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三話
しおりを挟む家に帰ると、案の定お母様はリリスと口論をしていた。よくも飽きないものだ、言っていることはずっと変わらないのに。
ところがその日に限って私にも矛先が向いた。リリスの一つ一つの仕草をこき下ろし全てに難癖をつけるだけなら良いのに、やたら私を褒め称えるのだ。
「ねぇ、貴女もそう思うわよね?わたくしの可愛いミラ」
「えぇそうね、お母様」
間髪入れず同意すると、お優しい聖女様であるリリスは傷ついたように顔を背けた。まったく何を期待しているというのだろう。私がお母様に逆らうはずないのに。
ところが予想外にもリリスが口を開いた。
「……お義母様、いい加減にしたらどうです?自分の娘まで巻き込むなんて。貴女のその癇癪に付き合わされるミラにどれほどの悪影響があるのか知らないのですか?」
「なんですって……?わたくしがミラに何をしたというの!」
「そりゃあ誰だって人に噛み付いてばかりの母親を持つ子供になんて近づかないです。貴女のその行動のせいでミラは学園で孤立してるんですから!」
「そ、そんな出鱈目……!」
「嘘だと思うならミラに聞いてください。貴女の悪評のせいでミラまで悪く言われてるんです!」
「…………」
あぁ、驚いて声も出なかった。まさかリリスがそんなことを言い出すなんて。確かにお母様の影響で私の評判は悪いけれど、それを言うなんて。
というか、リリスは気づいていたのか。ご友人方に大切に大切に守られて、学園での私の評判なんて知らないとばかり思っていた。
黙ったままの私をお母様は信じられないような目で見る。そしてすぐに形だけの微笑みを浮かべた。
「ミラ。何か、言って?」
「…………」
「嘘よね?否定するわよね?まさか――」
「もちろん、お母様は関係ないわ。ただ、少しだけ私が失敗しただけですから」
「そう、そうよね!でもミラってば学園で浮いているの?それでは大人になって社交界に出る際に困るわよ。きちんと学生の内から人脈を広げなければいけないわ。大丈夫、わたくしの子だもの。きっと上手く出来るわ」
「えぇ。お母様のように社交界の花になることが目標だもの」
自分で言っておいて、なんて白々しいのだろう。でもこの目標は決して嘘ではないのだ。幼い頃、まだリリスの存在を知る前。私は確かにお母様のことを目標としていた。周囲は魔性に魅入られたかのようにお母様をちやほやしていたし、それを当然のように受け取るお母様はひどく美しかった。そんな姿に憧れていた。……今は、ちょっと分からないけれど。
嬉しそうなお母様はペラペラと若い頃の武勇伝を話し始める。それを聞いているフリをしながら、ちらりとリリスの方を見た。そして直ぐにそれを後悔した。
痛ましげに歪んだ表情。彼女は、リリスは、私を憐んでいた。何故、リリスが私を憐れむ?理解できなくて、不気味だった。彼女に同情されるなんて、と怖気が走る。
幼い頃から憐れむ視線が嫌いだった。私は可哀想な子じゃないのに、お母様のことを愛しているのに、周囲の人々はクスクスと噂する。
『あんなヒステリックな母親を持つなんて』
『ラザーノ伯爵家は崩壊寸前だとか』
『愛されない子。なんて可哀想なの』
パーティーに出る度、両親が喧嘩する度に言われる言葉。子供に罪はないだとか、あんな家に生まれるなんてとか。正義ぶった眼差しで私を見定める人達。自分の物差しでしか他人を測れない人達。それが、燃やしてしまおうかと思うほどに、嫌いだ。
そしてリリスにそんな風に見られるのは、ひどく屈辱で――恐ろしかった。
そこからの記憶はあまりない。お母様はリリスに興味をなくしたのかもしれないし、まだ言い争っていたのかもしれない。少し具合が悪いと退出した私を使用人が労るような目で見ていた。いや、それすらも私の妄想なのかもしれない。
ただ、ひどく疲れていた。
ベットに横になり目を閉じても眠気は来ない。ぐるぐると頭の中をお母様とリリスの言葉が巡る。あの二人の口論などいつものことなのだから無視しておけば良いのに、今日に限ってそれが出来ない。
「……大丈夫。忘れなさい、ミラ。あと少しの辛抱よ。だってあと少しでリリスは聖女となるのだから」
そう、あとほんの少し我慢していれば良い。そうすればお母様は落ち着いて、前までのような生活に戻るのだ。あの退屈で閉鎖的で、それでいて安穏な私とお母様の世界。リリスが正式に聖女に選ばれてこの家を出ていけば全てが良い方向へ向かうのだから。
だから、私は耐えられる。
そう考えているうちにやっと眠気がきて、それに抗わずに眠りに落ちた。
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