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第五場
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決戦までの間、生徒達にとっては激動の日々となるだろう。本当に勝ちたいならば、1分1秒たりとも無駄にする時間なんかない。本当に勝ちたいならば……。
生徒達とは反対に、俺にはこの期間中、何もやる事が無い。とはいえ、大人は学生と違って元から時間なんて無いのだ。ただでさえ日々を仕事に追われている。どうせ彼女たちがどんな芝居を作り上げた所で、俺は切り捨ててやるつもりだから、気楽に時が過ぎるのを待てばいいさ。
「もう先輩、聞いて、聞いて下さいよ! 最近の高校生って本当に生意気なんですよ!」
「知ってる」
八千草達と勝負の取り決めをした後、スマホを確認したら、今俺の目の前でビールジョッキを片手に顔を赤らめ捲し立てている、英椿姫からメッセージが入っていた。
ちょっと面倒くさかったが、こいつはこいつでストレスの発散の為に酌の相手が欲しかったようだ。偶には付き合ってやろうかと、小料理屋の座敷で愚痴が飛ぶ。
「ねえ、先輩……なんかコツとか無いんですか……? ちっとも言うこと聞いてくれないんですよ……私が演出付けても、それってどういう意味ですか? 分かりません。従えませんって……」
飲み交わし始めてから早い段階で、英は大分出来上がっていた。身振り手振りも大きくなり、たわわと実った胸が大きく揺れる。
俺は、眼福とばかりにしっかりと目に焼き付けるよう勤しむ。
彼女とこうして近所で働くことになったのは、偶然だった。大学の演劇サークルで知り合った英は俺の二つ下で、当時は割とスパルタに俺が彼女に芝居の稽古をつけていた。元から教師の道を目指していた英は、地元であるここ津山に帰るとそのまま教師となり、母校で勤める事になった。
その母校というのが演劇の強豪校らしく、本人の希望もあって演劇部の第2顧問となったのは良いが、苦戦を強いられているようだ。
「私が何を言っても響かないって言うか……」
かなり気落ちしている。そんな後輩になんと声を掛けて良いか分からずに、とりあえず麦焼酎の水割りを飲みながら、煙草を吸い、
「知るかよ……俺に芝居の事を聞くな……」
煙と一緒に吐き出す。
「もう、せんぱーい……! ちゃんと相談に乗って下さいよ~……!」
「相談も何も、教師としてはお前の方が先輩だろ……? 俺じゃ何も分かんねえって……」
「でも先輩だったら絶対、稽古中に自分に従わない人が居たら、有無を言わさずに腕を引いて連れ出して、その人の全人生を否定しながら精神を粉々に砕くまで口撃してくるじゃないですか……そして絶対服従を誓わせて、まるで自分の手駒か何かのように、操るじゃないですか~」
「お前、俺の事なんだと思ってんの……? する訳無いだろ、そんなこと……」
「嘘です、私やられましたもん。あの時軽くノイローゼになったんですからね」
「そ、そうだっけ……?」
言われてみれば、そんなことをしていた気も……。
当時は俺も若かったから、大目に見てくれ。
「仮にそうだったとしても、教師の立場でそんなこと出来ねえよ……直ぐに問題になっちまう」
「まあ、そうですけど……大人として、やっぱり生徒には威厳を示さないといけないというか……何だか舐められてるんですよね、私……」
舐められてるか……それは俺も同じだ。
まあ、俺の場合はその事に大きな不満は無い。給料さえ貰えるならなんだっていいさ。
「ふーん……大変なんだな、顧問って……」
ますます、演劇部の顧問なんてやりたくなくなった。絶対に良い事が無い。
「先輩は、部活とか持たないんですか……? 多分、人員数の関係上、何かしらは持つことになるんだと思いますけど」
生徒の数、部活動の数に対して、教員の数も減ってきているからね。一人で何個かの部を受け持っている先生も珍しくない。第一顧問は無理だけど。
「鏡心って、演劇部ありましたっけ?」
「ないよ……それを狙って入ったわけだし……でも、不運にも演劇部を作りたいって生徒達が現れてね……今、それを阻止すべく戦っている最中」
え、と英から驚きの声が上がる。
「何で阻止するんですか! やって下さいよ、顧問!」
「やだよ。俺に何もメリット無いじゃん。演劇なんて辛いだけだし、時間とお金が掛かるくせに実りが少ない」
「思っても無い事をつらつらと……」
思っているよ。心の底から思っている。
「兎に角、その生徒達と勝負する事になってね……来週、生徒達が芝居を見せてくれるらしい。それで、俺を感動させられたら、演劇同好会を作り上げて、俺が顧問を引き受ける事になる」
「それって……その子たちに勝ち目一つも無くないですか……?」
その通りなのだよ。全ては俺の気分次第の勝ち戦。
「俺としては、顧問なんか引き受ける気は無いし、つまんないと言い放ってやるよ」
水割りの残りをグイッと流し込み、氷がからからと鳴る。
英が俺の顔を訳知り顔で覗き込む。
「素直じゃないんだから……そんなこと出来ない癖に……」
「何言ってんだよ」
これだから昔を知っている奴と会うのは嫌なんだ。
◇
静まり返った職員室で、俺は仕事の残り、漢字小テストの採点を行っていた。学生時代はテストなんて嫌いだったが、教師になった今でも、問題を作らなければならないし、採点をしなければならないし、好きになれそうにない。
時刻は7時に差し掛かろうとしており、他の先生方は殆ど帰られていた。
「それじゃ、小田島先生、私も帰るので戸締りをお願いしますよ」
「はい。お疲れ様です」
2年生の英語担当教員である藤木先生と挨拶を交わし、採点の続きに取り掛かる。俺も早く帰りたい。
「お、三島は流石だな……満点だ、澤野も悪くない……」
流石は優等生組。申し分のない点数だ。
「八千草は……あいつ良く高校入れたな……」
ボロボロじゃないか。今回のテストはそれほど難しいものでは無かったのだが。
ふっと、嫌でも三人の事が気になった。今、彼女たちはどうしているのだろうか。あれから八千草達は、日々稽古に励んでいるようだ。八千草や澤野なんて、すぐに投げ出すと思っていたが、なかなかどうして食らいついている。俺が変に煽ったからかもしれない。
偶に金久保先生に何かと相談している姿を見るし、三人で集まって練習しているらしい。ご苦労な事だ。どうして、そこまで熱くなれるのだろうか。それが若さならば、いかに無駄である事だろう。
演劇はただの娯楽にすぎない。娯楽に人生を左右されるのは、何とも愚かしい事だ。
俺は今でも後悔している。夢なんかを追い駆ける事は止めて、早いうちから堅実に生きればよかった、と。
時が過ぎてからではもう遅い。三十歳間近での教員採用では、出世するのに一苦労だろう。まあ、出世したらしたで変な責任なんかが付いて回るから願い下げだけど。
「よし……! 終わった」
ふーと息を吐き、凝り固まった体を伸ばす。
煙草も吸いたいところだし、さっさと帰り支度を済ませて帰ろう。
と、これで直ぐに帰れるならまだ楽なんだけども、廊下に出ると、向かい側の棟の一室に明かりが灯っているのが見えた。一年生のクラスだ。しかも俺が受け持っているクラスの。
嫌な予感しかしない。このまま帰りたいのはやまやまなんだが、戸締りをしなければ、俺が次の日に怒られてしまう。しようが無い。確認してから帰るか。
教室が近づくにつれて、声が聞こえてきた。それなりに大きな声で。
「姫。どうしてお父上の前でそのような顔をするの?」
窓から顔を覗かせると、やはり、三人の少女が台詞を言い合っていた。台本を持ちながら、必死に言葉を紡いでいる。教室の机を前方に寄せ、アクティングエリア(演技を行う場所)を確保し、荒立ちの最中だった。
先程台詞を発したのは三島。声は小さく、表情も硬い。自分で書いた台本なのだろうが、その癖、感情が追い付いておらず、ただ字面を言っただけの台詞回し。
「アー、アー……ヒメ、オマエハワシノムスメダ、ユエ二、オマエハワシノモノダ」
澤野。ガチガチだ。一昔前の宇宙人かよ。
棒読みなんてレベルじゃない。台詞にすらなってない。普段ならもっと流暢に喋る事が出来るだろうに。
演じる事を恥じる人を見ると、見ている側まで気まずくなってくる。
手で顔を覆いながらもしばらく様子を見ていると、八千草が台詞を喋る番になり口を開いた。
「ああ……私の体は何て小さいのかしら……これだけの苦難を受け止める事も出来ない。あの人との愛を誓ったのに、その誓いを裏切るというの? 私はなんて愚かなのかしら……ああ、神様、このように弱い私をお許し下さい。でも、例え神様が許したところで、あの人はきっと許してはくれない……」
その台詞を聞いた瞬間、奇しくも見入ってしまった。
思いの他、上手い……?
いや、技術的には拙い。
でも、感情は込められているし、情景が伝わる。表情も無理に作った物では無く、自然と生まれたようだった。あくまで、他の二人に比べるとだが、圧倒的なまでに上手かった。
三人で一つの世界を作り上げる光景を、俺はしばらく眺めていた。
「ねえキョノ、台詞酷すぎ、もうちょっとさ、感情を込めてというか、それ以前にもっとリラックスして」
「て、言われてもさ、お芝居なんて初めてだし……」
「ごめんね、私の書いた台詞ってちょっと変だよね、日常会話とは全く違うし」
「いやいや、三島さんが悪いんじゃないよ。もうちょっと頑張る」
「それじゃあ、さっきの続きでいいかしら……?」
おっと。そろそろ出処かな。もう夜も遅い。俺が帰る為にも奴らに下校して貰わないと。
「どうして……どうしてなの……? どうして私がこんなひどい目に遭わなければならない(がらっ)うひゃあああああ!」
びっくりしたぁ!
冗談抜きで心臓飛び出るかと思った!
「あ、小田島先生」
必死に心拍数を下げながら、一呼吸おいて生徒達を見ながら告げる。
「お前ら、もう下校時刻とっくに過ぎてるから……親御さんが心配しないうちに帰んなさい……」
中々心臓の鼓動が収まってくれない。八千草め。
「お、脅かさないでよ! 後ろから急に扉開けないで!」
「驚いたのはこっちだ! そんなに大声出す奴があるか!」
八千草が顔を真っ赤にしながら物申すが、聞き耳持たず。むしろいろんな意味で被害を被っているのはこっちだ。
「わっ、もうこんな時間なんですね。すみません、すぐに帰ります」
慌てた三島が頭をぺこぺこ下げながら、帰り支度に取り掛かる。時間を忘れるまで集中していたということか。
そういえば、俺にもそんな時期があったような……。
「いいわよカオ。こんな奴の言う事聞く必要無いって、どうせ自分が早く帰りたいだけなんだから」
「それは否定しないけど、生徒には下校時刻を守る義務があんだよ。さっさと帰れ」
相変わらず生意気な奴め。
「ハル。先生を困らせないの。早く帰るわよ」
澤野。お前は良い奴なんだけど、どうしてこんなクソギャルとつるんでいるんだ。友達は選んでしかりだぞ。
「もう、分かったわよ仕方ない……!」
澤野の言葉に八千草はすんなりと従った。教師の言う事よりも友達の言う事。ということか。上等だ。
三人は俺と同じ空間に居ること自体嫌なのか、さっさと帰り支度を済ませて教室を出ようとする。ここであったのも何かしらの運命だろうし、あの事だけは伝えておくか。
「八千草」
「何よ」
すげえ機嫌悪そう。
「こないだの宿題。お前だけ未提出だ。遅れても良いから出しなさい」
「ふんっ、何教師面してんのよ偉そうに……出す訳無いでしょ!」
この野郎……。
「そうか。それは俺の仕事が減って楽になる。宿題をいちいち確認するのも面倒だと思っていたところだ、いやーありがとありがと」
「宿題くらい出してやるわよ! 足洗って待ってなさい!」
こいつの扱いが何となく分かってきた。
それと、洗うのは足じゃ無くて首だ。重ねて、首を洗って待つのは嫌だ。
三人は鞄を掴むと、教室から退室する。帰る間際、三島が深くお辞儀をした。
「あいつら……教室くらい片付けて帰れよ……」
机を元の位置に戻し、俺が帰路に着けたのは三十分後だった。
生徒達とは反対に、俺にはこの期間中、何もやる事が無い。とはいえ、大人は学生と違って元から時間なんて無いのだ。ただでさえ日々を仕事に追われている。どうせ彼女たちがどんな芝居を作り上げた所で、俺は切り捨ててやるつもりだから、気楽に時が過ぎるのを待てばいいさ。
「もう先輩、聞いて、聞いて下さいよ! 最近の高校生って本当に生意気なんですよ!」
「知ってる」
八千草達と勝負の取り決めをした後、スマホを確認したら、今俺の目の前でビールジョッキを片手に顔を赤らめ捲し立てている、英椿姫からメッセージが入っていた。
ちょっと面倒くさかったが、こいつはこいつでストレスの発散の為に酌の相手が欲しかったようだ。偶には付き合ってやろうかと、小料理屋の座敷で愚痴が飛ぶ。
「ねえ、先輩……なんかコツとか無いんですか……? ちっとも言うこと聞いてくれないんですよ……私が演出付けても、それってどういう意味ですか? 分かりません。従えませんって……」
飲み交わし始めてから早い段階で、英は大分出来上がっていた。身振り手振りも大きくなり、たわわと実った胸が大きく揺れる。
俺は、眼福とばかりにしっかりと目に焼き付けるよう勤しむ。
彼女とこうして近所で働くことになったのは、偶然だった。大学の演劇サークルで知り合った英は俺の二つ下で、当時は割とスパルタに俺が彼女に芝居の稽古をつけていた。元から教師の道を目指していた英は、地元であるここ津山に帰るとそのまま教師となり、母校で勤める事になった。
その母校というのが演劇の強豪校らしく、本人の希望もあって演劇部の第2顧問となったのは良いが、苦戦を強いられているようだ。
「私が何を言っても響かないって言うか……」
かなり気落ちしている。そんな後輩になんと声を掛けて良いか分からずに、とりあえず麦焼酎の水割りを飲みながら、煙草を吸い、
「知るかよ……俺に芝居の事を聞くな……」
煙と一緒に吐き出す。
「もう、せんぱーい……! ちゃんと相談に乗って下さいよ~……!」
「相談も何も、教師としてはお前の方が先輩だろ……? 俺じゃ何も分かんねえって……」
「でも先輩だったら絶対、稽古中に自分に従わない人が居たら、有無を言わさずに腕を引いて連れ出して、その人の全人生を否定しながら精神を粉々に砕くまで口撃してくるじゃないですか……そして絶対服従を誓わせて、まるで自分の手駒か何かのように、操るじゃないですか~」
「お前、俺の事なんだと思ってんの……? する訳無いだろ、そんなこと……」
「嘘です、私やられましたもん。あの時軽くノイローゼになったんですからね」
「そ、そうだっけ……?」
言われてみれば、そんなことをしていた気も……。
当時は俺も若かったから、大目に見てくれ。
「仮にそうだったとしても、教師の立場でそんなこと出来ねえよ……直ぐに問題になっちまう」
「まあ、そうですけど……大人として、やっぱり生徒には威厳を示さないといけないというか……何だか舐められてるんですよね、私……」
舐められてるか……それは俺も同じだ。
まあ、俺の場合はその事に大きな不満は無い。給料さえ貰えるならなんだっていいさ。
「ふーん……大変なんだな、顧問って……」
ますます、演劇部の顧問なんてやりたくなくなった。絶対に良い事が無い。
「先輩は、部活とか持たないんですか……? 多分、人員数の関係上、何かしらは持つことになるんだと思いますけど」
生徒の数、部活動の数に対して、教員の数も減ってきているからね。一人で何個かの部を受け持っている先生も珍しくない。第一顧問は無理だけど。
「鏡心って、演劇部ありましたっけ?」
「ないよ……それを狙って入ったわけだし……でも、不運にも演劇部を作りたいって生徒達が現れてね……今、それを阻止すべく戦っている最中」
え、と英から驚きの声が上がる。
「何で阻止するんですか! やって下さいよ、顧問!」
「やだよ。俺に何もメリット無いじゃん。演劇なんて辛いだけだし、時間とお金が掛かるくせに実りが少ない」
「思っても無い事をつらつらと……」
思っているよ。心の底から思っている。
「兎に角、その生徒達と勝負する事になってね……来週、生徒達が芝居を見せてくれるらしい。それで、俺を感動させられたら、演劇同好会を作り上げて、俺が顧問を引き受ける事になる」
「それって……その子たちに勝ち目一つも無くないですか……?」
その通りなのだよ。全ては俺の気分次第の勝ち戦。
「俺としては、顧問なんか引き受ける気は無いし、つまんないと言い放ってやるよ」
水割りの残りをグイッと流し込み、氷がからからと鳴る。
英が俺の顔を訳知り顔で覗き込む。
「素直じゃないんだから……そんなこと出来ない癖に……」
「何言ってんだよ」
これだから昔を知っている奴と会うのは嫌なんだ。
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「はい。お疲れ様です」
2年生の英語担当教員である藤木先生と挨拶を交わし、採点の続きに取り掛かる。俺も早く帰りたい。
「お、三島は流石だな……満点だ、澤野も悪くない……」
流石は優等生組。申し分のない点数だ。
「八千草は……あいつ良く高校入れたな……」
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ふっと、嫌でも三人の事が気になった。今、彼女たちはどうしているのだろうか。あれから八千草達は、日々稽古に励んでいるようだ。八千草や澤野なんて、すぐに投げ出すと思っていたが、なかなかどうして食らいついている。俺が変に煽ったからかもしれない。
偶に金久保先生に何かと相談している姿を見るし、三人で集まって練習しているらしい。ご苦労な事だ。どうして、そこまで熱くなれるのだろうか。それが若さならば、いかに無駄である事だろう。
演劇はただの娯楽にすぎない。娯楽に人生を左右されるのは、何とも愚かしい事だ。
俺は今でも後悔している。夢なんかを追い駆ける事は止めて、早いうちから堅実に生きればよかった、と。
時が過ぎてからではもう遅い。三十歳間近での教員採用では、出世するのに一苦労だろう。まあ、出世したらしたで変な責任なんかが付いて回るから願い下げだけど。
「よし……! 終わった」
ふーと息を吐き、凝り固まった体を伸ばす。
煙草も吸いたいところだし、さっさと帰り支度を済ませて帰ろう。
と、これで直ぐに帰れるならまだ楽なんだけども、廊下に出ると、向かい側の棟の一室に明かりが灯っているのが見えた。一年生のクラスだ。しかも俺が受け持っているクラスの。
嫌な予感しかしない。このまま帰りたいのはやまやまなんだが、戸締りをしなければ、俺が次の日に怒られてしまう。しようが無い。確認してから帰るか。
教室が近づくにつれて、声が聞こえてきた。それなりに大きな声で。
「姫。どうしてお父上の前でそのような顔をするの?」
窓から顔を覗かせると、やはり、三人の少女が台詞を言い合っていた。台本を持ちながら、必死に言葉を紡いでいる。教室の机を前方に寄せ、アクティングエリア(演技を行う場所)を確保し、荒立ちの最中だった。
先程台詞を発したのは三島。声は小さく、表情も硬い。自分で書いた台本なのだろうが、その癖、感情が追い付いておらず、ただ字面を言っただけの台詞回し。
「アー、アー……ヒメ、オマエハワシノムスメダ、ユエ二、オマエハワシノモノダ」
澤野。ガチガチだ。一昔前の宇宙人かよ。
棒読みなんてレベルじゃない。台詞にすらなってない。普段ならもっと流暢に喋る事が出来るだろうに。
演じる事を恥じる人を見ると、見ている側まで気まずくなってくる。
手で顔を覆いながらもしばらく様子を見ていると、八千草が台詞を喋る番になり口を開いた。
「ああ……私の体は何て小さいのかしら……これだけの苦難を受け止める事も出来ない。あの人との愛を誓ったのに、その誓いを裏切るというの? 私はなんて愚かなのかしら……ああ、神様、このように弱い私をお許し下さい。でも、例え神様が許したところで、あの人はきっと許してはくれない……」
その台詞を聞いた瞬間、奇しくも見入ってしまった。
思いの他、上手い……?
いや、技術的には拙い。
でも、感情は込められているし、情景が伝わる。表情も無理に作った物では無く、自然と生まれたようだった。あくまで、他の二人に比べるとだが、圧倒的なまでに上手かった。
三人で一つの世界を作り上げる光景を、俺はしばらく眺めていた。
「ねえキョノ、台詞酷すぎ、もうちょっとさ、感情を込めてというか、それ以前にもっとリラックスして」
「て、言われてもさ、お芝居なんて初めてだし……」
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「いやいや、三島さんが悪いんじゃないよ。もうちょっと頑張る」
「それじゃあ、さっきの続きでいいかしら……?」
おっと。そろそろ出処かな。もう夜も遅い。俺が帰る為にも奴らに下校して貰わないと。
「どうして……どうしてなの……? どうして私がこんなひどい目に遭わなければならない(がらっ)うひゃあああああ!」
びっくりしたぁ!
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「あ、小田島先生」
必死に心拍数を下げながら、一呼吸おいて生徒達を見ながら告げる。
「お前ら、もう下校時刻とっくに過ぎてるから……親御さんが心配しないうちに帰んなさい……」
中々心臓の鼓動が収まってくれない。八千草め。
「お、脅かさないでよ! 後ろから急に扉開けないで!」
「驚いたのはこっちだ! そんなに大声出す奴があるか!」
八千草が顔を真っ赤にしながら物申すが、聞き耳持たず。むしろいろんな意味で被害を被っているのはこっちだ。
「わっ、もうこんな時間なんですね。すみません、すぐに帰ります」
慌てた三島が頭をぺこぺこ下げながら、帰り支度に取り掛かる。時間を忘れるまで集中していたということか。
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「いいわよカオ。こんな奴の言う事聞く必要無いって、どうせ自分が早く帰りたいだけなんだから」
「それは否定しないけど、生徒には下校時刻を守る義務があんだよ。さっさと帰れ」
相変わらず生意気な奴め。
「ハル。先生を困らせないの。早く帰るわよ」
澤野。お前は良い奴なんだけど、どうしてこんなクソギャルとつるんでいるんだ。友達は選んでしかりだぞ。
「もう、分かったわよ仕方ない……!」
澤野の言葉に八千草はすんなりと従った。教師の言う事よりも友達の言う事。ということか。上等だ。
三人は俺と同じ空間に居ること自体嫌なのか、さっさと帰り支度を済ませて教室を出ようとする。ここであったのも何かしらの運命だろうし、あの事だけは伝えておくか。
「八千草」
「何よ」
すげえ機嫌悪そう。
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「そうか。それは俺の仕事が減って楽になる。宿題をいちいち確認するのも面倒だと思っていたところだ、いやーありがとありがと」
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こいつの扱いが何となく分かってきた。
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