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五十崎檀子の手記
二
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我が家はこの高祖父の代に最盛期を迎えたそうですが、良く言えば精力的、悪く言えば専横的だった高祖父とは違い、物静かな性格をしていたという曽祖父の統次は人の表に立つことを好まず、経済人というよりは寧ろ慈善家として村の人たちの間では通っていたそうです。
しかしいつしか時代の風に流されて日本という国に不穏な雲が垂れ込め始めると、五十崎家の隆盛にも暗影が差すようになり、やがて日本中が戦争という災厄によって苛まれるに至っていよいよ数多の苦難を余儀なくされ、もともと神経の細やかなところのあった曽祖父は遂に精神の病を患い、非業の死を遂げたそうです。
その後、当主の座を継いだ祖父の敬一郎は五十崎家──ひいては村の再興のためにずいぶんと骨を折って東奔西走し、なんとかその二つを立て直すことができたと聞いています。祖父は経済人としての手腕をもって知られた高祖父と、篤志家として高く評価をされた曽祖父と、その両方の血をちょうど半分ずつ最適な分量で受け継いだようだと村の人たちが口にするのを、わたしも幼い時分からよく耳にしていました。
そんな祖父の一人息子であった父・一彦と、町から嫁入りした母・聡子との間に、わたし五十崎檀子は生まれました。
我が家は、どういう訳か子供が生まれにくい家と言われていました。
それは高祖父の代から続く悩みの種であったようで、迷信深い一部の年寄りなどの間ではひそかに五十崎の家に子供が生まれにくいのは山の神が祟っているからだとか言う人もあったようでしたが、そんな放言もかえって長の年月を山と共に暮らした眉雪らしい純朴の故であるととらえ、古老たちのそうした言動が耳に入ることがあっても、山への畏怖が彼らの肉体と精神に染みついていることを表すに過ぎないとして、取り合うようなことはなかったそうです。
わたしが知る限り、村の人たちは皆その本質において善良で、我が家に子供が少ないことを不憫とも思い、またどうしても五十崎家に依存して生活の成り立っている現実がありましたから、先行きのことが危ぶまれるというのもあったのでしょう、誰彼となく子宝に恵まれるお守りだとか薬だとかを持参しては、わたしの母などにもずいぶんと世話を焼いたそうです。ですから、わたしの誕生は家族のみならず村の多くの人にも大変喜ばれたと聞かされています。
そんなもろもろの事情に加え、生来体が弱いこともあって、わたしは周囲に甘やかされて育ちました。その結果なのか元来の性格なのかはわかりませんが、内気でひどく人見知りの、年より幼い印象のするこどもであったように思います。
……あれはわたしが九つの誕生日を過ぎてしばらくの頃です。こう書いてみると、まるで昨日のことのようなあの日も、ずいぶん昔の話なのだと認識し、驚かずにはいられません……。
その年の冬は珍しく雪の少ない冬でした。わたし達が住んでいた村は険しい山々の連なるそのちょうど谷間にあり、夏は暑く冬は寒く、毎年豪雪に見舞われるのが常でした。それがその冬は秋の初めにほんの少し降っただけで、その後は一向に降雪する気配もなく、村にはただ厳しい寒さと、山の頂上に覆い被さる厚い雲がもたらすどんよりと重い、尚且つ妙にぴりぴりと肌を刺していたずらに胸を圧迫してやまない鬱陶しさだけが我が物顔に居座っているのでした。
無論、山の冬と言うのは概して暗く重く色褪せた味気のないものであることに違いはありませんでしたが、しかしどうにもその年の冬には奇妙に不安を煽る気配が潜んでいるのを村の誰もが感じていました。それで村の老人たちは何かしら良くないことが起こる前触れなのではなどと言って気味悪がり、鈍重な曇天が神経に障って痛む手足を引きずりながら、入れ代わり立ち代わり我が家の門を潜っていました。
日頃より村の人々は何かにつけて祖父に相談事などを持ち掛けにやって来てはいましたが、天候などというおよそ人智の及ばぬ問題をほんとうにどうにかしてもらおうと考えていたわけではなく、ただ相談と称して愚痴や心配などを吐露して心身の安定を図ろうとしていただけだったのでしょう。
祖父にしてもそれをよくわかった上で──忙しい身であったにも拘らず──、自分を頼って訪ねて来る村の人たちをけっしてぞんざいにせず、親切な心配りを絶やしませんでした。
その頃にはわたしの父もいずれは村の代表になる者として、特に村の数少ない青年たちの間では中心的な役割を担って何やかやと忙しく活動をしていましたから、我が家は平生から確かに来客の多い家ではありましたものが、そういった異常な気象の年ともなると頓に人々の来訪が増えたようで、人が苦手だったわたしにとってはなかなか落ち着くことのできない冬でした。
そんなある日──まるで静かな影のように、見知らぬ青年が我が家の玄関に立ったのです。
しかしいつしか時代の風に流されて日本という国に不穏な雲が垂れ込め始めると、五十崎家の隆盛にも暗影が差すようになり、やがて日本中が戦争という災厄によって苛まれるに至っていよいよ数多の苦難を余儀なくされ、もともと神経の細やかなところのあった曽祖父は遂に精神の病を患い、非業の死を遂げたそうです。
その後、当主の座を継いだ祖父の敬一郎は五十崎家──ひいては村の再興のためにずいぶんと骨を折って東奔西走し、なんとかその二つを立て直すことができたと聞いています。祖父は経済人としての手腕をもって知られた高祖父と、篤志家として高く評価をされた曽祖父と、その両方の血をちょうど半分ずつ最適な分量で受け継いだようだと村の人たちが口にするのを、わたしも幼い時分からよく耳にしていました。
そんな祖父の一人息子であった父・一彦と、町から嫁入りした母・聡子との間に、わたし五十崎檀子は生まれました。
我が家は、どういう訳か子供が生まれにくい家と言われていました。
それは高祖父の代から続く悩みの種であったようで、迷信深い一部の年寄りなどの間ではひそかに五十崎の家に子供が生まれにくいのは山の神が祟っているからだとか言う人もあったようでしたが、そんな放言もかえって長の年月を山と共に暮らした眉雪らしい純朴の故であるととらえ、古老たちのそうした言動が耳に入ることがあっても、山への畏怖が彼らの肉体と精神に染みついていることを表すに過ぎないとして、取り合うようなことはなかったそうです。
わたしが知る限り、村の人たちは皆その本質において善良で、我が家に子供が少ないことを不憫とも思い、またどうしても五十崎家に依存して生活の成り立っている現実がありましたから、先行きのことが危ぶまれるというのもあったのでしょう、誰彼となく子宝に恵まれるお守りだとか薬だとかを持参しては、わたしの母などにもずいぶんと世話を焼いたそうです。ですから、わたしの誕生は家族のみならず村の多くの人にも大変喜ばれたと聞かされています。
そんなもろもろの事情に加え、生来体が弱いこともあって、わたしは周囲に甘やかされて育ちました。その結果なのか元来の性格なのかはわかりませんが、内気でひどく人見知りの、年より幼い印象のするこどもであったように思います。
……あれはわたしが九つの誕生日を過ぎてしばらくの頃です。こう書いてみると、まるで昨日のことのようなあの日も、ずいぶん昔の話なのだと認識し、驚かずにはいられません……。
その年の冬は珍しく雪の少ない冬でした。わたし達が住んでいた村は険しい山々の連なるそのちょうど谷間にあり、夏は暑く冬は寒く、毎年豪雪に見舞われるのが常でした。それがその冬は秋の初めにほんの少し降っただけで、その後は一向に降雪する気配もなく、村にはただ厳しい寒さと、山の頂上に覆い被さる厚い雲がもたらすどんよりと重い、尚且つ妙にぴりぴりと肌を刺していたずらに胸を圧迫してやまない鬱陶しさだけが我が物顔に居座っているのでした。
無論、山の冬と言うのは概して暗く重く色褪せた味気のないものであることに違いはありませんでしたが、しかしどうにもその年の冬には奇妙に不安を煽る気配が潜んでいるのを村の誰もが感じていました。それで村の老人たちは何かしら良くないことが起こる前触れなのではなどと言って気味悪がり、鈍重な曇天が神経に障って痛む手足を引きずりながら、入れ代わり立ち代わり我が家の門を潜っていました。
日頃より村の人々は何かにつけて祖父に相談事などを持ち掛けにやって来てはいましたが、天候などというおよそ人智の及ばぬ問題をほんとうにどうにかしてもらおうと考えていたわけではなく、ただ相談と称して愚痴や心配などを吐露して心身の安定を図ろうとしていただけだったのでしょう。
祖父にしてもそれをよくわかった上で──忙しい身であったにも拘らず──、自分を頼って訪ねて来る村の人たちをけっしてぞんざいにせず、親切な心配りを絶やしませんでした。
その頃にはわたしの父もいずれは村の代表になる者として、特に村の数少ない青年たちの間では中心的な役割を担って何やかやと忙しく活動をしていましたから、我が家は平生から確かに来客の多い家ではありましたものが、そういった異常な気象の年ともなると頓に人々の来訪が増えたようで、人が苦手だったわたしにとってはなかなか落ち着くことのできない冬でした。
そんなある日──まるで静かな影のように、見知らぬ青年が我が家の玄関に立ったのです。
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