レッド・タイズ

GAリアンデル

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バーサーク・ルサンチマン/4

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 見透かされ、問われた事に対し梁人は包み隠す事なく答える事にした。
「ああ。僕はお前が本物の羽海野有数なのかどうか疑いを持っている……持ち始めてしまったと言ってもいい」
 厳密には本物──であるならば、羽海野有数はこの世に存在しないのが正しい。
 あの日・・・、羽海野有数は梁人の手によって死んだ。
 それでも梁人がこの疑問を抱いたのは、目の前のアリスが羽海野有数の複製クローンであるからだった。
 果たして、複製品レプリカを本物と呼べるのか。その疑問を。

「ふむ。その疑問は最もだ。確かに梁人から見た私はキミの知る私とは抱くイメージに乖離があったかもしれない」
「かもしれない?」
 それはつまり、アリスとしては乖離しているつもりが無く、梁人が抱く羽海野有数のイメージの方が歪んでいる。そういう答えだ。
「私は私だよ。あの日、キミの手によって一度死に、そして蘇った」
「……それはおかしい。クローンは完璧な同一人物とは成り得ない事、それは既に証明されている。もし完全な同一人物を創り出すのであれば、同じだけの人生経験が必要になる。ならお前は────その条件を満たしていないハズだ」
 それは例えば、死んだという経験を持つ人間が生者では無いように。生者が死者には成れないように。
 絶対的な不可逆の境界がそこにはある。
 故にアリスは〈羽海野有数〉足り得ない。
 ふむ、とアリスはひとつ頷いた。
「確かに梁人の言う事にも一理あると思う。しかし死者も生者も第三者による観測の結果認識される事象でしかない。生きている状態も死んでいる状態でさえも本人は本人なのだから。死んでいるから偽物、生きているから本物とは言わないだろう? 事の真贋は当事者では無く、第三者の認識だ」
「なら第三者が偽物と定めたなら、お前は偽物か?」
「いいや。何者でさえ認識や意識の真贋は定められない。どんな状態であれ、本物は本物だ。本人が本物だと認識しているのであれば、その認識を第三者に歪める事は出来ない」
 シュレディンガーのアリスだよ、と付け加えアリスは笑う。
 羽海野有数は自己だけで完結した世界を持った女だった事を思い出す。
 故に梁人はそれを否定した。
「死者と生者は不可逆だ。お前が生き返ったのならお前は〈羽海野有数〉足り得ない。また生きていたとしてもお前は羽海野有数じゃ無い、一度は死んだから」
 そう、死んだ人間は生者になれない。
 死者は生きていても死者のままだ。ただ死んだ人間が動いているだけ、終わりは循環する事は無い、梁人はそう告げていた。
「暴論だね。でも梁人の抱く疑念も理解出来る。だがキミは知らないだけさ」
 何を。と梁人が言う前にアリスから言葉が出た。
「理性では到達出来ない領域を」
「……二重真理説か」
「おお、知っていたのかい? よく出来ました!」
「茶化すな。神なんて僕は信じない」
「それは私も同感だね。神はいない。全ては人の意思に他ならない」
 それは先刻の二重真理を否定する言葉だった。
「なら理性で到達出来ない領域ってのはなんなんだ!」
「あは。それこそキミは知っているはずさ……それはね、だよ」
 言って、アリスは満面の笑みを浮かべる。
 対照的に梁人は眉根を寄せ、拳を震わせた。
「ふざけてるのか……?」
「何もふざけてなんかいないよ。私がかつて目指したのは、不可視の支配者リヴァイアサン。キミが国家に従属しているように、どんな存在にもその手綱を握っている何かがある。それと同じ様に私は世界の支配者たらんとした。あらゆる存在の手綱として。その為に私がどうしたのかは、キミは知っているよね?」

 絶対的な『恐怖』そのものになろうとした。
 だがそれは失敗した。
 今現在でも彼女のばら撒いた恐怖とやらは『悪意』として萌芽したのみ。世界の支配者などとは程遠い、ただの世界の害悪。


「言ってしまえば、私の計画は失敗した。私が目指した理想は理性の前に敗北したんだ。何故失敗したかと言えば……それはただ理性では無く、理想で行動したからだろうね。理性で到達出来ないとは、そう言う事なんだよ。理性でモノを考える事をしない。普通なら理性がブレーキを掛ける行動をしない。そう言う事なんだ」
 分かったかい、付け加えてアリスは水を一口含んだ。
 当然、梁人には理解し得ない話しである。
「分かる訳が無い。分かってたまるか……」
 呆れた様にアリスは肩を竦めた。
「まぁ第三者の認識がどうであれ、私は揺らがない。私を揺らがせる事を出来るのは私をおいて他にはいないからね」
 閉じた世界。理性の外側。それが羽海野有数を羽海野有数足らしめる。
「……だとしてもこれだけは言っておいてやる。アリス、お前は羽海野有数には成れない」
 
 複製は本物があるからこその複製だ。
 複製から複製は生まれず、複製は複製にしか成れない。
 偽物である事に甘んじたアリスでは羽海野有数には届かない。
 そう梁人は自分に結論付けた。
「…………」
 沈黙が二人の間に漂い始めた。
 その時だった。
 きぃぃぃん、と建物内にノイズが響いた。
 梁人が店外へと顔を向けると、他の買い物客もみな、天井のスピーカーへと視線を向けている。
「なんだ……?」
 店側のミスだろうか。
 そう考える梁人だったが、正面のアリスに向き直った瞬間、考えを改めた。
 ────これは『悪意』の仕業だ。
 三日月の様に吊り上がった笑みを俯きがちに広げアリスが呟く。
「梁人……今回はいつもと違うぞ」
 直後、スピーカーから声が流れ出した。
 肉声では無く、ノイズ混じりの合成音声が耳鳴りの様に鼓膜を震わせる。

『初めまして。世の中の弱者のみなさん。私は〈超越者〉です』
 
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