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2. 変わりゆく心
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そんな始まりだった結婚生活が、平穏であるわけもなく。
「あら、セリーヌ様。ロージェル伯爵令息はご不在ですの?」
「え、ええ。先ほどまではいたのですが……。席を外しているようですわ」
周囲の好奇心に満ちた視線を感じつつ、私は愛想笑いで誤魔化した。
いつもこうなのだ。夜会では入り口までエスコートしてくれるが、その後夫はするりと離れていく。
私はすっかり癖になってしまった溜息を吐いた。
夜会に女一人で立っているなんて、好奇の的でしかない。夫にとってはこれが『妻としてきちんと扱う』なのかしら?
シルヴァンのやらかしにより、ロージェル伯爵家の評判は地に落ちている。事業の取引は一方的に打ち切られ、財政は破綻寸前。社交界に出れば「あれがロージェル伯爵家のバカ息子か」と囁かれ、遠巻きにされる。
人脈を回復させなければ、ロージェル家に明日はない。だから私は社交に精を出していた。それはもう、必死に。
幸い、夫には厳しい目を向けている貴族たちも私には同情的だ。私の父であるヴァレス子爵も、娘の為ならばと助力してくれた。実家を通して新規の取引先となった貴族もいる。父が頭を下げて頼んでくれたらしい。
ロージェル伯爵夫妻だって、駆けずり回って金策に回っている。それなのにシルヴァンだけが以前のままだ。関係を改善すべく私から距離を近づけようとしても躱されてしまう。
分かっているのよ。貴方の心にはまだメロディが居座っていること。彼女から貰った手紙を、時折眺めていることも。
それがどれだけ私を苦しめているか、貴方は思い至らないのでしょうね。
「若奥様!シルヴァン様が……!」
そんな日々が二年ほど続いた頃だった。
慌てた執事に連れて来られた私の目に入ったのは、部屋の隅に蹲って頭を抱え「メロディ……済まない……済まない……」とうわ言のように呟く夫の姿。朝になっても部屋から出てこないシルヴァンを心配した執事が私室へ踏み込み、この状態の彼を発見したそうだ。
「いったい何があったの?」と尋ねる私に差し出された新聞には、『王太子廃嫡事件の首謀者が死亡』という文字が大きく躍っている。
厳しい監視の目をどうやってくぐり抜けたかは知らないが、彼女は鉱山から抜け出したらしい。しかし鉱山は魔獣がうろつく危険な森に囲まれている。
森へ入った追っ手は、ほどなく彼女が着ていたであろう服を見つけた。それはビリビリに破け、血だらけだったらしい。身体は魔獣の餌食になったと判断され、捜索は打ち切られた――記事はそこで終わっていた。
護衛がなくば入ることすら躊躇われる森に女一人で飛び込むなど、正気の沙汰ではない。しかし彼女にとっては、それでも抜け出したくなるほどに酷い環境だったのだろう。王都へ向かおうとしたのか、あるいは元王太子殿下の領地へ行こうとしていたのもしれない。
とにかく、シルヴァンを落ち着かせねば。私は執事を退室させて「シルヴァン様?」と手を差し伸べた。
……その後の事はよく覚えていない。気付けば私は服をはぎ取られ、シルヴァンに組み敷かれていた。
私の上で顔を歪めながら「メロディ……」と呟く夫の姿に背筋が寒くなる。しかし男の力に適うわけもなく、私は彼のなすがままにされた。
「済まない。君にこんな無体を働くつもりは」
事が済んで正気に返ったのか。青褪めながら謝罪するシルヴァンを怒鳴りつけることも、何なら張り倒すことも許されたかもしれない。
けれど私は彼の頭を優しく抱きしめ、「いいのですよ。さぞやお辛かったでしょう。これも妻の役目です。どうぞ、私でよければいくらでも」と囁いた。多分、これが正解だから。
私の胸に顔を埋めて泣き出した夫。幼子をあやすように私は彼の頭を撫で続けた。
「本当に済まなかった。俺は……ずっと後ろめたかったんだ。王太子殿下やメロディや皆が辛い境遇に置かれているのに、俺だけが幸せになることが。だから君にそっけない態度を取ってしまった」
そんな懺悔を聞かされても、「あっそう」という感想しか湧かなかった。
だって、謝罪よりも言い訳の方が多いんだもの。だから俺は悪くないと言いたいのが透けて見えるわ。
後ろめたさがあったとしても、それが貴方へ尽くしてきた妻を遠ざける理由になるわけ?
その夜以来、シルヴァンの態度は変貌した。余所余所しい夫から、妻を溺愛する夫へと。
ロージェル伯爵家は借金を全て済し、事業も順調。貴族の中でシルヴァンの評価は「やらかした男」から「若気の至りで失敗したが、多少マシになった」くらいには上がったようだ。
ちなみに私は「夫の過ちを許し支えた賢妻」と過大な評判を得ている。二人合わせてプラスマイナスゼロってところかしら。
その後ほどなく私は懐妊し、男児を産んだ。
次代の跡継ぎの誕生に家中が喜びに沸いた。シルヴァンなんて「ありがとう……ありがとう。俺に新しい家族を与えてくれて。……俺を許してくれて」と嬉し泣きをしていたわ。
伯爵夫妻は「ようやく落ち着いて隠居できる」と言ってシルヴァンへ跡目を譲り、今は領地で悠々自適の生活を送っている。
夫は当主として執務に精を出しているが、こっそり抜け出しては子供部屋へ顔を出して乳母に叱られている。息子が可愛くて仕方ないらしい。
子を産んでからというもの、私への溺愛はますます加速した。毎日のように愛を囁く彼へ、私は出来るだけ嬉しそうに微笑んでみせる。
夫は心の底から信じているのでしょうね。真に愛し合っている夫婦だと。
「あら、セリーヌ様。ロージェル伯爵令息はご不在ですの?」
「え、ええ。先ほどまではいたのですが……。席を外しているようですわ」
周囲の好奇心に満ちた視線を感じつつ、私は愛想笑いで誤魔化した。
いつもこうなのだ。夜会では入り口までエスコートしてくれるが、その後夫はするりと離れていく。
私はすっかり癖になってしまった溜息を吐いた。
夜会に女一人で立っているなんて、好奇の的でしかない。夫にとってはこれが『妻としてきちんと扱う』なのかしら?
シルヴァンのやらかしにより、ロージェル伯爵家の評判は地に落ちている。事業の取引は一方的に打ち切られ、財政は破綻寸前。社交界に出れば「あれがロージェル伯爵家のバカ息子か」と囁かれ、遠巻きにされる。
人脈を回復させなければ、ロージェル家に明日はない。だから私は社交に精を出していた。それはもう、必死に。
幸い、夫には厳しい目を向けている貴族たちも私には同情的だ。私の父であるヴァレス子爵も、娘の為ならばと助力してくれた。実家を通して新規の取引先となった貴族もいる。父が頭を下げて頼んでくれたらしい。
ロージェル伯爵夫妻だって、駆けずり回って金策に回っている。それなのにシルヴァンだけが以前のままだ。関係を改善すべく私から距離を近づけようとしても躱されてしまう。
分かっているのよ。貴方の心にはまだメロディが居座っていること。彼女から貰った手紙を、時折眺めていることも。
それがどれだけ私を苦しめているか、貴方は思い至らないのでしょうね。
「若奥様!シルヴァン様が……!」
そんな日々が二年ほど続いた頃だった。
慌てた執事に連れて来られた私の目に入ったのは、部屋の隅に蹲って頭を抱え「メロディ……済まない……済まない……」とうわ言のように呟く夫の姿。朝になっても部屋から出てこないシルヴァンを心配した執事が私室へ踏み込み、この状態の彼を発見したそうだ。
「いったい何があったの?」と尋ねる私に差し出された新聞には、『王太子廃嫡事件の首謀者が死亡』という文字が大きく躍っている。
厳しい監視の目をどうやってくぐり抜けたかは知らないが、彼女は鉱山から抜け出したらしい。しかし鉱山は魔獣がうろつく危険な森に囲まれている。
森へ入った追っ手は、ほどなく彼女が着ていたであろう服を見つけた。それはビリビリに破け、血だらけだったらしい。身体は魔獣の餌食になったと判断され、捜索は打ち切られた――記事はそこで終わっていた。
護衛がなくば入ることすら躊躇われる森に女一人で飛び込むなど、正気の沙汰ではない。しかし彼女にとっては、それでも抜け出したくなるほどに酷い環境だったのだろう。王都へ向かおうとしたのか、あるいは元王太子殿下の領地へ行こうとしていたのもしれない。
とにかく、シルヴァンを落ち着かせねば。私は執事を退室させて「シルヴァン様?」と手を差し伸べた。
……その後の事はよく覚えていない。気付けば私は服をはぎ取られ、シルヴァンに組み敷かれていた。
私の上で顔を歪めながら「メロディ……」と呟く夫の姿に背筋が寒くなる。しかし男の力に適うわけもなく、私は彼のなすがままにされた。
「済まない。君にこんな無体を働くつもりは」
事が済んで正気に返ったのか。青褪めながら謝罪するシルヴァンを怒鳴りつけることも、何なら張り倒すことも許されたかもしれない。
けれど私は彼の頭を優しく抱きしめ、「いいのですよ。さぞやお辛かったでしょう。これも妻の役目です。どうぞ、私でよければいくらでも」と囁いた。多分、これが正解だから。
私の胸に顔を埋めて泣き出した夫。幼子をあやすように私は彼の頭を撫で続けた。
「本当に済まなかった。俺は……ずっと後ろめたかったんだ。王太子殿下やメロディや皆が辛い境遇に置かれているのに、俺だけが幸せになることが。だから君にそっけない態度を取ってしまった」
そんな懺悔を聞かされても、「あっそう」という感想しか湧かなかった。
だって、謝罪よりも言い訳の方が多いんだもの。だから俺は悪くないと言いたいのが透けて見えるわ。
後ろめたさがあったとしても、それが貴方へ尽くしてきた妻を遠ざける理由になるわけ?
その夜以来、シルヴァンの態度は変貌した。余所余所しい夫から、妻を溺愛する夫へと。
ロージェル伯爵家は借金を全て済し、事業も順調。貴族の中でシルヴァンの評価は「やらかした男」から「若気の至りで失敗したが、多少マシになった」くらいには上がったようだ。
ちなみに私は「夫の過ちを許し支えた賢妻」と過大な評判を得ている。二人合わせてプラスマイナスゼロってところかしら。
その後ほどなく私は懐妊し、男児を産んだ。
次代の跡継ぎの誕生に家中が喜びに沸いた。シルヴァンなんて「ありがとう……ありがとう。俺に新しい家族を与えてくれて。……俺を許してくれて」と嬉し泣きをしていたわ。
伯爵夫妻は「ようやく落ち着いて隠居できる」と言ってシルヴァンへ跡目を譲り、今は領地で悠々自適の生活を送っている。
夫は当主として執務に精を出しているが、こっそり抜け出しては子供部屋へ顔を出して乳母に叱られている。息子が可愛くて仕方ないらしい。
子を産んでからというもの、私への溺愛はますます加速した。毎日のように愛を囁く彼へ、私は出来るだけ嬉しそうに微笑んでみせる。
夫は心の底から信じているのでしょうね。真に愛し合っている夫婦だと。
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