孤悲纏綿──こひてんめん

クイン舎

文字の大きさ
24 / 36
五十崎檀子の手記 

二十二

しおりを挟む
 ですがそのときわたしは唐突に、天井に浮く少女の首が、ひどく不安そうにあちこちに視線を走らせているのに気がついたのです。すると一瞬にして奇妙な感覚が自分の胸に来すのを感じました。
 確かに人形のそれと思っていた首がいきなり目を開いて宙に浮き、あまつさえ生きた人間とまったく同じようにきょろきょろと辺りを窺っているという光景だけを切り取って見るならば、これ以上に不気味で恐ろしいものはありませんが、しかしこの瞬間に見た少女の首の周囲を窺うその様は、如何にも頼りなく儚げで、健気にさえ映って見えました。それに、大きな黒い瞳を開いた顔は、目を閉じていたときよりもずっと可憐で美しく、高貴な印象をすらわたしに与え、ますます強く心を惹きつけて離さないのでした。
 わたしの恐怖は、突如として湧いた少女の首への、まるで他人とは思えぬほどの同情心によって押し流されてしまいました。もはやわたしにとって、その首が何であるかというようなことは一切重要性を失っていました。──と言うよりも、そのときのわたしは、宙に浮いて心もとない目線を蔵のあちこちに送っているその首を、一人の真に生きている・・・・・・・人間の少女・・・・・と見ていました。
 少女の首はしきりに辺りを見回しているだけで、すぐ真下にいる祖父や李大龍の姿は見えていないようでした。やがて黒い宝石のような瞳にみるみる涙を浮かべると、可憐な唇をうっすらと開き、つぼみが雨に打たれて震えるような声で、何か同じ言葉を繰り返し始めました。それがわたしには「ビーシア」だとかいう風に聞こえたのですが、どうやら何かを──というよりは誰かを必死に捜しているようなのでした。その切々と訴えかけるような風情が胸に迫り、わたしは悲しくてたまらない気持ちになってしまいました。
 しかし祖父は少女の声を聞くといよいよ驚愕して腰を抜かし、埃の煙を上げながら板の間に座り込みました。
「ば、化け物……!」
 祖父がそう叫んだのを聞いたわたしは、何故だかひどく傷ついてしまいました。わたしに向かって投げつけられた言葉でもないのに、化け物と言うその言葉が胸に深く突き刺さったのでした。
 少女の首はやはり蔵の天井に浮いたままひたすら周囲を見回して求めるものを捜し続けていましたが、その混乱と悲しみはみるみる大きく膨れ上がっていくようでした。ぽろぽろと真珠のような涙が黒い瞳からこぼれ落ち、先ほどと同じ言葉を繰り返すうちに、その声の調子は次第に絶叫の体に変わり始めていました。
「お、おいっ。これはいったいどういうことだ!? こ、こいつは人形なんかじゃない。なんでこんな化け物がうちの蔵に……!?」
 李大龍は青い光をたたえた瞳で少女を見上げ、低く押し込めたような声で、
「……その言葉は、彼女を正確に表現していません。彼女は確かに……このような姿のまま気の遠くなるような年月を生き永らえて来ましたが、それでも彼女を鬼怪グゥイグゥアィ──化け物という言葉で言い表すには、あまりにも不憫です」
「し、しかしどう見たってこれは……っ」
「──今はまだ、彼女は人の心を保っている。しかしあなた方・・・・の彼女とこの箱篋そうきょうに執着する心が、彼女の心を変じさせようとしているのです。箱から出て外気に触れたせいで変容はより早く進むでしょう」
「な、何だと……!? なんでわしがこんな化け物なんぞに執着すると言うんだ……っ。だ、だいたいさっきから言う『あなた方』というのは誰のことだ!?」
 わたしは瞬間、李大龍があるいはわたしと祖父を指して「あなた方」と言っているのではと思い、心臓が大きく脈打つのを感じました。
 と、そのとき不意に、宙に浮かんだ少女の首が動いて、泣き濡れた黒い瞳が祖父をとらえました。途端に少女の顔には明るい歓喜の色が輝き、いきなり高い空から地上の獲物を目掛けて駆け下りてくるとびの如く、凄い勢いで祖父の胸に舞い降りて飛び込みました。祖父は悲鳴を上げて少女の首から顔を背け、なんとか逃れようとしましたが、震える足には力が入らず、いたずらに板の間を滑るだけでした。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

処理中です...