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第十章 Butterfly Effect
第二十三話 Butterfly Effect
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あの日のことを思い出す。
思い出すたびに、胸が張り裂けそうになる。
どうして、自分だけが。
そう、己を責めて責めて、死にたくなるから。
新緑の眩しい季節。夏の始め。
村崎に手を引かれて保健室に行くと、保健医がいて自分に話を聞いた。
どう具合が悪いのかとか。
でも、どうとも言えなかった。
体調不良とは違うと、ぼんやりわかっていた。
村崎もそれは察していたらしく、ずっとそばにいてくれた。
保健医が詳しく調べるためにほかのスタッフを呼びに行って、保健室に二人きりになった。
当時、暴走キャリアのことは誰も知らなかった。
だから、保健医も自分に起きている異常がなにかわからなかったようだ。
静かだった。
まだ試合中なのに、保健室はひどく静かだった。
寝台の縁に腰掛けている自分の頭を撫で、村崎は隣に腰を下ろした。
優しく頬に手を当て、大丈夫だと言うように抱きしめる。
そのとき触れた暖かい体温を、苦しいほどに思い出せる。
頬に当たる胸元から、彼の匂いがした。
彼の鼓動を感じた。
しばらくして、廊下を走る足音が聞こえてきた。
保健医かと思ったが、どうやら違う。
保健医は女性で履いているのはヒール。
響いているのはシューズの音だ。
唐突に保健室の扉が開いて、優衣が顔を覗かせた。
「大丈夫か?
具合が悪いって聞いたから」
「優衣…」
抱き合っていた自分たちにも特に驚きを見せず、彼は近寄ってきた。
村崎から身を離すと、優衣の手が額に当てられた。
「熱とかやないんや」
「あ、そうなん?」
村崎の説明に優衣は目を瞠る。
「超能力の影響か?」
「わからん。
でも、キャリアかもしれん」
「ああ」
優衣は腕を組み、考え込む。
「まあいざとなったら化野に聞けばええやん。
あいつの方が確かやで」
「ああ、そうやな」
その言葉に村崎は苦笑する。
確かに下手なスタッフより、化野の見立ての方が信頼できる。
「あいつ今試合中やし、ここにおっても仕方ないなら見に行くか?」
「…誰と試合なんや?」
「流河」
村崎の問いに優衣は可笑しそうに笑って答えた。
「流河も不運やんなあ。
今朝、絶望したような顔しとったもん」
「笑ってやるな。可哀相やから」
村崎は苦笑して言い、自分の頭を軽く撫でた。
「大丈夫なら行くか?」
「……うん」
自分自身、これがなにかわからず困惑していたので、早く原因を知りたかった。
村崎の方を向いて頷き、立ち上がる。
「言ったら悪いけど、速攻で終わってそうやし」
かすかに笑みを浮かべて言ったら、優衣は気の毒そうな顔をして、
「いや、久しぶりにそこそこ歯ごたえのある相手ってことで、手加減しつついたぶられとる…」
と言いにくそうに言った。
「…………哀れな」
村崎がぼそっと呟いた。
三人で並んで廊下を歩く。
村崎はずっと優しく手を繋いでいてくれた。
不意に校舎が大きく揺れる。
一度大きく揺らいで、続けて数回また揺れた。
「うわっ!」
優衣がよろけて壁に手を突く。
倒れそうになった自分を抱きかかえ、村崎はその場にしゃがみ込んだ。
「な、なんや?」
「………地震、やないな」
揺れたのは数回で、揺れ自体はすぐ収まった。
優衣がおそるおそる窓に近づく。
さっきの揺れで割れた窓から下を覗き、息をのんで顔を引っ込めた。
「逃げるぞ!」
「え?」
「なんかやばい!
まずいことになっとる!」
「…」
優衣の言葉は彼らしからぬもので、早口で余裕の欠片もない。
反射的に下を覗いて、我が目を疑った。
本来窓の外にあるのは吹き抜けの空間。
なのに下部分が、真っ白い円形の閃光に包まれていて見えない。
それが上に向かってきている。
よくわからないけど、あれに飲み込まれたらやばいということだけはわかった。
村崎は岩永の手をしっかり握って走り出した。
「窓!
窓探せ!」
優衣は隣を併走しながら叫ぶ。
ここは八階。階段を下りることは不可能だ。
となれば、校庭に面した窓を探し、そこから空に逃げるのが最善。
岩永や優衣の超能力ならば、八階から飛び降りても無事地上に降りられる。
「っ!」
「優衣!」
優衣の足がもつれて、その場に倒れ込む。
戻ろうとして呼吸を失う。
優衣の背後まで閃光が迫っていた。
優衣は唇を噛み、手を床にたたきつける。
瞬間、優衣の身体の下から伸びた影が絨毯のように波打って、岩永と村崎の身体を遠くまで跳ね飛ばした。
「優…っ」
どうにか床に着地して顔を上げた時には、優衣の身体は閃光の中に飲み込まれていた。
「………」
あまりの出来事に動けずにいた自分の手を村崎が掴み、立たせる。
強引に引っ張って走り、やっと見えてきた窓から見える青い空にほっと息を吐いた。
村崎は背後を振り返り、眼前まで迫った閃光を捉える。
「…すまん」
小声で自分にそう謝った。
生み出した飛礫で数メートル離れた窓を壁ごと破壊し、自分の腕を掴んで放り投げる。
青い空に放り出され、すぐに状況を把握できなかった。
ただ、スローモーションに流れる光景の中、光の中に消えていく村崎の姿だけが鮮明で。
思わず伸ばした手がなにかに触れた。
風をまとって空を飛び、地面に着地した。
荒い息を吐きながら顔を上げたときには、自分たちがさっきまでいた校舎はどこにもなかった。
地面が大きくえぐり取られている。
閃光は校舎を丸ごと飲み込んで、消えてしまった。
その場にしゃがみ込んだまま動けなかった。
理解できなかった。
なにが起こった。
どうして、自分だけが。
村崎の最後の言葉が、あんな謝罪だなんて、あんまりだ。
寝台に横たわった身体はやせ細っていて、よく動けていたものだと思った。
NOAの立入禁止区域。
関係者以外入れない特殊な施設の中にある一室だ。
窓から風が入ってくる。白いカーテンが揺れた。
点滴が繋がれたやせた腕。
青く見える頬を軽く撫でて、吾妻は小さく微笑んだ。
「なんや。
随分安らかな顔しとるな」
「……ああ」
扉を開け、室内に入ってきたのは野暮ったい黒髪の、背の高い男だ。
吾妻にとっては、あまり話したこともない相手。
自分がNOAにやってきた時には、亡くなったとされていた男。
生きているはずがなかった。
「…ほっとしてる。
よかった」
「そうか」
椅子に腰掛けた吾妻の傍らに立ち、優衣は口元をゆるめる。
「すまんかったな。
遅くなって」
「……いや、事情があったんだろ。
かまわない」
吾妻は静かに答えて、視線を持ち上げ、優衣の顔を見つめる。
「…教えて欲しい。
詳しく」
「…お前が思うより単純やで。
要するに、誰も死んどらん。
白倉が生み出した時間の檻の中に捕まって、出られへんだけ。
俺は運良く出られたから」
「…白倉も、生きてるんだね?」
「ああ」
震える声で尋ねた。
優衣の言葉を聞いて、泣きたいくらい安堵した。
口元を押さえ、目を閉じる。
「…どうして、こっちの岩永の身体に憑依してるの?」
「……説明めんどいんやけど、まあ、俺の超能力をこいつの身体の中に植え付けといたんや。
時間の檻の中に干渉できる奴は少ないけど、干渉できた奴の中にあの人がおって」
「…あの人」
吾妻は思い出して、そんなすごい人には見えなかったと思う。
ここに来たときに会った、狭山という名前の研究スタッフ。
予知能力があって、自分たちのことはずっと前から知っていたらしいけど。
「俺の二つ目の能力を抜き取って、岩永の身体に植え付けておく。
そうするとその能力が元となって引き合うから。
ちゅうか、憑依やのうて一応融合や。
やから強さも俺+岩永=で、お前やあいつが敵うわけないん」
「…難しいことはわからない」
吾妻は頭を掻いて呻く。
「…だけど、どうやって植え付けたの?」
「予知能力があるやろ。
やから、岩永が作動させるとわかっとった装置の中に仕込んどいたって。
開かずの間の。
そもそも開かずの間ってそのために作ったらしい」
「……へー」
なんだ。ちょっと悔しいような、ほっとしたような。
自分たちがこうなることも全部見越して助けてくれる人がいたことを、ずっと知らずにいた。
もう会えないと思いこんでいた。
死んだのだと絶望していた。
違ったんだ。
「……岩永、助かる?」
「…まあ、どうにかな。
相当無茶しとったから、後遺症は残るやろうけど」
「…よかった」
寝台の上で眠ったまま、岩永は目を覚まさない。
ずっと張りつめていた糸がほどけた、その反動。
そして、数多の能力を吸収し、乱用してきたそのツケだ。
今まで動けたのも、力を使えたのも全ては村崎に会いたいという一心。
強い意志。気力。
それが切れて、反動でしばらくは眠り続けるだろうし、超能力を再び使えるようになるかもわからない。
「……それに、流河のこともある」
「…ああ」
優衣はきつく拳を握り、悔しげに顔を歪めた。
自分がそばにいたなら、そんなことは絶対起こさせなかった。
意地でもくい止めたのに。
「ずっと三人でいた。
だから、僕が、……岩永を連れて行こうとしたから」
あの夏の日。
なにをするにも三人一緒だった。
三人しかいなかった。
岩永と自分と、彼。
けれど、彼を連れて行くことは出来なかった。
白倉と村崎にもう一度会うために、なにもかも捨てる決意をしたあの日。
自分たちは二人で、彼を置いていく決心をした。
巻き込むことが出来なかった。
雪代が202号室を訪れたのは、その日の試合が終わり、日も暮れた頃だった。
白倉のチームも、岩永のチームも、無事に勝ち進んだ。
けれど皆、疑問を抱え、晴れやかな気持ちではなかっただろう。
「簡潔に言う。
あちらの世界の白倉も、村崎も死んではいない。
だが強固な時間の檻の中だ。
それを壊すにしても、そもそも膨大な時間の渦の中にある。
そこにたどり着くまでが至難の業だ」
「……あの、そもそも、時間の檻の中って」
そっと手を挙げたのは流河で、心の中に浮かんだ様々な疑問を明らかにしたくて仕方ないという顔をしている。
「わかるだろう。
岩永が棄権し、暴走しなかった代わりに、暴走を引き起こした人物。
あちらの世界の白倉誠二。
時間を司る能力が暴走した故に、飲み込まれた人間は時の歪みの中に閉じこめられたということだ」
白倉は息をのみ、自分の胸を押さえた。
でも、どこかで安堵している。
生きている。
「時の歪み。時間の渦。
ブラックホールのようなものだ。
世界と世界の間のどこに存在するかもわからないそれをどう引っ張り出すか、こじ開けるか。
それが難題だが、良い案がある」
雪代は笑みを浮かべて、確信を持った声で告げた。
人差し指で、白倉を示す。
「岩永二人、そしてお前に起こるリバウンド。
叶えようとした事象は二人分の命の蘇生。
故に反動で起こる力は強大だ。
それを利用する」
「……ち、ちょっと待って。
だけど、リバウンドが起こったら、三人とも…」
青い顔で口を挟んだ吾妻の顔を見上げ、雪代は微笑む。
「もちろん、三人が死なずに済むための保険は張る。
その上でリバウンドを利用し、時の歪みの入り口をこじ開けると言っている。
命の保証と成功の確証もなくやるとは言わん。
安心して乗れ」
雪代の笑みも悠然とした声も揺らがない。
化野や若松のバックアップもある。
ならば信じるしかない。
夕焼けの差し込む部屋。
赤い色が眠る岩永の頬も染めている。
その頬に手を伸ばす。
けれど、触れることはない。
そのオレンジ色の髪は、夕陽に染まることもない。
「……いいんだ。
君がまた笑えるなら」
その声も、決して彼には届かない。
「だから、悔やまないで。
…お願いだ」
静かな部屋。なんの物音もしない。
不意に微笑んで、呟く。
「俺が君に触れられるようになるころには、君も起きてくれるかな…」
切なげに笑って、祈りのように言葉にした。
思い出すたびに、胸が張り裂けそうになる。
どうして、自分だけが。
そう、己を責めて責めて、死にたくなるから。
新緑の眩しい季節。夏の始め。
村崎に手を引かれて保健室に行くと、保健医がいて自分に話を聞いた。
どう具合が悪いのかとか。
でも、どうとも言えなかった。
体調不良とは違うと、ぼんやりわかっていた。
村崎もそれは察していたらしく、ずっとそばにいてくれた。
保健医が詳しく調べるためにほかのスタッフを呼びに行って、保健室に二人きりになった。
当時、暴走キャリアのことは誰も知らなかった。
だから、保健医も自分に起きている異常がなにかわからなかったようだ。
静かだった。
まだ試合中なのに、保健室はひどく静かだった。
寝台の縁に腰掛けている自分の頭を撫で、村崎は隣に腰を下ろした。
優しく頬に手を当て、大丈夫だと言うように抱きしめる。
そのとき触れた暖かい体温を、苦しいほどに思い出せる。
頬に当たる胸元から、彼の匂いがした。
彼の鼓動を感じた。
しばらくして、廊下を走る足音が聞こえてきた。
保健医かと思ったが、どうやら違う。
保健医は女性で履いているのはヒール。
響いているのはシューズの音だ。
唐突に保健室の扉が開いて、優衣が顔を覗かせた。
「大丈夫か?
具合が悪いって聞いたから」
「優衣…」
抱き合っていた自分たちにも特に驚きを見せず、彼は近寄ってきた。
村崎から身を離すと、優衣の手が額に当てられた。
「熱とかやないんや」
「あ、そうなん?」
村崎の説明に優衣は目を瞠る。
「超能力の影響か?」
「わからん。
でも、キャリアかもしれん」
「ああ」
優衣は腕を組み、考え込む。
「まあいざとなったら化野に聞けばええやん。
あいつの方が確かやで」
「ああ、そうやな」
その言葉に村崎は苦笑する。
確かに下手なスタッフより、化野の見立ての方が信頼できる。
「あいつ今試合中やし、ここにおっても仕方ないなら見に行くか?」
「…誰と試合なんや?」
「流河」
村崎の問いに優衣は可笑しそうに笑って答えた。
「流河も不運やんなあ。
今朝、絶望したような顔しとったもん」
「笑ってやるな。可哀相やから」
村崎は苦笑して言い、自分の頭を軽く撫でた。
「大丈夫なら行くか?」
「……うん」
自分自身、これがなにかわからず困惑していたので、早く原因を知りたかった。
村崎の方を向いて頷き、立ち上がる。
「言ったら悪いけど、速攻で終わってそうやし」
かすかに笑みを浮かべて言ったら、優衣は気の毒そうな顔をして、
「いや、久しぶりにそこそこ歯ごたえのある相手ってことで、手加減しつついたぶられとる…」
と言いにくそうに言った。
「…………哀れな」
村崎がぼそっと呟いた。
三人で並んで廊下を歩く。
村崎はずっと優しく手を繋いでいてくれた。
不意に校舎が大きく揺れる。
一度大きく揺らいで、続けて数回また揺れた。
「うわっ!」
優衣がよろけて壁に手を突く。
倒れそうになった自分を抱きかかえ、村崎はその場にしゃがみ込んだ。
「な、なんや?」
「………地震、やないな」
揺れたのは数回で、揺れ自体はすぐ収まった。
優衣がおそるおそる窓に近づく。
さっきの揺れで割れた窓から下を覗き、息をのんで顔を引っ込めた。
「逃げるぞ!」
「え?」
「なんかやばい!
まずいことになっとる!」
「…」
優衣の言葉は彼らしからぬもので、早口で余裕の欠片もない。
反射的に下を覗いて、我が目を疑った。
本来窓の外にあるのは吹き抜けの空間。
なのに下部分が、真っ白い円形の閃光に包まれていて見えない。
それが上に向かってきている。
よくわからないけど、あれに飲み込まれたらやばいということだけはわかった。
村崎は岩永の手をしっかり握って走り出した。
「窓!
窓探せ!」
優衣は隣を併走しながら叫ぶ。
ここは八階。階段を下りることは不可能だ。
となれば、校庭に面した窓を探し、そこから空に逃げるのが最善。
岩永や優衣の超能力ならば、八階から飛び降りても無事地上に降りられる。
「っ!」
「優衣!」
優衣の足がもつれて、その場に倒れ込む。
戻ろうとして呼吸を失う。
優衣の背後まで閃光が迫っていた。
優衣は唇を噛み、手を床にたたきつける。
瞬間、優衣の身体の下から伸びた影が絨毯のように波打って、岩永と村崎の身体を遠くまで跳ね飛ばした。
「優…っ」
どうにか床に着地して顔を上げた時には、優衣の身体は閃光の中に飲み込まれていた。
「………」
あまりの出来事に動けずにいた自分の手を村崎が掴み、立たせる。
強引に引っ張って走り、やっと見えてきた窓から見える青い空にほっと息を吐いた。
村崎は背後を振り返り、眼前まで迫った閃光を捉える。
「…すまん」
小声で自分にそう謝った。
生み出した飛礫で数メートル離れた窓を壁ごと破壊し、自分の腕を掴んで放り投げる。
青い空に放り出され、すぐに状況を把握できなかった。
ただ、スローモーションに流れる光景の中、光の中に消えていく村崎の姿だけが鮮明で。
思わず伸ばした手がなにかに触れた。
風をまとって空を飛び、地面に着地した。
荒い息を吐きながら顔を上げたときには、自分たちがさっきまでいた校舎はどこにもなかった。
地面が大きくえぐり取られている。
閃光は校舎を丸ごと飲み込んで、消えてしまった。
その場にしゃがみ込んだまま動けなかった。
理解できなかった。
なにが起こった。
どうして、自分だけが。
村崎の最後の言葉が、あんな謝罪だなんて、あんまりだ。
寝台に横たわった身体はやせ細っていて、よく動けていたものだと思った。
NOAの立入禁止区域。
関係者以外入れない特殊な施設の中にある一室だ。
窓から風が入ってくる。白いカーテンが揺れた。
点滴が繋がれたやせた腕。
青く見える頬を軽く撫でて、吾妻は小さく微笑んだ。
「なんや。
随分安らかな顔しとるな」
「……ああ」
扉を開け、室内に入ってきたのは野暮ったい黒髪の、背の高い男だ。
吾妻にとっては、あまり話したこともない相手。
自分がNOAにやってきた時には、亡くなったとされていた男。
生きているはずがなかった。
「…ほっとしてる。
よかった」
「そうか」
椅子に腰掛けた吾妻の傍らに立ち、優衣は口元をゆるめる。
「すまんかったな。
遅くなって」
「……いや、事情があったんだろ。
かまわない」
吾妻は静かに答えて、視線を持ち上げ、優衣の顔を見つめる。
「…教えて欲しい。
詳しく」
「…お前が思うより単純やで。
要するに、誰も死んどらん。
白倉が生み出した時間の檻の中に捕まって、出られへんだけ。
俺は運良く出られたから」
「…白倉も、生きてるんだね?」
「ああ」
震える声で尋ねた。
優衣の言葉を聞いて、泣きたいくらい安堵した。
口元を押さえ、目を閉じる。
「…どうして、こっちの岩永の身体に憑依してるの?」
「……説明めんどいんやけど、まあ、俺の超能力をこいつの身体の中に植え付けといたんや。
時間の檻の中に干渉できる奴は少ないけど、干渉できた奴の中にあの人がおって」
「…あの人」
吾妻は思い出して、そんなすごい人には見えなかったと思う。
ここに来たときに会った、狭山という名前の研究スタッフ。
予知能力があって、自分たちのことはずっと前から知っていたらしいけど。
「俺の二つ目の能力を抜き取って、岩永の身体に植え付けておく。
そうするとその能力が元となって引き合うから。
ちゅうか、憑依やのうて一応融合や。
やから強さも俺+岩永=で、お前やあいつが敵うわけないん」
「…難しいことはわからない」
吾妻は頭を掻いて呻く。
「…だけど、どうやって植え付けたの?」
「予知能力があるやろ。
やから、岩永が作動させるとわかっとった装置の中に仕込んどいたって。
開かずの間の。
そもそも開かずの間ってそのために作ったらしい」
「……へー」
なんだ。ちょっと悔しいような、ほっとしたような。
自分たちがこうなることも全部見越して助けてくれる人がいたことを、ずっと知らずにいた。
もう会えないと思いこんでいた。
死んだのだと絶望していた。
違ったんだ。
「……岩永、助かる?」
「…まあ、どうにかな。
相当無茶しとったから、後遺症は残るやろうけど」
「…よかった」
寝台の上で眠ったまま、岩永は目を覚まさない。
ずっと張りつめていた糸がほどけた、その反動。
そして、数多の能力を吸収し、乱用してきたそのツケだ。
今まで動けたのも、力を使えたのも全ては村崎に会いたいという一心。
強い意志。気力。
それが切れて、反動でしばらくは眠り続けるだろうし、超能力を再び使えるようになるかもわからない。
「……それに、流河のこともある」
「…ああ」
優衣はきつく拳を握り、悔しげに顔を歪めた。
自分がそばにいたなら、そんなことは絶対起こさせなかった。
意地でもくい止めたのに。
「ずっと三人でいた。
だから、僕が、……岩永を連れて行こうとしたから」
あの夏の日。
なにをするにも三人一緒だった。
三人しかいなかった。
岩永と自分と、彼。
けれど、彼を連れて行くことは出来なかった。
白倉と村崎にもう一度会うために、なにもかも捨てる決意をしたあの日。
自分たちは二人で、彼を置いていく決心をした。
巻き込むことが出来なかった。
雪代が202号室を訪れたのは、その日の試合が終わり、日も暮れた頃だった。
白倉のチームも、岩永のチームも、無事に勝ち進んだ。
けれど皆、疑問を抱え、晴れやかな気持ちではなかっただろう。
「簡潔に言う。
あちらの世界の白倉も、村崎も死んではいない。
だが強固な時間の檻の中だ。
それを壊すにしても、そもそも膨大な時間の渦の中にある。
そこにたどり着くまでが至難の業だ」
「……あの、そもそも、時間の檻の中って」
そっと手を挙げたのは流河で、心の中に浮かんだ様々な疑問を明らかにしたくて仕方ないという顔をしている。
「わかるだろう。
岩永が棄権し、暴走しなかった代わりに、暴走を引き起こした人物。
あちらの世界の白倉誠二。
時間を司る能力が暴走した故に、飲み込まれた人間は時の歪みの中に閉じこめられたということだ」
白倉は息をのみ、自分の胸を押さえた。
でも、どこかで安堵している。
生きている。
「時の歪み。時間の渦。
ブラックホールのようなものだ。
世界と世界の間のどこに存在するかもわからないそれをどう引っ張り出すか、こじ開けるか。
それが難題だが、良い案がある」
雪代は笑みを浮かべて、確信を持った声で告げた。
人差し指で、白倉を示す。
「岩永二人、そしてお前に起こるリバウンド。
叶えようとした事象は二人分の命の蘇生。
故に反動で起こる力は強大だ。
それを利用する」
「……ち、ちょっと待って。
だけど、リバウンドが起こったら、三人とも…」
青い顔で口を挟んだ吾妻の顔を見上げ、雪代は微笑む。
「もちろん、三人が死なずに済むための保険は張る。
その上でリバウンドを利用し、時の歪みの入り口をこじ開けると言っている。
命の保証と成功の確証もなくやるとは言わん。
安心して乗れ」
雪代の笑みも悠然とした声も揺らがない。
化野や若松のバックアップもある。
ならば信じるしかない。
夕焼けの差し込む部屋。
赤い色が眠る岩永の頬も染めている。
その頬に手を伸ばす。
けれど、触れることはない。
そのオレンジ色の髪は、夕陽に染まることもない。
「……いいんだ。
君がまた笑えるなら」
その声も、決して彼には届かない。
「だから、悔やまないで。
…お願いだ」
静かな部屋。なんの物音もしない。
不意に微笑んで、呟く。
「俺が君に触れられるようになるころには、君も起きてくれるかな…」
切なげに笑って、祈りのように言葉にした。
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