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第八話 暗雲
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「…っぁ、ん」
つけっぱなしになったテレビが、面白くもないニュース番組を流している。
床に転がったリモコンと、散らばった衣服。
切れ切れにこぼれる甘い声をのみ込むように、きつく唇が重なった。
「っん、あ、は…っ」
ナディールが腰を揺するたびにソファが大きく軋んで音を鳴らす。
シンディーはその大きな身体にすがりついて、ただ彼の良いように揺さぶられていた。
ナディールはちゃんと衣服を身につけているのに、自分はほとんどなにもまとっていない。
せいぜい、乱暴に脱がされたシャツが腕に引っかかっているだけだ。
テレビを見ている最中にいきなりキスされて、そのまま行為になだれ込んだ。
最近、ナディールは血を飲んでもいないのに自分を抱きたがる。自分にちゃんと「いいか?」と尋ねて、頷けばうれしそうな顔をする。
それにほだされて、なんだかんだ拒めなくなっていた。
ほんとうは自分でもわからない。
牙を穿たれていないのに、なぜこの男のために足を開いて腕を背中に回してすがっているのか。
最初は憎くて憎くて仕方が無かったのに、殺したいほど嫌いだったのに。
今では、彼が隣にいることに違和感を覚えなくなった。どころか、嫌悪感や憎悪すらも薄れてしまって。
彼が自分の些細な言葉や態度に、子供みたいな顔で笑うのを見るたびに、不可解な感情で胸が締め付けられた。
「っひ、ァ…!」
「おい、なに考え事してんだよ」
よそ事を考えていたのがわかったのか、太ももを跡が付くほど強く掴まれ、奥まで強く貫かれて悲鳴が漏れる。
「っべ、つに、考えて、な」
「嘘吐くな。
おまえのことならわかる」
「…っとに、考えて、…ない。
いぁっ、あ!?」
「だから、嘘吐くなっつってんだ。
抱き潰されてぇか?」
ナディールの腕に爪を立ててしがみつきながら、震える声で否定したが、すぐに乱暴な動きで最奥まで突き入れられた性器を引き抜かれ、また同じだけの強さで奥まで押し込まれてかすれた嬌声が喉を突く。
衝撃に仰け反ったシンディーの白い首筋に噛みついて、ナディールは低くうなるようにささやいた。
「なに考えてたんだよ?
シンディー。
オレに抱かれてる最中に」
「…っは、…ち、が」
「まだ否定すんのか。
意識が飛ぶまでヤられてぇか?」
「お、まえの、ことしか、…考えて、ない」
激しすぎる快楽で混濁する意識をどうにかつなぎ止めて、目の前にあるナディールのたくましい肩に額を寄せながら口にする。
「…おまえの、ことを、…考えてただけ…ッぁあ!?」
どうにか最後まで言葉を紡いだ瞬間、先ほどよりも乱暴に奥まで突かれて目の前が真っ白になった。
脊髄を駆け上がった激しい快楽に脳髄が震え、呼吸すらままならずに唇がはくはくと喘ぐ。
「…っとに、おまえは」
耳元でナディールがどこか苦しげな声でつぶやいた。
「…あんまり煽るなよ。
知らねえぞ。
―――どうなっても」
「っナ、ディール…?」
もうほとんどまともな思考なんてはぎ取られていて、ナディールの言葉の意味すら理解出来る余裕はない。
か細く弱々しい声で名を呼ぶと、大きな手がシンディーの頬を包んだ。
「シンディー」
愛おしげな声に名を呼ばれるだけで、じわじわと甘い毒が身体を巡るような感覚に陥る。
繋がった場所も、頬を撫でる手も、触れあった胸も、なにもかもひどく熱くて火傷しそうだ。
くらくらと目眩がするのは、激しい快楽のせいなのか。それともなにより熱いそのまなざしのせいか。
「…ッおかしい、んだ」
「なにが?」
「…血を吸われてない、のに、おかしい。
なにをされても、良いんだ。
おまえのこと以外、わからなくなって、おかしくなる。
…こんなのは、知らない」
「…ッ」
ろくに頭も働かないまま、熱に浮かされたように告げる。
ナディールの瞳が見開かれて、呼吸すら止まった。
「…これも、オレが、“贄”だからか…?
オレになにか、したのか…?
おまえのこと以外、考えられな…っ」
今度は最後まで続けられなかった。
呼吸ごと喰らうような激しいキスになにもかも呑み込まれて、骨が軋むほど身体をかき抱かれる。
そのまま乱暴な動きで抽挿が再開されて、今度こそ思考もなにもかも奪われた。
快楽に脳が焼き尽くされて、目の前の男以外なにもわからなくなる。
ただ、自分を抱く男がまるで失うことに怯えるように自分の身体をがんじがらめに抱きしめ、耳元で泣くような声で自分の名を繰り返し呼んでいることだけは認識出来た。
「シンディー。
爪立てろ。
噛んでもいいから」
「ぁ、んッ」
「なあ、頼む。
消えないくらい、…残せよ」
ほんとうにおかしい。
おまえ、吸血鬼だろ。すぐに消えるじゃないか。跡なんて。
焼き切れたような脳がそんなことを考えたけど、それもすぐに消えた。
まるで跡を残させるように、理性を奪うように激しく突き上げられてわずかな思考も呑み込まれる。
最奥を貫かれ、達した瞬間にほぼ無意識に目の前の肩に強く噛みついた。
絶頂の衝撃で目の前が点滅して、身体が自分のものではないように小刻みに震える。
酸欠に喘ぎながら、涙でぼやけた視界で目の前の男を見た。
自分が残した、すぐに消えてしまう肩の噛み跡を愛しげに撫でる姿を。
泣きそうな顔で笑う彼を見たら、胸があまやかな痛みで締め付けられて、どうしようもなく苦しくなった。
「後片付けするから、寝てろよ」と言って寝室を後にしたナディールをぼんやり見送って、シンディーは寝台の上に横たわったままちいさく息を吐く。
散々抱いたあと丁寧に自分の身体を洗ってくれるのも、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのもいつものことだ。
けれど最近は、そのまなざしや表情、言葉の端々や触れる手つきのなにもかもが甘くて、慈愛に満ちあふれている。
わけがわからないのは、それらを目にするたびに苦しくなる自分自身。
憎かったはずだ。殺したかったはずだ。
無理矢理自分を所有し、屈辱を味わわせた傲慢な吸血鬼。
なのに、今は拒めなくなっている。隣にある彼の大きな体躯や体温に、安堵すら覚えている。
これは刻まれた彼の印のせいなのか。自分が彼の“贄”だからなのか。
でもそれなら“贄”になってすぐに彼への憎悪は消えているはずだ。
じゃあ、結局今、自分が抱えている不可解な感情は自分自身のものということで。
もう一度ため息を吐いた瞬間、カーテンの引かれた窓がこんこん、とたたかれて顔をあげた。
「…だれだ?」
「オレだ。ベイカー」
「…ベイカー?」
シンディーはどうにか身体を起こすと、痛みに眉を寄せながら床に足を降ろして窓に向かう。
カーテンを少し開けると、夜闇に包まれたバルコニーに立っていたベイカーが自分を見て目を見開き、頬を赤らめて顔を背けた。
「どうした?」
「…いや、用事あって来たんだけど、その、おまえ、格好…」
「…ああ」
言いにくそうに告げたベイカーに、シンディーは自分の格好を今更に見下ろして納得する。
白いシャツ一枚だけで足がきわどいところまで覗いているし、首筋や鎖骨に刻まれた跡も見えるはずだ。
ナディールのシャツだからその分大きい。それもあって胸元もけっこう見えている。
とはいえほかの服がこの部屋にないのだ。仕方ない。
まだ湿った髪から伝う滴が鎖骨に落ちるのを見て、ベイカーが唾を飲み込んだ。
「悪い。
見苦しいな。
ほかに服がないんだ。取りに行ってたらナディールに気づかれるし」
「いや、いいけど…」
たぶんナディールが来たらまずいんだろうな、と思ったのでそう言うと、ベイカーは口元を手で覆ってしどろもどろになりながら答えた。
「…今日は血を吸われてないんだな」
「ああ、まあ…」
さらされた首に牙の跡がないことを見て取って尋ねて来たベイカーに、複雑な思いで頷く。
じゃあなんで抱かれるんだ?って聞かれたら、答える言葉が見付からない。
「…ナディールってそんなセックスうまいのか?」
「ぶん殴るぞてめえ」
「悪かったよ」
思わず口を吐いたらしい問いかけに、低い声で言い返すとベイカーが両手を挙げて謝る。
けれどはっきり理由を聞かれなくて安堵する気持ちもあった。
「マジでシンディーってなにも気にしねえよな」
「なにが?」
「オレが吸血鬼ってわかっててもそうやってなんも遠慮しねえじゃん。
ナディールにもそうらしいし」
「遠慮する理由がわからねえんだが」
「…ま、おまえはそうだよな」
ベイカーはそうやって、切なげに瞳を細めた。
もう手に入らないものを見つめように、悲しげな笑みを浮かべて。
「なんでオレじゃダメだったんだろうなって。
肌の色だって同じだし、おまえよりでかい男だし、…同じ吸血鬼なのに」
「…ベイカー?」
「気づいてたんだろ?
オレの気持ちは」
「…それは」
わかっていた。知っていた。
それでもなにも言わなかったのは、彼を仲間として信頼していたから。
その上で、決して応えられないとわかっていたからだ。
応えられないとわかっているのに、相手が隠していることを無理に尋ねて何になる。
そんな残酷な仕打ちはないだろう。
だからシンディーは自分から彼に、その話をする気はなかった。
「なあ、シンディー。
もしおまえがナディールに会う前に、オレが好きだと言ったら頷いたか?」
「…いや、ないと思う」
「だよな」
素直に答えたのも、そのほうがいいと思ったからだ。
中途半端に期待を持たせる方が残酷だ。
ベイカーもそれは十分わかっているのだろう。
「…ナディールに会う前は、男なんて冗談じゃないと思っていたし。
応える気もないのに踏み込んだところで、お互い気まずくなるだけだ。
おまえがチームからいなくなるのは嫌だったから、おまえが言う気がないなら触れるべきじゃないと思っていた。
ロイドに関しても」
「ま、それがベストだと思うぜ。
好意もない男に気を持たせるようなそぶりをするとろくなことにならねえし」
ベイカーは割り切ったように笑って、肩をすくめてみせる。
その上でおどけたように、冗談めかしてこう尋ねた。
「じゃあもし、ナディールがいなくなったらオレを選ぶ気はあるか?」
「…一度選んだ“贄”は、“贄”が死ぬまで契約を解除出来ないと聞いたが」
「逆もしかりだろ。
“主”が死ねば“贄”は自由だ」
「…あいつになにかする気か?」
思わず口からこぼれた低い問いかけに、ベイカーがちいさく息を呑んだ。
「…冗談だよ。
だからそんな怖い顔するな」
「…そんな顔をしていたか?」
言われてはじめて、自分がどんな顔をしていたか自覚して戸惑った。
どうして、こんなに胸が苦しいのかもわからない。
「ああ。
自分でわざとそういう言い方したとはいえ、普通にフラれたほうが傷は浅かったな」
「…ベイカー?」
「まあ、それはいいんだ。
用事なんだが、気をつけろって言いに来た」
ちいさな声で独りごちるように言って、ベイカーは気を取り直して話題を変えた。
「気をつけろ?
ナディールにか?」
「ちがうよ。
あいつはまあ、おまえを害することはねえだろうってわかってる」
「…まあ、それは」
シンディーも思わずナディールの名を出してしまったが、実際ナディールが自分を害するとは今はもう思っていなかった。
「そうじゃなく、おまえ、ナディールが連れてたって女覚えてるか?
オレは会ったことないが、ナディールがはじめてあのコートに来たとき、同じ黒人の女を連れてたって聞いてさ。
その女、ナディールの獲物だったんだろ」
「…ああ、そういえばはじめて会ったとき、女を連れていたな。
その女の血を吸ってるのも目撃した。
まあ、そのあとは見なくなったが」
「その女が死体で発見された。
全身から血を抜き取られてな」
なぜその女の話が出る?と内心疑問に思っていたが、続いたベイカーの言葉に息を呑んだ。
「ナディールがやったって?」
「それはないだろ。
ナディールがその女を最後に連れてた日。つまりおまえがナディールにはじめて会った日、その女は貧血で路地に倒れていたらしいが、そのあと病院に運ばれて意識が回復し、何事もなく家に帰った。
普通の吸血鬼はたとえ使い捨ての餌でも殺すほど飲むことはしないんだ。
ナディールもそれはちゃんと守ってたんだろうな。
それにおまえと会ってからは、ナディールはおまえ以外の血を飲んだことはないだろう。
あいつがおまえ以外のにおいをまとわりつかせていたことはねえし。
だから、ほかの吸血鬼がやったってことになるが、今までこの街にそんなタチの悪い吸血鬼はいなかったはずだ」
「…余所からまた新しい吸血鬼が来たってことか?」
「たぶんな。
で、普通の吸血鬼は基本、ほかの吸血鬼と“贄”の契約を結んだ人間を襲うことはしない。
襲ったとしても、まずは主である吸血鬼を殺してからだ。
主が生きてるのに“贄”を襲うってのは一種のタブーだしな。
だが、中にはそれを気にせずほかの吸血鬼の“贄”を襲って殺しちまうやつもいる」
ベイカーはそう言い置いて、案じるようなまなざしでシンディーを見た。
「だから気をつけろよ。
おまえは吸血鬼から見たら極上の獲物なんだ」
「……わかった」
しっかり頷いた自分に、ベイカーはほっとした様子で表情を緩ませるとすぐにその場を立ち去った。
シンディーは窓辺に佇んだまま、自分の身体を緩く抱きしめる。
『“主”が死ねば“贄”は自由だ』
今更だ。わかっていたことだ。だから、自分はナディールを殺したかった。
なのになぜ、ベイカーにナディールを殺すようなことを言われて、自分はあんな反応をしたのか。
どうして、胸が苦しいのか。
このままではきっと、自分は一生、ナディールから離れられないとわかっているのに。
「シンディー」
不意に背後から伸びたたくましい腕に腰を抱き寄せられ、あたたかな体温に包まれる。
心臓が大きく跳ねた。
「…ナディール」
「…今の、ベイカーか?
なにしてんだ」
あからさまに嫉妬をにじませて問い詰めてきたナディールに、胸が切なく締め付けられる。
「そんな格好でベイカーに、いや、ほかの男の前に出るな」
「…ズボンも下着もなかったんだから仕方ないだろう。
だいたい、脱がせたのはおま…ッ」
胸の痛みから目をそらすように、ナディールからも顔をそらしたら後ろ頭を抱かれ、強引に上向かされて唇がきつく重なった。
「…ん」
「オレ以外に肌を見せるな。
そんな姿、見せるな」
彼が自分に強い執着心を見せるたび、どうしようもなく苦しくなる。
出会ったときはそうじゃなかった。彼はあくまで自分を“贄”として扱っていて、そんな執着も嫉妬も抱いていなかったはずだ。
ただ、自分は彼の気に入りの人形で、餌で。それだけのはずだったはずだ。
(なら、今は?)
今は、どうなのか。そんなことを、なぜ自分は気にするのか。
誰より殺したいはずだったのに、今は突き放すことすら難しい。
「…吸血鬼が」
「あん?」
「…今までこの街にいなかった、別の吸血鬼がここに来てるみたいだから、気をつけろと」
「…ふうん」
ナディールは興味なさそうに相づちを打つが、裏腹に自分を抱く腕には力がこもる。
「安心しろ。
オレ以外の吸血鬼になんざ触れさせねえよ」
「…それは、安心していいことなのか?」
「…そうだな」
おまえにとっては、オレも似たようなものか。
そう言ってナディールが笑う。どこか切なげに。
それだけでどうしようもなく苦しくなる。言葉にならない感情が胸の中で暴れている。
けれど、どうすればいいのかわからなかった。
つけっぱなしになったテレビが、面白くもないニュース番組を流している。
床に転がったリモコンと、散らばった衣服。
切れ切れにこぼれる甘い声をのみ込むように、きつく唇が重なった。
「っん、あ、は…っ」
ナディールが腰を揺するたびにソファが大きく軋んで音を鳴らす。
シンディーはその大きな身体にすがりついて、ただ彼の良いように揺さぶられていた。
ナディールはちゃんと衣服を身につけているのに、自分はほとんどなにもまとっていない。
せいぜい、乱暴に脱がされたシャツが腕に引っかかっているだけだ。
テレビを見ている最中にいきなりキスされて、そのまま行為になだれ込んだ。
最近、ナディールは血を飲んでもいないのに自分を抱きたがる。自分にちゃんと「いいか?」と尋ねて、頷けばうれしそうな顔をする。
それにほだされて、なんだかんだ拒めなくなっていた。
ほんとうは自分でもわからない。
牙を穿たれていないのに、なぜこの男のために足を開いて腕を背中に回してすがっているのか。
最初は憎くて憎くて仕方が無かったのに、殺したいほど嫌いだったのに。
今では、彼が隣にいることに違和感を覚えなくなった。どころか、嫌悪感や憎悪すらも薄れてしまって。
彼が自分の些細な言葉や態度に、子供みたいな顔で笑うのを見るたびに、不可解な感情で胸が締め付けられた。
「っひ、ァ…!」
「おい、なに考え事してんだよ」
よそ事を考えていたのがわかったのか、太ももを跡が付くほど強く掴まれ、奥まで強く貫かれて悲鳴が漏れる。
「っべ、つに、考えて、な」
「嘘吐くな。
おまえのことならわかる」
「…っとに、考えて、…ない。
いぁっ、あ!?」
「だから、嘘吐くなっつってんだ。
抱き潰されてぇか?」
ナディールの腕に爪を立ててしがみつきながら、震える声で否定したが、すぐに乱暴な動きで最奥まで突き入れられた性器を引き抜かれ、また同じだけの強さで奥まで押し込まれてかすれた嬌声が喉を突く。
衝撃に仰け反ったシンディーの白い首筋に噛みついて、ナディールは低くうなるようにささやいた。
「なに考えてたんだよ?
シンディー。
オレに抱かれてる最中に」
「…っは、…ち、が」
「まだ否定すんのか。
意識が飛ぶまでヤられてぇか?」
「お、まえの、ことしか、…考えて、ない」
激しすぎる快楽で混濁する意識をどうにかつなぎ止めて、目の前にあるナディールのたくましい肩に額を寄せながら口にする。
「…おまえの、ことを、…考えてただけ…ッぁあ!?」
どうにか最後まで言葉を紡いだ瞬間、先ほどよりも乱暴に奥まで突かれて目の前が真っ白になった。
脊髄を駆け上がった激しい快楽に脳髄が震え、呼吸すらままならずに唇がはくはくと喘ぐ。
「…っとに、おまえは」
耳元でナディールがどこか苦しげな声でつぶやいた。
「…あんまり煽るなよ。
知らねえぞ。
―――どうなっても」
「っナ、ディール…?」
もうほとんどまともな思考なんてはぎ取られていて、ナディールの言葉の意味すら理解出来る余裕はない。
か細く弱々しい声で名を呼ぶと、大きな手がシンディーの頬を包んだ。
「シンディー」
愛おしげな声に名を呼ばれるだけで、じわじわと甘い毒が身体を巡るような感覚に陥る。
繋がった場所も、頬を撫でる手も、触れあった胸も、なにもかもひどく熱くて火傷しそうだ。
くらくらと目眩がするのは、激しい快楽のせいなのか。それともなにより熱いそのまなざしのせいか。
「…ッおかしい、んだ」
「なにが?」
「…血を吸われてない、のに、おかしい。
なにをされても、良いんだ。
おまえのこと以外、わからなくなって、おかしくなる。
…こんなのは、知らない」
「…ッ」
ろくに頭も働かないまま、熱に浮かされたように告げる。
ナディールの瞳が見開かれて、呼吸すら止まった。
「…これも、オレが、“贄”だからか…?
オレになにか、したのか…?
おまえのこと以外、考えられな…っ」
今度は最後まで続けられなかった。
呼吸ごと喰らうような激しいキスになにもかも呑み込まれて、骨が軋むほど身体をかき抱かれる。
そのまま乱暴な動きで抽挿が再開されて、今度こそ思考もなにもかも奪われた。
快楽に脳が焼き尽くされて、目の前の男以外なにもわからなくなる。
ただ、自分を抱く男がまるで失うことに怯えるように自分の身体をがんじがらめに抱きしめ、耳元で泣くような声で自分の名を繰り返し呼んでいることだけは認識出来た。
「シンディー。
爪立てろ。
噛んでもいいから」
「ぁ、んッ」
「なあ、頼む。
消えないくらい、…残せよ」
ほんとうにおかしい。
おまえ、吸血鬼だろ。すぐに消えるじゃないか。跡なんて。
焼き切れたような脳がそんなことを考えたけど、それもすぐに消えた。
まるで跡を残させるように、理性を奪うように激しく突き上げられてわずかな思考も呑み込まれる。
最奥を貫かれ、達した瞬間にほぼ無意識に目の前の肩に強く噛みついた。
絶頂の衝撃で目の前が点滅して、身体が自分のものではないように小刻みに震える。
酸欠に喘ぎながら、涙でぼやけた視界で目の前の男を見た。
自分が残した、すぐに消えてしまう肩の噛み跡を愛しげに撫でる姿を。
泣きそうな顔で笑う彼を見たら、胸があまやかな痛みで締め付けられて、どうしようもなく苦しくなった。
「後片付けするから、寝てろよ」と言って寝室を後にしたナディールをぼんやり見送って、シンディーは寝台の上に横たわったままちいさく息を吐く。
散々抱いたあと丁寧に自分の身体を洗ってくれるのも、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのもいつものことだ。
けれど最近は、そのまなざしや表情、言葉の端々や触れる手つきのなにもかもが甘くて、慈愛に満ちあふれている。
わけがわからないのは、それらを目にするたびに苦しくなる自分自身。
憎かったはずだ。殺したかったはずだ。
無理矢理自分を所有し、屈辱を味わわせた傲慢な吸血鬼。
なのに、今は拒めなくなっている。隣にある彼の大きな体躯や体温に、安堵すら覚えている。
これは刻まれた彼の印のせいなのか。自分が彼の“贄”だからなのか。
でもそれなら“贄”になってすぐに彼への憎悪は消えているはずだ。
じゃあ、結局今、自分が抱えている不可解な感情は自分自身のものということで。
もう一度ため息を吐いた瞬間、カーテンの引かれた窓がこんこん、とたたかれて顔をあげた。
「…だれだ?」
「オレだ。ベイカー」
「…ベイカー?」
シンディーはどうにか身体を起こすと、痛みに眉を寄せながら床に足を降ろして窓に向かう。
カーテンを少し開けると、夜闇に包まれたバルコニーに立っていたベイカーが自分を見て目を見開き、頬を赤らめて顔を背けた。
「どうした?」
「…いや、用事あって来たんだけど、その、おまえ、格好…」
「…ああ」
言いにくそうに告げたベイカーに、シンディーは自分の格好を今更に見下ろして納得する。
白いシャツ一枚だけで足がきわどいところまで覗いているし、首筋や鎖骨に刻まれた跡も見えるはずだ。
ナディールのシャツだからその分大きい。それもあって胸元もけっこう見えている。
とはいえほかの服がこの部屋にないのだ。仕方ない。
まだ湿った髪から伝う滴が鎖骨に落ちるのを見て、ベイカーが唾を飲み込んだ。
「悪い。
見苦しいな。
ほかに服がないんだ。取りに行ってたらナディールに気づかれるし」
「いや、いいけど…」
たぶんナディールが来たらまずいんだろうな、と思ったのでそう言うと、ベイカーは口元を手で覆ってしどろもどろになりながら答えた。
「…今日は血を吸われてないんだな」
「ああ、まあ…」
さらされた首に牙の跡がないことを見て取って尋ねて来たベイカーに、複雑な思いで頷く。
じゃあなんで抱かれるんだ?って聞かれたら、答える言葉が見付からない。
「…ナディールってそんなセックスうまいのか?」
「ぶん殴るぞてめえ」
「悪かったよ」
思わず口を吐いたらしい問いかけに、低い声で言い返すとベイカーが両手を挙げて謝る。
けれどはっきり理由を聞かれなくて安堵する気持ちもあった。
「マジでシンディーってなにも気にしねえよな」
「なにが?」
「オレが吸血鬼ってわかっててもそうやってなんも遠慮しねえじゃん。
ナディールにもそうらしいし」
「遠慮する理由がわからねえんだが」
「…ま、おまえはそうだよな」
ベイカーはそうやって、切なげに瞳を細めた。
もう手に入らないものを見つめように、悲しげな笑みを浮かべて。
「なんでオレじゃダメだったんだろうなって。
肌の色だって同じだし、おまえよりでかい男だし、…同じ吸血鬼なのに」
「…ベイカー?」
「気づいてたんだろ?
オレの気持ちは」
「…それは」
わかっていた。知っていた。
それでもなにも言わなかったのは、彼を仲間として信頼していたから。
その上で、決して応えられないとわかっていたからだ。
応えられないとわかっているのに、相手が隠していることを無理に尋ねて何になる。
そんな残酷な仕打ちはないだろう。
だからシンディーは自分から彼に、その話をする気はなかった。
「なあ、シンディー。
もしおまえがナディールに会う前に、オレが好きだと言ったら頷いたか?」
「…いや、ないと思う」
「だよな」
素直に答えたのも、そのほうがいいと思ったからだ。
中途半端に期待を持たせる方が残酷だ。
ベイカーもそれは十分わかっているのだろう。
「…ナディールに会う前は、男なんて冗談じゃないと思っていたし。
応える気もないのに踏み込んだところで、お互い気まずくなるだけだ。
おまえがチームからいなくなるのは嫌だったから、おまえが言う気がないなら触れるべきじゃないと思っていた。
ロイドに関しても」
「ま、それがベストだと思うぜ。
好意もない男に気を持たせるようなそぶりをするとろくなことにならねえし」
ベイカーは割り切ったように笑って、肩をすくめてみせる。
その上でおどけたように、冗談めかしてこう尋ねた。
「じゃあもし、ナディールがいなくなったらオレを選ぶ気はあるか?」
「…一度選んだ“贄”は、“贄”が死ぬまで契約を解除出来ないと聞いたが」
「逆もしかりだろ。
“主”が死ねば“贄”は自由だ」
「…あいつになにかする気か?」
思わず口からこぼれた低い問いかけに、ベイカーがちいさく息を呑んだ。
「…冗談だよ。
だからそんな怖い顔するな」
「…そんな顔をしていたか?」
言われてはじめて、自分がどんな顔をしていたか自覚して戸惑った。
どうして、こんなに胸が苦しいのかもわからない。
「ああ。
自分でわざとそういう言い方したとはいえ、普通にフラれたほうが傷は浅かったな」
「…ベイカー?」
「まあ、それはいいんだ。
用事なんだが、気をつけろって言いに来た」
ちいさな声で独りごちるように言って、ベイカーは気を取り直して話題を変えた。
「気をつけろ?
ナディールにか?」
「ちがうよ。
あいつはまあ、おまえを害することはねえだろうってわかってる」
「…まあ、それは」
シンディーも思わずナディールの名を出してしまったが、実際ナディールが自分を害するとは今はもう思っていなかった。
「そうじゃなく、おまえ、ナディールが連れてたって女覚えてるか?
オレは会ったことないが、ナディールがはじめてあのコートに来たとき、同じ黒人の女を連れてたって聞いてさ。
その女、ナディールの獲物だったんだろ」
「…ああ、そういえばはじめて会ったとき、女を連れていたな。
その女の血を吸ってるのも目撃した。
まあ、そのあとは見なくなったが」
「その女が死体で発見された。
全身から血を抜き取られてな」
なぜその女の話が出る?と内心疑問に思っていたが、続いたベイカーの言葉に息を呑んだ。
「ナディールがやったって?」
「それはないだろ。
ナディールがその女を最後に連れてた日。つまりおまえがナディールにはじめて会った日、その女は貧血で路地に倒れていたらしいが、そのあと病院に運ばれて意識が回復し、何事もなく家に帰った。
普通の吸血鬼はたとえ使い捨ての餌でも殺すほど飲むことはしないんだ。
ナディールもそれはちゃんと守ってたんだろうな。
それにおまえと会ってからは、ナディールはおまえ以外の血を飲んだことはないだろう。
あいつがおまえ以外のにおいをまとわりつかせていたことはねえし。
だから、ほかの吸血鬼がやったってことになるが、今までこの街にそんなタチの悪い吸血鬼はいなかったはずだ」
「…余所からまた新しい吸血鬼が来たってことか?」
「たぶんな。
で、普通の吸血鬼は基本、ほかの吸血鬼と“贄”の契約を結んだ人間を襲うことはしない。
襲ったとしても、まずは主である吸血鬼を殺してからだ。
主が生きてるのに“贄”を襲うってのは一種のタブーだしな。
だが、中にはそれを気にせずほかの吸血鬼の“贄”を襲って殺しちまうやつもいる」
ベイカーはそう言い置いて、案じるようなまなざしでシンディーを見た。
「だから気をつけろよ。
おまえは吸血鬼から見たら極上の獲物なんだ」
「……わかった」
しっかり頷いた自分に、ベイカーはほっとした様子で表情を緩ませるとすぐにその場を立ち去った。
シンディーは窓辺に佇んだまま、自分の身体を緩く抱きしめる。
『“主”が死ねば“贄”は自由だ』
今更だ。わかっていたことだ。だから、自分はナディールを殺したかった。
なのになぜ、ベイカーにナディールを殺すようなことを言われて、自分はあんな反応をしたのか。
どうして、胸が苦しいのか。
このままではきっと、自分は一生、ナディールから離れられないとわかっているのに。
「シンディー」
不意に背後から伸びたたくましい腕に腰を抱き寄せられ、あたたかな体温に包まれる。
心臓が大きく跳ねた。
「…ナディール」
「…今の、ベイカーか?
なにしてんだ」
あからさまに嫉妬をにじませて問い詰めてきたナディールに、胸が切なく締め付けられる。
「そんな格好でベイカーに、いや、ほかの男の前に出るな」
「…ズボンも下着もなかったんだから仕方ないだろう。
だいたい、脱がせたのはおま…ッ」
胸の痛みから目をそらすように、ナディールからも顔をそらしたら後ろ頭を抱かれ、強引に上向かされて唇がきつく重なった。
「…ん」
「オレ以外に肌を見せるな。
そんな姿、見せるな」
彼が自分に強い執着心を見せるたび、どうしようもなく苦しくなる。
出会ったときはそうじゃなかった。彼はあくまで自分を“贄”として扱っていて、そんな執着も嫉妬も抱いていなかったはずだ。
ただ、自分は彼の気に入りの人形で、餌で。それだけのはずだったはずだ。
(なら、今は?)
今は、どうなのか。そんなことを、なぜ自分は気にするのか。
誰より殺したいはずだったのに、今は突き放すことすら難しい。
「…吸血鬼が」
「あん?」
「…今までこの街にいなかった、別の吸血鬼がここに来てるみたいだから、気をつけろと」
「…ふうん」
ナディールは興味なさそうに相づちを打つが、裏腹に自分を抱く腕には力がこもる。
「安心しろ。
オレ以外の吸血鬼になんざ触れさせねえよ」
「…それは、安心していいことなのか?」
「…そうだな」
おまえにとっては、オレも似たようなものか。
そう言ってナディールが笑う。どこか切なげに。
それだけでどうしようもなく苦しくなる。言葉にならない感情が胸の中で暴れている。
けれど、どうすればいいのかわからなかった。
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