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絶望の島と不憫な騎士2
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「馬を殺す時に、樹が燃えたら、リンゴはもう採れなくなってタルトタタンは食えなくなる。新しい苗木を育てて、実がなるまでには何年も時間がかかるんだ。その周りにいたヒツジはお前の部屋のふかふかの敷物になったり、あたたかい手袋になったりする。それに馬がいないと、出かける時には歩かないといけないんだぞ。遠い坑道まで歩くのか。往復だぞ。殺してはダメだ」
「あひゃらひいてぶくろ」
もぐもぐと手の中でソロモンが口を動かす。
「そう、皮の手袋の中にする、もこもこの手袋だ。あれを作るのはヒツジの毛なんだ」
うう。そこに食いついたか。きらりとソロモンの瞳に理解の色が浮かぶ。あ、これ、それ欲しいって顔だ。くそ、新しい手袋を手配しなきゃいけなくなったぞ。穴のあいた手袋をこっそり繕うつもりだったのに。すうっとソロモンの顔が真顔に戻る。真顔というか能面みたいな無表情だが。ばっくばくしていた俺の心臓も静かになる。本当にソロモンの笑顔怖い。
下が騒がしくなった、ひひひ~んだの、んっめえええええ~みたいな大合唱が聞こえる。
もう大丈夫だろうとソロモンの顔を離して城壁に駆け寄った。
忙しく動き回る犬がヒツジの群れをコントロールして切れていた柵の間に追いこんでいく。
馬丁が馬に轡をはめて集めている。
「……おい、りんご泥棒のクソ馬は何をしている」
「りんごはもう食ってないから、厩舎に戻ろうとしてるんだろう」
「そうか?オレには壊れているように見えるがな……」
「は?」
「結界石が割れているように見えるがな」
「なに?」
りんごの樹から引き離されそうになって、いらいらした馬は足踏みをしている。その足元にはきらきらとした石の破片が……はへん?
「最初から結界を作り直すのには時間がかかるから、面倒くさい。それに、あの結界石のあの小ささではな」
「死霊がここに来るまでに結界の作り直しは……」
「出来ると思っているならお前は、どアホだな」
「そこをなんとか」
「ふむ」
ソロモンが無表情で微かに首を傾げる。
「まず、何をどうするにしろ褒美は必要だぞ」
「新しい手袋とおいしいアップルパイが手に入るだろう」
「それはどちらもオレの当然の権利だ。ケチくさいトリスタンは古い手袋を補修して使わせようとするだろうがオレは新しくてふかふかのがいい。アップルパイじゃなくオレはタヌキがたんとがいいし、絶対に白いクリームはたっぷり添えられていなければならない。が、それはどちらも褒美ではないぞ。この城で民を守るオレの日常だ。毛刈りしたヒツジの毛の一番いい部分はオレの為に使われなければいけないし、収穫されたリンゴはオレのおやつになる。絶対的権威というのはそういうものだろう」
青い目が俺をじっと見て、ほんの少し笑いを帯びる。どきどきと心臓が早くなって、悪い予感に喉がきゅうっとしまる。
「褒美、とは?」
「トリスタンとちゅうがしたい」
「ちゅー。ネズミごっこ的な」
「ちゅうだ」
「はい?」
「接吻を所望する」
「せっぷん」
「セックスでもいいが」
「いや、それは嫌です」
ソロモンがふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「童貞め」
「そう言うあんたも童貞だろうが!」
「認める」
「……あ、はい。俺も」
「というわけで、褒美はちゅうだ」
「なんでそうなるんだよ!」
「人肌が恋しい。童貞だから」
「あーわかるー」
憐みの目で見つめあって、抱き合ってお互いの背中を叩く。
彼女いない歴イコール年齢の俺達。
そう、それは、ソロモンが『オレより先にトリスタンが童貞を捨てたら、この島を出ていく』って言ったからだ。そのくせ、この野郎、モテるくせに全く女を作らない。
「ってか、童貞なのはソロモンのせいだろう」
「島の女が不細工ばかりなのが悪い。胸に脂肪の塊はついているし」
「俺の妹をブスと言ったか?」
「確かにイゾルテの胸の脂肪は小さいな、手を出してもいいか?」
「さりげなくイゾルテが貧乳だって言ったな。あと、何があっても妹には指一本触れさせないぞ」
「シスコン気持ち悪い」
「あんたら何やってんのよ!」
後ろから尻にスッパーンと音をたててキックが決まる。
「……っ!ひゃあ!」
「その尻はオレのものだぞ。雑に扱うな」
誰がお前の尻だ。俺の尻は俺のものだろうが。振り向くと金色の巻き毛を弾ませて、革の胸当てをつけたイゾルテが弓を持って立っている。確かにちょっと胸は小さいかもしれないが、俺と同じエメラルド色の大きなの瞳に小さな鼻、ふっくらとしたさくらんぼ色の唇のイゾルテは極上のかわいこちゃんだ。本当にかわいい。絶対嫁にはやらないと生まれた時に決めた。緑色の瞳がきっとしてソロモンを睨みつけた。
「兄さんの尻はどうでもいいので、早くなんとかしてください!ソロモン様」
「トリスタンが褒美を拒否しているのだ」
「褒美ってなんですか」
「ちゅうが欲しい」
「ちゅうって?ねずみごっこ的な?」
「いや、接吻のほうだ」
イゾルテがぎろり俺を睨む。
「あんたら、キスするのなんか初めてでもないくせに、何ためらってんですか! 死霊が近くまで来てるんですよ? 死にたいの? 馬鹿なの?」
びっと指さした北の山の方で、カタカタと音がする。あ~見なくても分かります。近づいてるんですね、奴ら。
「そうだ、トリスタンの奴、処女ぶりやがって」
ソロモンが舌うちをする。
「いや、処女だよ! 立派な童貞処女! 清い身体です」
「あのねえ、兄さん、そんなことどうでもいいの! キスの一つくらいどんとくれてやりなさいよ! みんなの命がかかってんのよ? わかる?」
イゾルテが両手を広げて上下にふりまわした。
「あ~」
「嫌いになるわよ。兄さん」
「わかった!すればいいんだろう?」
「シスコン最低」
ぼそっとソロモンに言われてひるむ。
「いいから、やっちゃって!」
「くっそ」
ソロモンの頬を両手で挟むと、目をつぶって唇を近づける。がちんと音がして歯が当たった。ふにっとした感触に唇を離す。
「どうだ!」
「……最悪だと思わないか?イゾルテ」
かっくんと首を横に向けたソロモンがイゾルテに声をかける。
「0点、兄さん」
ぶっぶーと口を鳴らしながらイゾルテが頭の上でばってんを作る。
「これだから、お前はモテないんだ。トリス」
「ソロモン様を怒らせてどうするのよ、兄さん」
イゾルテがじたばたと地団駄を踏む。
「怒ってはいないが少々気分は悪いな。やっつけのちゅうがオレへの褒美とはな」
「全くもって情けないわね、兄さん」
「しょ、しょうがないだろう。慣れてないんだから」
「そういう問題ではない。相手に対する敬意がないと言っている」
「童貞にそれを求めるのか?」
「あーあー兄のリアルな性事情など聞きたくなーい」
あ~あ~と言いながらイゾルテが耳を手でぱこぱこしている。
あ~あ~と声が聞こえるので視線を前に向けると、ソロモンも耳をぱこぱこしていた。
「なんで、ソロモンまでやってるんだ?」
「お~も~し~ろ~い~」
ぱこぱこしながらソロモンが言う。
「全然おもしろくないぞ!」
「案外楽しいが……」
「ああああ、あれ、いや、もうちょっとやばいですよ。ここは妹権限で、後払いを提案させていただきます。あとで、好きなくらい、どこかわたしの目の届かないところで思う存分ちゅうちゅうしてください。もし、兄さんが反抗した時は、絶交します」
「誰と?」
きょとんとして首を傾げると、イゾルテが鬼のような顔になる。
「トリスタン兄さんと、このわたし、イゾルテが、兄妹の縁を切るって言ってるんですよ!」
「はあ? なんで?」
「あれを見て!」
イゾルテを指さす方をみて真っ青になる。や、死霊で空が真っ黒でした。
壊れた封印から漏れた生者の匂いにいっぱい出てきちゃったんだね……うん。これはいろいろヤバい。
「ソロモン」
「後払いで、オレが満足するまでちゅうちゅうする。それが褒美だな」
「え、」
「御意! 異論は認めません」
「よかろう」
ソロモンが北の山に向かって背筋を伸ばす。黒い外套から伸びた指先が光をともなって円を描いた。じりと焦げる匂いがする。指が複雑な文様を描き、魔法陣が浮かび上がった。
薄い唇が古代の言葉で呪文を唱えはじめる。
え、と。
「それ……超弩級炎系魔法じゃないですか?」
ふわりとソロモンが微笑んだ。どっきーんと心臓が跳ねた。嫌な予感に背中に汗が流れる。詠唱は止まらないというか、止めて貰っても困る。それスカッたら、他の呪文を唱えるには魔力が足りない。大きな魔力を使うと次に魔法を出せるようになるには時間がかかるし。
「伝令!」
俺は声を限りに叫んだ。城のあちこちから伝令の声があがる。
「火系魔法! 超弩級! 衝撃に備えろ」
伝令を復唱する声と、うえ~とかまじかよというため息。
「北門、即刻退去! 防御を唱えろ!」
「消火の準備!」
「煙に備えて濡らした布で口をおさえろ! 頭は低くだ」
その間に、イゾルテの背中を押して階段に向かわせる。抵抗するそぶりを見せたが、伝令を伝えながら首を振ると大人しく従った。
あちこちから、了解の声が聞こえる。
間にあうかわからないが、なるべく避けてくれよと思う。
はあと息を吐きながら、ソロモンの側に戻ると剣を抜いて構える。
ソロモンの左手が浮かんだ。指先から魔法陣が回りながら展開して前に押し出すように広げた。指がその上に古代ルーン文字を刻む。
その間も、低い流れるような声が呪文を唱え続けていた。
あーやだやだ。本当に超弩級火系魔法のえげつないやつじゃないか。
心の中でため息をつくと、ぐっと息を吸い、俺も呪文を唱える。
「凍土を呼べ、この場から熱を奪え、我が主、ソロモンを守護せよ」
騎士だけに使える主を守護する魔法を唱えた。刀身が光を帯びて、俺の言葉と共鳴する。半円形に広がったドームが俺とソロモンを包む。少しでも熱気が漏れたら、火傷どころじゃ済まないだろう。俺はともかく、ソロモンがこの島から失われることは、この城の滅び以外の何物でもない。
ひゅんと伸びた手の先から魔法陣が飛んで、北門の外側で大きく広がる。魔法陣の円の中央から、巨大な火柱がたって、じりじりと炎の蛇が中から這いだした。蛇の姿を取ったそれは、蛇らしくない猛烈なスピードで城壁の向こう側に這っていく。
死霊とゾンビの群れにつっこんだそれは、長い尻尾をふりながら、周りを焼いていった。
阿鼻叫喚。死霊の焼ける独特の匂いがした。
熱風が俺の守護の陣を揺らしている。じ、じ、じと音を立てながら陣が縮んでいく。一歩ソロモンに近づくと、ソロモンが俺を振り向いて微笑んだ。どこまでも青い瞳に炎がゆらゆらと揺れている。
「寒いぞ、くそが」
ソロモンの吐く息が白い。ソロモンの唇が紫色になってきた。歯がかちかち言いだした。吐いた息がまつげの先を白く凍らせている。髪の毛もだ。
ちょっと笑わせるなよ、気合入れないと防御の陣が解けるって。
「全く、力加減のわからない奴だな」
いやもう、ごもっともなご意見ですけど、今度は温度が高ければそれはそれで文句を言うんだよな? 絶対そうだよな?
防御の陣を保つのに必死な俺を見て、ソロモンがチッと舌打ちをする。
大蛇が大きな骸骨に絡みついて、大量の煙があがる。山から降ろす風に吹かれて煙がもうもうと城を包んだ。わあと城の中から声があがる。死霊の臭いつきの煙だもんな。
「臭いな」
ソロモンが鼻をひつくかせて顔をしかめる。もちあげた指先が光を帯びる。北門の前のりんごの樹の下で、それに共鳴するように光の筋が空にたちのぼった。
「結界石が小さくなっているから、かろうじて、といったところだな。数日しか持たない」
古代語がソロモンの口からこぼれでて、魔法陣が展開する。指が文字を描き結界石の輝きが強くなって収束する。煙の間からちらちらと石が青い光を放つのが見えた。
ぎゃあ~んと叫ぶ声が山の方から聞こえて、たて続けに煙が城を襲う。
熱が少し弱まって来たのか、防御の陣の中の温度がますます下がる。
「耐えられん。吐きそうだ」
大丈夫なのかという速度でソロモンがまた呪文を唱えた。
城の真ん中の中庭に湛えられた噴水が細かい雨状になって城を包む。浄化の魔法がかかっているのだろう、それが城に降り注ぐと熱で雨は霧になった。霧が臭いを薄めて死霊の臭いが消えていく。
「こんなものだろうな。防御の陣を解け。寒くてかなわん」
頷くと、ひゅんと剣をふるって鞘に戻す。途端にむわっとした空気が俺達を包んだ。
フードを被ると歩き出したソロモンに従う。
「ご褒美が楽しみだな」
振り返ったソロモンが極上の笑みを浮かべる。
嫌な予感に背筋がぞわぞわした。
「あひゃらひいてぶくろ」
もぐもぐと手の中でソロモンが口を動かす。
「そう、皮の手袋の中にする、もこもこの手袋だ。あれを作るのはヒツジの毛なんだ」
うう。そこに食いついたか。きらりとソロモンの瞳に理解の色が浮かぶ。あ、これ、それ欲しいって顔だ。くそ、新しい手袋を手配しなきゃいけなくなったぞ。穴のあいた手袋をこっそり繕うつもりだったのに。すうっとソロモンの顔が真顔に戻る。真顔というか能面みたいな無表情だが。ばっくばくしていた俺の心臓も静かになる。本当にソロモンの笑顔怖い。
下が騒がしくなった、ひひひ~んだの、んっめえええええ~みたいな大合唱が聞こえる。
もう大丈夫だろうとソロモンの顔を離して城壁に駆け寄った。
忙しく動き回る犬がヒツジの群れをコントロールして切れていた柵の間に追いこんでいく。
馬丁が馬に轡をはめて集めている。
「……おい、りんご泥棒のクソ馬は何をしている」
「りんごはもう食ってないから、厩舎に戻ろうとしてるんだろう」
「そうか?オレには壊れているように見えるがな……」
「は?」
「結界石が割れているように見えるがな」
「なに?」
りんごの樹から引き離されそうになって、いらいらした馬は足踏みをしている。その足元にはきらきらとした石の破片が……はへん?
「最初から結界を作り直すのには時間がかかるから、面倒くさい。それに、あの結界石のあの小ささではな」
「死霊がここに来るまでに結界の作り直しは……」
「出来ると思っているならお前は、どアホだな」
「そこをなんとか」
「ふむ」
ソロモンが無表情で微かに首を傾げる。
「まず、何をどうするにしろ褒美は必要だぞ」
「新しい手袋とおいしいアップルパイが手に入るだろう」
「それはどちらもオレの当然の権利だ。ケチくさいトリスタンは古い手袋を補修して使わせようとするだろうがオレは新しくてふかふかのがいい。アップルパイじゃなくオレはタヌキがたんとがいいし、絶対に白いクリームはたっぷり添えられていなければならない。が、それはどちらも褒美ではないぞ。この城で民を守るオレの日常だ。毛刈りしたヒツジの毛の一番いい部分はオレの為に使われなければいけないし、収穫されたリンゴはオレのおやつになる。絶対的権威というのはそういうものだろう」
青い目が俺をじっと見て、ほんの少し笑いを帯びる。どきどきと心臓が早くなって、悪い予感に喉がきゅうっとしまる。
「褒美、とは?」
「トリスタンとちゅうがしたい」
「ちゅー。ネズミごっこ的な」
「ちゅうだ」
「はい?」
「接吻を所望する」
「せっぷん」
「セックスでもいいが」
「いや、それは嫌です」
ソロモンがふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「童貞め」
「そう言うあんたも童貞だろうが!」
「認める」
「……あ、はい。俺も」
「というわけで、褒美はちゅうだ」
「なんでそうなるんだよ!」
「人肌が恋しい。童貞だから」
「あーわかるー」
憐みの目で見つめあって、抱き合ってお互いの背中を叩く。
彼女いない歴イコール年齢の俺達。
そう、それは、ソロモンが『オレより先にトリスタンが童貞を捨てたら、この島を出ていく』って言ったからだ。そのくせ、この野郎、モテるくせに全く女を作らない。
「ってか、童貞なのはソロモンのせいだろう」
「島の女が不細工ばかりなのが悪い。胸に脂肪の塊はついているし」
「俺の妹をブスと言ったか?」
「確かにイゾルテの胸の脂肪は小さいな、手を出してもいいか?」
「さりげなくイゾルテが貧乳だって言ったな。あと、何があっても妹には指一本触れさせないぞ」
「シスコン気持ち悪い」
「あんたら何やってんのよ!」
後ろから尻にスッパーンと音をたててキックが決まる。
「……っ!ひゃあ!」
「その尻はオレのものだぞ。雑に扱うな」
誰がお前の尻だ。俺の尻は俺のものだろうが。振り向くと金色の巻き毛を弾ませて、革の胸当てをつけたイゾルテが弓を持って立っている。確かにちょっと胸は小さいかもしれないが、俺と同じエメラルド色の大きなの瞳に小さな鼻、ふっくらとしたさくらんぼ色の唇のイゾルテは極上のかわいこちゃんだ。本当にかわいい。絶対嫁にはやらないと生まれた時に決めた。緑色の瞳がきっとしてソロモンを睨みつけた。
「兄さんの尻はどうでもいいので、早くなんとかしてください!ソロモン様」
「トリスタンが褒美を拒否しているのだ」
「褒美ってなんですか」
「ちゅうが欲しい」
「ちゅうって?ねずみごっこ的な?」
「いや、接吻のほうだ」
イゾルテがぎろり俺を睨む。
「あんたら、キスするのなんか初めてでもないくせに、何ためらってんですか! 死霊が近くまで来てるんですよ? 死にたいの? 馬鹿なの?」
びっと指さした北の山の方で、カタカタと音がする。あ~見なくても分かります。近づいてるんですね、奴ら。
「そうだ、トリスタンの奴、処女ぶりやがって」
ソロモンが舌うちをする。
「いや、処女だよ! 立派な童貞処女! 清い身体です」
「あのねえ、兄さん、そんなことどうでもいいの! キスの一つくらいどんとくれてやりなさいよ! みんなの命がかかってんのよ? わかる?」
イゾルテが両手を広げて上下にふりまわした。
「あ~」
「嫌いになるわよ。兄さん」
「わかった!すればいいんだろう?」
「シスコン最低」
ぼそっとソロモンに言われてひるむ。
「いいから、やっちゃって!」
「くっそ」
ソロモンの頬を両手で挟むと、目をつぶって唇を近づける。がちんと音がして歯が当たった。ふにっとした感触に唇を離す。
「どうだ!」
「……最悪だと思わないか?イゾルテ」
かっくんと首を横に向けたソロモンがイゾルテに声をかける。
「0点、兄さん」
ぶっぶーと口を鳴らしながらイゾルテが頭の上でばってんを作る。
「これだから、お前はモテないんだ。トリス」
「ソロモン様を怒らせてどうするのよ、兄さん」
イゾルテがじたばたと地団駄を踏む。
「怒ってはいないが少々気分は悪いな。やっつけのちゅうがオレへの褒美とはな」
「全くもって情けないわね、兄さん」
「しょ、しょうがないだろう。慣れてないんだから」
「そういう問題ではない。相手に対する敬意がないと言っている」
「童貞にそれを求めるのか?」
「あーあー兄のリアルな性事情など聞きたくなーい」
あ~あ~と言いながらイゾルテが耳を手でぱこぱこしている。
あ~あ~と声が聞こえるので視線を前に向けると、ソロモンも耳をぱこぱこしていた。
「なんで、ソロモンまでやってるんだ?」
「お~も~し~ろ~い~」
ぱこぱこしながらソロモンが言う。
「全然おもしろくないぞ!」
「案外楽しいが……」
「ああああ、あれ、いや、もうちょっとやばいですよ。ここは妹権限で、後払いを提案させていただきます。あとで、好きなくらい、どこかわたしの目の届かないところで思う存分ちゅうちゅうしてください。もし、兄さんが反抗した時は、絶交します」
「誰と?」
きょとんとして首を傾げると、イゾルテが鬼のような顔になる。
「トリスタン兄さんと、このわたし、イゾルテが、兄妹の縁を切るって言ってるんですよ!」
「はあ? なんで?」
「あれを見て!」
イゾルテを指さす方をみて真っ青になる。や、死霊で空が真っ黒でした。
壊れた封印から漏れた生者の匂いにいっぱい出てきちゃったんだね……うん。これはいろいろヤバい。
「ソロモン」
「後払いで、オレが満足するまでちゅうちゅうする。それが褒美だな」
「え、」
「御意! 異論は認めません」
「よかろう」
ソロモンが北の山に向かって背筋を伸ばす。黒い外套から伸びた指先が光をともなって円を描いた。じりと焦げる匂いがする。指が複雑な文様を描き、魔法陣が浮かび上がった。
薄い唇が古代の言葉で呪文を唱えはじめる。
え、と。
「それ……超弩級炎系魔法じゃないですか?」
ふわりとソロモンが微笑んだ。どっきーんと心臓が跳ねた。嫌な予感に背中に汗が流れる。詠唱は止まらないというか、止めて貰っても困る。それスカッたら、他の呪文を唱えるには魔力が足りない。大きな魔力を使うと次に魔法を出せるようになるには時間がかかるし。
「伝令!」
俺は声を限りに叫んだ。城のあちこちから伝令の声があがる。
「火系魔法! 超弩級! 衝撃に備えろ」
伝令を復唱する声と、うえ~とかまじかよというため息。
「北門、即刻退去! 防御を唱えろ!」
「消火の準備!」
「煙に備えて濡らした布で口をおさえろ! 頭は低くだ」
その間に、イゾルテの背中を押して階段に向かわせる。抵抗するそぶりを見せたが、伝令を伝えながら首を振ると大人しく従った。
あちこちから、了解の声が聞こえる。
間にあうかわからないが、なるべく避けてくれよと思う。
はあと息を吐きながら、ソロモンの側に戻ると剣を抜いて構える。
ソロモンの左手が浮かんだ。指先から魔法陣が回りながら展開して前に押し出すように広げた。指がその上に古代ルーン文字を刻む。
その間も、低い流れるような声が呪文を唱え続けていた。
あーやだやだ。本当に超弩級火系魔法のえげつないやつじゃないか。
心の中でため息をつくと、ぐっと息を吸い、俺も呪文を唱える。
「凍土を呼べ、この場から熱を奪え、我が主、ソロモンを守護せよ」
騎士だけに使える主を守護する魔法を唱えた。刀身が光を帯びて、俺の言葉と共鳴する。半円形に広がったドームが俺とソロモンを包む。少しでも熱気が漏れたら、火傷どころじゃ済まないだろう。俺はともかく、ソロモンがこの島から失われることは、この城の滅び以外の何物でもない。
ひゅんと伸びた手の先から魔法陣が飛んで、北門の外側で大きく広がる。魔法陣の円の中央から、巨大な火柱がたって、じりじりと炎の蛇が中から這いだした。蛇の姿を取ったそれは、蛇らしくない猛烈なスピードで城壁の向こう側に這っていく。
死霊とゾンビの群れにつっこんだそれは、長い尻尾をふりながら、周りを焼いていった。
阿鼻叫喚。死霊の焼ける独特の匂いがした。
熱風が俺の守護の陣を揺らしている。じ、じ、じと音を立てながら陣が縮んでいく。一歩ソロモンに近づくと、ソロモンが俺を振り向いて微笑んだ。どこまでも青い瞳に炎がゆらゆらと揺れている。
「寒いぞ、くそが」
ソロモンの吐く息が白い。ソロモンの唇が紫色になってきた。歯がかちかち言いだした。吐いた息がまつげの先を白く凍らせている。髪の毛もだ。
ちょっと笑わせるなよ、気合入れないと防御の陣が解けるって。
「全く、力加減のわからない奴だな」
いやもう、ごもっともなご意見ですけど、今度は温度が高ければそれはそれで文句を言うんだよな? 絶対そうだよな?
防御の陣を保つのに必死な俺を見て、ソロモンがチッと舌打ちをする。
大蛇が大きな骸骨に絡みついて、大量の煙があがる。山から降ろす風に吹かれて煙がもうもうと城を包んだ。わあと城の中から声があがる。死霊の臭いつきの煙だもんな。
「臭いな」
ソロモンが鼻をひつくかせて顔をしかめる。もちあげた指先が光を帯びる。北門の前のりんごの樹の下で、それに共鳴するように光の筋が空にたちのぼった。
「結界石が小さくなっているから、かろうじて、といったところだな。数日しか持たない」
古代語がソロモンの口からこぼれでて、魔法陣が展開する。指が文字を描き結界石の輝きが強くなって収束する。煙の間からちらちらと石が青い光を放つのが見えた。
ぎゃあ~んと叫ぶ声が山の方から聞こえて、たて続けに煙が城を襲う。
熱が少し弱まって来たのか、防御の陣の中の温度がますます下がる。
「耐えられん。吐きそうだ」
大丈夫なのかという速度でソロモンがまた呪文を唱えた。
城の真ん中の中庭に湛えられた噴水が細かい雨状になって城を包む。浄化の魔法がかかっているのだろう、それが城に降り注ぐと熱で雨は霧になった。霧が臭いを薄めて死霊の臭いが消えていく。
「こんなものだろうな。防御の陣を解け。寒くてかなわん」
頷くと、ひゅんと剣をふるって鞘に戻す。途端にむわっとした空気が俺達を包んだ。
フードを被ると歩き出したソロモンに従う。
「ご褒美が楽しみだな」
振り返ったソロモンが極上の笑みを浮かべる。
嫌な予感に背筋がぞわぞわした。
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