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3. 離縁はしません
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「ビアンカ。済まない……離縁して欲しい」
「……どういうことか、説明して下さる?」
「俺は『真実の愛』に出会ってしまったんだ」
「はぁ???」
衝撃のあまり頭が追い付かず、床に付きそうなくらい頭を下げた夫を呆然と見つめる。まさかマーヴィンの口から真実の愛なんて言葉を聞くとは……。
お相手はキャロル・トレイナー男爵令嬢。マーヴィンが慰問に訪れた修道院で彼女は奉仕活動に勤しんでいた。何度か偶然顔を合わせるうちに、孤児たちを甲斐甲斐しく世話する彼女に惹かれてしまったそうだ。
最近、妙に奉仕活動に入れ込んでいるとは思っていた。孤児院へ行くと言って夜遅く帰ってくることもあったし、バザーだ子供向けの劇だと持ち出しも多かった。
慈善事業は悪いことではないし、我が家の家計を傾けるほどの散財をしているわけでもない。だからやんわりと「執務もあるのですから、ほどほどにして下さいな」と窘める程度に留めていたのだ。
「君や子供のことは大切に思っているが、彼女を求める気持ちが抑えられない」
「だからその令嬢と再婚なさりたいと?」
「ああ……どうしても彼女と結婚したいんだ。慰謝料は言い値で支払う。勝手なことを言っているのは理解しているが、どうか許して欲しい」
「アーサーはどうするのよ!?」
「彼女と二人できちんと育てるつもりだ。出来るなら君は過去を忘れて、新しい幸せを見つけて欲しい」
余りにも勝手な言い分に絶句してしまう。
離縁された女にまともな縁談が来るとでも思っているのだろうか。真面目な人だったのに……恋をするとここまで頭がお花畑になるのかしら。
その後何を話したかは覚えていない。
一人にしてくれと伝えて部屋へ戻った私の手には、あの時戻りの時計がある。
「どうしてこう、いつもいつも……!『真実の愛』が何だってのよ。平穏な幸せを棒に振ってまで、貫かなきゃならないモンなわけ!?」
結婚して7年。夫や息子と共に、暖かい家庭を築いてきたつもりだった。それでも『真実の愛』に勝てないのだったら、もう私に打つ手は無いじゃない。
また時を戻そうかとも考えた。
しかし……どうやら私は男運に恵まれないらしい。
やり直して他の相手と結婚したところで、また浮気されるのではないだろうか。
そして何よりも、時を戻してしまったら私はアーサーに会えない。別の人と結婚して子供が出来たとしても、それはアーサーとは違う子だ。
子供部屋のベッドですうすうと気持ちよさそうに寝息を立てる息子。私はその愛らしい頬をそっと撫でた。
そうよ。貴方と共に生きる人生を、無くしてたまるもんですか。
「離縁はしません」
ファインズ子爵家の応接間で、私はそう宣言した。
向かいに座るのはマーヴィン。そして右側のソファには私の両親、左側のソファには義両親のファインズ子爵夫妻。その場にいる全員から睨み付けられ、夫はひどく居心地が悪そうだ。
「私はアーサーと離れたくないのです。だから貴方との離縁も受け入れません」
「そんな……望むならアーサーと会えるようにするから」
「そういう話ではありません。私はあの子の母であることを放棄する気はありません」
「それじゃあ俺はキャロルと結婚できないじゃないかっ」
「当たり前だろうが、この愚か者が!」
ファインズ子爵の雷が落ち、マーヴィンは縮み上がった。
「男爵令嬢風情に籠絡されおって。今までお前を支え、長男まで産んでくれたのは誰だ?それをあっさり捨ててみろ。お前は明日から非道な男として、社交界中で後ろ指を指されるだろうよ」
「まじめな男だと見込んでいたのに……。よくも私の娘をここまで侮辱してくれたな」
「そうよ。ビアンカが可哀想だわ!」
双方の両親から口々に責められたマーヴィンは「両親を巻き込むなんて」と呟き、恨めしそうな顔で私を見る。
離縁を回避するためなら、親だろうが義親だろうが使うわよ。
「離縁はしませんが、キャロル様を愛妾としてお迎えすることは認めますわ」
「いや、それは……彼女が納得するとは……」
マーヴィンが狼狽え出した。
やはりね。いずれ子爵夫人にしてやるとかなんとか、愛人へ甘言を囁いていたに違いない。思い通りになんてさせないわよ。
「文句を言えた立場か?正妻のビアンカがここまで譲歩してくれているのだぞ」
「でも、愛する女性を日陰の身にするなんて」
よくもまあ、そんなことをぬけぬけと言えるものね。
「あら。もし私が離縁を受け入れたとして、私がこれから舐めるであろう辛酸と日陰の身の、どちらが辛いのでしょうね?」
「そ、それは……」と夫が言い淀む。自分の勝手な行動が私にどれだけ不利益を被せることになるのか、ようやく理解したらしい。
これ以上ゴネるのは得策ではないと考えたのだろう。マーヴィンは渋々といった様子で「分かった。愛妾ならば認めてくれるんだな」と譲歩の姿勢を見せる。
「ええ。ただし、彼女を迎えるに当たって条件がありますわ」
私は取り出した書面を読み上げた。
キャロルは本邸には立ち入らず、別邸で生活すること。
公式の場には私を同伴すること。私的な場ではキャロルを伴っても構わない。
ファインズ子爵家の後継ぎはアーサーとすること。
「後継ぎがアーサーとはどういうことだ?ファインズ子爵の次期当主は俺だろう!?」
「お前なんぞを当主にしたら、そのキャロルとかいう女が好き勝手するかもしれんからな。次の当主はアーサーだ。あの子が成人するまで、私が責任を持って監督する」
「しかし、貴族は長子相続が基本で」
「後継ぎに著しい問題がある場合に限り、孫あるいは次子の相続が認められるはずだ」
著しい問題。それは長男が犯罪を犯す、あるいは重病に掛かるなど、当主の実務を行えないと判断される場合だ。
浮気は貴族法で禁じられてはいないので犯罪ではない。しかし現ファインズ子爵が実務に問題ありと判断したのなら、王宮側も嫡男のすげ替えを認めるだろう。
「俺は次期当主としてきちんと勤めていました!執務も、社交も」
「本当にそうか?最近は慈善だと抜かしてほとんど家にいなかったではないか。その間、ビアンカが手伝ってくれていたのだぞ。どうせお前は知らなかったのだろうがな」
「ビアンカが……?」
確かに、以前の彼は執務に忠実で熱心だった。だけどキャロルと会ってからというもの、夫は彼女との逢瀬に溺れて不在がち。ぼやく義父を見兼ねて、私が執務を手伝っていたのだ。
「マーヴィン。万が一俺に何かあったときは、アーサーが成人するまでお前が子爵代理を勤めろ。ただし、執務の決定権はビアンカに与える」
夫の不貞を知った私は義父を説得し、夫が担当していた執務を全て私へと移行してもらった。マーヴィンがいなくても、家中に何の問題もないと示すために。
義母も全面同意してくれている。孫を溺愛する彼らは、夫を見限ったのだ。
「お前の分の予算は今まで通りの額を与える。働かずとも金が貰えるとは羨ましい身分だ。許してくれたビアンカに感謝するんだな」
「そんな……それじゃ俺とキャロルは一生、中途半端な立場じゃないか」
「いいじゃありませんか。これからは誰にも咎められることなく、二人で過ごせるのですよ?真実の愛で結ばれた相手ですもの。彼女だってきっと受け入れて下さいますわ」
「……どういうことか、説明して下さる?」
「俺は『真実の愛』に出会ってしまったんだ」
「はぁ???」
衝撃のあまり頭が追い付かず、床に付きそうなくらい頭を下げた夫を呆然と見つめる。まさかマーヴィンの口から真実の愛なんて言葉を聞くとは……。
お相手はキャロル・トレイナー男爵令嬢。マーヴィンが慰問に訪れた修道院で彼女は奉仕活動に勤しんでいた。何度か偶然顔を合わせるうちに、孤児たちを甲斐甲斐しく世話する彼女に惹かれてしまったそうだ。
最近、妙に奉仕活動に入れ込んでいるとは思っていた。孤児院へ行くと言って夜遅く帰ってくることもあったし、バザーだ子供向けの劇だと持ち出しも多かった。
慈善事業は悪いことではないし、我が家の家計を傾けるほどの散財をしているわけでもない。だからやんわりと「執務もあるのですから、ほどほどにして下さいな」と窘める程度に留めていたのだ。
「君や子供のことは大切に思っているが、彼女を求める気持ちが抑えられない」
「だからその令嬢と再婚なさりたいと?」
「ああ……どうしても彼女と結婚したいんだ。慰謝料は言い値で支払う。勝手なことを言っているのは理解しているが、どうか許して欲しい」
「アーサーはどうするのよ!?」
「彼女と二人できちんと育てるつもりだ。出来るなら君は過去を忘れて、新しい幸せを見つけて欲しい」
余りにも勝手な言い分に絶句してしまう。
離縁された女にまともな縁談が来るとでも思っているのだろうか。真面目な人だったのに……恋をするとここまで頭がお花畑になるのかしら。
その後何を話したかは覚えていない。
一人にしてくれと伝えて部屋へ戻った私の手には、あの時戻りの時計がある。
「どうしてこう、いつもいつも……!『真実の愛』が何だってのよ。平穏な幸せを棒に振ってまで、貫かなきゃならないモンなわけ!?」
結婚して7年。夫や息子と共に、暖かい家庭を築いてきたつもりだった。それでも『真実の愛』に勝てないのだったら、もう私に打つ手は無いじゃない。
また時を戻そうかとも考えた。
しかし……どうやら私は男運に恵まれないらしい。
やり直して他の相手と結婚したところで、また浮気されるのではないだろうか。
そして何よりも、時を戻してしまったら私はアーサーに会えない。別の人と結婚して子供が出来たとしても、それはアーサーとは違う子だ。
子供部屋のベッドですうすうと気持ちよさそうに寝息を立てる息子。私はその愛らしい頬をそっと撫でた。
そうよ。貴方と共に生きる人生を、無くしてたまるもんですか。
「離縁はしません」
ファインズ子爵家の応接間で、私はそう宣言した。
向かいに座るのはマーヴィン。そして右側のソファには私の両親、左側のソファには義両親のファインズ子爵夫妻。その場にいる全員から睨み付けられ、夫はひどく居心地が悪そうだ。
「私はアーサーと離れたくないのです。だから貴方との離縁も受け入れません」
「そんな……望むならアーサーと会えるようにするから」
「そういう話ではありません。私はあの子の母であることを放棄する気はありません」
「それじゃあ俺はキャロルと結婚できないじゃないかっ」
「当たり前だろうが、この愚か者が!」
ファインズ子爵の雷が落ち、マーヴィンは縮み上がった。
「男爵令嬢風情に籠絡されおって。今までお前を支え、長男まで産んでくれたのは誰だ?それをあっさり捨ててみろ。お前は明日から非道な男として、社交界中で後ろ指を指されるだろうよ」
「まじめな男だと見込んでいたのに……。よくも私の娘をここまで侮辱してくれたな」
「そうよ。ビアンカが可哀想だわ!」
双方の両親から口々に責められたマーヴィンは「両親を巻き込むなんて」と呟き、恨めしそうな顔で私を見る。
離縁を回避するためなら、親だろうが義親だろうが使うわよ。
「離縁はしませんが、キャロル様を愛妾としてお迎えすることは認めますわ」
「いや、それは……彼女が納得するとは……」
マーヴィンが狼狽え出した。
やはりね。いずれ子爵夫人にしてやるとかなんとか、愛人へ甘言を囁いていたに違いない。思い通りになんてさせないわよ。
「文句を言えた立場か?正妻のビアンカがここまで譲歩してくれているのだぞ」
「でも、愛する女性を日陰の身にするなんて」
よくもまあ、そんなことをぬけぬけと言えるものね。
「あら。もし私が離縁を受け入れたとして、私がこれから舐めるであろう辛酸と日陰の身の、どちらが辛いのでしょうね?」
「そ、それは……」と夫が言い淀む。自分の勝手な行動が私にどれだけ不利益を被せることになるのか、ようやく理解したらしい。
これ以上ゴネるのは得策ではないと考えたのだろう。マーヴィンは渋々といった様子で「分かった。愛妾ならば認めてくれるんだな」と譲歩の姿勢を見せる。
「ええ。ただし、彼女を迎えるに当たって条件がありますわ」
私は取り出した書面を読み上げた。
キャロルは本邸には立ち入らず、別邸で生活すること。
公式の場には私を同伴すること。私的な場ではキャロルを伴っても構わない。
ファインズ子爵家の後継ぎはアーサーとすること。
「後継ぎがアーサーとはどういうことだ?ファインズ子爵の次期当主は俺だろう!?」
「お前なんぞを当主にしたら、そのキャロルとかいう女が好き勝手するかもしれんからな。次の当主はアーサーだ。あの子が成人するまで、私が責任を持って監督する」
「しかし、貴族は長子相続が基本で」
「後継ぎに著しい問題がある場合に限り、孫あるいは次子の相続が認められるはずだ」
著しい問題。それは長男が犯罪を犯す、あるいは重病に掛かるなど、当主の実務を行えないと判断される場合だ。
浮気は貴族法で禁じられてはいないので犯罪ではない。しかし現ファインズ子爵が実務に問題ありと判断したのなら、王宮側も嫡男のすげ替えを認めるだろう。
「俺は次期当主としてきちんと勤めていました!執務も、社交も」
「本当にそうか?最近は慈善だと抜かしてほとんど家にいなかったではないか。その間、ビアンカが手伝ってくれていたのだぞ。どうせお前は知らなかったのだろうがな」
「ビアンカが……?」
確かに、以前の彼は執務に忠実で熱心だった。だけどキャロルと会ってからというもの、夫は彼女との逢瀬に溺れて不在がち。ぼやく義父を見兼ねて、私が執務を手伝っていたのだ。
「マーヴィン。万が一俺に何かあったときは、アーサーが成人するまでお前が子爵代理を勤めろ。ただし、執務の決定権はビアンカに与える」
夫の不貞を知った私は義父を説得し、夫が担当していた執務を全て私へと移行してもらった。マーヴィンがいなくても、家中に何の問題もないと示すために。
義母も全面同意してくれている。孫を溺愛する彼らは、夫を見限ったのだ。
「お前の分の予算は今まで通りの額を与える。働かずとも金が貰えるとは羨ましい身分だ。許してくれたビアンカに感謝するんだな」
「そんな……それじゃ俺とキャロルは一生、中途半端な立場じゃないか」
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