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第一章 花嫁試験編

10. トゥネスのお嬢様

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「そういえばここ、幽霊が出るらしいですわよ」
「まあっ!本当ですの?」
「お城で事故死した官僚の霊だとか、あるいは処刑された罪人の霊だとか。生者を見つけると『身体をよこせ』と襲ってくるそうですわ」
「やだ~!怖い~」

 離宮の廊下にかしましい声が響く。声の主は花嫁候補の令嬢だ。おしゃべりに夢中な彼女たちは、その後ろに忍び寄る人影に気づかない。

 「よ~~こ~~せ~~」

 その声で振り向いた彼女たちが目にしたのは、宙に浮く若い男性の姿だった。道化服を着た体は半分透けており、一目で幽霊ゴーストであることがわかる。

「きゃあああああ!」
「いやああああ!出ましたわー!!」

 一目散に逃げていく令嬢たちを追いかけようとした幽霊ゴーストは、後ろから別の一団が近づいてくるのを見てそちらに標的を変えた。一団の先頭にいるのは、栗毛色の髪に青緑の目の令嬢。我らがアレクサンドラである。

「よ~~こ~~……」
「悪霊退散!!」
 
 アレクサンドラの扇子がクリーンヒットした幽霊ゴーストは、「た~まや~」と叫びながら城の外までふっ飛んでいった。

「おー、よく飛んだな」
「古い城だからかしらね。あんな悪霊がいちゅうがいるなんて。騎士団に悪霊除去剤ゴーストバルサンを蒔くようにお願いしましょう」
 
 同行しているのはディアナとフェリーチェである。あれから何だかんだとフェリーチェも付いてくるようになって、最近は三人で行動することが多い。今日はフェリーチェの誘いで、午後の余暇をトゥネスとしゃれ込む予定だ。


「いきますわよ。それっ!」
 
 離宮の中庭で、アレクサンドラとフェリーチェはボールを打ち合っていた。荷物持ちとしてついてきたカヴァスが審判である。トゥネスは小さなボールをラケットで打ち合う遊びだ。当初はディアナも参加していたが、運動神経の良い二人の相手にはなりそうもないと判断したのか、応援に回っている。

「せいっ!」
「セット!フェリーチェお嬢様の勝ちです」

 フェリーチェの打球は想定以上に鋭く、数度打ち漏らしてしまった。内心、非常に悔しいが、その感情を表に出すのは淑女のやることではない。涼しい顔でアレクサンドラは相手を称えた。

「なかなかやりますわね」
「アレっちもやるじゃん」
「妙なあだ名を付けないで下さる?」
「だって、アレクサンドラじゃ長くて呼びにくいだろ」
「……アレク、でよろしくてよ」
「んじゃアレク、もう一戦どうだ?」

 フェリーチェがもう一度ラケットを構えて誘った。売られた勝負は買うのがデュヴィラール家の流儀である。闘志に燃えた目をしたアレクサンドラは「望むところですわ」と答え、再戦が始まった。

「お二人とも、頑張って下さい~」
「それっ!」
「何の!」
「デュースです」
「まだまだ!」
 
 二人の応酬が激しくなっていく。フェリーチェの打ち損ねたボールがディアナのそばを掠めて地面を抉った。ディアナが悲鳴を上げるが、勝負に熱中した二人は気づかない。綺麗に整えられた芝生は無惨な状態になりつつある。

「芝生が大変なことになってますわ」
「アレクサンドラお嬢様、フェリーチェお嬢様。いったん落ち着いて下さい!」
「最終セット、いきますわよ!!」 
「おう!」

 アレクサンドラは右腕を思いっきりねじり、渾身の力でラケットを振り下ろした。

優雅な落下グラス・フォール!」
 
 ラケットが衝撃に耐えきれず、破けてしまった。ボールが全く優雅ではないスピードで急降下しながら進んでいく。フェリーチェが振り込むが空振りに終わり、ボールはそのまま城まで飛んでいった。

「「あ」」

 二人の声がハモると同時に、ガシャーン!と何かが盛大に落ちる音がした。

「確かあの辺りは、調理室だったはず……」
「あなた方ですか?こんなものを投げ込んだのは!」
「申し訳ございません。トゥネスに熱中してしまって」

 白いエプロンを着た中年の女性が、怒鳴りながら飛んでくる。後から知ったことだが、この太めで威厳ある女性はコック長だった。怒り心頭の彼女は、相手が魔王の花嫁候補たちと知っても矛を収めず、女官長が呼ばれた。

 その後、三人は女官長とコック長にたっぷりと説教された。余暇中の事であるためお目こぼしされたが、本来なら花嫁試験の点数を減らされてもおかしくはない所業だそうだ。

 夕食時、早速この件を聞きつけたデルフィーヌが、高笑いしながらアレクサンドラに嫌みをぶつけてきたのは言うまでもない。非はこちらにあるので黙るしかなかった。

(私としたことが・・・何たる失態でしょう・・・)
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