夜を添えて

花惑

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夜を添えて

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 最近、仕事の量が異常なまでに増えた。頼られているなんて考えた私が馬鹿だった。あれは頼っていたんじゃない。私は仕事を押し付けていたんだ。しかしそれに気付くのには少し遅かった。



 もう死んでしまいたい。

 

 そう考えてから、仕事に私の体が吸われていくみたいに感じた。仕事のために食べるご飯も味がしなくなった。私の味蕾は死にきっていて、舌は食べ物の形と感触を確かめるだけの器官に成り下がっている。

 

 しかしそれでも、お腹は空く。

 

 私はスーパーに堆く積まれたカップラーメンを手に取った。



「お客さん。お客さんったら」

 

 男性にしては高い声が私の耳に届いた。

 

 この時の私は男性が自分に話しかけているとは到底思えなかった。私は別に悪いことをしていない。そうなれば男は別の意味で私に話しかけていることになる。こんな枝毛だらけでクマだらけな私に、仕事以外で話しかける男性なんて存在しないと私は勝手に決め込んでいた。



「お姉さん! ほら、そんなとこに立っていないで座りなよ」

 

 私は霞んだ目で目の前のカップラーメンを取ろうとする。しかし、私の手は空を切った。気づけば、目の前を照らす光は人工的で無機質な灯りではなく、暖色の暖かみのある色に変わっていた。



「いらっしゃい。さぁ、何を食べたい?」

 

 私の目の前には作務衣を着た狐目の背の高い男性が立っていた。

 

 不思議なことに、私が立っている場所はスーパーではなく、カウンター席のみの小綺麗な居酒屋だった。



「え、何……ここ?」



「いいから早く座んなよ」

 

 男性はこちらに手招きをした。

 

 いつの間にか拉致されたという想像をしたが、あまりに現実味がないことに私は気が付く。こんな幸の薄い私を拉致したって、彼が得る利益は少ない。



 何より、手招いている彼に嫌悪感という感情は抱けなかった。

 

 気づけば私は彼の前に座っていて、お腹の中にいる腹の虫が鳴いた。



「嫌いなものはある?」



 私は首を振る。



「分かった。じゃあ君はどんな夜が好きだい?」



「どんな……夜?」



 私は思わず復唱した。

 

 すると彼は何故か嬉しそうな顔で答えた。



「うん、そうだよ。君はどんな夜が好き? 黄昏の夜? 月光が滲む真夜中? 少し白みがかった夜明け? 好きな夜を選びなよ」



 男性が言っている意味は分からなかったけど、私の枯れ切った喉が最後の力を振り絞って答えた。



「誰も……誰もいない真夜中が私は好きです」



「そうか。分かった。じゃあ、僕が腕によりをかけて、君に誰もいない真夜中の夜を食べさせてあげよう。何でも美味しくなる夜という調味料を使ってね」

 

 そう言うと、彼は調理をし始めた。

 

 彼がまな板で奏でる心地の良いリズムに、私の瞼が重くなっていく。彼は私のために料理を作ってくれているというのに寝るのは失礼だと思い、私は必死に睡魔と戦った。しかし、ものの数秒で私は睡魔に負けて眠りについた。



 次に目を覚ました時には、私は自分の部屋のベットの上にいた。狐に摘まれた気分になったが、その前にどうしようもなくお腹が空いていた。腹の皮と腰がくっ付いてしまうのではないかと思うほどの空腹感で、私はカップラーメンのあるシンクの下に向かう。

 

 しかし普段使わない台所の上に、幾つかのタッパーが置いてあるのが見えた。私はそれに対して不信感は抱かず、蓋を開けて素手のまま中の調理を貪った。

 

 料理はおでんが入っているようだったが、素手で掴んでも火傷しないほどの暖かさだった。私は初めに卵を食べ、大根を食べ、ちくわを食べて、はんぺんを食べて、泣いた。

 

 味は普通のおでんだ。なのに、とても特別感があった。私は以前、これを食べたことがあった。



 私の夢は小説家になることだった。初めに新人賞に応募した小説は佳作に入り、いくらか賞金を貰った。しかしそれ以降、書いた小説が賞を取ることはなかった。何十作も小説を書いたが、書けば書くたびに私の体は小説を拒絶した。

 

 私が今食べたおでんは佳作を取った時の賞金で買った、コンビニのなんてことないおでんと味が一緒だった。あの時の私は背中に翼が生えたように心が軽くて、何よりも小説が好きだった。おでんを食べていた時間は、誰もいない真夜中だった。

 

 私は涙をこぼして、何度も嗚咽を吐いては全てのおでんを胃に押し込んだ。

 

 久しぶりに、食べ物に味がした。

 

 とても懐かしい味だった。

 

 幸い、目覚めたばかりだから眠くはない。ご飯も食べたし、十分なほどの幸福が私を包んでいる。

 

 私は机の奥底に仕舞い込んだパソコンを取り出し、小説を書き始めた。

 
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