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01 zuruckhalten(ツリュックハルテン):抑制して弾く
05-01 氷城のコヨーテ
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海狼通商の本拠地が浮かぶ北海を離れ、ヒースとズィズィを乗せたヘリはさらに北へと飛んだ。
「これから北極基地へ向かう」
ヘリの後部座席に向かい合うよう座ったヒースが端末を操作する。間もなくズィズィの手元にあった社用端末がデータの共有同期の開始と終了を告げた。
「理由は三つ。先ず何より、今回私たちが携わる輸送業務の目的物がそこにあるということ。二つ目には、ヴァリントンまでの移動手段は空路になるが、品質管理課専用の輸送機をいま北極に置いているのでね、乗り換えの都合だ。そして三つ目に、君に会って欲しい人がいる」
「会って欲しい人というのは……あの、コヨーテ・ジャックウッドさんのことでしょうか?」
「おや、コヨーテのことも知っているのか」
ヒースは目をやや大きくした。サングラスのレンズをはみ出たアイスブルーの瞳には無垢な愛嬌を感じずにはいられない。
「彼は滅多に北極を離れないから、いくら総務課の君と言えど名前を知らずとも不思議じゃなかったが」
「えっと、ハ……サミュエル主任から何度かお名前を聞いたことがあります。去年の健康診断の時期には連日のようにサミュエル主任が北極基地へ電話をかけていましたし、それでその、印象に残っていました」
「毎年の風物詩みたいなものさ。来年も楽しみにしていてくれ」
「はあ」
「品質管理課の主な業務の一つに、各地にある海狼通商の支局や倉庫管理がある。普通は国際交易課と連携して行うのだが、北極基地だけは例外的に常駐社員はコヨーテ一人だ」
「あの……僕はジャックウッドさんのことを詳しく知っていないので、頓珍漢なことを聞いているかもしれないです。ですがその、なんらかの健康上の不安の有無にかかわらず、常駐社員が一人というのは、危険ではないのでしょうか?」
「一応、彼のバイタルは常に俺に中継され、一定の変動や変則的パターンを受信した場合の安全装置もある」
「”安全装置”?」
「そのあたりも、実際に見てもらった方がいいだろう」
ヒースは完全に左右対称な微笑みを浮かべ、そして視線を窓の外へ送った。北海海上本部を出発した頃には眩しく差し込んでいた日差しは白煙のような氷点下のダストに遮られ、紺碧の海は徐々に白く塗り替えられていく。
音も無く凍りついてゆく窓ガラスに思わず手を伸ばし、そしてその冷たさに手を引っ込める。
ズィズィが自分の手を握ったり開いたりしていると、対面のヒースがその仕草をじっと見つめていることに気づいた。
「あ……あっ、も、申し訳ありません!」
「何故謝るんだ?」
「え、ええと、業務中にもかかわらず、業務に関係のないことを……」
「誰だって仕事中に窓の外ぐらい眺めるだろう。ましてや雪が降っていれば、窓ガラスの結露に絵を描くこともある」
そう言ってヒースはゆっくりと右手を伸ばし、今まさに白く濁りつつある窓ガラスに指先を滑らせた。ヒースは両手に黒い革の手袋をしていたが、それを抜きにしても惚れ惚れするような広い手のひらと長い指先は古めかしい黒曜石の万年筆のようだった。
大分簡易的ではあったが、ズィズィはヒースが窓に描いたものが海狼通商の社標でもある狼の横顔と荒波であると察した。
「……新入社員の採用試験の中で、海狼について討論するグループワークがありました」
ヒースは沈黙と瞼を細める動きで続きを促した。
「総務課に入社した後でお伺いしたのですが、入社試験は課長級の皆さんが毎年持ち回りで内容を決めている……というのは、本当なんですか?」
「事実だ。そして今君が言ったグループワークは、おそらく危機管理課が考案したものだろう。ヒエロニムス・レッチェ氏はなんだかんだと上手く理屈をつけてはいるが、結局のところ常に刺激的で新鮮なエネルギーを求めている」
「入社式でもレッチェ課長の姿はお見かけしませんでした、新入社員に配布された社用パンフレットのお写真は随分昔のものだそうで……」
「パンフレットの写真は昔、彼自身がプライベートで撮影したものだ。おそらく社用パンフレットなんてものがあること自体、彼は知らないんじゃないだろうか」
採用内定時に配布されたパンフレットに記載されていたヒエロニムス・レッチェに関する紹介を読んだとき、ズィズィはそのページはなんらかの印刷ミスか、本来除外するべき別資料のページが混じってしまったのだろうと思った。
”confidential(社外秘)”の印字は無かったものの報告はしておいたほうがいいだろうと、総務課の問い合わせフォームへ連絡を入れたものの、結末としては一週間もしないうちに内定者全員に対し総務課からメーリングリストで「複数の内定者から問い合わせの件については、ご心配なく。配布資料に混在物はありません」という旨の通達が出た。
「私も最後に会ったのは去年の夏だ。それも偶々、北極基地で彼が補充で立ち寄ったのに出くわしたからで、それがなければ丸一年会うことも無かっただろう」
「……あの、課長級の定例会議はありますよね? 週に一度の……」
「無論だ。しかし会議中の彼が口にするのは『問題ない』、『さっさと始めよう』、そして『この話は終わりだな』の三種類だ」ヒースは眉を寄せて力なく笑った。「とはいえこれは、私が課長代理で出席するようになってからの話だから、もしかすると以前は四種類だったのかもしれないがね」
「え、えと……はは……」
「まあ、次のオリンピックが開催される前には一度ぐらい直に顔を見る機会があると____期待を込めてそう言っておこう」
四年に一度の国際大会は昨年開催されたばかりだ。ズィズィはそのことを指摘しようか悩んだが、結局曖昧に視線を泳がせるだけに留めた。
会話のうちに窓の外は白銀一色に染まって久しく、それまで黙々と操縦していたヘリのパイロットがふいにヘッドフォンを外し、後部座席の二人を振り返る。「お二人とも、間もなく着きますのでご準備をお願いします」
「地上は風が強そうだが、着けられそうかな」ヒースがのんびりと言った。
「いつものことですから、いつものように着けますよ」
「いつもながら心強い」
氷河の大陸は空から見る限り凪いでいて、時折きらめく銀色の風はやわらかく見える。しかし実際は真逆だ。ただ立っているだけで肌を突き刺すような冷たさは度を越えて痛みをもたらし、時折しか姿を見せない透明な銀色の切り裂き魔は柔和な顔つきで忍び寄り、こちらの全身に何本もの刃を突き立ててくる。
「カシク君は私の後に続いて降りてくれ。降りた後も私から離れないように」
「は、はい」
「心配しなくていい。海狼通商の操縦士は皆一流だし、そもそも基地の入り口は地下にあるからヘリから出るのは屋内に入ってからだ」
操縦士が進行方向を向いたまま誰へともなく舌を出しているのがフロントガラスに反射して見えた。
やがて北極基地の真上をヘリは一度通過し、その後旋回しながら無線で着陸許可を申請する。
そして着陸許可を願った五秒後、ヘリの外から重く響くような音がした。
「あれが北極基地の口だ」
と、ヒースが言う。ズィズィは窓に顔を寄せて直下を凝視していた。
それは巨大なクレバスだった。
白く硬く閉ざされていた流氷の群れが蠢き、規律が失われて千々に散る。皮膚が裂けて青い血が流れるように久しく見ていなかった深い海が氷の合間に血管のように伸びる。
氷の大地に一線を引いた亀裂は、次に時計の針のように回転を始めた。回転するごとに表面に積もっていた氷雪は砕け、細かいものは衝撃に舞い上がる。
氷が噴火したその後には、幾何学模様が刻まれた黒い円卓が鎮座していた。
そして円卓の中央にヘリが着陸するなり、着陸した黒い地面が降下する。周囲の白銀世界はあっという間に頭上へ遠ざかり、わずかな残光を残して完全に断絶された。
そして自然光が途絶えると、突然周囲が人工の白色灯に照らされる。
そこは既に北極基地のドック内部だった。偏愛的で熱狂的な収集家によって陳列されたプラモデルのようにヘリコプターやジェット機、バギーボート、砕氷船が三百六十度取り囲んでいる____これらがミニチュアではなく、全てが全て本物だということを忘れてしまいそうな光景だった。
ヘリコプターを降りると、床を打つ靴音が高く反響した。その音を聞きつけて周囲に群がった輸送機たちが反逆を起こし、今にもこちらへ飛び掛かってくるのではないかとズィズィはそんな妄想すらした。
「あっちだ。行こう」
操縦士を残し、ヒースが先導して歩き出す。
ヘリポート部分から昇降機で二階層ほど上昇したのち、いくつかの気密扉と曲がり角を経てひたすら一直線の通路に出た。
眼が醒めるような思いがしたのは、床も壁も天井も白っぽい色で、そして左右に高山植物のプランターが埋め込まれていたからだ。数十メートル歩けばそれらが観賞用の飾りではなく、植物だけではないと知ることが出来る。
左右の壁の一部ガラス張りになった部分に飾られた植物や鉱石、そして一見空に見える微生物の培養シャーレ。それらは一見すると鑑賞物だが、実際には極地環境における生態調査や生育実験の媒体であり、この基地自体、巨大な収容空間であると共に一個の実験施設だ。
「海狼通商の応用技術研究センターについても入社時のオリエンテーションで話を聞いているだろうが、この極地基地は元々、限定環境での実験を目的に建設されたものだったんだ。それが品質管理課の独立や研究の進捗、業績拡大に伴い増築され、倉庫としても使されるようになった」
「元々は応用技術研究センターの所管だったということは存じていました。ただ、実際に目にすると想像以上に研究目的の側面が残っているんですね……」
「応用技術研究センターと共同研究先や一部の提携先____海洋安全保障機構、極地開拓機構や国際山岳連盟といった公的団体に対しては、この施設の一部を貸し出してもいる。この設備自体、色々と知的財産や最新の研究内容が絡んでいるから一般共有や単純な有償貸与は難しくてね」
「成程……しかし、知的財産の保護や機密保持の観点から言えば、一層人員配置がされてもいいような気がするのですが……」
「人員ではないが配備はされているんだ。例えば____」
そこでヒースが言葉を切った。その口元に種類の違う微笑みが乗る。
ズィズィが左右の壁面に埋め込まれた種々の実験媒体から視線を外す。そうして通路の先を見れば、僅かに湾曲してうっすらと暗がりを纏った先の方に、忽然と人が立っていた。
ズィズィが動揺したのは、その立っていた人物の出で立ちと風貌によるものだ。
身に着けているのは純白のスーツ。そしてその顔立ちは、明らかにヒース・カタギリと酷似していた。
挙句、花婿衣装のような白い背広を身にまとったヒースそっくりの男はズィズィににっこりと笑いかけた。
「やあ、いらっしゃい」
「これから北極基地へ向かう」
ヘリの後部座席に向かい合うよう座ったヒースが端末を操作する。間もなくズィズィの手元にあった社用端末がデータの共有同期の開始と終了を告げた。
「理由は三つ。先ず何より、今回私たちが携わる輸送業務の目的物がそこにあるということ。二つ目には、ヴァリントンまでの移動手段は空路になるが、品質管理課専用の輸送機をいま北極に置いているのでね、乗り換えの都合だ。そして三つ目に、君に会って欲しい人がいる」
「会って欲しい人というのは……あの、コヨーテ・ジャックウッドさんのことでしょうか?」
「おや、コヨーテのことも知っているのか」
ヒースは目をやや大きくした。サングラスのレンズをはみ出たアイスブルーの瞳には無垢な愛嬌を感じずにはいられない。
「彼は滅多に北極を離れないから、いくら総務課の君と言えど名前を知らずとも不思議じゃなかったが」
「えっと、ハ……サミュエル主任から何度かお名前を聞いたことがあります。去年の健康診断の時期には連日のようにサミュエル主任が北極基地へ電話をかけていましたし、それでその、印象に残っていました」
「毎年の風物詩みたいなものさ。来年も楽しみにしていてくれ」
「はあ」
「品質管理課の主な業務の一つに、各地にある海狼通商の支局や倉庫管理がある。普通は国際交易課と連携して行うのだが、北極基地だけは例外的に常駐社員はコヨーテ一人だ」
「あの……僕はジャックウッドさんのことを詳しく知っていないので、頓珍漢なことを聞いているかもしれないです。ですがその、なんらかの健康上の不安の有無にかかわらず、常駐社員が一人というのは、危険ではないのでしょうか?」
「一応、彼のバイタルは常に俺に中継され、一定の変動や変則的パターンを受信した場合の安全装置もある」
「”安全装置”?」
「そのあたりも、実際に見てもらった方がいいだろう」
ヒースは完全に左右対称な微笑みを浮かべ、そして視線を窓の外へ送った。北海海上本部を出発した頃には眩しく差し込んでいた日差しは白煙のような氷点下のダストに遮られ、紺碧の海は徐々に白く塗り替えられていく。
音も無く凍りついてゆく窓ガラスに思わず手を伸ばし、そしてその冷たさに手を引っ込める。
ズィズィが自分の手を握ったり開いたりしていると、対面のヒースがその仕草をじっと見つめていることに気づいた。
「あ……あっ、も、申し訳ありません!」
「何故謝るんだ?」
「え、ええと、業務中にもかかわらず、業務に関係のないことを……」
「誰だって仕事中に窓の外ぐらい眺めるだろう。ましてや雪が降っていれば、窓ガラスの結露に絵を描くこともある」
そう言ってヒースはゆっくりと右手を伸ばし、今まさに白く濁りつつある窓ガラスに指先を滑らせた。ヒースは両手に黒い革の手袋をしていたが、それを抜きにしても惚れ惚れするような広い手のひらと長い指先は古めかしい黒曜石の万年筆のようだった。
大分簡易的ではあったが、ズィズィはヒースが窓に描いたものが海狼通商の社標でもある狼の横顔と荒波であると察した。
「……新入社員の採用試験の中で、海狼について討論するグループワークがありました」
ヒースは沈黙と瞼を細める動きで続きを促した。
「総務課に入社した後でお伺いしたのですが、入社試験は課長級の皆さんが毎年持ち回りで内容を決めている……というのは、本当なんですか?」
「事実だ。そして今君が言ったグループワークは、おそらく危機管理課が考案したものだろう。ヒエロニムス・レッチェ氏はなんだかんだと上手く理屈をつけてはいるが、結局のところ常に刺激的で新鮮なエネルギーを求めている」
「入社式でもレッチェ課長の姿はお見かけしませんでした、新入社員に配布された社用パンフレットのお写真は随分昔のものだそうで……」
「パンフレットの写真は昔、彼自身がプライベートで撮影したものだ。おそらく社用パンフレットなんてものがあること自体、彼は知らないんじゃないだろうか」
採用内定時に配布されたパンフレットに記載されていたヒエロニムス・レッチェに関する紹介を読んだとき、ズィズィはそのページはなんらかの印刷ミスか、本来除外するべき別資料のページが混じってしまったのだろうと思った。
”confidential(社外秘)”の印字は無かったものの報告はしておいたほうがいいだろうと、総務課の問い合わせフォームへ連絡を入れたものの、結末としては一週間もしないうちに内定者全員に対し総務課からメーリングリストで「複数の内定者から問い合わせの件については、ご心配なく。配布資料に混在物はありません」という旨の通達が出た。
「私も最後に会ったのは去年の夏だ。それも偶々、北極基地で彼が補充で立ち寄ったのに出くわしたからで、それがなければ丸一年会うことも無かっただろう」
「……あの、課長級の定例会議はありますよね? 週に一度の……」
「無論だ。しかし会議中の彼が口にするのは『問題ない』、『さっさと始めよう』、そして『この話は終わりだな』の三種類だ」ヒースは眉を寄せて力なく笑った。「とはいえこれは、私が課長代理で出席するようになってからの話だから、もしかすると以前は四種類だったのかもしれないがね」
「え、えと……はは……」
「まあ、次のオリンピックが開催される前には一度ぐらい直に顔を見る機会があると____期待を込めてそう言っておこう」
四年に一度の国際大会は昨年開催されたばかりだ。ズィズィはそのことを指摘しようか悩んだが、結局曖昧に視線を泳がせるだけに留めた。
会話のうちに窓の外は白銀一色に染まって久しく、それまで黙々と操縦していたヘリのパイロットがふいにヘッドフォンを外し、後部座席の二人を振り返る。「お二人とも、間もなく着きますのでご準備をお願いします」
「地上は風が強そうだが、着けられそうかな」ヒースがのんびりと言った。
「いつものことですから、いつものように着けますよ」
「いつもながら心強い」
氷河の大陸は空から見る限り凪いでいて、時折きらめく銀色の風はやわらかく見える。しかし実際は真逆だ。ただ立っているだけで肌を突き刺すような冷たさは度を越えて痛みをもたらし、時折しか姿を見せない透明な銀色の切り裂き魔は柔和な顔つきで忍び寄り、こちらの全身に何本もの刃を突き立ててくる。
「カシク君は私の後に続いて降りてくれ。降りた後も私から離れないように」
「は、はい」
「心配しなくていい。海狼通商の操縦士は皆一流だし、そもそも基地の入り口は地下にあるからヘリから出るのは屋内に入ってからだ」
操縦士が進行方向を向いたまま誰へともなく舌を出しているのがフロントガラスに反射して見えた。
やがて北極基地の真上をヘリは一度通過し、その後旋回しながら無線で着陸許可を申請する。
そして着陸許可を願った五秒後、ヘリの外から重く響くような音がした。
「あれが北極基地の口だ」
と、ヒースが言う。ズィズィは窓に顔を寄せて直下を凝視していた。
それは巨大なクレバスだった。
白く硬く閉ざされていた流氷の群れが蠢き、規律が失われて千々に散る。皮膚が裂けて青い血が流れるように久しく見ていなかった深い海が氷の合間に血管のように伸びる。
氷の大地に一線を引いた亀裂は、次に時計の針のように回転を始めた。回転するごとに表面に積もっていた氷雪は砕け、細かいものは衝撃に舞い上がる。
氷が噴火したその後には、幾何学模様が刻まれた黒い円卓が鎮座していた。
そして円卓の中央にヘリが着陸するなり、着陸した黒い地面が降下する。周囲の白銀世界はあっという間に頭上へ遠ざかり、わずかな残光を残して完全に断絶された。
そして自然光が途絶えると、突然周囲が人工の白色灯に照らされる。
そこは既に北極基地のドック内部だった。偏愛的で熱狂的な収集家によって陳列されたプラモデルのようにヘリコプターやジェット機、バギーボート、砕氷船が三百六十度取り囲んでいる____これらがミニチュアではなく、全てが全て本物だということを忘れてしまいそうな光景だった。
ヘリコプターを降りると、床を打つ靴音が高く反響した。その音を聞きつけて周囲に群がった輸送機たちが反逆を起こし、今にもこちらへ飛び掛かってくるのではないかとズィズィはそんな妄想すらした。
「あっちだ。行こう」
操縦士を残し、ヒースが先導して歩き出す。
ヘリポート部分から昇降機で二階層ほど上昇したのち、いくつかの気密扉と曲がり角を経てひたすら一直線の通路に出た。
眼が醒めるような思いがしたのは、床も壁も天井も白っぽい色で、そして左右に高山植物のプランターが埋め込まれていたからだ。数十メートル歩けばそれらが観賞用の飾りではなく、植物だけではないと知ることが出来る。
左右の壁の一部ガラス張りになった部分に飾られた植物や鉱石、そして一見空に見える微生物の培養シャーレ。それらは一見すると鑑賞物だが、実際には極地環境における生態調査や生育実験の媒体であり、この基地自体、巨大な収容空間であると共に一個の実験施設だ。
「海狼通商の応用技術研究センターについても入社時のオリエンテーションで話を聞いているだろうが、この極地基地は元々、限定環境での実験を目的に建設されたものだったんだ。それが品質管理課の独立や研究の進捗、業績拡大に伴い増築され、倉庫としても使されるようになった」
「元々は応用技術研究センターの所管だったということは存じていました。ただ、実際に目にすると想像以上に研究目的の側面が残っているんですね……」
「応用技術研究センターと共同研究先や一部の提携先____海洋安全保障機構、極地開拓機構や国際山岳連盟といった公的団体に対しては、この施設の一部を貸し出してもいる。この設備自体、色々と知的財産や最新の研究内容が絡んでいるから一般共有や単純な有償貸与は難しくてね」
「成程……しかし、知的財産の保護や機密保持の観点から言えば、一層人員配置がされてもいいような気がするのですが……」
「人員ではないが配備はされているんだ。例えば____」
そこでヒースが言葉を切った。その口元に種類の違う微笑みが乗る。
ズィズィが左右の壁面に埋め込まれた種々の実験媒体から視線を外す。そうして通路の先を見れば、僅かに湾曲してうっすらと暗がりを纏った先の方に、忽然と人が立っていた。
ズィズィが動揺したのは、その立っていた人物の出で立ちと風貌によるものだ。
身に着けているのは純白のスーツ。そしてその顔立ちは、明らかにヒース・カタギリと酷似していた。
挙句、花婿衣装のような白い背広を身にまとったヒースそっくりの男はズィズィににっこりと笑いかけた。
「やあ、いらっしゃい」
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