1 / 11
1. コリンナ
しおりを挟む
「もう……ったら、こんなところで」
「いいじゃないか、いずれ結婚する仲だ。愛してるよ……」
木陰で愛を囁き合い、身体を密着させる男女。
図らずもそれを見てしまった少女は、衝撃のあまりよろめいた。
聞こえてくる男の声が、間違いなく自分の婚約者のものだったからだ。
ふらつく足を動かし、少女はその場から立ち去る。
その胸中は絶望に染まっていた。
彼は少女にとって、数少ない希望のひとつ。それが幻に過ぎなかったと突き付けられたのだ。
今は自分を取り巻く全てのものが、厭わしく思える。
だから少女は祈った。
誰も私を必要としないのなら、私はこの世から消えてしまいたい――
****
「お嬢様……いったいどこへ行ってしまわれたのか……」
侍女コリンナは深い溜め息を吐いた。
コリンナが仕えているお嬢様ことシャーロット・クレヴァリー伯爵令嬢が行方不明になってから三日が経つ。
この家の者たちは、彼女が自ら出奔したと思っている。それは彼らに、少なからず身に覚えがあるからだ。
シャーロットは名門クレヴァリー伯爵家の一人娘である。両親や祖父母の愛を一身に受け、大切に育てられた。
心根の良くない令嬢だったなら、溺愛に甘んじて傲慢に育ったかもしれない。だが彼女は心優しい性格で、驕ることはなかった。また賢く勤勉で、家庭教師からは「公爵家のご令嬢にも劣らないほど優秀な生徒ですわ!」と絶賛されたほどだ。
シャーロットが幼い頃より仕えているコリンナは、そんな主を心から敬愛していた。
だが、その幸せな生活は5年前に終わりを告げる。
馬車の事故により、クレヴァリー伯爵夫妻が亡くなったのだ。祖父である前クレヴァリー伯爵やその妻も既にこの世を去っている。そのため一番近い親族である叔父のブレント・クレヴァリー子爵が、シャーロットが成人するまでの間、伯爵代理として采配を揮うことになった。
妻子を連れて伯爵邸に移り住んだブレントは、伯爵代理の立場をいいことに好き勝手し始める。財産を湯水のように使い、妻子にも贅沢をさせた。
一方で、シャーロットの扱いは酷なものだった。彼女の部屋はブレントの娘エレインの物になり、代わりに与えられたのは物置のように狭く暗い部屋。持っていたドレスや装飾品は全て取り上げられた。外出は禁止。来客があっても顔を出すなと部屋へ押し込めた。
食事の際だけはブレント一家と同じテーブルに着かせてもらえるが、シャーロットの前に並べられるのは使用人に与えられるような食事だ。そんな皿でも食べないわけにはいかず、シャーロットが口を付けるのを見て、ブレント一家は嘲笑った。
ブレントの妻レイラも館の女主人のように振る舞った。館の内装を自分好みに替えただけではない。商人を呼びつけて高価な装飾品や美術品を買い漁り、頻繁に貴婦人たちを招いてパーティを催した。無論、そこに掛かる莫大な費用は全て、クレヴァリー伯爵家の財産から賄われた。
本来ならば、それはシャーロットのものであるというのに。
エレインは更に酷かった。常にシャーロットを見下し、「いつまでここにいるのかしら、この居候」と貶す。機嫌の悪いときはシャーロットの数少ない服を破いたり持ち物を壊したりして、憂さ晴らしをしていた。
一家の中で、多少なりともマシな態度だったのは息子のレナードだけだ。とはいえ、妹の嫌がらせを「やり過ぎだ」と窘める程度だが。
古くから仕えていた執事や使用人の中にはブレントへ忠告する者もいたが、みな解雇された。
新しく雇った執事や使用人もまた、シャーロットを軽んじた。主人の態度を見てシャーロットを「どう扱っても良い存在」と捉えたのである。
コリンナは主人夫妻に従順な振りをした。そうしなければ自分も解雇されるからだ。そしてこっそりとシャーロットの世話をした。
こんな扱いをされれば、誰だって家を出たくなるだろう。
だが、どこに?
シャーロットは他に身寄りがないのだ。それにあの義理堅い彼女が、コリンナにまで黙っていなくなるとは思えない。何より、数少ない身の回りの物や服はほとんど残っていた。
お嬢様は、拐かされたのではないか?
そう考えたコリンナは意を決してブレントへ直談判した。衛兵隊に連絡して、お嬢様を捜索するべきだと。
ブレントは聞く耳を持たぬどころか「侍女の分際で生意気な!」と激怒し、彼女を解雇すると告げた。
この家の人たちは、誰もシャーロットの身を案じていない。
「どうしよう……。誰か、真にお嬢様を案じて下さる方はいないの?」
「いいじゃないか、いずれ結婚する仲だ。愛してるよ……」
木陰で愛を囁き合い、身体を密着させる男女。
図らずもそれを見てしまった少女は、衝撃のあまりよろめいた。
聞こえてくる男の声が、間違いなく自分の婚約者のものだったからだ。
ふらつく足を動かし、少女はその場から立ち去る。
その胸中は絶望に染まっていた。
彼は少女にとって、数少ない希望のひとつ。それが幻に過ぎなかったと突き付けられたのだ。
今は自分を取り巻く全てのものが、厭わしく思える。
だから少女は祈った。
誰も私を必要としないのなら、私はこの世から消えてしまいたい――
****
「お嬢様……いったいどこへ行ってしまわれたのか……」
侍女コリンナは深い溜め息を吐いた。
コリンナが仕えているお嬢様ことシャーロット・クレヴァリー伯爵令嬢が行方不明になってから三日が経つ。
この家の者たちは、彼女が自ら出奔したと思っている。それは彼らに、少なからず身に覚えがあるからだ。
シャーロットは名門クレヴァリー伯爵家の一人娘である。両親や祖父母の愛を一身に受け、大切に育てられた。
心根の良くない令嬢だったなら、溺愛に甘んじて傲慢に育ったかもしれない。だが彼女は心優しい性格で、驕ることはなかった。また賢く勤勉で、家庭教師からは「公爵家のご令嬢にも劣らないほど優秀な生徒ですわ!」と絶賛されたほどだ。
シャーロットが幼い頃より仕えているコリンナは、そんな主を心から敬愛していた。
だが、その幸せな生活は5年前に終わりを告げる。
馬車の事故により、クレヴァリー伯爵夫妻が亡くなったのだ。祖父である前クレヴァリー伯爵やその妻も既にこの世を去っている。そのため一番近い親族である叔父のブレント・クレヴァリー子爵が、シャーロットが成人するまでの間、伯爵代理として采配を揮うことになった。
妻子を連れて伯爵邸に移り住んだブレントは、伯爵代理の立場をいいことに好き勝手し始める。財産を湯水のように使い、妻子にも贅沢をさせた。
一方で、シャーロットの扱いは酷なものだった。彼女の部屋はブレントの娘エレインの物になり、代わりに与えられたのは物置のように狭く暗い部屋。持っていたドレスや装飾品は全て取り上げられた。外出は禁止。来客があっても顔を出すなと部屋へ押し込めた。
食事の際だけはブレント一家と同じテーブルに着かせてもらえるが、シャーロットの前に並べられるのは使用人に与えられるような食事だ。そんな皿でも食べないわけにはいかず、シャーロットが口を付けるのを見て、ブレント一家は嘲笑った。
ブレントの妻レイラも館の女主人のように振る舞った。館の内装を自分好みに替えただけではない。商人を呼びつけて高価な装飾品や美術品を買い漁り、頻繁に貴婦人たちを招いてパーティを催した。無論、そこに掛かる莫大な費用は全て、クレヴァリー伯爵家の財産から賄われた。
本来ならば、それはシャーロットのものであるというのに。
エレインは更に酷かった。常にシャーロットを見下し、「いつまでここにいるのかしら、この居候」と貶す。機嫌の悪いときはシャーロットの数少ない服を破いたり持ち物を壊したりして、憂さ晴らしをしていた。
一家の中で、多少なりともマシな態度だったのは息子のレナードだけだ。とはいえ、妹の嫌がらせを「やり過ぎだ」と窘める程度だが。
古くから仕えていた執事や使用人の中にはブレントへ忠告する者もいたが、みな解雇された。
新しく雇った執事や使用人もまた、シャーロットを軽んじた。主人の態度を見てシャーロットを「どう扱っても良い存在」と捉えたのである。
コリンナは主人夫妻に従順な振りをした。そうしなければ自分も解雇されるからだ。そしてこっそりとシャーロットの世話をした。
こんな扱いをされれば、誰だって家を出たくなるだろう。
だが、どこに?
シャーロットは他に身寄りがないのだ。それにあの義理堅い彼女が、コリンナにまで黙っていなくなるとは思えない。何より、数少ない身の回りの物や服はほとんど残っていた。
お嬢様は、拐かされたのではないか?
そう考えたコリンナは意を決してブレントへ直談判した。衛兵隊に連絡して、お嬢様を捜索するべきだと。
ブレントは聞く耳を持たぬどころか「侍女の分際で生意気な!」と激怒し、彼女を解雇すると告げた。
この家の人たちは、誰もシャーロットの身を案じていない。
「どうしよう……。誰か、真にお嬢様を案じて下さる方はいないの?」
1,228
あなたにおすすめの小説
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
やめてくれないか?ですって?それは私のセリフです。
あおくん
恋愛
公爵令嬢のエリザベートはとても優秀な女性だった。
そして彼女の婚約者も真面目な性格の王子だった。だけど王子の初めての恋に2人の関係は崩れ去る。
貴族意識高めの主人公による、詰問ストーリーです。
設定に関しては、ゆるゆる設定でふわっと進みます。
私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします
ほーみ
恋愛
その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。
そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。
冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。
誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。
それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。
だが、彼の言葉は、決定的だった。
「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」
婚約破棄と言われても、どうせ好き合っていないからどうでもいいですね
うさこ
恋愛
男爵令嬢の私には婚約者がいた。
伯爵子息の彼は帝都一の美麗と言われていた。そんな彼と私は平穏な学園生活を送るために、「契約婚約」を結んだ。
お互い好きにならない。三年間の契約。
それなのに、彼は私の前からいなくなった。婚約破棄を言い渡されて……。
でも私たちは好きあっていない。だから、別にどうでもいいはずなのに……。
踏み台(王女)にも事情はある
mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。
聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。
王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
【完結】婚約解消後に婚約者が訪ねてくるのですが
ゆらゆらぎ
恋愛
ミティルニアとディアルガの婚約は解消された。
父とのある取引のために動くミティルニアの予想とは裏腹に、ディアルガは何度もミティルニアの元を訪れる…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる