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9話
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「なあ委員長、ここの数学の問題分かる?」
「ん、この問題か?」
体育祭が終わったことは、三年生として一つの区切りになったようで、こうやって休み時間に教科書を開く生徒も増えてきた。
「……ああ、恒等式か。ここはだな――」
僕の前の席では委員長と如何にも不真面目そうな宇津木が数学の問題集と睨めっこしていた。宇津木はピアスの穴を開けているわけでも、髪を金髪に染めているわけではない。長めの髪をワックスで逆立てているくらいだが、纏う空気がどこか軽薄で不真面目な風に見える。
「……こういう感じだな。答えは合ってるか?」
「ちょい待って、確認するから。……おお、合ってるわ。流石委員長、頭良いな」
回答集と計算式を見比べて、宇津木は感嘆したように言った。
「委員長勉強得意だよなぁ。……運動はアレだけど」
「貴様、せっかく人が勉強に付き合ってやっているというのに……」
呟かれた言葉に委員長は傷ついたようだった。
先日行われた体育祭で見事に最下位に転落した敗因である委員長は、それ以降鈍足をネタに揶揄われることが多くなった。
達哉からバトンを託す時には最下位だったが、三位の背中も見えていたのだが、あっという間に後続に差をつけられ、結果文句なしの最下位だ。
団対抗リレーは足の速さを基準に選ばれるが、アンカーはその限りではない。アンカーは各団長が務めるからだ。実際、他のアンカーも俊足揃いというわけではなかった。
それにしたって委員長の鈍足ぶりは群を抜いていたが。
委員長の黒歴史は兎に角、体育祭は無事終わり三年生は次のステップに移行した。夏季大会を控える運動系部活動生達は普段よりも練習に熱が入り、特に何もしていない帰宅部生達も筆記用具を持つ時間が増えた。
翻って、僕はどうなのだろうか、と自問自答する。
多分、僕は何も変われていないのだと思う。あの日から僕の体内時計は止まったままなのに、周りの世界では規則正しく時間が刻まれている。
「まいったなぁ」
「何が?」
僕の独り言が耳に入ったのか、俯き気味の顔を上げると、宇津木が振り返って此方を見ていた。
「悪りい、なんか聞こえたからさ」
「ん、なんでもない。勉強の邪魔してゴメンね」
宇津木とは会話をするような関係ではなかった。それどころか、多分まともに口を聞いたのは数日前が初めてだった。
おう、と宇津木は朗らかに笑って勉強に戻っていった。
学校行事の類は比較的真面目に参加していたが、偶に授業を勝手にサボっていた事もあった宇津木が教科書を開いているというだけで違和感がある。
事実、宇津木と親しい友人なんかは目を白黒させていた。疑問に対して、宇津木は受験生だから、と返していた。確かに受験生だから、勉強するのは何もおかしくない。友人達は腑に落ちない様子で、それが印象的だった。
僕は宇津木が勉学に取り込むようになった理由を知っている。
その理由は大雑把に言ってしまえば宇津木の言った通り受験生だからで終わってしまうのだが、僕はもう少し深いところまで知ってしまった。
僕と宇津木は共犯者になったのだ。
共犯者と言っても、大それた犯罪行為をしたわけではない。明確に法律違反ではあるけれど、人様に迷惑をかけるものではない。勿論だからといって法律違反していい理由にはならないが。
一応は真面目な優等生で通っていた僕が犯した罪は喫煙だ。
体育祭が終わり、再び授業が始まってしばらく経った頃。その日僕は体調が芳しくなかった。身体の節々が痛み、頭痛があったのだ。体温を測ると微熱があった。
別に学校に行けないほど体調が悪くなかったからいつも通り学校に行こうと思ったが、過剰に騒ぐ父親に病院に連行されてからの登校になった。診断の結果、風邪気味である以外の結果は出ず、熱も大したことがないために学校まで父親に送迎してもらうことになった。
学校に到着すると一限目はもう始まっていて、当然ながら廊下の人影は絶えていた。
だからこそ、こそこそとしている宇津木の姿はあまりにも目立っていた。いっそ堂々としていた方がまだ怪しまれないだろうに、警戒しているようで僕にまったく気づかない事も含めて宇津木は大分間抜けだ。
初めはトイレにでも行くのかと思ったが、宇津木はトイレがある踊り場を通り抜け、上履きのまま下駄箱を抜けていった。気になった僕は後を付けることにした。宇津木は校舎裏の、今はもう口が閉ざされた焼却炉までやってきて、ポケットから煙草の箱を取り出して萎びたそれを口にくわえて、火を点けた。
「あ」
丁度その時、僕と視線がぶつかって宇津木は慌てて煙草を踏みつぶして消した。当然、そんな事をしても無意味だ。
先生に突き出すのは止めてくれ、と懇願する宇津木に僕は一つの交換条件を提示した。
「黙ってるからさ、その煙草一本僕も貰っていい?」
正直な事を言うと、僕が何故そこで煙草を一本強請ったのか自分でも良く分からない。
元々先生に報告するなんて態々面倒な事はするつもりはなかったが、ここで素直に退散しても宇津木は信じなかっただろうから信用させるための条件として、という考えも多少はあった。後は風邪気味で頭に上手く考えが廻らなかったということもある。
……あるいは、僕は何かがしたかったのかもしれない。
普段僕がしないことを敢えてやってみることで、いつもとは違うものを見たかったのかもしれない。
「ん、この問題か?」
体育祭が終わったことは、三年生として一つの区切りになったようで、こうやって休み時間に教科書を開く生徒も増えてきた。
「……ああ、恒等式か。ここはだな――」
僕の前の席では委員長と如何にも不真面目そうな宇津木が数学の問題集と睨めっこしていた。宇津木はピアスの穴を開けているわけでも、髪を金髪に染めているわけではない。長めの髪をワックスで逆立てているくらいだが、纏う空気がどこか軽薄で不真面目な風に見える。
「……こういう感じだな。答えは合ってるか?」
「ちょい待って、確認するから。……おお、合ってるわ。流石委員長、頭良いな」
回答集と計算式を見比べて、宇津木は感嘆したように言った。
「委員長勉強得意だよなぁ。……運動はアレだけど」
「貴様、せっかく人が勉強に付き合ってやっているというのに……」
呟かれた言葉に委員長は傷ついたようだった。
先日行われた体育祭で見事に最下位に転落した敗因である委員長は、それ以降鈍足をネタに揶揄われることが多くなった。
達哉からバトンを託す時には最下位だったが、三位の背中も見えていたのだが、あっという間に後続に差をつけられ、結果文句なしの最下位だ。
団対抗リレーは足の速さを基準に選ばれるが、アンカーはその限りではない。アンカーは各団長が務めるからだ。実際、他のアンカーも俊足揃いというわけではなかった。
それにしたって委員長の鈍足ぶりは群を抜いていたが。
委員長の黒歴史は兎に角、体育祭は無事終わり三年生は次のステップに移行した。夏季大会を控える運動系部活動生達は普段よりも練習に熱が入り、特に何もしていない帰宅部生達も筆記用具を持つ時間が増えた。
翻って、僕はどうなのだろうか、と自問自答する。
多分、僕は何も変われていないのだと思う。あの日から僕の体内時計は止まったままなのに、周りの世界では規則正しく時間が刻まれている。
「まいったなぁ」
「何が?」
僕の独り言が耳に入ったのか、俯き気味の顔を上げると、宇津木が振り返って此方を見ていた。
「悪りい、なんか聞こえたからさ」
「ん、なんでもない。勉強の邪魔してゴメンね」
宇津木とは会話をするような関係ではなかった。それどころか、多分まともに口を聞いたのは数日前が初めてだった。
おう、と宇津木は朗らかに笑って勉強に戻っていった。
学校行事の類は比較的真面目に参加していたが、偶に授業を勝手にサボっていた事もあった宇津木が教科書を開いているというだけで違和感がある。
事実、宇津木と親しい友人なんかは目を白黒させていた。疑問に対して、宇津木は受験生だから、と返していた。確かに受験生だから、勉強するのは何もおかしくない。友人達は腑に落ちない様子で、それが印象的だった。
僕は宇津木が勉学に取り込むようになった理由を知っている。
その理由は大雑把に言ってしまえば宇津木の言った通り受験生だからで終わってしまうのだが、僕はもう少し深いところまで知ってしまった。
僕と宇津木は共犯者になったのだ。
共犯者と言っても、大それた犯罪行為をしたわけではない。明確に法律違反ではあるけれど、人様に迷惑をかけるものではない。勿論だからといって法律違反していい理由にはならないが。
一応は真面目な優等生で通っていた僕が犯した罪は喫煙だ。
体育祭が終わり、再び授業が始まってしばらく経った頃。その日僕は体調が芳しくなかった。身体の節々が痛み、頭痛があったのだ。体温を測ると微熱があった。
別に学校に行けないほど体調が悪くなかったからいつも通り学校に行こうと思ったが、過剰に騒ぐ父親に病院に連行されてからの登校になった。診断の結果、風邪気味である以外の結果は出ず、熱も大したことがないために学校まで父親に送迎してもらうことになった。
学校に到着すると一限目はもう始まっていて、当然ながら廊下の人影は絶えていた。
だからこそ、こそこそとしている宇津木の姿はあまりにも目立っていた。いっそ堂々としていた方がまだ怪しまれないだろうに、警戒しているようで僕にまったく気づかない事も含めて宇津木は大分間抜けだ。
初めはトイレにでも行くのかと思ったが、宇津木はトイレがある踊り場を通り抜け、上履きのまま下駄箱を抜けていった。気になった僕は後を付けることにした。宇津木は校舎裏の、今はもう口が閉ざされた焼却炉までやってきて、ポケットから煙草の箱を取り出して萎びたそれを口にくわえて、火を点けた。
「あ」
丁度その時、僕と視線がぶつかって宇津木は慌てて煙草を踏みつぶして消した。当然、そんな事をしても無意味だ。
先生に突き出すのは止めてくれ、と懇願する宇津木に僕は一つの交換条件を提示した。
「黙ってるからさ、その煙草一本僕も貰っていい?」
正直な事を言うと、僕が何故そこで煙草を一本強請ったのか自分でも良く分からない。
元々先生に報告するなんて態々面倒な事はするつもりはなかったが、ここで素直に退散しても宇津木は信じなかっただろうから信用させるための条件として、という考えも多少はあった。後は風邪気味で頭に上手く考えが廻らなかったということもある。
……あるいは、僕は何かがしたかったのかもしれない。
普段僕がしないことを敢えてやってみることで、いつもとは違うものを見たかったのかもしれない。
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