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2. この恋心を手放したい
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「それで、お姫様が私に何の用だい?」
アンジェリカの前に座るのは、笑みを浮かべた老婆だ。
老婆と言っていいのかどうか。皺のある顔と白髪は老女だと告げるが、しゃっきりと延びた背筋と張りのある声は年齢を感じさせない。
「姫様に向かって無礼な口を!」と詰め寄ろうとした護衛騎士を、アンジェリカは手で制する。
「東の魔女様にお願いがあって来ましたの。貴方、恋心を消すことが出来るのでしょう?」
昨夜『魔法』と呟いたことで思い出したのだ。
レラベール王国の東、すなわち大陸の東端に広がるエフェの森に住む魔女――通称「東の魔女」。彼女は報酬と引き替えに願いを叶えてくれるらしい。
だからといって誰でもというわけではない。彼女を利用したり、あるいは害意を持って近づこうとする者は、エフェの森から弾かれてしまうそうだ。
アンジェリカが魔女の元までたどり着けたのは、彼女に悪意が無く、また真摯な願いを持って訪れたからだろう。
「またか……」と魔女がしかめっ面になった。
「また、と仰ると言うことは。似たようなお願い事をする人が、多いのかしら」
「その通りさ。やれ恋人が冷たくなっただの浮気しただの。挙句にやっぱり戻して欲しいなんて言ってくるモンまでいる」
「まあ」
「だいたいね、恋とか愛とかを声高に言うヤツは信用できないんだ。愛ほど不完全なものは無いだろう?それこそ新しい相手が見つかりゃあ、過去の恋心なんて綺麗さっぱりなくなるもんさ。だから最近じゃあ、縁結びのお守りを渡して帰って貰うことにしてるんだ」
「それでもお願いしたいの」
食い下がるアンジェリカに、魔女はきっぱり「駄目だ」と告げた。
「どうして!?貴方なら出来るのでしょう?報酬なら、いくらでも用意しますわ」
「そういう事じゃないんだ。これを覗いてご覧」
魔女が指した水晶玉を覗いたアンジェリカは「ひっ」と声を上げてのけぞった。
そこに映っていたのは、彼女の身体に纏わり付く大きな蛇の姿。
「あ、あれは一体なんですの!?」
「姫さんの心を縛り付けているモノの正体さ。恋じゃない。ましてや愛でもない。あえて呼ぶならば……執着だろうね」
「執着……」
「執着は愛なんかよりずっと根深い。それを無理に剥がそうとしたら、魂に傷が付くかもしれない」
「それでもいいわ。この心を切り捨てられるのならば」
「魂に傷がつくと言うのは、心が壊れるということだ。私なら、そんな人間が治める国にはいたくないね。……それに」
魔女の鳶色の目が、アンジェリカを見据えた。
「姫さん。あんたは切り捨てたい物が出てくるたびに、私の所へ来るつもりかい?」
城へ戻ったアンジェリカは、すぐに女王へ面会を申し出た。
玉座から娘を見下ろすベアトリス女王の顔からは、感情が読み取れない。いつもの鉄面皮――王の顔だ。
「アンジェリカ、急な用件とは何だ」
「ヴィジリオ殿下との婚約解消を。そして願わくば、陛下のお目に適う新たな配偶者を用意して頂きたいのです」
「いいのだな?玉座の前で口にしたことは、撤回できないぞ」
「はい。ヴィジリオ殿下との婚約は、私にとっては不利益しかもたらさないと気付きました」
きっぱりと答えた彼女に、居並ぶ重臣たちからおぉという声が上がる。女王はじっとアンジェリカの顔を眺め、溜息を吐いた。
「……ようやくか。ぎりぎりであったぞ。もう少し遅ければ、そなたを廃摘させるところであった」
「陛下はもとより、重臣の皆さまにも長らくご心配をお掛けしましたこと、猛省しております」
「分かっているだろうが、貴族たちの間でそなたの評判は決して良いとは言えない。次期女王として、そなたが歩むのは茨の道。それを忘れず、精進せよ」
「はい。覚悟しております」
王配に相応しくない男に執着し、醜態をさらす王女。
アンジェリカの即位に反対している貴族は少なくない。いっそ王太女を辞退しようかとすら思った。
しかし王の第一子として生まれた責務を放棄するようなことは、出来なかった。自分が切り捨てるべき物は、それではないのだから。
「憑き物が落ちたような顔をしているな。ここ数年の張りつめた雰囲気が無い。良い表情だ」
相好を崩した女王の柔らかな微笑みは、国王ではなく母親の顔だった。
その後アンジェリカとヴィジリオの婚約は速やかに解消され、新たにガーディナー侯爵の次男スティーヴとの婚約が結ばれた。妹王女や重臣たちは彼女の決意を喜び、事がスムーズに進むよう手を尽くしてくれたらしい。
自分はちゃんと、皆から愛されている。
ヴィジリオの事ばかりで視野が狭くなっていたから、気付けなかっただけ。
アンジェリカの心変わりは魔法による物ではない。魔女に頼るべきではないと思い直したのだ。
この恋を手放すと決めたのは自分の意志。
蛇はまだ身体に纏わりついている。だけどもう、それに振り回されることはない。
アンジェリカの前に座るのは、笑みを浮かべた老婆だ。
老婆と言っていいのかどうか。皺のある顔と白髪は老女だと告げるが、しゃっきりと延びた背筋と張りのある声は年齢を感じさせない。
「姫様に向かって無礼な口を!」と詰め寄ろうとした護衛騎士を、アンジェリカは手で制する。
「東の魔女様にお願いがあって来ましたの。貴方、恋心を消すことが出来るのでしょう?」
昨夜『魔法』と呟いたことで思い出したのだ。
レラベール王国の東、すなわち大陸の東端に広がるエフェの森に住む魔女――通称「東の魔女」。彼女は報酬と引き替えに願いを叶えてくれるらしい。
だからといって誰でもというわけではない。彼女を利用したり、あるいは害意を持って近づこうとする者は、エフェの森から弾かれてしまうそうだ。
アンジェリカが魔女の元までたどり着けたのは、彼女に悪意が無く、また真摯な願いを持って訪れたからだろう。
「またか……」と魔女がしかめっ面になった。
「また、と仰ると言うことは。似たようなお願い事をする人が、多いのかしら」
「その通りさ。やれ恋人が冷たくなっただの浮気しただの。挙句にやっぱり戻して欲しいなんて言ってくるモンまでいる」
「まあ」
「だいたいね、恋とか愛とかを声高に言うヤツは信用できないんだ。愛ほど不完全なものは無いだろう?それこそ新しい相手が見つかりゃあ、過去の恋心なんて綺麗さっぱりなくなるもんさ。だから最近じゃあ、縁結びのお守りを渡して帰って貰うことにしてるんだ」
「それでもお願いしたいの」
食い下がるアンジェリカに、魔女はきっぱり「駄目だ」と告げた。
「どうして!?貴方なら出来るのでしょう?報酬なら、いくらでも用意しますわ」
「そういう事じゃないんだ。これを覗いてご覧」
魔女が指した水晶玉を覗いたアンジェリカは「ひっ」と声を上げてのけぞった。
そこに映っていたのは、彼女の身体に纏わり付く大きな蛇の姿。
「あ、あれは一体なんですの!?」
「姫さんの心を縛り付けているモノの正体さ。恋じゃない。ましてや愛でもない。あえて呼ぶならば……執着だろうね」
「執着……」
「執着は愛なんかよりずっと根深い。それを無理に剥がそうとしたら、魂に傷が付くかもしれない」
「それでもいいわ。この心を切り捨てられるのならば」
「魂に傷がつくと言うのは、心が壊れるということだ。私なら、そんな人間が治める国にはいたくないね。……それに」
魔女の鳶色の目が、アンジェリカを見据えた。
「姫さん。あんたは切り捨てたい物が出てくるたびに、私の所へ来るつもりかい?」
城へ戻ったアンジェリカは、すぐに女王へ面会を申し出た。
玉座から娘を見下ろすベアトリス女王の顔からは、感情が読み取れない。いつもの鉄面皮――王の顔だ。
「アンジェリカ、急な用件とは何だ」
「ヴィジリオ殿下との婚約解消を。そして願わくば、陛下のお目に適う新たな配偶者を用意して頂きたいのです」
「いいのだな?玉座の前で口にしたことは、撤回できないぞ」
「はい。ヴィジリオ殿下との婚約は、私にとっては不利益しかもたらさないと気付きました」
きっぱりと答えた彼女に、居並ぶ重臣たちからおぉという声が上がる。女王はじっとアンジェリカの顔を眺め、溜息を吐いた。
「……ようやくか。ぎりぎりであったぞ。もう少し遅ければ、そなたを廃摘させるところであった」
「陛下はもとより、重臣の皆さまにも長らくご心配をお掛けしましたこと、猛省しております」
「分かっているだろうが、貴族たちの間でそなたの評判は決して良いとは言えない。次期女王として、そなたが歩むのは茨の道。それを忘れず、精進せよ」
「はい。覚悟しております」
王配に相応しくない男に執着し、醜態をさらす王女。
アンジェリカの即位に反対している貴族は少なくない。いっそ王太女を辞退しようかとすら思った。
しかし王の第一子として生まれた責務を放棄するようなことは、出来なかった。自分が切り捨てるべき物は、それではないのだから。
「憑き物が落ちたような顔をしているな。ここ数年の張りつめた雰囲気が無い。良い表情だ」
相好を崩した女王の柔らかな微笑みは、国王ではなく母親の顔だった。
その後アンジェリカとヴィジリオの婚約は速やかに解消され、新たにガーディナー侯爵の次男スティーヴとの婚約が結ばれた。妹王女や重臣たちは彼女の決意を喜び、事がスムーズに進むよう手を尽くしてくれたらしい。
自分はちゃんと、皆から愛されている。
ヴィジリオの事ばかりで視野が狭くなっていたから、気付けなかっただけ。
アンジェリカの心変わりは魔法による物ではない。魔女に頼るべきではないと思い直したのだ。
この恋を手放すと決めたのは自分の意志。
蛇はまだ身体に纏わりついている。だけどもう、それに振り回されることはない。
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