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五
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そうして、長く山に寝泊まりしていたせいで、あれだけあった亡骸がつきた。前回山を下りてから半月は経っているから、新たな死体も生まれただろう。村に久々に降り立つ。あばら家の前で数人の村人が待っていた。
「鰍、お前、どこ行っていたんだ」
婆が問いかける。村の女たちの気色が悪そうな目。今にも病どころか飢餓で死にそうな顔色の悪さだった。
「山だよ。いつも行ってるでしょ」
「鰍……? お前……」
「それより今日は、誰か死んでないの?」
婆が悲鳴を上げた。煩い。黙らせようか、と思ったら後ろから石が飛んできて鰍の後頭部を直撃した。意識が混濁し、倒れた。血でにじむ眼が、篝火を持ったたくさんの村人を捉えた。
「鰍! お前、あやかしに憑りつかれたな!」
鰍を殴る。蹴る。材木で打つ。
「おかしいと思ったんだ! 村は皆ふせっているのに、お前だけが何事なく、血色がよくなって」
腹に一撃入り、胃液が出る。村人は恐怖と病魔に追い詰められていた。憎悪の渦が鰍を取り囲んでいた。
「触るな、蛭がくっついているかもしれん」
興奮した村人を別の女が制す。鰍は後ろ手に縛られて、そのまま、あばら家の中に放り込まれた。
「火を放て! もともと忌屋だ! そのまま燃やしてしまえ」
そのまま火をつけられた。鰍は悲鳴をあげた。火はだめだ。いくらなんでも抵抗できない。黒い煙が取り巻いて息ができない。熱い。怖い。そう思ったら、なにかが、ぺとぺとと、身体を這っていた。
それは、夥しいまでの蛭だった。小さな小さな蛭が身体中にまとわりついた。
冷たくてぬめぬめして、まるで繭玉のように鰍の身体を包む。何匹かが火にあぶられて空白ができると、別の蛭が隙間を埋めた。火から守ってくれている。そう思った。
ぱちんと、火の粉が飛ぶ。否、それは燃えた蛭。
村人にくっついた途端に火の手があがる。湧き上がる悲鳴。村の家屋に気づけばたくさんの蛭蛭蛭。何匹も何匹も、いつの間にか村のあちこちから湧き出てくる。鰍の盾になり、火の粉になった蛭は、村人だけでなく家屋にもすぐに燃えうつった。あっという間に枯れた村を浸食し、燃やし尽くした。
「うわああっ……蛭の群れだ!」
蛭の繭玉に包まれながら、村人の悲鳴を聞いた。何故か鰍には外の様子が手に取るように分かった。骸峠へ続く山道から、さらに大量の蛭が押し寄せていた。
亡骸も生きている者もすべて。土砂崩れに呑まれるように消えていく。
「やめ、血が」
上がった悲鳴はすぐにかき消される。火事の中、かろうじて生き残っている村人を見つけては、大量の蛭が埋め尽くして生き血を吸う。小さな蛭はすぐに満腹になる。ごんごろとまんまるになってその場に転がる。蛭が一度に吸血できる量はたいしたものではない。その少量の血を、大量の蛭が吸う。血を抜かれ火にあぶられ、地獄絵図と化していた。
唐突に繭玉が解ける。卵から生まれ出るように、鰍は解放された。目の前の死んでいく村を呆然と眺めていると。
──ぞわりと、妙な気配がした。
目の前に大山蛭がぐぬんと、姿を現した。ぬるぬる。ぬめぬめ。どろどろ。
「山蛭様」
声が出ていた。それがなんなのか、分かった。大木ほどの高さもある大蛭はするりとカタチを変えた。つやつやの黒髪、まあるい目、立派な着物。
「鰍! よかった! 無事でしたか」
いつものようにふんにゃりと微笑んだ。脱力している鰍を軽々抱え上げる。ぬるりとした感覚。でも、もう不快ではなかった。むしろひんやりと気持ちいいとすら。
「いっぱい力をつけたので、人里まで降りて来れましたが、ああこれはだめですね。やりすぎました。全員死にます」
鰍を抱えながら、燃えゆく村を笑って見ていた。
「もったいないですし、私ひとりでは吸いきれないので、近隣の山からいっぱいヤマヒルを呼びました。でも、次はもっとうまくやりましょう。食事がたくさんあるのはいいことですが、大量廃棄はいけないことです」
子供を叱るような口調のあと、山蛭様は慰めるように言った。
「やっぱりあなたのような、誰にも顧みられない人間がいる村はもろすぎて、逆に困りものですね」
そう言われて初めて、鰍は山蛭様を不審げに見た。
「村を手に入れるために、あたしのこと、利用したの?」
利用? 山蛭様は小首を傾げた。その背後にぱちぱちと火の粉が飛ぶ。
「私が鰍を騙して、利用していたと?」
「……そうじゃないの?」
えー、と山蛭様は困ったように笑った。
「鰍、あなたは私をどう見ました?」
「どうって……美しい人だと」
「あ、じゃあ最初からダメです。手遅れです」
ダメ、とは。なにが。聞かなくても分かるような焦燥が背に張り付いた。
「ねえ知っていますか鰍。人間は、蚯蚓や百足、蛭のような生き物を本能的に強く不快に思う生き物らしいです。ひどいですよね? 蛭は毒もないし医術にだって使われたこともあるのですよ。蚯蚓だって土を浄化するのに。でも、獣や魚よりずっと人間の姿形から離れすぎていて、気味が悪いのでしょうね。人間なら」
──蛭を美しく思う時点で、間違っている。
それはそうだ。その姿を見た、時点で。鰍の本質は揺らいでいたはずだ。
人間であるならば、異形を美しく見るなんて、その時点で終わっている。
理解できれば、簡単なこと。
「十年前も、あの場所であなたは生き倒れていました。どうしようか迷ったのですが、あなたは血濡れと泥だらけで人の理ことわりから外れかかっていましたから、目をつけちゃいました。だって、まともな集団の中にいたら、子供がそんな状態で行き倒れているわけないでしょう? お試しもかねて、一度だけ血を吸いました」
あ、でも、ちゃんと鰍のためにもなったはずです、と慌てて山蛭様は言った。
「吸血したおかげで病にかからなかったでしょう? 私が吸うと、感覚が麻痺するし、人間性も無くしてしまうので」
鰍は大きく目を見開いた。
蛭は雌雄同体であるが、繁殖のために交尾はする。首を絞めあうように、まぐわう。
だから山蛭様は、鰍の人間の部分の首を絞めた。締め上げて。残ったのは。
「それでも、当時の私にたいした力はなかったので、あなたは境界を彷徨った中途半端なままでした。もし、周りの人間がちゃんとあなたの異常に気がついていたら、あなたはまだ人間側に戻ることができたのですが。──結果はほら、御覧の通り」
たったひとりで、まだあんなナリで、忌地の山に、亡骸を運んでいるんですもの。
山蛭様は笑っていた。嘲るでもなく、同情するわけでもなく、仕方がないなというように。
「誰も関心がないのなら、私がもらってかまいませんよね? あなたも。同じ土地に住まう者が、変状しても気づきもしないこの村も」
共同体の強固さは、監視しあうことだ。息苦しいまでの結びつきのおかげで、綻びが生じれば、すぐに発見することができる。田畑を荒らす獣が出れば、見回りや罠を張るし、あやかしが出れば追い払う。──道を外れた人間がいれば、弾き出す。だから、獣もあやかしも容易に人里には降りていけない。
けれど、その強固な結びつきに綻びがあれば、中から異形化したものがいれば、簡単に滅んでしまう。関心がないとは、何も対策をとらないとは、そういうことだ。しかも、十年も放置し続けていれば、村の命運など決まったようなものだった。
鰍の肌はいつの間にか、傷や豆がなくなっていた。ざんばら髪は、腰まで伸びるつやつやの黒髪に。ぼろぼろの着物は紅梅色の鮮やかな打掛に。眼は灰色になっていた。黒染めの羽織と並べば、まるでつがい。
ただしく、化生。あやかし。鰍に怯え、駆除しようとした村人は正しかった。気がつくのがあまりにも遅かったけれど。
花嫁装束を身にまとった鰍を見て、「わあきれい」とぽっと山蛭様は頬を染めた。
「昔、血を吸った行商人が落とした書物で読んだことがあるのです。貴公子はお姫様を助けるものだって。あなたが村人から襲われるのは分かりきっていたので、絶好の機会に助けようと待っていたのです」
火の粉が飛ぶ、蛭も飛ぶ、人間の悲鳴。
「どうですか? かっこよかったですか? 私のお嫁さんになってくれますか?」
そのおぞましい蛭は、美しく笑った。
「鰍、お前、どこ行っていたんだ」
婆が問いかける。村の女たちの気色が悪そうな目。今にも病どころか飢餓で死にそうな顔色の悪さだった。
「山だよ。いつも行ってるでしょ」
「鰍……? お前……」
「それより今日は、誰か死んでないの?」
婆が悲鳴を上げた。煩い。黙らせようか、と思ったら後ろから石が飛んできて鰍の後頭部を直撃した。意識が混濁し、倒れた。血でにじむ眼が、篝火を持ったたくさんの村人を捉えた。
「鰍! お前、あやかしに憑りつかれたな!」
鰍を殴る。蹴る。材木で打つ。
「おかしいと思ったんだ! 村は皆ふせっているのに、お前だけが何事なく、血色がよくなって」
腹に一撃入り、胃液が出る。村人は恐怖と病魔に追い詰められていた。憎悪の渦が鰍を取り囲んでいた。
「触るな、蛭がくっついているかもしれん」
興奮した村人を別の女が制す。鰍は後ろ手に縛られて、そのまま、あばら家の中に放り込まれた。
「火を放て! もともと忌屋だ! そのまま燃やしてしまえ」
そのまま火をつけられた。鰍は悲鳴をあげた。火はだめだ。いくらなんでも抵抗できない。黒い煙が取り巻いて息ができない。熱い。怖い。そう思ったら、なにかが、ぺとぺとと、身体を這っていた。
それは、夥しいまでの蛭だった。小さな小さな蛭が身体中にまとわりついた。
冷たくてぬめぬめして、まるで繭玉のように鰍の身体を包む。何匹かが火にあぶられて空白ができると、別の蛭が隙間を埋めた。火から守ってくれている。そう思った。
ぱちんと、火の粉が飛ぶ。否、それは燃えた蛭。
村人にくっついた途端に火の手があがる。湧き上がる悲鳴。村の家屋に気づけばたくさんの蛭蛭蛭。何匹も何匹も、いつの間にか村のあちこちから湧き出てくる。鰍の盾になり、火の粉になった蛭は、村人だけでなく家屋にもすぐに燃えうつった。あっという間に枯れた村を浸食し、燃やし尽くした。
「うわああっ……蛭の群れだ!」
蛭の繭玉に包まれながら、村人の悲鳴を聞いた。何故か鰍には外の様子が手に取るように分かった。骸峠へ続く山道から、さらに大量の蛭が押し寄せていた。
亡骸も生きている者もすべて。土砂崩れに呑まれるように消えていく。
「やめ、血が」
上がった悲鳴はすぐにかき消される。火事の中、かろうじて生き残っている村人を見つけては、大量の蛭が埋め尽くして生き血を吸う。小さな蛭はすぐに満腹になる。ごんごろとまんまるになってその場に転がる。蛭が一度に吸血できる量はたいしたものではない。その少量の血を、大量の蛭が吸う。血を抜かれ火にあぶられ、地獄絵図と化していた。
唐突に繭玉が解ける。卵から生まれ出るように、鰍は解放された。目の前の死んでいく村を呆然と眺めていると。
──ぞわりと、妙な気配がした。
目の前に大山蛭がぐぬんと、姿を現した。ぬるぬる。ぬめぬめ。どろどろ。
「山蛭様」
声が出ていた。それがなんなのか、分かった。大木ほどの高さもある大蛭はするりとカタチを変えた。つやつやの黒髪、まあるい目、立派な着物。
「鰍! よかった! 無事でしたか」
いつものようにふんにゃりと微笑んだ。脱力している鰍を軽々抱え上げる。ぬるりとした感覚。でも、もう不快ではなかった。むしろひんやりと気持ちいいとすら。
「いっぱい力をつけたので、人里まで降りて来れましたが、ああこれはだめですね。やりすぎました。全員死にます」
鰍を抱えながら、燃えゆく村を笑って見ていた。
「もったいないですし、私ひとりでは吸いきれないので、近隣の山からいっぱいヤマヒルを呼びました。でも、次はもっとうまくやりましょう。食事がたくさんあるのはいいことですが、大量廃棄はいけないことです」
子供を叱るような口調のあと、山蛭様は慰めるように言った。
「やっぱりあなたのような、誰にも顧みられない人間がいる村はもろすぎて、逆に困りものですね」
そう言われて初めて、鰍は山蛭様を不審げに見た。
「村を手に入れるために、あたしのこと、利用したの?」
利用? 山蛭様は小首を傾げた。その背後にぱちぱちと火の粉が飛ぶ。
「私が鰍を騙して、利用していたと?」
「……そうじゃないの?」
えー、と山蛭様は困ったように笑った。
「鰍、あなたは私をどう見ました?」
「どうって……美しい人だと」
「あ、じゃあ最初からダメです。手遅れです」
ダメ、とは。なにが。聞かなくても分かるような焦燥が背に張り付いた。
「ねえ知っていますか鰍。人間は、蚯蚓や百足、蛭のような生き物を本能的に強く不快に思う生き物らしいです。ひどいですよね? 蛭は毒もないし医術にだって使われたこともあるのですよ。蚯蚓だって土を浄化するのに。でも、獣や魚よりずっと人間の姿形から離れすぎていて、気味が悪いのでしょうね。人間なら」
──蛭を美しく思う時点で、間違っている。
それはそうだ。その姿を見た、時点で。鰍の本質は揺らいでいたはずだ。
人間であるならば、異形を美しく見るなんて、その時点で終わっている。
理解できれば、簡単なこと。
「十年前も、あの場所であなたは生き倒れていました。どうしようか迷ったのですが、あなたは血濡れと泥だらけで人の理ことわりから外れかかっていましたから、目をつけちゃいました。だって、まともな集団の中にいたら、子供がそんな状態で行き倒れているわけないでしょう? お試しもかねて、一度だけ血を吸いました」
あ、でも、ちゃんと鰍のためにもなったはずです、と慌てて山蛭様は言った。
「吸血したおかげで病にかからなかったでしょう? 私が吸うと、感覚が麻痺するし、人間性も無くしてしまうので」
鰍は大きく目を見開いた。
蛭は雌雄同体であるが、繁殖のために交尾はする。首を絞めあうように、まぐわう。
だから山蛭様は、鰍の人間の部分の首を絞めた。締め上げて。残ったのは。
「それでも、当時の私にたいした力はなかったので、あなたは境界を彷徨った中途半端なままでした。もし、周りの人間がちゃんとあなたの異常に気がついていたら、あなたはまだ人間側に戻ることができたのですが。──結果はほら、御覧の通り」
たったひとりで、まだあんなナリで、忌地の山に、亡骸を運んでいるんですもの。
山蛭様は笑っていた。嘲るでもなく、同情するわけでもなく、仕方がないなというように。
「誰も関心がないのなら、私がもらってかまいませんよね? あなたも。同じ土地に住まう者が、変状しても気づきもしないこの村も」
共同体の強固さは、監視しあうことだ。息苦しいまでの結びつきのおかげで、綻びが生じれば、すぐに発見することができる。田畑を荒らす獣が出れば、見回りや罠を張るし、あやかしが出れば追い払う。──道を外れた人間がいれば、弾き出す。だから、獣もあやかしも容易に人里には降りていけない。
けれど、その強固な結びつきに綻びがあれば、中から異形化したものがいれば、簡単に滅んでしまう。関心がないとは、何も対策をとらないとは、そういうことだ。しかも、十年も放置し続けていれば、村の命運など決まったようなものだった。
鰍の肌はいつの間にか、傷や豆がなくなっていた。ざんばら髪は、腰まで伸びるつやつやの黒髪に。ぼろぼろの着物は紅梅色の鮮やかな打掛に。眼は灰色になっていた。黒染めの羽織と並べば、まるでつがい。
ただしく、化生。あやかし。鰍に怯え、駆除しようとした村人は正しかった。気がつくのがあまりにも遅かったけれど。
花嫁装束を身にまとった鰍を見て、「わあきれい」とぽっと山蛭様は頬を染めた。
「昔、血を吸った行商人が落とした書物で読んだことがあるのです。貴公子はお姫様を助けるものだって。あなたが村人から襲われるのは分かりきっていたので、絶好の機会に助けようと待っていたのです」
火の粉が飛ぶ、蛭も飛ぶ、人間の悲鳴。
「どうですか? かっこよかったですか? 私のお嫁さんになってくれますか?」
そのおぞましい蛭は、美しく笑った。
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