた鞄の中から、流河が買ってきた本を手渡した。
「流河が、お前がほしがっとった本やからって」
「…ほんま?
 おおきに」
 岩永はうれしそうに笑って受け取る。
「流河にも言うといて」
「ああ、必ず伝える」
 大事そうに腕の中に抱きしめた岩永を見て、暖かい気持ちが沸く。
 記憶がなくても、戻らなくても、彼が愛しいことに変わりはない。
「あと」
 ポケットから二つのお守りを取り出して、岩永に差し出す。
「…お守り?」
「ああ。結局二つ買うてしまったんやが」
 結局どっちがいいかわからなくて「家内安全」と「無病息災」を両方買ってきた。
「…おおきに!」
 岩永はとても嬉しそうに笑う。
 それだけでいいと思えた。
「…この紙は?」
 村崎の手にお守りと一緒に乗っていた小さな紙を見て、岩永は手に取る。
 流河が引いたおみくじだ。
「……小吉」
「…ああ。
 本人は大吉を引くと息巻いとったんやが、何度引いてもそれで」
 いつも大吉を引く流河は、今日に限ってなぜか小吉ばかりで、本人もへこんでいた。
 流河は「いいよ渡さなくて。また明日チャレンジするから」と言ったが、これで充分価値があると自分が持ってきたのだ。
「…やけど、流河がお前のこと思って引いてきたから、もらってやってくれ」
「……」
 岩永はまじまじと紙を見て、それからぎゅっと手のひらで優しく包んで、とても綺麗に微笑んだ。
「うれしいって、言うといて。
 大事にする」
「…ああ、きっとあいつも喜ぶ」
 記憶が戻らなくてもいい。
 また一からでもいい。
 作っていけばいい。
 思い出を、絆を。
 それでいい。
 一緒にいられればそれでいい。
 笑う彼が、そこにいるなら。
 それでいいのだと、そのときは、嘘偽りなく思っていた。
 そのとき、確かに自分は幸せだった。
 まだ薄暗い闇の中で、空からやっと差し込んだ月明かりに必死に手を伸ばして、それでも。
 自分たちは、幸せだった。




「今日は土産がある」
 部屋に入ってきてすぐそう言った村崎に、岩永は目を丸くしてから、笑った。
「最近ずっと、それなんやけど」
「そうやったな」
 村崎も自覚していたので、笑う。
 ここ最近、村崎にいろんな土産を渡す友人が多い。
 岩永に渡してくれ、と言って。
 そして決まってみんな、次に「いつ面会許可出る? 村崎はいいなあ」と言う。
 村崎はそのたびに嬉しくて、暖かくて、そして後ろめたかった。
 まだ、誰にも言えていない。
 岩永の記憶がないことを。
 持っていたビニール袋を岩永に渡すと、岩永は嬉しそうにはにかんで受け取った。
「誰から?」
「夕から」
「ああ」
 岩永は完全に友人たちの名前と顔を覚えたのか、すぐに誰かわかったようで、微笑む。
「夕は律儀やな」
「ここ毎日ずっとやもんな」
「白倉もやけど」
 岩永はそういう性格なんやなあ、と呟く。
 満更でもないように。
「優衣は時々やけど、毎回本とか高そうな紅茶とか」
「あいつはそういう性格なんや。
 量より質みたいな」
「従兄弟なのに逆やなあ」
 そう言った岩永に、村崎はいつものように「いつもそう言われとる」と返す。
 寝台に腰掛けた岩永の隣に座って、「開けてみろ」と促す。
「…クレープ?」
「みたいやな」
「……ええ加減体重が気になる」
 女みたいなことを言った岩永に、村崎は思わず吹き出した。
 恨めしそうに岩永に見られて、謝った。
「やって、誰かしら甘いもん持ってくるから…。
 運動できひんし…さすがに気になるっちゅうか」
「確かに、買ってきたんは別の人間でも、誰かしら甘いものを渡すからな」
 村崎は「しゃあない」と笑う。
「甘いものは見舞いの基本やからな」
「…そらそうやけど」
 そう言いながらも、本心から嫌がってはいないのか、岩永の顔はゆるんでいる。
「学校、復帰したらたくさんお礼言わな」
「…そうやな」
 一瞬、反応が遅れてしまった。
 まだ、誰にも言えていない。
 彼の記憶がないこと。
「静流、一緒に学校行ってくれる?」
 少しだけ不安そうに岩永が笑う。
 その手を握って、頷いた。
「ああ。当たり前や」
「よかった…」
 岩永はホッと息を吐く。
「おかしいやろ?
 こんだけたくさんお見舞いもろて、みんなが優しいんわかっとるのに、…やっぱ怖いねん」
「…大丈夫や」
 胸に引っかかる、罪悪。
 自分が彼らに言えばいいんだ。
 言わなければ、会った時に岩永が一番気に病む。
 だから、彼らの笑顔を曇らせる役は、自分がやるべきだ。
 大丈夫だ。
 それで離れていく奴らじゃない。
 わかっているのに、怖い。
 それは、きっと、自分が一番わかっているから。
 岩永が記憶を失ったと知ったときの痛み。
 もう戻らないと知ったときの傷み。
 あの絶望の重さを、知っているから、わかっているからこそ。
 言えない。
 時間の問題だとわかるのに。
「…明日な、」
「うん」
 口を開くと、岩永は顔を上げて、素直に村崎の方を見た。
 ためらいが、言葉を迷わせる。
「………面会許可出るらしいから」
 たったそれだけ言うのに、勇気が要った。
 相当な勇気が。
 指先が震えそうで、堪えた。
「…みんなと?」
「ああ」
 岩永は何度も瞬きをして、それからてっきり嬉しそうにはしゃぐのだと思った。
 けど、不安そうに、悲しそうに顔を歪めて、視線を落とした。
「…嵐?」
「…やっぱ、会うのは怖いなあ」
「…」
 自分がいる。
 そう言えばいいのに、言えなかった。
「……俺が記憶ないって知ったら、みんな静流みたいな顔すんのかな」
 岩永の口から当たり前みたいに落ちた言葉に、村崎は目を瞠る。
 遅れて、衝撃がやってきた。
「……知っとったんか?」
 かすれた声が口をつく。
「…静流、さっき、あんまり嬉しそうやなかったから」
 そうなんかなあ、って鎌かけた。
 岩永は自分を見ないまま、そう言う。
 その寝台に置かれた指先が震えている。
 胸がひどく痛んで、その指先を上から包んだ。
 一番、辛いのは彼だとわかっていたはずだった。
 一番、記憶を失って、怖いのは、不安なのは岩永だとわかっていたはずだった。
 わかっていたつもりだった。
 本当につもりだった。
「…大丈夫や」
 本当は怖いし、心細いし、不安だ。
 それでも、しっかりとその手を握って言った。
「…儂が言うから」
 岩永がそろりと自分を見上げてきた。
「ちゃんと言うから。
 お前はなんも心配すんな」
「……」
 目を瞠った岩永に、優しく微笑みかける。
「いつも、不安にさせてまうな…。
 すまんな」
「…」
 謝ると、岩永は首を左右に振る。
「…これからは、がんばるから」
 彼の茶色の瞳を見て、誓う。
「これからは、お前の不安が少しでも減るように、がんばる」
「……ずっと?」
 岩永は握られた手のひらを、軽く握って、そう尋ねる。
「…ああ。
 ずっと。
 お前が寄っかかれるように、強うなる」
「……」
 今度は、少し泣きそうに笑って、首を左右に振った。
「もう、充分、静流は、…強い。
 寄っかかってるもん」
「…もっとや。
 一度も、お前が不安に思わんで済むように」
「…不安になってもええ」
 村崎の瞳を真っ直ぐ見つめて、彼は微笑む。
「不安になっても、傍におってくれるなら、それでいやされる…」
「…ああ」
 その言葉に、救われたのは自分だ。
 岩永に必要とされることが、その傍を居場所にしてもいいことが、泣きたくなるくらい嬉しくて、幸福だった。
「…傍におる」
 必死に誓った。
 記憶が戻らなくてもいい。
 それでも、傍にいてくれるならいい。
 傍にいさせてくれるなら。
 笑っていてくれるなら。
 それで、幸せだ。
「…あ、そうや」
 岩永はふと思い出したように、ポケットからなにかを取り出した。
「…これ」
 岩永の手のひらに乗っていたのは、自分が渡したお守りの片方。
 無病息災の。
「…いらんかった、か?」
 少し動揺して尋ねると、岩永は思いきり首を左右に振った。
「いや、俺、まだ外出られへんから。
 普通に出られるようになったら、ちゃんと自分で買うてくるけど、今はあかんから。
 その、…静流も、心配やから…」
 彼は必死に言葉を紡ぐ。
 要らないとかじゃない、と。
「…やから、俺が傍にずっとおるみたいに…。
 静流からもらったもんやから、変やけど」
 ものすごく賢明に伝えようとする岩永の顔は真っ赤だ。
 その瞳を見つめて、思わず笑みがこぼれた。
 うれしくて、笑ってしまう。
「…おおきに。
 大事にする」
「…御利益ないかもしれんで」
「どっちやねん」
 もらって欲しいんか嫌なんか、とからかうと、岩永は慌てて「あるからもらって」と言う。
 おかしくて、すごく胸が暖かくて、受け取った。
 手のひらで大事に包んだあと、不意に気づいた。
「もしかして、中身見たか?」
 彼が、自分が買ってきたお守りをそのまま自分に渡すとは思えない。
 なにか少しでも岩永の思いの代わりになるようなものが入っていない限りは。
 それで、自分が家内安全のお守りに入れた紙を思い出す。
 案の定、岩永は真っ赤になった。
「…や、偶然やな」
「そうか」
「……」
 村崎もちょっと照れくさくて、頬が赤らんだ。
「ほな、嵐も入れてくれたんや?」
「………」
 でもそうなら、この中には岩永の思いが入っている。
 それだけで、自分が買っただけのお守りとは大きく存在が違う。
 価値が違う。
 それだけで、とても大事なものだ。
「……うん」
 岩永は耳まで赤くして俯いたまま、どうにか頷く。
 顔がにやけそうになって、口元を押クゼた。
「大事にする」
「…うん」
「中、見てええか?」
 そう訊くと、岩永は勢いよく自分を見上げた。
「あかん!」
「嵐は見たやないか」
「静流はあかん!」
「…恥ずかしいこと書いたんか?」
 意地悪なことを言うと、岩永は言葉を失って、首を左右に振る。
「…でも、俺は恥ずかしい」
「…どっちやねん」
 笑ってそう返しながら、村崎はどっちでもいい気がしていた。
 中を見ても見なくても、このお守りに岩永の思いが詰まっているなら。
 それでいい気がした。
「…ありがとうな」
 うれしさに微笑んで告げると、岩永はホッと息を吐いて、それからはにかんだ。
「そういえば、流河のおみくじは?」
「この中」
 岩永はポケットから家内安全のほうのお守りを取り出す。
「そのほうが安全かなって」
「そうやな」
「…あとで、絶対自分で買うから」
 恥ずかしそうに言う岩永の顔を見つめて、そっと抱きしめる。
「…楽しみにしとく」
 本当はこれで十分すぎるけど。
 嬉しかったから頷いた。
 彼と、未来の約束が増えていくのはうれしい。
 だから、頷いた。



「いよいよ明日だね」
 寮に帰ると、テンションの高い流河が出迎えた。
 明日、岩永に会えると思うとじっとしていられないのだろう。
「…夕や白倉はんは?」
「買い物に行ったよ。
 岩永くんへの」
 ということは、姿の見えなかった優衣もか。
「…今日もお見舞い買ってきたんに」
 岩永も言っていたことを笑いながら口にすると、流河は嬉しそうに笑った。
「やっと会えるんだよ?
 だから、とびっきりのを」
「…お前も用意しとるんやな」
「当たり前」
 にこにこと笑んだ流河を見下ろして、村崎は拳を握りしめる。
 言わなくては。
 約束したんだ。
 自分が言わなくちゃ。
 大丈夫だ。
 彼らは優しい。
 きっと、岩永の傍にいてくれる。
「…流河」
 意を決して口を開いた瞬間、村崎の鞄の中で、聞き慣れた着信音が響いた。
 携帯だ。
 勢いをくじかれた気がしながらも、どこかでホッとしている自分がいて、嫌だなと思う。
「鳴ってるよ」
「ああ」
 流河に言われて、緩慢に携帯を取り出す。
 画面に映っているのは「非通知着信」の文字。
 非通知でかけてくるのは、NOAのスタッフくらいしかいない。
 嫌な予感が、なぜかした。
 通話ボタンを押して、耳に当てる。
「はい、村崎です」
 電波の向こうで、聞き慣れたスタッフの声が言う。
「……」
 声を失った。
 だって、笑っていた。
 今日も、帰るまでずっと、笑っていた。
 なにごともなく。
「…すぐ行きます」
 かすれた声で言い、携帯を閉じて流河に背中を向けた。
「…村崎くん、岩永くんになにかあったの?」
 鋭い流河の、不安そうな声に、足を止めた。
「…」
 なにもないと嘘はつけなくて。
 でも自分もまだわからないから、なにも言えなくて。
 結局なにも言えずに走り出した。
 流河は自分の名前を呼んだけど、追ってこなかった。



「君が帰ってすぐ、意識を失って、目を覚まさない。
 ただの、体調不良かもしれないけど」
 電話の、スタッフの声が頭をリフレインする。
「村崎」
 地下都市で出会った九生が、持っていた腕輪を差し出した。
「これは?」
「お前の超能力が周囲に漏れんようにする制御装置。
 なにが起こっとるかわからんから、影響がないように」
「…わかった」
 受け取って、自分の左手首にはめる。
「あんまり、思い詰めんなよ」
 九生の言葉も、頭に入らない。
 いつも来ていた部屋の寝台の上。
 一見して眠っているだけに見えた。
 近寄って、傍の椅子に腰掛けた。
 その手を握りしめる。
 今日、同じように繋いだ時は、彼は笑っていた。
 起きていた。自分を見ていた。
「……嵐」
 頼むから、起きてくれ。
 なんでもないと言ってくれ。
 怖い。
 お前を失うのは、嫌だ。
 一緒にいると誓った。
 遠くに行かないと誓った。
 だから、お前が遠くに行かないでくれ。
 遠くに行かないと、言ったじゃないか。
 だから、お願い。
 ここにいて。
 必死に祈った。
 祈る神なんかいないけど、がむしゃらに祈った。
 ただ必死だった。
 どのくらい時間が経ったか、感覚がなかった。
 何度かスタッフが顔を見せたと思う。
 自分を心配していた。
 それくらい、時間が経った。
 ああ、流河達は心配してるだろうか。
 きっと、もう明日になっている。
 やっと会えると、あんなに楽しみにしていたのに。
 窓のない部屋では、なにもわからなくて。
 不意に握っていた指先が震えた。
 反射的に顔を上げて、彼の顔を見下ろした。
 ぼんやりと開いた瞳が、宙を見ていた。
「嵐…?」
 安堵するより、怖かった。
 なぜか、怖かった。
 岩永はしばらくぼーっと宙を見ていたが、不意に自分の方を見て、目を瞠った。
「……なに?」
 不思議そうな問いかけ。
「…いや、お前が…」
「ここ、なに?」
 子どもみたいな問い。
 意味がすぐにわからなかった。
「…あんたは、だれ?」
 邪気のない問いを、うつろな瞳を、向けられたのが自分だと理解したくなかった。
 記憶は重くないとあのとき本当に思った。
 だって、二度目があるなんて夢にも思わなかったから。
 また、彼が自分を忘れてしまうなんて、思わなかったから。
 また、自分が消えてしまうなんて。
 幸せだった。
 本当だった。
 あのままずっと一緒にいられると思っていた。
 幸せだった。
 本当に、自分たちは幸せだった。
 ――――幸せだったのに。

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薬師のロベルト・シルベスタは偉大な師匠(神様)の教えを終えて自領に戻ろうとした所、異世界勇者召喚に巻き込まれて、周りにいた数人の男女と共に、何処とも知れない世界に落とされた。  ─── からの~数年後 ──── 俺が此処に来て幾日が過ぎただろう。  ここは俺が生まれ育った場所とは全く違う、環境が全然違った世界だった。 「ロブ、申し訳無いがお前、明日から来なくていいから。急な事で済まねえが、俺もちっせえパーティーの長だ。より良きパーティーの運営の為、泣く泣くお前を切らなきゃならなくなった。ただ、俺も薄情な奴じゃねぇつもりだ。今日までの給料に、迷惑料としてちと上乗せして払っておくから、穏便に頼む。断れば上乗せは無しでクビにする」  そう言われて俺に何が言えよう、これで何回目か? まぁ、薬師の扱いなどこんなものかもな。  この世界の薬師は、ただポーションを造るだけの職業。  多岐に亘った薬を作るが、僧侶とは違い瞬時に体を癒す事は出来ない。  普通は……。 異世界勇者巻き込まれ召喚から数年、ロベルトはこの異世界で逞しく生きていた。 勇者?そんな物ロベルトには関係無い。 魔王が居ようが居まいが、世界は変わらず巡っている。 とんでもなく普通じゃないお師匠様に薬師の業を仕込まれた弟子ロベルトの、危難、災難、巻き込まれ痛快世直し異世界道中。 はてさて一体どうなるの? と、言う話。ここに開幕! ● ロベルトの独り言の多い作品です。ご了承お願いします。 ● 世界観はひよこの想像力全開の世界です。

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