孤悲纏綿──こひてんめん

クイン舎

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五十崎檀子の手記 

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「……とにかく、わたしとしては檀子まゆこのことが心配で……。なんだか妙な目つきでこの子のことを見るものだから……。まるで何もかも見透かすようなあの青い目が頭について離れなくて……」
 その言い方が妙な具合に聞こえ、わたしは思わず母の顔を見上げました。すると母は脳裏に思い浮かべた李大龍の瞳に今まさに射すくめられているとでもいった風情で、俄かに青ざめた頬が微かに震えているのでした。
「青い目? その男は中国人なんだろ? なんで目が青いんだよ」
 父は眉間に皺を寄せ、蒼白な愁思しゅうしの色濃い影に今にも飲まれそうになっている母に、しつこく訊ね続けました。
「なあ聡子、なんで中国人なのに目が青いんだよ」
「知らないわよ、白人の血が入っているんじゃないの」
 母は突然苛立ちに火がついたような、邪険とも取れる口調で言い捨てました。その言い方に父は気分を害したようで、急に陰険な暗さをその目にのぼらせると母を睨みつけ、
「混血なら顔立ちだってもっとそれらしくなるはずだろ。そんな顔をしていたのかよ」
「……別に」
「だったら、なんで目だけ青いんだよ」
「わたしに聞かれても知らないわよ」
 母は今にも泣きそうな声で言いました。なんだかその様子が執拗に無実の罪を問いただされて怯えている人のようにも見え、わたしは母が可哀想になって仕方なく、助けを求める視線を祖父に向けました。
 しかし祖父を見て、わたしは思わずぎょっと息を呑みました。祖父は手に箸や茶碗を持ったまま石像にでもなってしまったかのように、食卓の一点を見開いた瞳でじっと見つめていたのです。その目にはまるで予期せぬ瞬間に幽鬼を目撃してしまったような、恐れとも驚愕ともつかない表情が、急激に立ち込める夏の日の雷雲の如く広がっていました。
「おじいちゃん……?」
 思わず声を掛けると、祖父は俄かに正気に返ってわたしを見ました。しかしその目はわずかに揺れ、まだ目の前の何か恐ろしい幻影に引きずられているようでした。
 祖父のその様子に、険悪な言い争いをしていた父や母、そして不機嫌を隠しもせず箸を動かしていた祖母はさすがに驚いたように押し黙り、逸足いっそくの人とも一目置かれる五十崎家の家長たる祖父を息を詰めて見つめました。
 祖父は皆の視線に気がつくと、無理やりらしい笑顔を作り、わたしに返事をしました。
「うん、どうした檀子?」
 わたしは慌てて首を振りました。祖父のそんな顔など、今まで一度も見たことがなかったために、わたしの心臓はどきどきと嫌な具合に鼓動して、寄る辺ない不安を刻み続けていました。
 しかし祖父とのこのやり取りのおかげで父と母とのいさかにも終止符が打たれたので、ひとまずは気持ちを落ち着けようと食事の続きに取り掛かりました。
 妙な空気が漂う中、祖父は小さく咳払いをすると、
「……しかし檀子まゆこのこととなると、それは確かに心配だな」
 わたしは途端に嬉しくなって、ぱっと顔を上げると祖父に笑いかけました。わたしは平生から祖父のことを尊敬し、信頼していましたから、このときも祖父の親身な愛情を肌で感じ、嬉しい気持ちが自然とあふれ出て来たのでした。
 それに祖父は少年の時分から率先して山野に入り、大人たちに混じって材木の切り出しや搬出などに精を出していた上、柔道や剣道、合気道などにも熱心に取り組んでいたそうで、そのため祖父はなまじっかな若い人などよりも立派な体格をしていましたから、わたしは父などよりもよほど頼りがいのある祖父の傍らにいると、いつもとても安心することができたのです。
 母もそんな祖父を心の頼りにしているようで、このときも祖父に縋るような目を向けながら、不安な胸の内を吐露するように口を開きました。
「そうなんです、もしも檀子まゆこの身に何かあったらと考えると……」
 すると祖父が何かを言うより先に、苦笑いを浮かべた父が少しばかり鼻白んだような口調で、
「何かって、おまえ。あのな、仮にそいつが誘拐犯か何かだとしてもな、なんでわざわざこんな辺鄙など田舎の村のこどもをさらったりするんだよ。田舎じゃそれでなくても他所者よそものは目立つんだ。それこそ都会でやった方が成功するに決まってるし、よっぽど金になるってもんだろ。だいたいおまえはさ……」
 母は鋭い声で父の言葉を遮りました。
「だから尚更おかしいって言うのよ。こどもを拐う目的が、営利誘拐ばかりとは限らないでしょ。あなた、檀子が心配じゃないの?」
「馬鹿を言うな、心配に決まってるだろ。でもな、普通に仕事をしていただけで変質者と疑われていたんじゃ浮かばれないだろ。それは日本人だろうが中国人だろうが同じことさ。いくら怪しい奴だからって、皆が皆変質的な犯罪者な訳ないんだから」
「あんた達やめなさい、檀子の前でそんな話」
 祖母が割って入り、父と母は口をつぐみましたが、母の目にはうっすらと涙が滲んでいました。父の方は決まり悪そうに、不貞腐れたような表情で空になったコップにビールを注いでいました。
 嫌な雰囲気に包まれた食卓で、わたしは次第にいつになく苛立った気になっていました。理由の判然としない不快感というのは大人にとっても苦痛ではありますが、こどもにとっては特に我慢ができないものです。
 わたしはこのひどくかんに障る重苦しい空気を変えたいと思いました。それに、何か李大龍リーダーロンを擁護するような発言をしたい衝動にも駆られていました。しかし日ごろから大人の会話に口をはさまないようしつけられていましたし、どんな言葉が李大龍の弁護を可能とするかもわからず、わたしは口を開きたい欲求と何も言うことのできないもどかしさとの板挟みになっていました。


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