273 / 319
時が巡れば、人も変わる
しおりを挟む
そのお客さんが来たのは秋も深まりつつある時だった。受け付けには秋桜の花が飾られている。
「いらっしゃいませ」
出迎えの挨拶をすると、下を向いていた顔をあげる暗い表情の青年だった。ハイと心ここにあらずで返事をしている。スタッフが心配そうに私に耳打ちしてきた。
「もともとは二名様のご予定だったんですけど……」
私は何かあるのかもしれないと、そっと様子を見ることにした。その青年は部屋でくつろいだ後、中庭で景色を見るわけでもなく、肩を落として、ボンヤリと地面に視線を落としている。
「あの……どうかされましたか?」
ハッと顔をあげる。
「え……いや……すいません。楽しそうじゃなくて……申し訳ない」
「いえいえ!楽しんでいってほしいというのはこちらの願いですから、何かそのためにできることがあればと、思って声をかけてみました」
私の言葉に泣きそうな顔をする青年。
「実は一緒に来る予定だった大事な人が病気になってしまって……それも重いもので……自分の分まで楽しんできて、どんなふうだったか教えてくれと言うのです」
それは……と私も悲しい気持ちになる。でも一緒に悲しんでいてはダメねとすぐに切り替えた。
「今回の宿代はけっこうです。だから今すぐ、その大事な人のところへ行ってあげてください。今度、二人でいらした時、また改めてお代を頂きます。必ず二人でいらしてください。待っています」
青年がポロポロと涙をこぼす。
「そう、そうですよね……1人だけで来ても楽しめるわけがなかったんです。すぐに帰って看病をします。ありがとうございます」
バッ!と立ち上がる青年に、ちょっと待っててください!と言って、私は売店で温泉の素や雪ん子ちゃん、サニーサンデーのグッズ、温泉まんじゅうなどを詰め合わせる。
「これはプレゼントです。気分だけでも温泉を味わって頂けたらと思います。またのお越しをお待ちしてます」
「ありがとうございます……二人で来ることを約束します」
ありがとう!ありがとう!と何度もお礼を言って帰っていった。
それは数年前のことだった。あれから青年は来ていない。また秋がやってきて、紅葉を楽しむお客さんが増えてきた。サイクリングをしたりレイクカフェからは焼き立てパンにコーヒーの香りがしたりと旅館の周りも当初よりずいぶん賑やかだ。
「いらっしゃいませー!……あら?」
玄関に立っていたのは、あの時の青年と元気そうに微笑んでいる女性だった。
「こんにちは。約束どおり、二人で来ました」
私はとびきりの笑顔で笑った。
「『花葉亭』へようこそお越しくださいました。おかえりなさい」
青年は少しだけ涙ぐんでいたが、あの悲しそうな顔ではなかった。女性もペコリと頭を下げる。
季節も時も巡って、人も変わっていく中で、こんなに幸せな光景もある。私は温泉旅館をしていて良かったなと、こんな時、本当にそう思うのだった。
「いらっしゃいませ」
出迎えの挨拶をすると、下を向いていた顔をあげる暗い表情の青年だった。ハイと心ここにあらずで返事をしている。スタッフが心配そうに私に耳打ちしてきた。
「もともとは二名様のご予定だったんですけど……」
私は何かあるのかもしれないと、そっと様子を見ることにした。その青年は部屋でくつろいだ後、中庭で景色を見るわけでもなく、肩を落として、ボンヤリと地面に視線を落としている。
「あの……どうかされましたか?」
ハッと顔をあげる。
「え……いや……すいません。楽しそうじゃなくて……申し訳ない」
「いえいえ!楽しんでいってほしいというのはこちらの願いですから、何かそのためにできることがあればと、思って声をかけてみました」
私の言葉に泣きそうな顔をする青年。
「実は一緒に来る予定だった大事な人が病気になってしまって……それも重いもので……自分の分まで楽しんできて、どんなふうだったか教えてくれと言うのです」
それは……と私も悲しい気持ちになる。でも一緒に悲しんでいてはダメねとすぐに切り替えた。
「今回の宿代はけっこうです。だから今すぐ、その大事な人のところへ行ってあげてください。今度、二人でいらした時、また改めてお代を頂きます。必ず二人でいらしてください。待っています」
青年がポロポロと涙をこぼす。
「そう、そうですよね……1人だけで来ても楽しめるわけがなかったんです。すぐに帰って看病をします。ありがとうございます」
バッ!と立ち上がる青年に、ちょっと待っててください!と言って、私は売店で温泉の素や雪ん子ちゃん、サニーサンデーのグッズ、温泉まんじゅうなどを詰め合わせる。
「これはプレゼントです。気分だけでも温泉を味わって頂けたらと思います。またのお越しをお待ちしてます」
「ありがとうございます……二人で来ることを約束します」
ありがとう!ありがとう!と何度もお礼を言って帰っていった。
それは数年前のことだった。あれから青年は来ていない。また秋がやってきて、紅葉を楽しむお客さんが増えてきた。サイクリングをしたりレイクカフェからは焼き立てパンにコーヒーの香りがしたりと旅館の周りも当初よりずいぶん賑やかだ。
「いらっしゃいませー!……あら?」
玄関に立っていたのは、あの時の青年と元気そうに微笑んでいる女性だった。
「こんにちは。約束どおり、二人で来ました」
私はとびきりの笑顔で笑った。
「『花葉亭』へようこそお越しくださいました。おかえりなさい」
青年は少しだけ涙ぐんでいたが、あの悲しそうな顔ではなかった。女性もペコリと頭を下げる。
季節も時も巡って、人も変わっていく中で、こんなに幸せな光景もある。私は温泉旅館をしていて良かったなと、こんな時、本当にそう思うのだった。
1
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜
ケイソウ
ファンタジー
チビで陰キャラでモブ子の桜井紅子は、楽しみにしていたバス旅行へ向かう途中、突然の事故で命を絶たれた。
死後の世界で女神に異世界へ転生されたが、女神の趣向で変装する羽目になり、渡されたアイテムと備わったスキルをもとに、異世界を満喫しようと冒険者の資格を取る。生活にも慣れて各地を巡る旅を計画するも、国の要請で冒険者が遠征に駆り出される事態に……。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
【完結】憧れのスローライフを異世界で?
さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。
日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
転生先ではゆっくりと生きたい
ひつじ
ファンタジー
勉強を頑張っても、仕事を頑張っても誰からも愛されなかったし必要とされなかった藤田明彦。
事故で死んだ明彦が出会ったのは……
転生先では愛されたいし必要とされたい。明彦改めソラはこの広い空を見ながらゆっくりと生きることを決めた
小説家になろうでも連載中です。
なろうの方が話数が多いです。
https://ncode.syosetu.com/n8964gh/
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる