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 美花の拳から繰り出された衝撃により健司は両ひざを床に口元に手を当てて口を押えるが、指の隙間から血液がつたう。

「脆い者ね」
「なぜ君は……」
 
 動けない健司の近くまで来ると無造作に髪を掴む。

「ッ……!」
「なぜ? それは貴方達が一番良くわかっているのでは? 弱き者を助ける立場の貴方達が見捨てたのが最初でしょ? あの時私を保護していれば、こんな事は起こらなかったでしょうね」
 
 この言葉でこの事件の首謀者はほぼ美花で確定しても良い。

「ならば! なぜ我々である警察官に矛策を向けない! なぜ、関係のない一般市民を巻き込むのだ!」
「ふふ、それは簡単な話よ。貴方達に直接手をだすよりも、国民からの信用を無くした方が楽しいでしょ? それに私もファミリーを養わないといけない立場なの。だから私はストレスが溜まっている国民達が幸福だと思える物を安く提供してあげているのよ。感謝しなさい」
 
 その時に美花の瞳はハイライトが消え、健司を覗き込む瞳には深い闇が見える。

「狂っている……」
「えぇ、狂っているわよ。貴方達が想像しているよりも私のいた場所の人間の命など、子供が無邪気に無視を殺すほどの価値しかない場所なのよ」
  
 強い者が生き残り弱い者が強者の食い物にされる世界で生きた美花からすれば、薬物に手を出して日常生活に戻れなくなる人の事などどうでもいい話だ。
 ただ見捨てた国に対しての憎しみと怒りのみであり、その間の過程などどうでもいい話である。
 
 そんな会話の最中に警報音の音に紛れて乾いた音が鳴り響く。

「……!?」
 
 美花は体に衝撃を受け半歩ほど後ろに下がると、違和感を覚え下腹部に手を当てると、生暖かい血液が手のひらにベッタリと付着していた。

「君の負けだ……」
 
 美花に攻撃されたダメージがまだ残っているか、寝ころんだまま震える手で銃を構えていた。

「楽しいひと時に横槍を入れるのは無粋じゃなくて?」

 先ほどまでの楽しそうな表情と違い、完璧に興味を無くして、素に戻った美花は撃たれた事すら何ともないのか、勢いよく飛び出すと、胴体を蹴る。
 少なからずダメージを受けている美花の蹴りは最初ほど、強くなかった。だが、純平からすれば声にならない程の激痛を純平に襲い掛かってくる。

「龍? 何時まで寝ている」
 美花が気絶するほどまで痛めつけたと言うのに足蹴りで意識を失っている龍を起こす。

「おじょう…… その怪我は」
 
 一方的な暴力を受ける事になっても龍は自分の傷より美花の傷を心配する。

「貴様は華美に忠誠を誓うものか?」
 
 冷たい視線で見下ろされる龍は背中にぞくりと悪寒が走る。
 ここで嘘でも忠誠を誓うと言わなければ殺されると思った龍は無意識に言葉を言っていた。
 もし考える時間があるとしても龍は華美、美花を裏切る事は絶対にしない人物である。それがどれだけ美花に暴力や物の様にぞんざいに扱われても変わる事は無い。

「はい。華美に絶対の忠誠を」
「そうか、それは朗報だ。わるいが、さっそくだが、その忠誠とやらを見せてもらおう」
 
 そう言うと龍を持ち上げる。
「お嬢…… 何をなさるので?」
「上手くいけばお前も助かるさ」
 
と言うと、物を投げる様にビルの外に目掛けて放り投げる。
 ビルのガラスを割ると龍は外に投げ出される。
 その投げ出された龍と健司は視線が交わる。いくら悪人だと言え、絶対な死が迫る恐怖には平常心ではいられないという事だろう。
 そんな状態で平常心な人間は何かが壊れている証拠である。
 
 投げ出された龍は下り坂になっているガラスにぶつかるとガラスの斜面を滑り転がる。
 必死に速度を落とそうとするが手に付いている血液が滑り、ガラスに血痕の線を引いき速度を落とす事が精一杯で止まる事は出来ない。
 このままだと数十メートルの高さから落下しか残されていない運命を辿る事になるはずだったが、正面を見ると、自分を投げ飛ばした本人が下り坂を走りながら降りて来る。

「ほら、掴まれ」
 
 手を差し出す美花の手は龍に比べれば小さい手であるが、この時ばかりは大きく見え、絶対的な安心感があった。

 フラフラと歩き二人が空中に消える姿を見て呆ける。
 追い詰めた相手がビルから飛び降りると思っても居なかった。折角の華美を追い詰めた相手が自殺をはかるとは予想は出来ていなかったと思いながら外を眺めていると、外からヘリコプターの音が聞こえ始める。
 すると、ヘリコプターの一部にフックショットを絡めてぶら下がっている姿が見える。
「ハハッ……」
 乾いた笑いをこぼすと健司の表情は何処か嬉しそうでもあった。
「カット!!」


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