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エンゲージリングと無数の星
1話:出張
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こちらの中編は2巻に収録しきれなかったエピソードをもとに、web版『臨恋』を読んでくださった方に楽しんでいただけるように書き上げた中編です。
ですので、書籍版とは設定が違う箇所がございます。ご了承ください。
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二月。
新年が今年としてしっくりなじむ時期だ。
社内でも浮ついた気分はすっかり消え失せて、年末年始の喧騒なんて大昔のことに思えてくる。 私が所属する総務部だって同様に静かだけれど、それはどこか嵐の前の静けさのようなものを含んだ穏やかさだ。
二月に入ればあっという間に三月。年度末は経理ほどじゃないけど総務も忙しくなるからだ。
今のうちにやれることは、もう始めておいたほうがいいかもしれない。早めにとりかかっておいても損はないのだから。
在庫が少しでも心許なくなってきた備品は先に発注かけちゃおうかな。
じゃあ、これが終わったら在庫の確認をしておかなくちゃ。
――なんてことを考えながら、目頭を軽く揉んでモニターを見つめすぎた目を休めて、ついでに凝り固まった肩をほぐすように軽く伸びをした。
肩がこきっと小さな音を立てる。
「お疲れ様」
背後から笑いを含んだ声が聞こえたので、私は慌てて伸びをやめて声のした方をふり仰いだ。
「あ、飯沼課長! お帰りなさい」
部長や隣の人事課長との打ち合わせが終わったらしい。
「佐々木君、悪いんですが、手が空いたら私のところに来ていただけますか? 少しお願いしたいことがあるんです」
「あ、それなら今……」
「いえ、急ぎじゃありませんし、少し込み入った話になりますので、それが一段落してからで」
いつもと変わらない穏やかな表情に少しだけ困ったような色を乗せながら、飯沼課長は私の捜査しているパソコンのモニターにちらりと目をやった。
込み入った話、か。なんだかちょっと不安になった。
飯沼課長がこんな顔をしながら私を呼んだのは……。
一度目は加瀬さんと吉成さんがインフルエンザでダウンした時。
二度目は館花専務の視察の時。
二度あることは三度あるって言うし、何か起こるかもしれないって言うくらいは覚悟しておいた方が良いかもしれない。
「分かりました。では、今の作業が終わったら伺います」
「すまないね。じゃあよろしくお願いします」
そう言い残して課長は席に戻っていった。
「留守中変わったことは?」
課のみんなに向かってそう問いながら席に座れば、不在中に相談事や決裁が生じた人たちが順繰りに課長のもとへ向かう。
未決トレイにも書類がたまっているようだし、しばらくは忙しそうだ。
私の作業が一段落つくまでにはまだしばらく時間がかかるし、その頃には課長のほうも落ち着いてると良いんだけど。
とにかく今はこの表計算ソフトとの格闘を終わらせてしまうのが先決だよね。私は気持ちを切り替え、目の前のモニターに表示される数値や単語に意識を集中させた。
私の作業が一段落したのはそれから小一時間ほど経ってからだった。
課長の席をそっと窺うとちょうどパソコンから目を上げた彼と目が合った。まさか目が合うとは思ってなくて驚いて固まる私をよそに、課長は何でもないことのように微笑みながら頷いた。
おそらく今なら手が空いてるから大丈夫だと言うことだろうと当たりをつけて、私は席を立った。
「課長。先ほど仰っていたお話と言うのは何でしょうか?」
何となく緊張しながら尋ねると課長はゆっくりと口を開いた。
「今度四国に営業所を新設するって言う話はもう知ってますよね?」
知っているも何も。総務はその開業に向けてあちらのスタッフと毎日電話やメールのやり取りをしている。
「はい。四月から営業開始ですよね?」
「ええ。それで、ですね。一週間ほど現地に飛んで貰いたいんです」
「私が、ですか?」
開業と私の関連が分からなくて、首を傾げた。
「ええ。事務員の女性を雇用するつもりで募集をかけていたんですが、なかなか条件が合う方が見つからなくてね。ようやく見つかったらものの、もう二月半ばでしょう? ゆっくり仕事を覚えてもらえればよかったんだけど、時間がない。それで、営業所の事務にも、営業所立ち上げにも明るい人を派遣することになったんです。現地では事務員のサポートと同時に、開業準備もしてもらうことになります」
いや、私より適した方は他にいっぱいいるんじゃないの? と思ったのが顔に出たんだろうか、課長は苦笑いをしながら先を続けた。
「佐々木君は営業所にいたことがあるでしょう? その時の経験もぜひ教えてあげてください。社内システムのマニュアルは新卒のみんなに配るやつがあるでしょう? あれを使えばそう難しくはないと思います」
分かりましたと答えながら、内心では「こんな大役、ひとりで無事にこなせるだろうか」と心配になった。
「そう気負わないでも大丈夫ですよ。佐々木君なら出来ますから。ですが……」
そこで彼は少し迷ったように言葉をとぎらせた。そして、何かを思い出すように左手の薬指にはめた指輪を撫でながら先を続ける。
「悪いね、こんな時期に。申し訳ないとは思ったんですが、佐々木君以上の適任者が思い浮かばなくてね」
「こんな時期……ですか?」
いや、今は特別忙しい時期じゃないし、それは課長だって知ってるはず。なのに、なぜ「こんな時期」なんて言うんだろう?
意味が分からなくて、首をひねった。考えてもわからなくて困っていると、課長は卓上カレンダーを指先でコツコツと叩いた。彼の指が差したのは十四日の日付。
あ! バレンタイン!!
まさか、仕事中にそんな心配をしてもらうなんて思いもよらなかったから、全然気づかなかった!
「あ、いえ! そっちは全く心配ないので大丈夫です」
私は慌てて首を横に振った。
和司さんはバレンタインに私がいないからとか、そういうことで怒る人じゃない。
むしろ、仕事をおろそかにしたり、無理をしたほうが怒るだろう。
「そうですか。出張は来週月曜日からになります。急ですがよろしくお願いします」
「はい!」
課長との話はそれで終わり。
席について、小さく息をついた。
大きな仕事を任されたと言う高揚感がないわけではなくて、不安と入り混じって複雑な心境だ。
ですので、書籍版とは設定が違う箇所がございます。ご了承ください。
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二月。
新年が今年としてしっくりなじむ時期だ。
社内でも浮ついた気分はすっかり消え失せて、年末年始の喧騒なんて大昔のことに思えてくる。 私が所属する総務部だって同様に静かだけれど、それはどこか嵐の前の静けさのようなものを含んだ穏やかさだ。
二月に入ればあっという間に三月。年度末は経理ほどじゃないけど総務も忙しくなるからだ。
今のうちにやれることは、もう始めておいたほうがいいかもしれない。早めにとりかかっておいても損はないのだから。
在庫が少しでも心許なくなってきた備品は先に発注かけちゃおうかな。
じゃあ、これが終わったら在庫の確認をしておかなくちゃ。
――なんてことを考えながら、目頭を軽く揉んでモニターを見つめすぎた目を休めて、ついでに凝り固まった肩をほぐすように軽く伸びをした。
肩がこきっと小さな音を立てる。
「お疲れ様」
背後から笑いを含んだ声が聞こえたので、私は慌てて伸びをやめて声のした方をふり仰いだ。
「あ、飯沼課長! お帰りなさい」
部長や隣の人事課長との打ち合わせが終わったらしい。
「佐々木君、悪いんですが、手が空いたら私のところに来ていただけますか? 少しお願いしたいことがあるんです」
「あ、それなら今……」
「いえ、急ぎじゃありませんし、少し込み入った話になりますので、それが一段落してからで」
いつもと変わらない穏やかな表情に少しだけ困ったような色を乗せながら、飯沼課長は私の捜査しているパソコンのモニターにちらりと目をやった。
込み入った話、か。なんだかちょっと不安になった。
飯沼課長がこんな顔をしながら私を呼んだのは……。
一度目は加瀬さんと吉成さんがインフルエンザでダウンした時。
二度目は館花専務の視察の時。
二度あることは三度あるって言うし、何か起こるかもしれないって言うくらいは覚悟しておいた方が良いかもしれない。
「分かりました。では、今の作業が終わったら伺います」
「すまないね。じゃあよろしくお願いします」
そう言い残して課長は席に戻っていった。
「留守中変わったことは?」
課のみんなに向かってそう問いながら席に座れば、不在中に相談事や決裁が生じた人たちが順繰りに課長のもとへ向かう。
未決トレイにも書類がたまっているようだし、しばらくは忙しそうだ。
私の作業が一段落つくまでにはまだしばらく時間がかかるし、その頃には課長のほうも落ち着いてると良いんだけど。
とにかく今はこの表計算ソフトとの格闘を終わらせてしまうのが先決だよね。私は気持ちを切り替え、目の前のモニターに表示される数値や単語に意識を集中させた。
私の作業が一段落したのはそれから小一時間ほど経ってからだった。
課長の席をそっと窺うとちょうどパソコンから目を上げた彼と目が合った。まさか目が合うとは思ってなくて驚いて固まる私をよそに、課長は何でもないことのように微笑みながら頷いた。
おそらく今なら手が空いてるから大丈夫だと言うことだろうと当たりをつけて、私は席を立った。
「課長。先ほど仰っていたお話と言うのは何でしょうか?」
何となく緊張しながら尋ねると課長はゆっくりと口を開いた。
「今度四国に営業所を新設するって言う話はもう知ってますよね?」
知っているも何も。総務はその開業に向けてあちらのスタッフと毎日電話やメールのやり取りをしている。
「はい。四月から営業開始ですよね?」
「ええ。それで、ですね。一週間ほど現地に飛んで貰いたいんです」
「私が、ですか?」
開業と私の関連が分からなくて、首を傾げた。
「ええ。事務員の女性を雇用するつもりで募集をかけていたんですが、なかなか条件が合う方が見つからなくてね。ようやく見つかったらものの、もう二月半ばでしょう? ゆっくり仕事を覚えてもらえればよかったんだけど、時間がない。それで、営業所の事務にも、営業所立ち上げにも明るい人を派遣することになったんです。現地では事務員のサポートと同時に、開業準備もしてもらうことになります」
いや、私より適した方は他にいっぱいいるんじゃないの? と思ったのが顔に出たんだろうか、課長は苦笑いをしながら先を続けた。
「佐々木君は営業所にいたことがあるでしょう? その時の経験もぜひ教えてあげてください。社内システムのマニュアルは新卒のみんなに配るやつがあるでしょう? あれを使えばそう難しくはないと思います」
分かりましたと答えながら、内心では「こんな大役、ひとりで無事にこなせるだろうか」と心配になった。
「そう気負わないでも大丈夫ですよ。佐々木君なら出来ますから。ですが……」
そこで彼は少し迷ったように言葉をとぎらせた。そして、何かを思い出すように左手の薬指にはめた指輪を撫でながら先を続ける。
「悪いね、こんな時期に。申し訳ないとは思ったんですが、佐々木君以上の適任者が思い浮かばなくてね」
「こんな時期……ですか?」
いや、今は特別忙しい時期じゃないし、それは課長だって知ってるはず。なのに、なぜ「こんな時期」なんて言うんだろう?
意味が分からなくて、首をひねった。考えてもわからなくて困っていると、課長は卓上カレンダーを指先でコツコツと叩いた。彼の指が差したのは十四日の日付。
あ! バレンタイン!!
まさか、仕事中にそんな心配をしてもらうなんて思いもよらなかったから、全然気づかなかった!
「あ、いえ! そっちは全く心配ないので大丈夫です」
私は慌てて首を横に振った。
和司さんはバレンタインに私がいないからとか、そういうことで怒る人じゃない。
むしろ、仕事をおろそかにしたり、無理をしたほうが怒るだろう。
「そうですか。出張は来週月曜日からになります。急ですがよろしくお願いします」
「はい!」
課長との話はそれで終わり。
席について、小さく息をついた。
大きな仕事を任されたと言う高揚感がないわけではなくて、不安と入り混じって複雑な心境だ。
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