忌むべき番

藍田ひびき

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4.

 ある朝、それは突然訪れた。

 目を覚ましたヴァルラムの胸を、たとえようもない不安が覆っていた。

 悪い夢を見たような気がする。きっとそのせいだ。
 ヴァルラムはそう考え、頭を振って眠気を追い払った。

 だが日が経つにすれ、その不安はどんどん大きくなっていく。ヴァルラムは周囲へ当たり散らすようになった。側近や侍従は怯えながら接するようになり、それが余計に彼をイライラさせる。


「ヴァルラム様、最近ご機嫌ななめですわね。何かございまして?」
「……何でもない」

 気晴らしになるかとマトローナの部屋を訪れたヴァルラム。
 身体をすり寄せてくる彼女が鬱陶しくて、思わずその手を振り払った。あれほどかぐわしいと感じていたマトローナの香りに、今は全く惹かれない。

 不満げな顔をする彼女を置いて自室へ戻ろうとしたヴァルラムだったが、なぜか彼の足は後宮のとある一室へ向いていた。そこは、メルヴィが居た部屋だ。

 まさか、この不安はメルヴィがいなくなったことによるものか?
 しかし、あの娘は自分の番ではなかった筈だ……!


 あのパレードの日、メルヴィと目が合った瞬間に「番だ」と感じた。フォルアの王城で彼女と対面し、それは確信に変わった。
 あの小さな身体から匂い立つ香り。それはヴァルラムを狂わせ、今すぐ抱きしめて連れ帰りたい衝動に駆られる。

 大国の皇太子としての立場が、かろうじて彼を思いとどまらせた。

 三ヶ月後に輿入れしてきたメルヴィ。
 改めて彼女に会って、その小ささに驚いた。まだ幼体なのではないか?
 長寿の龍族と人間族とでは年齢の捉え方は異なるが、16歳というのは人間にとっても子供のようだ。
 龍族において、幼き者に性的な接触を行うことは恥ずべきとされている。彼女が成長するまで、ヴァルラムは房事を控えることにした。

 時折、メルヴィに会いたくてたまらなくなり、彼女の部屋を訪れる。
 その細い首筋にかぶりつきたい欲を抑えて、短い会話をした。
 
 愛しい番がすぐ傍にいて、しかし手を触れることさえできないのだ。若い彼は滾る獣欲を抑えきれず、後宮にいる妃たちを手当たり次第に抱いた。

 そんな日々が過ぎるうちに。
 ヴァルラムは、以前ほど番へ会いたいと思わなくなっている自分に気付いた。愛しいという気持ちはあるのだが、あの狂おしいほどの執着は感じない。徐々に、メルヴィの部屋へ訪れる事は減っていった。

 そして、成人を迎えたマトローナが輿入れしてきたのだ。

「ヴァルラム様。ずっとお慕いしておりました……」

 頬を赤らめ、目を潤わせるマトローナに、愛おしいという気持ちが湧き上がる。そして彼女と肌を合わせたヴァルラムは、そのかぐわしい香りに酔いしれた。
 この娘と離れたくない。そう思った。
 
「お前こそが俺の番だ」
「嬉しゅうございます、ヴァルラム様」
「何故俺は、人間の娘などを番と思ってしまったのか。不思議でならない」
「龍族の嗅覚を狂わせる薬が有るとは聞いておりますが……。いえ、メルヴィ様がそれを使ったと言っているわけではございませんわ」

 真の番と過ごすはずだった甘やかな時間を、あんな娘に費やしてしまった。ヴァルラムの中に、メルヴィへの激しい憎しみが吹き荒れる。

 あの娘を後宮から追放したい。
 何度か父親に談判したが、皇帝は許可しなかった。

 若いうちは番を誤認する事も少なくない。番を失うリスクを避けるために、一度でも運命の相手と感じたのなら近くに留め置くべき。
 
 皇帝はそう合理的に判断しただけだったが、ヴァルラムは納得していなかった。
 
 そんな状況下でメルヴィの部屋から嗅覚阻害薬の空き瓶を見つけたとの報告を受け、彼女の放逐を決意。

 実のところ、その薬を使ったのはマトローナだった。
 皇太子の寵を得るためにと父親が彼女へ渡した阻害薬。それにより嗅覚を狂わされた状態で身体を繋げたことにより、ヴァルラムは彼女を番と誤認してしまったのだ。
 そしてマトローナは侍女に命じ、その瓶をメルヴィの部屋へ忍ばせたのである。

 そうとは知らないヴァルラムは、メルヴィが使ったものと思いこんだ。
 そして皇帝夫妻が外遊で不在となった隙に彼女へ離縁を言い渡し、国外へ追放したのだった。

 なぜ極刑ではなく追放に留めたのか。しかも彼女の祖国まで送り届けるという温情まで与えたのか……。
 彼は気付いていなかった。
 番を失いたくないという本能が、ヴァルラムへそうさせたということに。
 
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