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いじめ

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 何度も言うように、彼女は美しい女性だ。
 
 小学生でもその姿は他人に大きな影響を与え、彼女は歩くだけで人の目を奪っていた。
 
 当然、彼女の美しさに嫉妬する人間はとても多かった。しかしその嫉妬心は本気で妬んでいるわけでも、本気で羨ましがっているわけでもなかった。もし他人が彼女の美貌を受け取ったとしても、全員がそれを持て余すだろう。彼女だから、あの美しさを上手く扱っていたのだと僕は思う。
 
 しかし、そんな彼女でも嫌がらせを受けていた過去がある。彼女が嫌がらせを受けていたと知った時は本当に驚いた。なぜなら僕は彼女を嫌う人間はこの世にいないと信じきっていたからだ。僕がその事に気づいたのは、二人で図書委員の仕事をしていた時だった。

 小学校に入学してから約五年間、僕達の約束は効力を失うことなく生き続けていた。図書委員を免罪符に僕達は隣に並び、誰にもバレないように幼馴染を続けていた。もうこの時すでに僕は彼女に恋をしていた。ただ感情の名前を知らなかっただけで。

 つい先日、学校の横には新しく図書館が建てられた。そのせいか学校で本を借りる人間は自動的に図書館に流れ、ただでさえ利用者の少ない学校の図書室は忘れられたみたいにひっそりと息をしていた。しかし僕はそんな図書室で彼女と二人きりで過ごす時間が何よりも好きだった。

「二人とも」

 背表紙の目印を元に本を決められた位置に返す作業をしていると、書架の間から司書さんの柔らかい声が聞こえてきた。

「それが終わったらポスターを作って欲しいんだけど、良いかな?」

「何のポスターですか?」

 隣にいた彼女はブックトラックに体重をかけながらそう言った。

「図書館でのお約束っていうポスターを描いて欲しいの。内容は二人が好きなように書いていいから、お願いできないかな?」

 ポスターを作るのには時間がかかる。普段の僕なら面倒だと渋っていたと思うが、時間がかかるということは、それだけ彼女と一緒にいられるということだ。隣を見ると目が合った彼女が僕に笑いかけていた。多分、彼女も同じことを考えていたのだと思う。

「はい、大丈夫ですよ」

「本当? よかったー。提出はいつでもいいからね。それじゃあ、よろしく」

 司書さんは手を振って図書室の裏へと戻って行った。

 その姿を見送っていると、背後からキャスターの転がる音がした。後ろに帰った瞬間、ブックトラックが僕に向かって転がってきていて、僕は自分にぶつかる寸前でブックトラックを受け止めた。

「勝手に了承しちゃったけど、大丈夫だった?」

 分かっているくせに、と言うのは野暮だろう。

「うん、大丈夫。早くこの仕事を終わらせちゃおう」

「そうだね」

 彼女は微笑み、手に持っていた本を書架に戻した。

 ブックトラックに乗っている本を全て戻してから受付に戻ると、机の上にはB2サイズの画用紙と数種類の蛍光ペン、それと労いのお菓子が置いてあった。

「やった。私、これ好きなんだよね」

 そう言って彼女は一口サイズのチョコレートを手に取る。

「僕はこれかな」

「なんか周ってたまにおじさんっぽいよね」

「え、美味しいじゃん。これ」

「え~、私は変な味するから嫌い」

「じゃあ、蓮の舌はまだ子どもってことだね」

「別に私は子どものままでいいですよー」

 けたけたと笑いながら彼女はそう言った。

 彼女は画用紙と蛍光ペンを持って長机に画用紙を広げると、そのまま両腕を組んで白紙と睨めっこを始めた。どうやら、ポスターの構図を考えているようだった。
「どうやって書く?」

「うーん、まずは下書きしたいかな。私のランドセルから定規を持ってきてくれない?」

「分かった」

 僕は自分の横にあった彼女のランドセルを開いた。中を覗くと、教科書の隙間には筆箱が挟まっているのが見える。しかし隙間には筆箱だけではなく、くしゃくしゃに丸まっている紙も何個か押し込まれていた。

 珍しい、と僕は思った。

 彼女が物を粗末に扱う姿は全くもって想像が出来ない。実際に彼女の使っているランドセルは未だに新品かのように綺麗だ。直感的に僕はこの紙が、彼女自身が詰めた物ではないと思った。

 後ろを振り返ると彼女は画用紙に文字を書き込んでいる。僕は彼女にバレないように、紙を手に取って中身を開いた。そして中身を見た僕は目を疑った。

 紙には乱雑な文字で心もとない言葉がこれでもかと書かれていた。文字は何重にも重なって原型を止めない物ばかり。ただそれでも途方のない悪意が込められているのは確かだった。

「れ、蓮。何これ?」

僕が紙を持っている姿を見て、彼女はやってしまったという顔をした。
「何でもないよ。気にしないで」
 彼女は僕から紙を奪うと、そのままそれをランドセルに押し戻した。そして何事もなかったかのように、ポスターの制作を再開し始める。

「待ってよ。僕がそれで納得すると思っているの?」

「納得してって言っても……駄目?」

 苦笑いしなが彼女は言う。

「駄目に決まっているじゃん! ねぇ、いつからこんなことやられているの?」

「えっと、確か……一年前ぐらいからかな」

 僕はさも当たり前かのように答える彼女に言葉を失った。それと同時に、僕の目からは涙が溢れた。泣くつもりなんてなかった。それでも、自分の不甲斐なさがそうさせた。

「な、何で泣くの」

 彼女は慌ててハンカチで僕の涙を拭う。これではどちらが嫌がらせを受けているのか分かったものではない。しかし僕は泣き止めなかった。

「だって、一番近くにいる僕が、気づけな、かったから」

 涙が一つ溢れるたびに、僕は言語能力を少しずつ奪われているみたいだった。

「私は大丈夫だから」

「大丈夫なわけ、ないじゃん」

「本当だってば」

 彼女は僕の頬を掴んで目を合わさせた。

それは吸い込まれてしまいそうな程に美しく澄んだ目だった。

「見て? 私が辛そうな顔をしてる?」

 その笑顔は本当に眩しくて、笑顔の中に曇りなんて一つもなかった。

「どうして……蓮はそんな平気そうなの?」


「えっと……この紙を書いた人、少し不思議なんだよね」

「不思……議?」

「そう。一年間これ以上の嫌がらせはないし、本当にバレたくないのか知らないけど、この嫌がらせだって二ヶ月ぶりなんだよ」

 僕は彼女の手から離れて涙を拭った。 

「何で蓮にこんなことするんだろう?」

「うーん、何でかな? 多分、これやっているのは一人だけだし、紙に書いてある内容もよく分かんないし、なんか
イジメられてるって感覚しないだよね。どっちかと言うと、私を好きな男の子が悪戯しているって感じ」

「それならあんな酷い言葉は書かないでしょ」

「だよね。だから不思議なんだよ」

 相変わらず彼女は飄々とした態度で受け答えしていた。

「蓮はこのまま嫌がらせを受け入れるつもり?」

「別に困ってないから私はいいかな」

 屈託のない笑顔で彼女は笑って見せる。そのせいで僕は聞きたいことが山ほどあるはずなのに、これ以上は何も聞いてはいけないという気にさせられた。

「じゃあさ、もしこれ以上の嫌がらせがあったら周が助けてよ」

「うん、分かった。僕は何が起きても君の味方でいる」

「ありがとう。それなら私は平気だよ」

 彼女はとびきりの笑顔でそう言った。

 その後のことは良く覚えていない。

 本人が平気だと言っている以上、僕にとやかく言う権利はない。しかし、頭ではそう理解していても、自分を説得しきるには何かもが足りなかった。

 彼女が虐められていると知った僕が真っ先に思ったことは、この世にそんな愚か者がいるのかという驚きだった。多が有利なこの世界では小が淘汰されるのは当たり前で、その差が大きければ大きいほどお互いの溝は大きくなる。僕にって彼女を嫌うということは、その世界の全員が信仰している神を信仰していないと同義だった。そして生まれた溝は一生かけても埋められないほど、僕には理解出来ない行為だった。

 その日から僕は彼女の周りを監視することにした。彼女を救いたいという気持ちと同時に、一体どんな奴がそんな愚かな行為をしているのか気になった。犯人を見つけた暁には、是非ともその人間の考えを聞いてみたかった。
 
 しかし、どれだけ彼女を観察していても、怪しい行動を起こす人間は一人も見つけられなかった。監視に飽きた僕は周りの人間に探りも入れてみたが、誰一人として犯人だとは思えない。彼女のことを聞くたび、全員が口々に彼女を愛している言葉を漏らしていた。結局、聞き込みは彼女が愛されていることを再確認するだけに終わった。
  
 そして図書室での日から三ヶ月が経った頃、前触れもなく事件が起きた。

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