真実の愛も悪くない

藍田ひびき

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1. 時戻りの時計

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「貴方はだあれ?」
「私は魔女だよ。こないだ助けてくれただろう?」

 庭で遊んでいた私の前に、は突然現れた。貴族の邸内への侵入者だ、本来なら警戒すべきだったろう。だけど幼い私は好奇心の方が勝ってしまった。

 腰まで流れるウェーブのかかった白髪を後ろで束ね、黒が基調とはいえ清潔感のあるワンピース。普通の老婆にしか見えず、言われなければ魔女だとはとても思えない。
 そういえば、どこかで見覚えがあるような……。

「思い出したわ!一昨日、街で座り込んでいた人ね」
「そうそう。あの日は色々あって魔力を使い過ぎてねえ。お嬢ちゃんが送ってくれて助かったよ。あのままじゃ、家へ帰れなくなるところだった」

 あれは友人の屋敷へ訪れた帰りだった。
 座り込んでいる老婆が気になって「具合が悪いのですか?お医者様へお連れしましょうか」と声を掛けたのだ。医者はいいので街はずれまで連れて行ってくれないかと頼まれたので、馬車に乗せて老婆を送った。
 
「あの辺に古い知り合いが住んでてね。マジックポーションを分けて貰えたから、無事に家へ転移できたのさ。お嬢ちゃんは恩人だから礼をしようと思ってね」
「それはご丁寧にありがとうございます。当然のことをしたまでですから、お気遣いは不要ですわ」
「幼いのに礼儀正しいねえ。良い子だ」

 覚えたてのカーテシーをして見せた私に、魔女は口元を綻ばせる。

「せっかくの魔女の贈り物だ。受け取っておきな。かなり幸運なことなのだからね」と言いながら、彼女は手にしたものを差し出した。丸い形をした金属にはめ込まれたガラス。その中に針と目盛りのようなものがある。

「懐中時計かしら?」
「これは『時戻りの時計』という魔法具だ。望んだ時まで時間を戻せるよ。戻りたい年数、針を進めてボタンを押せばいい。ただし、使えるのは三回までだ」

 絵本でしか聞いたことのない「魔法具」という言葉に、私は目を輝かせる。

「わあっ。とっても貴重なものね!」
「そうだよ。だけど使うときは慎重に、良く考えて使うんだ。あんたも、あんたの周囲の人間も、人生をやり直すことになってしまうのだからね。もしあんたがこれを要らないと思うなら、いつか私へ返してくれればいい」
「分かりました。魔女様はどちらにいらっしゃるの?」
「普段はエフェの森にいるよ。あんたに悪意がなけりゃ、入れるだろうさ」
 
 じゃあねと手を振って、魔女様は消えてしまった。白昼夢かと思ったけれど、手の中に残された時計が夢ではなかったと教えてくれる。

「時戻り……何だか面白そう!」
 

 ◇ ◇ ◇

 
「なぁ~~にが真・実・の・愛よ!!ふざけんな!!」

 私は手にしていたクッションを壁へ投げつけた。思いっきり投擲したつもりだったけど、所詮はか弱い女の腕。壁にぶつかったクッションはポスンと間抜けな音を立てて落ちる。
 え?か弱くない?悪かったわね、華奢なレディじゃなくて!

「ビアンカお嬢さ……いえ、若奥様。落ち着いて下さいませ」
「結婚式の夜に愛人の存在を暴露されて、怒らない女がいたら会ってみたいわ!」

 侍女は私の剣幕に怯え気味である。私はふうと息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
 彼女へ当たっても仕方がない。仕方がない。私が怒りを向けるべき相手は――夫のエドガーだ。

 初夜を迎えるため身体を磨き上げ、胸を高鳴らせながら寝室で待っていた私に「俺には真実の愛で結ばれた相手がいるんだ。君にはお飾りの妻でいてもらう」と偉そうにのたまった男。
 婚約時代は優しかったから油断していたわ。まさか愛人の存在を隠していたとは……。
 というか、えっらそうに胸を張って言う事か?ちょっとは申し訳なさそうにしろっての。
 
「……また『真実の愛』なのね。本当にどうかしてるわ」
「また?」

 私の呟きに、侍女が首を傾げた。
 いけないいけない。うっかり心の声を漏らしてしまった。

「何でもないのよ。今日はもう休むから、貴方も下がっていいわ」

 退室する侍女を見送ってから、私は机の引き出しを開けた。
 その奥に潜ませてあるのは、針が一つしかない懐中時計。魔女から貰った『時戻りの時計』だ。

 
 私は既に一度、この魔法具を使用している。

 一度目にこれを使用したのは20歳の時。
 成人までは特にトラブルもなく、そこそこの人生だったと思う。実家のオルコット子爵家は羽振りがいいという程でもなく、子爵としては普通。友人もそれなりにいたし、親の決めた婚約者もいた。醜聞に塗れるようなこともなく平々凡々な、つまり何の変哲もない下位貴族令嬢だった。
 
 だが卒業を控えたある日、私は突然に婚約者のクライド・ロートン伯爵令息から婚約破棄を言い渡された。
 
 彼はとある女生徒との『真実の愛』に目覚めたらしい。それに嫉妬した私が彼女を虐めたという、訳の分からない言いがかりを付けられた。
 「お前のような性悪女と結婚など、考えただけで寒気がする!」という罵詈雑言と共に。
 
 浮気をしたのは自分だろうに、どの口でそんなことを言うのかしらね。大体嫉妬も何も、私はクライドにそんなお相手がいることすら知らなかったのに。
 
 彼との婚約は親同士が決めたもので、月に一度会うか会わないかというくらい疎遠だった。その数少ない逢瀬も義務的なもので、当たり障りのない会話をして終わり。
 少なくとも私の方は、嫉妬をするほどの情は育んでいなかった。それはクライドだって同じだったろう。だけど政略結婚なんてそんなものかと思っていた。

 後から知ったことだが、クライドは私にあらぬ罪を着せて婚約破棄へ持ち込むつもりだったらしい。私がその『真実の愛』の相手と面識すら無いという事実は知らなかったそうだ。そんな穴ぼこだらけの計画を、通せると思う方がどうかしている。
 
 両家の話し合いの末、私たちの婚約は解消となった。
 
 本来なら浮気した側の有責としてこちらから婚約破棄すべきである。だが息子に瑕疵がつくことを嫌がったロートン伯爵により、解約料を多めに払うから破棄にはしないでくれと頼まれたのだ。
 相手はこちらより高位の伯爵家。父と私は渋々承諾した。

 後に、私はそれを酷く後悔することになる。新しい縁談が見つからなかったのだ。
 
 成人近くなって婚約が無くなったというのは貴族令嬢にとって取り返しのつかない傷である。それでも婚約破棄ならば、こちら側に全く瑕疵が無いと知らしめることができただろうに。口さがない連中には「婚約破棄ではなく解消となったのは、ビアンカ嬢の方にも問題があったのでは?」と言う者もいたらしい。
 
 そもそも、既に成人近い年齢だ。同年代の目ぼしい令息は既に婚約者がいる。
 多少年上でも構わないと選択肢を広げてみても駄目だった。数件の縁談はあったが、ひどく年の離れた相手の後妻だったり、相場の2倍近い持参金をふっ掛けてくる相手だったり……完全に足下を見られていた。

 一方でクライドは『真実の愛』の相手と結婚した。相手は男爵家の令嬢だったため、高位貴族の作法に慣れず苦労していたようだ。だが彼は、そんな妻を献身的に支えた。当初は厳しい目を向けていたロートン伯爵も支えあう二人の姿に態度を軟化させ、今ではまあまあ幸せにやっているらしい。

「何で浮気された私が不幸になって、浮気した奴らはのうのうと暮らしているのよ。おかしいでしょう!?」
 
 こんなことなら、婚約する前に戻ってやり直したい。
 そう考えたところで私は思い出したのだ。幼い頃に、魔女を自称する老婆から貰った時計のことを。
 
 半信半疑ではあった。
 だけど、このクソッタレな事態を回避できるのならば……何でもいい。
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