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番外編 プリムローズの咲く頃に・後編
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「来て大丈夫だったのか?」
「今更そんなことを言うの?」
一連の捕り物が終わった後、ギィネヴィア邸に戻って来たジュリアスはシタンと共に風呂に入っていた。
大きな浴槽に浸かったシタンの手を、丁寧に洗ってやる。
もう血は落ちたが、シタンが気にしないようにと、念入りに。
「弟の結婚式なんだろう?」
「結婚式は明日だよ」
「それでも」
「だって、僕が心配だったんだもの」
素直な想いが口を吐いたシタンに、ジュリアスが目を瞠る。
シタンはジュリアスを見て少し照れると、
「ジュリアスだけが僕の罪を許してくれたから、ジュリアスのために戦いたかったんだ。
ジュリアスのためなら、誰かを守るためなら戦えると思った。
だから来たんだ」
「シタン…」
「お節介だった?」
「そんなことあるものか」
ジュリアスはふる、と首を振ると、シタンの手をしっかりと握った。
「今回の捕り物が成功したのはシタンのおかげだ。
まあ、あんな男にシタンを触らせたのは、正直不愉快だけど…。
でも、シタンのおかげでうまくいった。
シタンが苦しむ大勢の人を救ってくれたと、嘘なくそう思っているよ」
「…そう、よかった」
「だから、怖いなら怖いって言っていいんだ」
ジュリアスの言葉にシタンが目を瞠る。その瞳が揺らいだ。
「ビショップになったら、国のために戦うことにもなるだろう。
誰かを傷つけることもあるだろう。
シタンにはその覚悟があるんだってわかってる。
それでも、怖いなら怖いと言っていいんだ」
「…凄いな。ジュリアスにはなんでもわかるんだ」
「わかるさ。シタンのことなら」
迷いなくジュリアスは告げる。シタンの心を温めるように微笑んで。
「最愛のひとの心なんだから、知りたいよ」
そう口にしたジュリアスに、シタンの瞳が大きく見開かれてかすかに潤んだ。
「…ありがとう」
震えた声がそう言う。
「そんなジュリアスがいるから、僕はきっと戦える。
本当はね、ジュリアスの言う通り少し不安だった。怖かった。
こんな罪深い僕がビショップになんかなっていいのかって思ってもいた。
だからジュリアスに出会えたことは、きっとなによりの幸福なんだ」
細く白い手が、そっとジュリアスの手を握り返す。
「ジュリアスが僕の罪をいつだって許してくれるから、僕は戦える。
大丈夫だよ」
そう微笑んだシタンの顔がひどく美しく気高くて、ジュリアスは思わず見惚れてしまう。
きっとシタンはビショップになって、多くの人を救って、多くの人の心を奪っていくのだろう。それに面白くない思いはあるけれど、そんなシタンを愛したのも事実だ。
自分の罪を忘れられず傷ついて悔やんで、それでも誰かのために戦おうとしたシタンだからこそ、愛した。
「シタン」
名を呼んで、身を寄せて湯船に浸かったシタンの上半身を抱きしめる。
「愛しているよ。世界のなにより。
本当に、愛してる」
「知っているよ。もう疑ってなんかいない」
「それでも私が言いたかった。
何度だって言いたいんだ。
この心臓が止まるまで、絶えることなく告げていたい」
そう囁いて、顔を寄せる。優しく口づければ、シタンの頬が湯で温まったせいでなく朱に染まった。
「シタンに会えて、私は確かに幸せなんだ」
その言葉に、シタンは嬉しそうに微笑む。少しだけ泣きそうに。
「僕も、同じだよ。ジュリアス」
シタンがジュリアスの背中に腕を回し、素肌が触れあう。重なった胸から伝わる心音が、徐々に同じ音を奏でていくことが嬉しい。
「僕、運命って言葉、あまり好きじゃなかったんだ。
なんだか生まれた時に全て決まってしまったような気がして嫌だった。
でも、今はその言葉を信じたくなる」
少し身を離したシタンの手が、ジュリアスの手を握る。
指の太さも長さも白さも違う、その互いの手。それでもふれあえる、温もり。
「僕たちが出会うのが、運命だったなら嬉しい」
甘い言葉を吐いたシタンの唇にそっとキスをして、もう一度強く抱きしめる。
そしてその身体を抱き上げた。
ざばり、とお湯が音を立ててタイルの床に雫が落ちる。
「ジュリアス?」
「触れないなんて堪えられない。
シタンなんて、ずっと私に抱かれていればいい」
そう、熱っぽい苦しげな声で囁けば、シタンが目を瞠って、それから破顔する。
「それは、僕の台詞だよ。
ずっと、抱いていて、抱っこしてて、離れないように、忘れないように」
「僕が息絶えるまで、ずっと僕を見つめていて」
最大級の愛の言葉を吐いた唇を塞いで、大きなタオルでシタンの身体をくるむと寝室へと向かう。
今晩は離さないと、そう誓って。
散々抱き合って同じベッドで眠って、目覚めたらまだシタンはジュリアスのそばにいた。
窓から差し込む朝陽はまだ白い。
「目が覚めたら、君はいないかと思った」
「早めに目が覚めたから、ジュリアスのそばにもう少しいたくて」
上体を起こしたジュリアスに、シタンはシャツ一枚だけを纏った格好で微笑む。
「今が、信じられないくらい幸せで、溶けて消えてしまいそうなくらい。
だから何度だって触れて、確かめていたくなる」
「それなら何度だって私が教えてやるさ。
ここが、私のそばがシタンの居場所だって」
「うん」
ジュリアスの言葉にシタンが嬉しそうに笑う。その身体をそっと抱き寄せた。
伝わる体温は温かい。離れがたい。離したくない。
「実はね、ちょっと逃げてきたのもあるんだ」
「逃げて来た?」
不意にシタンが内緒話のように教えてくれた。
「弟が結婚するの、実はちょっと癪だから」
「…癪?」
「あんな相手にくれてやりたくない」
笑顔でなんだかすごいことを言ったシタンに、ジュリアスは「よほど問題のある相手なのか?」と首をかしげる。
「だってそんなものだろう?
可愛い兄弟なんて、ぽっと出の相手にはくれてやりたくないものだよ」
「そうなのか…。私には覚えのない感情だな…」
少なくとも自分は弟たちの結婚に、そんな風に思ったことはなかった。
もっともその家庭によって兄弟の距離感は違うから、そんなものかもと思うが。
「そういえば、いつかジュリアスのご兄弟にもお会いしたいな」
「そのうちに紹介するよ。
なんせ君は私の伴侶になるんだ」
「うん、楽しみにしている」
「ああ」
そんなことを話しながら寄り添っていたら、じわじわと窓の外の陽射しが明るくなってきた。もう時間がない。
明日の結婚式を終えたら、馬車で数日掛けて帰ってきたら、また一緒にいられる。
わかっているけれど、理屈じゃない。
こんなにも自分が、シタンに溺れると思っていなかった。
ラシードに片恋をしていた時には想像も出来ないほど、それは幸せな恋だった。
「さて、もうそろそろ行かなきゃ」
「ああ…」
「離したくないって思ってくれた?」
「…思った。すごく」
「嬉しい」
シタンが腕の中でふわふわと微笑む。まるで花のようだ。
「ねえ、プリムローズがそろそろ咲くね」
「…それが?」
「この庭にも咲いたら、見たいな。僕」
「あ、ああ、じゃあ植えるように言っておこう」
「別に植えなくてもいいんだ。いつか、ジュリアスがその花を僕にくれたら」
ジュリアスから身を離して、床に足を降ろしたシタンが窓辺に立って、カーテンを引いてこちらを振り返った。
朝陽が眩しくてシタンの表情が見えない。
「僕は、すごく幸せ」
視界が真っ白に染まる。光が消えた時、シタンの姿はそこにはなかった。
「言い逃げか」
ジュリアスは名残惜しさを抱えながら、呟く。
その顔は強気に笑っている。
「見ていろ。プリムローズの花を植えて、来年の春までには咲かせてみせるさ。
そうしたら」
そう口にして、まだシタンの温もりが残る手を持ち上げて指先に口づける。
「一緒に見よう。シタン」
そう、約束のように呟いて。
「お、顔色が良いな」
「なんだ会うなり」
麻薬組織を壊滅させた報告をしに、皇居を訪れたジュリアスは、会うなりそんなことを言ったネヴィルにげんなりした。
この親友は、本当に遠慮がないのだ。
「お前は年を追うごとに私に遠慮がなくなっていく」
「遠慮して欲しいか? 今更」
「いやだ」
「だろう?」
そう返されればぐうの音も出ない。
シタンのような最愛ではないが、気心の知れた信頼する親友だ。線を引かれたくはない。
「シタンは?」
「今頃弟の結婚式の最中だろう」
「そうか。よかった」
「心配したのか?」
「昨日、なんか訳ありな感じがあったからな」
ネヴィルはそう言って少し笑う。
「お前が癒やせるなら、それでいいんだ」
ネヴィルなりに、自国の問題に巻き込んだ責任を感じていたのだろう。
それ故の心配だろうし、単純にジュリアスとの仲を見守っているうちに情が湧いたのもあるはずだ。
「ああ、私がずっとそばにいる」
「それならいい」
「ああ、そうだ。プリムローズの花の育て方を知っているか?」
急にふと思い出して尋ねたジュリアスに、ネヴィルは目を丸くする。
「なに言ってるんだ。俺がそんなこと知っているわけないだろ。
園丁に聞けよ」
「そうだよな…」
「プリムローズって、なんだ急に」
「いや、シタンが一緒に見たいとか欲しいとか言ってて、なんでだろうと」
腕を組んで考え込んだジュリアスに、ネヴィルが目を瞬いた。
それから小さく吹き出す。
「なんだその反応」
「お前、そんな様じゃ令嬢たちに薔薇の貴公子と呼ばれた名が泣くぞ」
「そんな呼び名は知らん。シタンからの呼び名が最重要だ」
「まあお前はそうだろうさ」
くつくつとネヴィルは笑っている。なんだか苛ついてきた。
「おい、ネヴィル。いい加減に、」
「プリムローズの花言葉だよ」
「花言葉?」
「『最初の薔薇』『初恋』。
シタンにとってのお前のことだ」
ネヴィルは明るく笑ってそう告げる。
徐々にその言葉を理解して、顔が真っ赤に染まったジュリアスを見てまたネヴィルが豪快に笑った。
ああ、卑怯だ。シタン。そんな熱烈な愛の言葉を、この場にいない時に知らせるなんて。
目の前にいたら力一杯に抱きしめて二度と腕の中から出したくないのに。
それともそんな自分を知っていての置き土産だろうか。
(帰ったら覚悟しておけよ。シタン)
そう甘ったるいばかりの気持ちで思う。
もう二度と、離してはやれなさそうだ。
君がいないと、朝も明けない。
こんなに虜にした責任を取ってもらわないと。
(私にとっても、君は『最初の薔薇』だ)
「あ、ジュリアス。
弟がもし会う機会があったら一発殴るって言っていた」
「は?」
だが帰ってきたシタンに開口一番そう言われてしまったジュリアスは全く覚えがなくて目を点にする。
大事な兄に手を出した挙げ句娶っていく男を恨まないわけがないだろう、と後日ネヴィルが告げた。
「今更そんなことを言うの?」
一連の捕り物が終わった後、ギィネヴィア邸に戻って来たジュリアスはシタンと共に風呂に入っていた。
大きな浴槽に浸かったシタンの手を、丁寧に洗ってやる。
もう血は落ちたが、シタンが気にしないようにと、念入りに。
「弟の結婚式なんだろう?」
「結婚式は明日だよ」
「それでも」
「だって、僕が心配だったんだもの」
素直な想いが口を吐いたシタンに、ジュリアスが目を瞠る。
シタンはジュリアスを見て少し照れると、
「ジュリアスだけが僕の罪を許してくれたから、ジュリアスのために戦いたかったんだ。
ジュリアスのためなら、誰かを守るためなら戦えると思った。
だから来たんだ」
「シタン…」
「お節介だった?」
「そんなことあるものか」
ジュリアスはふる、と首を振ると、シタンの手をしっかりと握った。
「今回の捕り物が成功したのはシタンのおかげだ。
まあ、あんな男にシタンを触らせたのは、正直不愉快だけど…。
でも、シタンのおかげでうまくいった。
シタンが苦しむ大勢の人を救ってくれたと、嘘なくそう思っているよ」
「…そう、よかった」
「だから、怖いなら怖いって言っていいんだ」
ジュリアスの言葉にシタンが目を瞠る。その瞳が揺らいだ。
「ビショップになったら、国のために戦うことにもなるだろう。
誰かを傷つけることもあるだろう。
シタンにはその覚悟があるんだってわかってる。
それでも、怖いなら怖いと言っていいんだ」
「…凄いな。ジュリアスにはなんでもわかるんだ」
「わかるさ。シタンのことなら」
迷いなくジュリアスは告げる。シタンの心を温めるように微笑んで。
「最愛のひとの心なんだから、知りたいよ」
そう口にしたジュリアスに、シタンの瞳が大きく見開かれてかすかに潤んだ。
「…ありがとう」
震えた声がそう言う。
「そんなジュリアスがいるから、僕はきっと戦える。
本当はね、ジュリアスの言う通り少し不安だった。怖かった。
こんな罪深い僕がビショップになんかなっていいのかって思ってもいた。
だからジュリアスに出会えたことは、きっとなによりの幸福なんだ」
細く白い手が、そっとジュリアスの手を握り返す。
「ジュリアスが僕の罪をいつだって許してくれるから、僕は戦える。
大丈夫だよ」
そう微笑んだシタンの顔がひどく美しく気高くて、ジュリアスは思わず見惚れてしまう。
きっとシタンはビショップになって、多くの人を救って、多くの人の心を奪っていくのだろう。それに面白くない思いはあるけれど、そんなシタンを愛したのも事実だ。
自分の罪を忘れられず傷ついて悔やんで、それでも誰かのために戦おうとしたシタンだからこそ、愛した。
「シタン」
名を呼んで、身を寄せて湯船に浸かったシタンの上半身を抱きしめる。
「愛しているよ。世界のなにより。
本当に、愛してる」
「知っているよ。もう疑ってなんかいない」
「それでも私が言いたかった。
何度だって言いたいんだ。
この心臓が止まるまで、絶えることなく告げていたい」
そう囁いて、顔を寄せる。優しく口づければ、シタンの頬が湯で温まったせいでなく朱に染まった。
「シタンに会えて、私は確かに幸せなんだ」
その言葉に、シタンは嬉しそうに微笑む。少しだけ泣きそうに。
「僕も、同じだよ。ジュリアス」
シタンがジュリアスの背中に腕を回し、素肌が触れあう。重なった胸から伝わる心音が、徐々に同じ音を奏でていくことが嬉しい。
「僕、運命って言葉、あまり好きじゃなかったんだ。
なんだか生まれた時に全て決まってしまったような気がして嫌だった。
でも、今はその言葉を信じたくなる」
少し身を離したシタンの手が、ジュリアスの手を握る。
指の太さも長さも白さも違う、その互いの手。それでもふれあえる、温もり。
「僕たちが出会うのが、運命だったなら嬉しい」
甘い言葉を吐いたシタンの唇にそっとキスをして、もう一度強く抱きしめる。
そしてその身体を抱き上げた。
ざばり、とお湯が音を立ててタイルの床に雫が落ちる。
「ジュリアス?」
「触れないなんて堪えられない。
シタンなんて、ずっと私に抱かれていればいい」
そう、熱っぽい苦しげな声で囁けば、シタンが目を瞠って、それから破顔する。
「それは、僕の台詞だよ。
ずっと、抱いていて、抱っこしてて、離れないように、忘れないように」
「僕が息絶えるまで、ずっと僕を見つめていて」
最大級の愛の言葉を吐いた唇を塞いで、大きなタオルでシタンの身体をくるむと寝室へと向かう。
今晩は離さないと、そう誓って。
散々抱き合って同じベッドで眠って、目覚めたらまだシタンはジュリアスのそばにいた。
窓から差し込む朝陽はまだ白い。
「目が覚めたら、君はいないかと思った」
「早めに目が覚めたから、ジュリアスのそばにもう少しいたくて」
上体を起こしたジュリアスに、シタンはシャツ一枚だけを纏った格好で微笑む。
「今が、信じられないくらい幸せで、溶けて消えてしまいそうなくらい。
だから何度だって触れて、確かめていたくなる」
「それなら何度だって私が教えてやるさ。
ここが、私のそばがシタンの居場所だって」
「うん」
ジュリアスの言葉にシタンが嬉しそうに笑う。その身体をそっと抱き寄せた。
伝わる体温は温かい。離れがたい。離したくない。
「実はね、ちょっと逃げてきたのもあるんだ」
「逃げて来た?」
不意にシタンが内緒話のように教えてくれた。
「弟が結婚するの、実はちょっと癪だから」
「…癪?」
「あんな相手にくれてやりたくない」
笑顔でなんだかすごいことを言ったシタンに、ジュリアスは「よほど問題のある相手なのか?」と首をかしげる。
「だってそんなものだろう?
可愛い兄弟なんて、ぽっと出の相手にはくれてやりたくないものだよ」
「そうなのか…。私には覚えのない感情だな…」
少なくとも自分は弟たちの結婚に、そんな風に思ったことはなかった。
もっともその家庭によって兄弟の距離感は違うから、そんなものかもと思うが。
「そういえば、いつかジュリアスのご兄弟にもお会いしたいな」
「そのうちに紹介するよ。
なんせ君は私の伴侶になるんだ」
「うん、楽しみにしている」
「ああ」
そんなことを話しながら寄り添っていたら、じわじわと窓の外の陽射しが明るくなってきた。もう時間がない。
明日の結婚式を終えたら、馬車で数日掛けて帰ってきたら、また一緒にいられる。
わかっているけれど、理屈じゃない。
こんなにも自分が、シタンに溺れると思っていなかった。
ラシードに片恋をしていた時には想像も出来ないほど、それは幸せな恋だった。
「さて、もうそろそろ行かなきゃ」
「ああ…」
「離したくないって思ってくれた?」
「…思った。すごく」
「嬉しい」
シタンが腕の中でふわふわと微笑む。まるで花のようだ。
「ねえ、プリムローズがそろそろ咲くね」
「…それが?」
「この庭にも咲いたら、見たいな。僕」
「あ、ああ、じゃあ植えるように言っておこう」
「別に植えなくてもいいんだ。いつか、ジュリアスがその花を僕にくれたら」
ジュリアスから身を離して、床に足を降ろしたシタンが窓辺に立って、カーテンを引いてこちらを振り返った。
朝陽が眩しくてシタンの表情が見えない。
「僕は、すごく幸せ」
視界が真っ白に染まる。光が消えた時、シタンの姿はそこにはなかった。
「言い逃げか」
ジュリアスは名残惜しさを抱えながら、呟く。
その顔は強気に笑っている。
「見ていろ。プリムローズの花を植えて、来年の春までには咲かせてみせるさ。
そうしたら」
そう口にして、まだシタンの温もりが残る手を持ち上げて指先に口づける。
「一緒に見よう。シタン」
そう、約束のように呟いて。
「お、顔色が良いな」
「なんだ会うなり」
麻薬組織を壊滅させた報告をしに、皇居を訪れたジュリアスは、会うなりそんなことを言ったネヴィルにげんなりした。
この親友は、本当に遠慮がないのだ。
「お前は年を追うごとに私に遠慮がなくなっていく」
「遠慮して欲しいか? 今更」
「いやだ」
「だろう?」
そう返されればぐうの音も出ない。
シタンのような最愛ではないが、気心の知れた信頼する親友だ。線を引かれたくはない。
「シタンは?」
「今頃弟の結婚式の最中だろう」
「そうか。よかった」
「心配したのか?」
「昨日、なんか訳ありな感じがあったからな」
ネヴィルはそう言って少し笑う。
「お前が癒やせるなら、それでいいんだ」
ネヴィルなりに、自国の問題に巻き込んだ責任を感じていたのだろう。
それ故の心配だろうし、単純にジュリアスとの仲を見守っているうちに情が湧いたのもあるはずだ。
「ああ、私がずっとそばにいる」
「それならいい」
「ああ、そうだ。プリムローズの花の育て方を知っているか?」
急にふと思い出して尋ねたジュリアスに、ネヴィルは目を丸くする。
「なに言ってるんだ。俺がそんなこと知っているわけないだろ。
園丁に聞けよ」
「そうだよな…」
「プリムローズって、なんだ急に」
「いや、シタンが一緒に見たいとか欲しいとか言ってて、なんでだろうと」
腕を組んで考え込んだジュリアスに、ネヴィルが目を瞬いた。
それから小さく吹き出す。
「なんだその反応」
「お前、そんな様じゃ令嬢たちに薔薇の貴公子と呼ばれた名が泣くぞ」
「そんな呼び名は知らん。シタンからの呼び名が最重要だ」
「まあお前はそうだろうさ」
くつくつとネヴィルは笑っている。なんだか苛ついてきた。
「おい、ネヴィル。いい加減に、」
「プリムローズの花言葉だよ」
「花言葉?」
「『最初の薔薇』『初恋』。
シタンにとってのお前のことだ」
ネヴィルは明るく笑ってそう告げる。
徐々にその言葉を理解して、顔が真っ赤に染まったジュリアスを見てまたネヴィルが豪快に笑った。
ああ、卑怯だ。シタン。そんな熱烈な愛の言葉を、この場にいない時に知らせるなんて。
目の前にいたら力一杯に抱きしめて二度と腕の中から出したくないのに。
それともそんな自分を知っていての置き土産だろうか。
(帰ったら覚悟しておけよ。シタン)
そう甘ったるいばかりの気持ちで思う。
もう二度と、離してはやれなさそうだ。
君がいないと、朝も明けない。
こんなに虜にした責任を取ってもらわないと。
(私にとっても、君は『最初の薔薇』だ)
「あ、ジュリアス。
弟がもし会う機会があったら一発殴るって言っていた」
「は?」
だが帰ってきたシタンに開口一番そう言われてしまったジュリアスは全く覚えがなくて目を点にする。
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……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
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※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
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