魔王様のメイド様

文月 蓮

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番外編

とうとうきてしまいました 1

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 その日、目覚めたロザリアは不調を感じた。

――なんだか、熱っぽい?

 吐く息に熱がこもり、全身がだるい。
 風邪かもしれないと不安になったロザリアは、魔王が起きだす前にベッドを抜け出し、メイド長のもとを訪れた。

「すみません。風邪のようです。本日の職務をお休みにしていただいてもいいですか?」
「まあ、ロザリア! すぐに休んだほうがいいわ」

 瞳を潤ませているロザリアに、メイド長はすぐに休みを言い渡す。
 メイドの仕事についてもすぐに代わりの人員を手配してくれた。

「お医者様に見てもらったほうがいいかしら?」
「いえいえ、そこまでではないと思います。でも、魔王様にうつしてしまうわけにはいきませんから」

 生まれてからほとんど医者にかかったことのないロザリアは、大慌てで遠慮する。メイド長のいう医者とは、魔王城に勤めている医者のことで、本来ならば魔王様のために雇われている者だ。

「それはそうなのだけれど……、きっと魔王様は心配されると思うわ」
「本当に、寝ていれば治りますから」

 それに、ロザリアは医者にかかるのが怖かった。
 幼い頃に数日間熱が引かず、下町の町医者に父親と行った記憶があるが、恐ろしかったような気がするだけで、よく覚えていない。
 が、それ以来ロザリアは医者が苦手になった。医者に診てもらわなくとも、食べて、飲んで、寝ていれば治る。獣の血を引く魔界の住人にとっては、それが常識だった。

「そう……?」

 ロザリアは不安そうなメイド長に別れを告げ自室に戻る。
 魔王からプレゼントされた寝間着に着替え、久しぶりに自分のベッドに横になった。

「はあ……っ」

 本格的に熱が上がってきたようで、背中がぞわぞわする。力が入らず全身がだるい。
 これほど体調を崩したのはいつぶりのことだろうか。
 ロザリアは天蓋のないベッドの中からぼんやりと天井を眺めた。
 最近はほとんどの時間を魔王の部屋で過ごすことが多く、自室の天井の景色はかなり久しぶりだった。
 ごろりと寝返りを打つけれど、とても眠れる気がしない。
 いつの間にか魔王と一緒に眠るのが当たり前になっていて、彼の体温をそばで感じずに眠るのはなんだか落ち着かない。
 それでも早く風邪を治さなければと、ロザリアはベッドの中で寝返りを繰り返した。
 このフロアには魔王城で働く者が住んでいる。忙しく動き始める人の気配を感じながら、一向に眠気が訪れる気配がなく、ロザリアはため息をこぼす。

「ロザリア!」

 突然扉が大きく開かれ、怒りに満ちた声が彼女の名前を呼んだ。

「ま、魔王様!?」

 ロザリアはベッドの中で飛び上がった。

「具合が悪いのなら、どうして我に言わないのだ?」

 魔王はすごい勢いでロザリアのベッドに近づいた。

「ダメですってば。風邪がうつっちゃいます! メイド長にお願いしたはずなのに……」

 これではなんのためにわざわざ距離をとったのかわからなくなる。

「だからこうして医者を連れてきたんだよ。きちんと医者に診てもらったほういい」

 魔王のうしろに人の気配が在ることに、ロザリアはようやく気付いた。

「ま、まさか、お医者さまですか?」
「シルヴィオ医師、よろしく頼む」

 魔王が脇によけると、背後から白衣を着た老年の男性が進み出た。

「ふむ……」

 銀縁のめがねをかけた医師は、右手の人差し指で眼鏡のズレを治した。魔王と位置を入れ替えて、ベッドに横たわるロザリアの脇に立ち、医師は温度を感じさせない視線でロザリアを見下ろしている。

「いつからだ?」
「えっと、今朝目が覚めたら身体がだるくて……」

 ロザリアはびくびくしながら、医師の質問に答える。

「ほかに症状は?」
「すこし熱っぽい……くらいです」

 医師の感情を交えない平坦な声に、ロザリアは緊張した。ただの風邪だと思うのだが、なにか別の病気かもしれないと思うと、不安になる。

「すこし、触るぞ」

 医師は宣言して、ロザリアの首筋に両手で触れる。耳の下までひんやりとした手が肌の下の感触を確かめるように移動する。

「は、あ……」

 ロザリアはぞくりと背中を走った感覚に、ため息をこぼした。
 医師はぎょっとしたかと思うと、すばやく手を離す。
 それまで医師の背後に下がって見守っていた魔王は、険しい表情で彼女に近づいた。

「シルヴィオ医師、ロザリアにいったいなにをした?」

 魔王はシルヴィオ医師の手をつかみあげる。

「脈と気の流れを診ただけだ。お前さんが心配するようなことは、なにもしとりゃせん」

 医師は冷たい目で魔王を睨みつけ、つかまれた手を振り払って取り返した。
 魔王は不承不承ながら、診察の邪魔にならぬよう一歩下がる。
 医師はポケットから銀色の平たい棒のようなものを取り出すと、ロザリアのあごに手を伸ばした。

「ほら、口を開けろ」
「く、くち?」
「ほら、あーん、だ」
「あーーー、んぐっ」

 急に銀色の棒を喉の奥に差し込まれて、ロザリアは目を白黒させた。

「うーむ、風邪ではないようだな。咳や鼻水、頭痛などもないのだろう?」

 えずくロザリアを意に介することなく、医師は彼女に問いかけてくる。

「……はい」
「上を見ろ」
「え?」
「上を見ろと言った」

 冷たい命令口調に、ロザリアは思わず従っていた。
 医師の手が下まぶたを押さえて、なにかを観察する。ようやく医師の手が離れて、ロザリアはほっとした。

「シルヴィオ医師、なにかわかったのか?」
「ふむ。お嬢ちゃん、つかぬ事を聞くがそなた、もしかして発情期なのではないか?」
「え?」
「ええっ?」

 思いがけない問いかけに、ロザリアは大きく目を見開いた。
 魔王も医師の隣で愕然とした表情をしている。

「はつ、じょう、き?」

 ロザリアは茫然とした。
 魔猫まびょうは、伴侶だと認めなければ発情しないはずだ。つまり、ロザリアは魔王を伴侶と認め、発情しているということになる。

――うそ……。私、魔王様のことをそんなに好きになってたの?

 ロザリアは自分でも気付かぬうちに魔王のことを深く愛していたらしい。
 彼女とは違って魔王は引く手あまたで、誰でも選ぶことができる立場にある。いまは彼の寵愛を受けてはいるが、それは一時のことで、いずれ飽きられるまでの関係だと思っていた。
 魔王の伴侶に迎えたいという言葉も、どこか半信半疑でいた。
 ロザリアがいくら教育を受けようとも、自分が強大な魔力を誇る魔王のかたわらに在るのにふさわしいとは思えない。
 いくら上辺を取り繕っても、美しいドレスを身にまとっても、ロザリアはどうにも貴族の世界になじめそうにない。所詮、住む世界が違うのだからと、ロザリアはなるべく魔王のことを好きにならないようにしていた。
 魔王城で働く人々の間では、魔王は他者に心を動かされることのない冷酷な人物と噂をされていたが、ロザリアに対しては感情豊かに、いろいろな表情を見せてくれる。
 執務においては冷酷な面もあるけれど、苦痛に耐えながら魔水晶に力を注ぐ姿は、見ている彼女のほうが辛くなるほどだった。
 もとよりその身ひとつで魔界を支える魔王に尊敬の念を抱いてはいたけれど、その想いが思慕へと移り変わるのは必然だったのかもしれない。
 ロザリアの自制など意味がなかったのだ。

「ロザリア、どうなの?」

 魔王がいらいらとしながらロザリアに詰め寄る。

「そう、かも、しれません」

 以前に友達から聞いた発情期の症状に思い当たったロザリアは、さあっと顔を青ざめさせた。
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