シアター・ハイスクール

幽斎

文字の大きさ
3 / 7

第三場

しおりを挟む
 その日、俺は夢を見た。昔の夢だ。自分にとって過去最低最悪の悪夢。

 俺は悠々と舞台の上に立っている。
 照明の光を浴び、荘厳な音楽が流れ、煌びやかな衣装に身を包み、俺は舞台の上に存在する。
 俺がこの世界を構築し、観客は皆、俺の虜。
 俺が台詞を喋れば観客は涙を流し、俺が手を振れば歓声が上がる。
 他の登場人物など、俺を引き立たせるための舞台装置でしかなかった。会場の視線を独占し、俺は演じ続ける。

 そして、気付いた。

 観客が俺を見ている。
 俺だけを見ている。
 何故か。

 そこには、文字通り、俺しか居なかったからだ。

 婚約者フィアンセ役である彼女の姿が無かった。

 彼女は……?

 彼女が舞台上に登場しなければ、俺は次の台詞を言えない。
 これから、ロマンティックで情熱的な恋のシーンに移る筈なのに。
 じっとりと、気持ちの悪い汗が全身から溢れ出た。
 台詞も言えぬまま、顔面を蒼白に染めた俺を、惨めにも怯えている俺を、観客たちが見ている。

 止めろよ。見るなよ。俺を見るなよ。

 彼女は?
 どうして舞台上に現れない?
 彼女が登場すれば、時間の止まってしまったこの世界が再び息を吹き返すというのに、一体どこへ。

 あんなに、練習したじゃないか。
 何度も何度も、声が擦れるまで稽古を重ね、感動的な舞台にしようと誓いあって、努力して………!

 俺が慌てふためき、客席からは大きなどよめきの声が生まれる。そんな時。
 ついに彼女の姿を見つけた。
 彼女は、俺の事を見ていた。
 舞台上には登場せず、舞台袖の奥で、俺を見ていた。

 そして、笑っていた。

     ◇

 ハッと目が覚め。茫然と辺りを見回す。
 いつもの、ボロアパートの汚い天井と、散らかった部屋が映るばかりだ。
 汗を吸いビシャビシャとなったTシャツが体に張り付く。最高に気持ち悪い。
 鈍く痛む頭を持ち上げ、身体を起こし、床から煙草とライターを拾い上げ、窓を開けベランダへ。

 地平線の彼方が白んで来ているが、まだ世の中は暗い。
 朝の新鮮な空気で大きく深呼吸。身体の中を浄化し、マールボロのアイスブラストを1本取り出し銜えて、フィルター内に仕込まれたメンソールカプセルを噛み潰し、安物のジッポで火を着ける。
 毒煙を吸い込み、一気に吐き出す。メンソールの清涼感で頭が覚めた。

「あー……」

 最悪。マジで最悪。
 寝覚めは胸糞悪いが、一晩たったお陰もあり昨日の自分に対し強い羞恥心が生まれた。同時に一つ、小さな謎が胸に引っかかる。

「三島が、俺の芝居を観た……ねえ……」

 あり得ない話では無いだろう。芝居の演目も俺の演じた役も知っていたし。
 『お気に召すままを』をやったのは、今から三年前、二十五歳の頃、俺がまだ準座員として劇団に所属していた時の本公演で上演した。当時、名だたる名優を退け、新人の俺がジェークイズを演じれたのは運が良かったとしか言いようが無い。評判はそれなりに良かったが、個人的には納得のいく役作りは出来なかった。新人の分際で大役を引き受けたものだから先輩の座員からは目を付けられもした。
 まあ、それも過去の話だから今更どうでも良いが。

 そんな事よりも、役者として俺が活動していたのは東京で生活をしていた時の話だ。当時、三島は岡山県の片田舎に住むただの女子中学生。
 中学生がわざわざ東京まで芝居を見に来るだろうか。
 絶対に無いとは言い切れないが、どうも引っかかる。
 と、まあ、そんな事いくら考えても分からないのだが。
 何はともあれ。

「学校行きたくねー……」

 教師だって登校拒否くらいしたくなる。

     ◇

 とは云え。学校には行かなければならない。
 何故かって?
 俺達教師は、生徒と違って生活が掛かっているからだ。クビになったら困る。
 朝のホームルーム。当たり前の話で、俺はあの三人の副担任なわけで、あいつらの居る教室に行かなければならない。

 案の定、三島は気まずそうに顔を伏せ、八千草は敵意にも似た視線を俺に送り、澤野は……普段通りだ。
 でもまあ、仕事中だしな……仕事の時くらい、切り替えてやらねば。
 なんて、そんなうまく切り替えられるなら誰も苦労しないっての。

「小田島先生!」
「……はい?」
「もう、さっきから呼んでいるのに。先生。何か伝達事項はありますか?」
「……いえ、ありません」
「しっかりしてくださいよ。小田島先生」
「すんません」

 やってしまった。
 俺、ダサい。

「逍遥! しっかりしようようルビ!」

 クラスでひときわ背の高い男子生徒である桐谷がクソ寒い駄洒落をバカみたいな顔して発言した事により、生徒達から爆笑の渦が生まれる。

 桐谷、マジ殺す。
 背が高くてイケメンだからって何でも許されると思ってんなよ?
 大人の怖さを、単位と言う名の凶器を突きつけて分からせてやるからな。
 額に青筋を浮かべ、桐谷への制裁処置を画策しながらホームルームが終わり、逃げるように教室から立ち去る。

 すると、同じく職員室に向かう金久保先生が隣に並び口を開いた。

「小田島先生、昨日のこと、大分気にされてるみたいね……」
「いや何言ってんすか、全然気にしてないっすよ」

 強がって答えるが、金久保先生には全てお見通しのようだ。

「そうですか……八千草さん達とは、今日の放課後、改めて話し合いをすることになっていますので、先生も同席してくださいね」
「え、嫌っすよ……八千草達だって、昨日の俺を見て、こんな男が顧問じゃ嫌でしょ……?」
「ええ……昨日、私が職員室から出るのを3人が待っていましてね、特に八千草さんは、あなたの事をボロカスに言ってたわ」
「マジすか、ボロカスっすか」

 しようが無い事とは云え、それを本人に伝えなくてもよろしいのでは?
 俺だって人並みに傷つくんですよ?

「でも、顧問、本当に引き受けない気ですか?」
「だから、そう言ってるじゃないですか……なんか、金久保先生は俺に顧問をやって欲しいみたいですけど、こんな俺が顧問じゃ、あいつらが可哀そうでしょ」
「生徒を言い訳に使わないの……まったく、逍遥先生は素直じゃない癖に分かりやすいのよ」
「それ、どういう事ですか……?」
「そのままの意味よ……先生、あなたの過去がどうあれ、今は教師なのよ? 私は、あなたが立派な教師になってくれると、確信にも似た思いを抱いているの」
「いやに持ち上げるじゃありませんか。俺、今日はそんなに持ち合わせ無いっすよ?」
「結構よ。私が教育しなきゃならないのは、生徒だけにあらず……あなたも私から見れば、生徒達と変わりないわ……そういうことなの」
「いや、わかんないっす」
「今はね……とりあえずは、今日の放課後」

 なんだかすっきりしないままに会話も終わり、職員室に到着して、授業の準備に取り掛かる。金久保先生の担当教科は社会科で資料や地図など準備する物も多い。

 対して俺は一時限目の授業が無いし、のんびり準備をすれば良いや。
 とりあえず、煙草を吸いに行こう。近頃は学校敷地内の禁煙化が進み、喫煙者は肩身が狭い。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...