父親に売られた兄は夕闇に翻弄される

miian

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第一章 壊れた日常の始まり

父の異変

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 雨が降り、じめっとした空気が肌にまとわりつく。ボロい平屋は風通しが悪く、普段よりも空気が重い。それにつられて気分も憂鬱だった。ガシャンという音が聞こえる。苛立ち気味に父が玄関の扉を開けた。その音から父の機嫌が悪いことが分かる。ドカドカと足音が近づいてきた。


「智、ここに隠れてろ」


 咄嗟にそう言うと、弟の智を狭い押入れへと閉じ込めた。

「え、兄ちゃんは……?」

 
 背後で弟の声が聞こえたが、わざと聞こえないふりをして押入れの扉を慌てて閉めた


「おい、何やってる」
「あ……父さん、お帰りなさ……」


ーーバシン

 頬に鋭い痛みが走り、父の分厚い手でいとも簡単に吹っ飛ばされた。襖にドシンとぶつかる。中にいる智が声を上げないかヒヤヒヤした。智も見つかればきっと殴られる。


(……本当は俺だって隠れたい)


 でも、父は家に帰った時に誰もいないと、それこそ殺しかねないくらいの勢いで殴る。それに、もし押入れに2人で隠れているのが見つかったら逃げ場がなく終わりだ。父がこれ以上押入れに近づかないように慌てて立ち上がった。

 父がまた殴るだろうと思い、出来るだけ痛くならないようにぎゅっと目を閉じた。抵抗すれば更に怒りを買うので最初だけ耐えればいいのだから。


「…………?」


 いつものように殴られると思って身構えたのに、拳は振り下ろされなかった。身構えていた緊張を解き、ぎゅっと閉じていた目を開くと、父の機嫌は悪そうだが手を上げる気配はない。


「あいつはどこいった?」


 「あいつ」というのは智のことだ。父はいつからか俺たちのことを名前で呼ばなくなった。


「食べるものを買いに……うぐっ……」


 当たり障りのないことを言おうとしたら、父はお腹に蹴りを入れた。
 さっきは殴らないって言ったのに……。


「食うものがないのは俺のせいだって言いたいのか?飯ぐらい自分で稼げ」


 痛みでお腹を抱えながらしゃがむと、父が一歩俺に近づいた。蹴られると思って肩を震わせながら、丸まった。でも、拳も蹴りも飛んでは来なくて、分厚い手が顎を掴むと上を向けさせた。


「顔に痣は残ってねぇな。おい、ついてこい」
「え?今から?どこに……?」
「うるせぇっ」


 怒鳴り声にビクッとして思わず顔を下げた。殴られると思ったからだ。でも、先ほどと同じく拳は飛んで来ず、低い声で「行くぞ」と言われるだけだった。父の声に苛立ちが混じっていて今にも殴りそうな勢いなのに、何かを我慢しているようだった。部屋を出る時、そっと後ろを振り返る。智は押入れの中で大人しくしているようだ。

 廊下を歩く度にミシミシと音を立てる。ぼろぼろの平屋だからしょうがない。
  
 こんな家でも母がいた頃はもっと綺麗だったし、笑い声が絶えない大好きな家だった。

 父が、大きな音をたてて扉を開ける。もうあたりはすっかり真っ暗で少しヒヤッとする季節だ。父は上着を着たままだけど、俺は学校の長袖シャツ一枚だけだった。外へ行くのなら上着を持って来たのに……。

「ね、ねぇ、どこに行くの……?」

 口を開いたら殴られるかもしれない。でも、こんな夜中に機嫌の悪い父に連れられて行く見えないその先の方が怖かった。

「自分の食い扶持くらいは自分で稼げって言っただろ」
「…………?」

 父は立ち止まって振り向くと、俺の顔をじっと見てそう言った。その瞳に輝きはなく、夜の暗闇を吸い込んでいるかのように真っ黒だった。その意味が分からなくて、ただ狼狽えるしかなかった。
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