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番外編
私の愛しい人(1)
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「陛下、お考え直し下さい。ハルトヴィヒ殿下は優秀とは言えまだ若年。フェッセル帝国はいまだ不穏な動きを見せております。今は、陛下のお力が必要なときかと」
「ボルネマン卿、何度言われようと私が考えを改めることはない」
私はため息をつきながら答えた。重臣達へ内々に引退を表明してから、ボルネマン侯爵は毎日のように訪れて私を思い留まらせようとしてくる。
彼の魂胆は分かっているのだ。息子のハルトヴィヒが王となれば、王妃アデーレの実家であるフォルマー侯爵家の勢力が拡大する。今までヘンリエッタの実家であるボルネマン家にしっぽを振っていた貴族連中は、一斉にフォルマー家へ鞍替えするだろう。それを避けようとしているのだ。
「それに、陛下はまだお若い。その類まれな執政能力を、隠遁させてしまうのはもったいのうございます」
侯爵は必死の形相だ。普段はあまり感情を表に出さない男なのだが。まあ気持ちは分からなくもない。愛娘は罪を犯して幽閉され、自分の政治基盤も危うくなりそうなのだから。
「卿よ。そなたにはこの国のために必要な人間だ。私が引退したとしても、そなたの地位が危うくなることはない事を約束する。どうかフォルマー卿と共に、若輩のハルトヴィヒを支えてやって欲しい」
「はっ。陛下の仰せのままに」
ボルネマン侯爵が失脚すれば、我が国の貴族界はフォルマー侯爵の独壇場になるだろう。それは避けねばならない。二大侯爵家が互いに権勢を張り合っているからこそ、王家はその手綱を握れるのだ。
ハルトヴィヒは聡い子だ。私の意図を理解して、うまくやるだろう。
話は終わりだ、帰れと言う意味をこめて相手に手を降る。一礼して立ち去ろうとした侯爵が立ち止まった。
「陛下。娘に差し入れをすることを、お許し頂けないでしょうか。自業自得とはいえ、あまりにも不憫。せめてもあの子の好きな菓子なり絵なりを届けて、慰めにさせたく存じます」
「うむ、それは構わない。王妃も喜ぶであろう。心遣い、感謝する」
その後も政務に追われ、落ち着いたときには深夜となっていた。ハルトヴィヒが引継ぐまでに、後回しにしていた問題を出来得る限り処理しておきたい一心だったが、さすがに疲労が溜まっている。
そういえば、侯爵の使いが差し入れを届けてきたのだったな。久々に妻の顔を見るのも良いだろう。私は差し入れを持って、塔へ向かった。
妃が幽閉されている塔は王宮の北の端にあり、執務室からはかなり離れている。行くだけでひと苦労だ。入り口を警護していた騎士に鍵を開けさせ、私は階段を登る。
「入るぞ、ヘンリエッテ」
妻は窓際に設えた机へ肘を預け、所在なさげに座っていた。
ここは罪を犯した王族を幽閉するための場所で、久しく使われていなかった。元は質素な家具が置いてあるだけだったが、妃ができるだけ快適に過ごせるよう、豪勢な調度品を持ち込ませた。侍女も付いている。だが、鉄格子のはめられた窓から見える景色は殺風景だ。それに隙間があるのだろう、かなり寒い。
「寒くはないか?まだ早いと思ったが、暖炉の用意をさせねばな。ボルネマン卿より菓子が届いたぞ。プラッツェンは好物だったろう?」
彼女は黙って頷く。幽閉された当初は毎晩泣き叫んでいたようだが、最近はずっとこの調子だ。日がな一日、外を眺めてぼうっとしていることもあるらしい。
二人の子を産んでなお変わらぬ美貌が自慢だった彼女の顔は、すっかりやつれている。己で決めたこととはいえ、妻のこのような姿には心が痛む。
「ボルネマン卿、何度言われようと私が考えを改めることはない」
私はため息をつきながら答えた。重臣達へ内々に引退を表明してから、ボルネマン侯爵は毎日のように訪れて私を思い留まらせようとしてくる。
彼の魂胆は分かっているのだ。息子のハルトヴィヒが王となれば、王妃アデーレの実家であるフォルマー侯爵家の勢力が拡大する。今までヘンリエッタの実家であるボルネマン家にしっぽを振っていた貴族連中は、一斉にフォルマー家へ鞍替えするだろう。それを避けようとしているのだ。
「それに、陛下はまだお若い。その類まれな執政能力を、隠遁させてしまうのはもったいのうございます」
侯爵は必死の形相だ。普段はあまり感情を表に出さない男なのだが。まあ気持ちは分からなくもない。愛娘は罪を犯して幽閉され、自分の政治基盤も危うくなりそうなのだから。
「卿よ。そなたにはこの国のために必要な人間だ。私が引退したとしても、そなたの地位が危うくなることはない事を約束する。どうかフォルマー卿と共に、若輩のハルトヴィヒを支えてやって欲しい」
「はっ。陛下の仰せのままに」
ボルネマン侯爵が失脚すれば、我が国の貴族界はフォルマー侯爵の独壇場になるだろう。それは避けねばならない。二大侯爵家が互いに権勢を張り合っているからこそ、王家はその手綱を握れるのだ。
ハルトヴィヒは聡い子だ。私の意図を理解して、うまくやるだろう。
話は終わりだ、帰れと言う意味をこめて相手に手を降る。一礼して立ち去ろうとした侯爵が立ち止まった。
「陛下。娘に差し入れをすることを、お許し頂けないでしょうか。自業自得とはいえ、あまりにも不憫。せめてもあの子の好きな菓子なり絵なりを届けて、慰めにさせたく存じます」
「うむ、それは構わない。王妃も喜ぶであろう。心遣い、感謝する」
その後も政務に追われ、落ち着いたときには深夜となっていた。ハルトヴィヒが引継ぐまでに、後回しにしていた問題を出来得る限り処理しておきたい一心だったが、さすがに疲労が溜まっている。
そういえば、侯爵の使いが差し入れを届けてきたのだったな。久々に妻の顔を見るのも良いだろう。私は差し入れを持って、塔へ向かった。
妃が幽閉されている塔は王宮の北の端にあり、執務室からはかなり離れている。行くだけでひと苦労だ。入り口を警護していた騎士に鍵を開けさせ、私は階段を登る。
「入るぞ、ヘンリエッテ」
妻は窓際に設えた机へ肘を預け、所在なさげに座っていた。
ここは罪を犯した王族を幽閉するための場所で、久しく使われていなかった。元は質素な家具が置いてあるだけだったが、妃ができるだけ快適に過ごせるよう、豪勢な調度品を持ち込ませた。侍女も付いている。だが、鉄格子のはめられた窓から見える景色は殺風景だ。それに隙間があるのだろう、かなり寒い。
「寒くはないか?まだ早いと思ったが、暖炉の用意をさせねばな。ボルネマン卿より菓子が届いたぞ。プラッツェンは好物だったろう?」
彼女は黙って頷く。幽閉された当初は毎晩泣き叫んでいたようだが、最近はずっとこの調子だ。日がな一日、外を眺めてぼうっとしていることもあるらしい。
二人の子を産んでなお変わらぬ美貌が自慢だった彼女の顔は、すっかりやつれている。己で決めたこととはいえ、妻のこのような姿には心が痛む。
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