【完結済み】騎士団長は親友に生き写しの隣国の魔術師を溺愛する

兔世夜美(トヨヤミ)

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番外編 プリムローズの咲く頃に・中編

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 シタン・ヴァイオラという男のことを、知っているようで知らない。
 そうネヴィルは思う。
 ゼレスティアの魔法の天才。次代のビショップ。
 けれどいざシタンに会って話した時に驚きはしたのだ。
 出会った時はどこか儚げで今にも消えてしまいそうな危うく、弱々しい雰囲気があった。
 人目を奪うほどに美しい容姿も相まってまるで白百合のように繊細で、まるで天使そのもののように無垢で穢れない。
 天使のように純真無垢で一片の穢れもない浄らかさを讃えながら、その鮮血に似た緋色の瞳は悪魔のような危険な魔力を漂わせている。
 金細工のような繊細で長い睫毛がゆっくりと上下するのを、息を飲んで魅入ってしまった。
 あやしい陰影を帯びた瞳は憂いを帯びて、ますます鮮血のように見えた。
 背筋が凍るほど神秘的で美しい男は、そしてどこか蠱惑的で見る者を虜にするほどに。
 それを魔性と呼ぶのだと、初めて動く彼を見た時に実感したのだ。

 これが次代のビショップ?
 こんな、触れれば溶けて消える雪みたいな、手折れてしまいそうな花みたいに儚く美しい男が?

 そう感じたのはネヴィルだけではなく、ほかの魔術師たちもだった。
 人を惹き付ける悪魔のような妖艶さをにじませながらも、シタンはどこまでも穢れない百合のように綺麗だったのだ。
 思えば、シタンを普通の人間として見ていたのは、最初からジュリアスだけだったのだろう。



「おかしいな。ジュリアスが憔悴していない。
 さてはシタンが転移魔法で会いに来たな?」
 数日後、皇居に赴いたジュリアスの顔を見たネヴィルの第一声がこれだった。
 相も変わらず遠慮のない男である。
 ジュリアスは騎士団の職務のために皇居に足を運んでいて、ネヴィルには皇帝への報告の後に人気のない廊下で呼び止められたのだ。
「なんだ不躾に。失礼な奴だな」
「実際その通りだろう? 肌にハリがある」
「そんなところまで分析するな!」
 長年の付き合いの親友らしい遠慮のなさに、救われる時もある反面こういう時は面倒くさい。
「まあいいさ。詳しく突っ込むことでもない」
「最初からそうしてくれないか…」
「それで、お前なにしに皇居に来た?」
「だから騎士団の、」
「お前はシタンの後見として、多少騎士団の仕事は免除されていたはずだ。
 そのお前をかり出す事件が起こったか?」
 やはりネヴィルは聡い、と舌を巻いた。
 ふざけていたかと思えばこれなのだから、全く油断ならない。
「ここだけの話だが、麻薬組織の動向が掴めた」
「長年我が国に巣くっていたあの組織か。それはお前をかり出さないわけにはいかないな」
「ああ、今度こそ壊滅させるチャンスだ。正直、シタンがいない時で助かった」
 アイゼンベルク帝国に巣くっていた麻薬密売組織の問題は根深い。
 なかなか壊滅させる機会がなく、トカゲの尻尾切りで逃げられていた。
 だからこそ今回はまたとないチャンスだ。
 シタンがいれば、この上ないジュリアスの弱みとなった。そういう意味でも、良い機会ではある。
 シタンとジュリアスの婚約は既に国内外に知られている。それによってジュリアスがラシードに恋をして結婚しないでいたという噂はかき消されたが、明確にジュリアスの弱みが誰かも知れ渡ってしまったようなものだ。
「油断はするなよ」
「誰に言っているんだ?
 シタンが帰ってきた時に、無様な姿は見せないさ」
「そうだな。お前には今、人一倍格好付けたい相手がいるものな」
 堂々と答えたジュリアスに、ネヴィルは無用の心配か、と思う。
 恋する者は無敵だ、と例えた者がいる。今のジュリアスがそれだろう。
 ならば今のジュリアスに、脅威はないのだ。
「とはいえ、おそらく陛下から俺にも勅命が下るだろう」
「ああ、おそらくな」
「また戦場で共に戦うことになる。頼んだぞ。親友」
「わかっているさ。親友」
 笑みを浮かべてジュリアスの胸を叩いたネヴィルに、ジュリアスも不敵に笑い返した。



 その後入った情報で、麻薬密売組織はあるパーティで密売を行うとわかった。
「参ったな…」
 ジュリアスはギィネヴィア邸でそう困ったように声を漏らす。
「パートナー同伴じゃないと入れないか。男はパートナーにはならないみたいだな」
「時代錯誤だろ。くそ」
「まあ、俺もおまえのパートナー役なんて御免だが」
 サロンでネヴィルと話し合っていたが、打開策が見付からない。
「おい、ふざけている場合か」
「それはそうだけどさ、方法がないだろう」
「それは…」
「それともお前、シタン以外をパートナーにしたいのか?
 そんな汚いパーティであっても」
「それは嫌だ!」
「だろう?」
 即答したジュリアスにネヴィルはしたり顔で笑う。
 結局、ジュリアスが嘘でもシタン以外をパートナーと呼べない限り仕方ないのだ。
「あー、くそ。どうしたものか。もう時間がない。
 せっかくリーダーの男の顔と名前を突き止めたのに」
「もう明日だからな」
 とはいえ八方塞がりだ。ジュリアスの私情を抜いても、そんな荒っぽい場に連れて行ける女性は早々いない。
「なにか困りごと?」
「そう、困り………シタン!?」
 不意に頭上で聞こえた涼やかな声に、一瞬反応が遅れた。
 ネヴィルもびっくりしてしまった。だって当たり前の顔でいるのだ。
「数日前のジュリアスがなにか隠している風だったから、来てみたよ」
「…驚いた。その場で聞いてくれればよかったのに」
「ジュリアスはそういう危ないことは、僕には教えないだろう?」
「…ぐうの音も出ないな」
 事実なのだろう。確かに、ジュリアスはシタンには言いそうにない。
「で、パートナーが必要なパーティなの?」
「そうだが、その、」
「じゃあ僕が一緒に行こう」
「シタン!」
 ジュリアスがしどろもどろになったのは、シタンがこう言うと見越していたからだろう。
 豪胆なところは、さすがビショップと言うべきか。
「だが、パートナーは女性じゃないとまずくてだな」
「女装すれば僕ならどうにかなるでしょう。それに、対外的にはゼレスティアに帰国している僕がいるとは思わないよ」
「…まあ、確かに」
 言われてみればそれはそうなのだ。
 多少身長はあるが、シタンの美貌と細さならうまくやれば違和感なく美女に見えるだろう。
「それにリーダーの男の顔はわかっているんだろう?
 なら罠をかければいい。
 僕が囮になるよ」
「だが、そんな危険な真似をシタンには」
「じゃあ、ジュリアスが守ってくれればいい。違う?」
「それは…」
「それとも、ジュリアスは守ってくれない?」
「守るに決まってるだろう!」
 少しだけ不安げな表情で尋ねたシタンにジュリアスが勢いよくソファから立ち上がって叫ぶ。ネヴィルは思わず吹き出してしまった。
「よかった。じゃあ決まりだね」
「あ」
「お前、手のひらで転がされてるな」
 にっこり微笑んだシタンに、嵌められたことに気づいてジュリアスが間抜けな声を漏らす。ネヴィルは他人事の余裕で言って、紅茶で喉を潤した。



 そして迎えたパーティ当日。
 あるホテルを貸し切ったパーティは盛大なもので、実業家や資産家から要人までが参加している。
 その中にあの麻薬組織のリーダーと思しき男もいた。
 男はワインを飲みながら会場を歩いていたが、不意によろけてぶつかった相手に最初眉を寄せ、すぐにその美貌に息を呑んだ。
「申し訳ありません。酔ってしまったようで…」
 男の欲を煽るような心細げな表情で告げたのはシタンだ。
 シタンは細身ながら男とわかる身体を隠すようなゆったりしたドレスを身に纏い、薄く化粧を施している。
 男はその天使ですら羨むような美しさに魅入られ、固まっていたがシタンが「あの?」と首を傾げたために我に返る。
 その仕草も男を誘うような甘い色香を孕んでいた。
「初めて見る顔だから驚いたよ。どこのご令嬢かな?」
「父が貴族家の当主なのですが、最近事業で失敗して、代わりに…」
「ほう…」
 いかにも世間知らずの温室育ちの美女といった雰囲気を漂わせ、不安げに、心許ないように振る舞うシタンに男はこの上なく満足したようだ。
 きっと父に手を貸してくれる伝手を探しに来たのだと思ったようだ。
「酔ったのならこちらに来なさい。
 見てあげよう」
「あ、は、はい…」
 男に手を引かれるまま、シタンは会場の端にあるソファに腰掛ける。
「それにしても美しい。
 名は? なんと言う?」
 男はそう言いながらシタンの腰を抱いた。
「あ、あの」
 そのままシタンの太ももをなぞった手に、シタンは頬を赤らめて弱々しく身をよじる。
 その抵抗はむしろ男の嗜虐心と征服欲を刺激するもので、男は案の定夢中になってシタンの身体を抱き寄せた。
「あっ…」
「いい子だ。
 起業したばかりならばまだお父上には親しい相手も少なかろう。
 私の言う通りにすればお偉方に取りなしてあげるよ」
「…あ、あの、」
「お父上のために、人肌脱いでやろうじゃないか。
 もちろん君次第だがね」
「…ほ、本当に…?」
「ああ…」
 不安げに男を見上げた緋色の瞳に魅入られたように、男はその細腰を両腕で囲い込む。
 その瞬間、男の足下に置かれていたアタッシュケースの口が突然開いた。
 シタンが男の注意を惹き付けている間に、風魔法で留め具を破壊したのだ。
 大きく口を開けたケースから零れたのは一目で薬物とわかる大量の袋だ。
 周囲の人間がそれに気づいて騒ぎ出す。男が焦って薬を隠そうとそばにしゃがみ込んだ瞬間にシタンはその腕から抜け出した。
 男は薬を捨てて逃げ出したため、それをネヴィルたちが追う。
 ホテルを出た男は路地を通って走っていく。組織の黒服たちが邪魔をしたため、ネヴィルたちはすぐに追えない。
「逃がしませんよ」
 夜道の途中、男の前に立ちはだかったシタンを見て男が息を呑んだ。
「おまえもグルか。可愛い顔で誘って来て、ずいぶん好き者じゃないか」
 男は笑っているが、余裕はない。だが不意に物音が響いて男とシタンの注意がそちらに向く。
 状況がわからないように戸惑った様子で固まっている女性の姿が路地のそばにあった。
 シタンが「逃げて」と叫ぶ前に男が大股で女性に近寄り、その身体を抱き寄せてナイフを突きつける。
 そのそばにネヴィルたちを足止めしたのとは別の組織の黒服たちが集まってきた。
「形勢逆転だな。
 こいつを死なせたくないなら、言うことを聞くことだ」
「…っ」
「悪い子にはお仕置きが必要だな。捕まえて薬漬けにして飼ってあげるよ」
「───だから言ったんです。
 僕は、そんなに優しい人間じゃない」
 小さく呟いたシタンに男が目を瞠った時だ。背後から詠唱もなく放たれた魔法が男の手からナイフを弾き飛ばした。
 一気に男に接近したシタンが手に纏わせた風で男の肩を切り裂き、蹴りで昏倒させる。
 襲いかかってきた黒服たちの手から銃を弾き飛ばし、風の刃で黒服たちの腕や肩を切り裂いて、まるで踊るように優雅に仕留めていく。
「くそっ…!」
 最後の一人が自暴自棄になってナイフを振り上げたが、その肩を風の刃が深々と突き刺し鮮血が散った。
 倒れた男たちを睥睨し、シタンは血のついた手をひゅっと振って息を吐く。
 動けなかった。
「凄え…」
 仲間の一人が呟いた声が聞こえる。
 普段の穏やかで優しく、上品な姿しか知らなかったから驚いた。
 身体の動きを止めるほどに、その姿はなにより恐ろしく、背筋が凍るほどに美しい。
 今更に実感する。
 彼は数十年ぶりに選ばれた、次代のビショップ。魔法の天才。
 本物の、魔法の神様。
「シタン!」
 会場で騎士団員たちと取引相手を捕縛していたジュリアスがこちらに追いついてきた。
「無事か!?」
「ああ、無事だよ」
「よかった…」
 今回の作戦はあのリーダーを捕まえなければ意味がなかった。
 だからシタンを囮にする作戦になったが、ジュリアスは出来ればこんな方法はとりたくなかっただろう。
「すまない。私がずっとそばについていたかったのに」
「囮になると言い出したのは僕だよ」
「しかし」
「しかしじゃないの。ジュリアス」
 必死なジュリアスを優しく窘めたシタンだが、不意にジュリアスはその手がかすかに震えていることに気づいた。
「シタン」
 そう呼んで、優しく血に濡れた手を包み込む。
「あ、駄目だよ。汚れちゃう」
「いいんだ。汚くなんてない」
「…っ」
 はっきり言い切ったジュリアスに、シタンの瞳が揺れる。
「穢れてなんかいない。汚れてなんかいない。
 穢れても、それごと私が抱きしめる」
「…ジュリアス」
「…ありがとう。シタン。
 これで大勢の人が救われる」
 そう言って血で汚れるのも構わずシタンを抱きしめたジュリアスに、シタンの瞳が見開かれて泣きそうに潤む。
 ネヴィルたちには詳しい事情はわからない。
 だがきっと、二人にしかわからないことがあるのだろう。
 二人だけの、誓いに似たなにかが。
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