星幽のワールドエンド(第一章完)

白樹朗

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ワールドエンド邂逅編

墓と涙

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 枯れた花、生きた花、無人でありながらも人の生死の気配が残るその場所が、至恩は大嫌いだった。

 春先に比べ、ずいぶんと日が長くなった。
 六時を過ぎても空は明るく、だから、ここも夜中よりはずっと恐ろしくない。いや、ここに夜中に来たがるやつがいるのかとも思う。肝試しにはいいかもしれないが。

 さておき、町の端、小高い丘に作られた霊園からは平坂の街並みがよく見えた。

 ──墓にきたのは、何年振りだろう。

 色々な宗教スタイルの墓がならぶ霊園の坂を上がりながら、至恩は苦笑いする。

 そもそも、平坂は外国人が多く、色々な人種が住んでいる町だ。東京二十四区の中でも異常に家賃が安いからだろうなと思う。地下鉄が二本通っているから、交通の便もまあまあだ。
 商店街などは昭和を思わせるぎやかさで、治安も悪くない。いや、コウが街中を堂々闊歩している時点で治安とは何かという感じだが。

 なんにせよ、墓という墓がひしめき合うなか、至恩が向かったのは、霊園の上から三段目。
 卒塔婆や墓石を積み重ねた日本風のそれではなく、四角い石を地面に張り付かせたような、外国ドラマでよくみるような墓がある。
 それが、至恩の母の墓だ。

『December、25、2XXX、LOWELL KISARAGI』 

 命日と名前。たったそれだけ。他には何もない。ただ、それだけの文字が刻まれた、簡素な墓だ。

 ゆっくりと雲の合間に沈みはじめた夕陽に、整然と並んだ墓たちが赤く照らされる。
 持ってきた菊の花を供え、志恩は静かに手を合わせた。
 母が好きな花など知らないから、スタンダードな供花を選んだ。

 無神論者の父親の意向で志恩の家には仏壇や位牌などないから、毎年盆と彼岸には墓の掃除に来ていたけれど、それでも好きにはなれなかった。

 ここに来ると、昔のことを思い出す。

 幼い志恩が母が恋しいとぐずったとき、父が連れて来たのがここだった。
 説明がめんどくさかったのだろう。星や天国やそんな夢のある比喩は一切なく、お前の母親はここの下にいると、それだけを父は言った。至恩の父というのは、そういう男だった。

 ちいさな志恩はよく分からず頷いたあと、墓石に刻まれた文字はなんなのかと聞いた。
 文字など当然読めない年齢だったから、気になるものがあるすぐ父に聞くのが癖だった。

「これはなあに?」

 志恩を抱き上げた父は、志恩の丸い頭をなでて言ったのだ。
 お前の母が死んだ日だと。その、なんのオブラートもない言葉の時点で聞くのをやめればよかったのだと、今なら思う。心の底から思う。

 そのころは死生観がまだ未成熟で、死というものは何かがいなくなってしまうことだと思っていた。
 ふうんとつぶやいたあと、日付がクリスマスで至恩の誕生日だったから、おれのたんじょーびだ、と嬉しくなって言う至恩に、お前を生んで死んだからな、と父はなんの感慨もなく言った。
 お前が生まれて死んだのだと。

 その言葉の衝撃を、至恩は今でも忘れない。
 自分がいるから、母がいなくなったのだと。自分のせいでこの平たい石から出てこれなくなったのだと思って、それはそれはわんわんと泣いた。
 父はなんで泣くんだと呆れていたが、今の至恩なら、お前にデリカシーのデの字もないからだよと指さして言い切ってやるところだ。

 それから、クリスマスが嫌いになり、自分の誕生日も嫌いになった。父はもちろんそんなことに気が回る性格でなかったからどうでもいいとして、瑛里奈は祝いたがっていたが、それだけはと断っていた。

 ──自分が生まれて母を殺したこの日が、この世で一番嫌いだった。
 そして、それをまざまざと見せつけるこの墓も、嫌いだった。

「……シオン」

 神妙に拝むどころか、ふつふつと沸き上がった父への怒りに悶々としていると、不意に鈴を転がすような声が聞こえた。

 まばたきして振り返ると、見慣れた、豊かな銀髪が風に巻き上がっていた。丘の上は風が強い。至恩も目にかかる前髪を押さえて、目を細めた。

「……レイゼル? どうしてここへ」
「なんとなく、ここにきてるんじゃないかなって、思ったの」

 小花柄のスカートの裾を掴んで、レイゼルが困ったように笑う。
 そして、後ろ手からちいさな花束を取り出すと、至恩の隣で花を供えた。

「でも、よくわかったな。レイゼル、お前ひとりできたの?」
「今朝、シオンのママの話してたでしょ。それに、帰りが遅かったから。道は大丈夫だったよ? 私、子供じゃないもん」

 いやどうみても子供なんだけど、と思ったが、静かに目をとじるまぶたの丸みと、長い長い銀色のまつげをみて、至恩は言うのをやめた。平坂霊園は、至恩の家の窓から見える距離にある。

 手を合わせるレイゼルの横顔から、視線を墓に向ける。冷たい、冷たいただの石だ。母のやわらかさなど、微塵もない。

「……なあ、レイゼル」
「なあに?」
「どうして母さんは、死ななければならなかったんだろう」

 目を焼くような夕焼けを眺めながら、至恩がつぶやく。
 レイゼルが顔を上げ、そして普段の無邪気さを消し去った表情で、ワールドエンドのように口を開いた。

「デミ、いえ、イヌラはあの日まで人間を捕食したことはなかった。それまでは、人間以外──妖精とか、幻獣とか、日本だと鬼人とか、そういう者が住む星幽界アストラルにしか出没していなかったし、そこから出てはこられないだろうとみんな考えてたの。あの、十三年前のクリスマスまでは」

 十三年前のクリスマス。その言葉に、至恩は墓石に刻まれたの母の命日をじっと見た。
 それがすべてのはじまりだった。

「うん、だから、その時まではデミが神隠しムンドゥスなんて古い手を使うとは誰も──」
「……俺が」
「えっ?」
「俺が、いたから、母さんは狙われたのか」

 俺が生まれて母さんが殺されたのなら、俺が生まれなかったなら、母さんは今も生きていただろうか。

 伏せたまぶたの裏に、冬の風に吹かれた豊かな濃紺の髪が浮かび上がる。そして、あまりに濃くて黄金のような琥珀の瞳も。

「……わかんない」

 ワールドエンドは、否定も肯定もしなかった。

「わからないってどういうこと」
「だ、だって……!」
「お前言っただろ。星幽兵器持ちが狙われるって。魂だがなんだか知らないけど、そういうものをあいつらが狙ってるって。だったら……!!」

 志恩の剣幕にレイゼルが後ずさる。生温い北風に、菊が吹かれてカサカサ鳴った。

「だったら、俺がいたから、俺が狙われたから、母さんが死んだんじゃないのかよ!?」
「違う!!!」

 こぶしを握った両手を振り下ろして、レイゼルは叫んだ。小さな首を一生懸命横に振って、口を開いた。

「違うの、それは、シオン」
「……なにが違うんだよ」
「あの時点でも星幽兵器の適合者は世界中に存在してた。それが使える使えないに関わらず、いたの。だから、それだけが原因じゃない……と思う」

 視線を逸らして、レイゼルがつぶやく。正しくは、段々と小声になって、俯いた。

「じゃあ、なんでなんだよ」
「えっと、えっと……あうう」

 言えないのか、わからないのか、くちごもって、うめくレイゼル。
 冷たい志恩の視線に、悲しそうに下を向く。その姿を見て、志恩は横を向いた。

 長い髪の合間からのぞく白いブラウスの肩が、あまりにも華奢で見ていられなかった。こんなにも細く、小さい肩だっただろうかと思う。毎日見ていたのに、知らなかった。

「いや、もういい。聞いて悪かったよ」
「……シオン」

 このままこの場所に居続けるのは、よくない。
 急に頭が冷えてきて、目の前の少女に大声を出して怖がらせたことに気付いて、気まずそうに首を振ると、至恩は踵を返した。

「待って、シオン」
「大丈夫だから。ちょっと一人にさせて」
「……でも」

 早足に、逃げるように墓の前を通り過ぎる。……通り過ぎようとして、腰が後ろにぎゅっと引っ張られて、至恩は足を止めた。
 まばたきして腰を見る。子供の指が、至恩の腰に抱きついていた。まるい頭の重みを、腰骨に感じた。

「でも、シオン。……傷ついた顔してる」

 冷えたはずの怒りに火が点る。誰のせいだといいかけて、いや、この子供のせいではないなと思いなおした。
 このやるせなさをぶつける相手は、この少女ではない。そんなことは、わかっていた。

 レイゼルにだって、わからないことはある。その見た目に反して、大抵のことはすらすらと答えてくれるレイゼルが、以前聞いたときも十三年前のことはわからないと言っていた。
 長い髪が、太陽に赤く染まっている。至恩のワイシャツの裾をつかみ、引き留めるレイゼルを見下ろして、思う。

 ──ずっと、違和感があった。
 レイゼルは、おかしい。いや、そもそも人間ではないし、見た目よりはずっとしっかりとして多様な知識がある。口を開けばどれだけポンコツだとしても。
 だが、そんな話ではない。これはもっと心情的で、道徳的な話だ。

「……お前にはわからないよ。レイゼル」
「どういうこと?」

 レイゼルの母親が至恩の目の前でデミタイプに喰われて一週間以上、その間、特別悲しんでいる様子はなかった。
 死を死だと納得し、理解して、それだけだ。

 この子供は、なにかがおかしい。

 違和感の根本に気づき、至恩はじっとレイゼルを見た。そして、思い出した。これは、子供のような姿をしたなにかなのだと。

「俺は、俺の母さんが死んだことを、運命のせいにはしたくない。運命だからと、そんなもので納得したくない。──お前とは、違う」

 大事な人が死んで訪れる正しい未来など、こちらから願い下げだ。
 目の前の、少女の形をしたなにかは、息を飲んで、志恩を見ている。

「……お前とは、違うんだよ。レイゼル」

 銀色の髪、赤い瞳、白い肌、幼くて無邪気な笑い方。
 色はさておき、何がそんなにも自分と違うのかと思うけれど、きっと、見た目ではないのだ。
 それは白くて柔らかな皮膚の奥にあり、赤く輝く瞳の底にある──それこそ、魂のようなものが。太陽に照らされた銀髪が、金色に縁どられて輝いている。目を細めて、なぜだか至恩は金の鳥を思い出していた。

「わからないよ」

 息を吸い、レイゼルはきっぱりと言った。言い切った。

「……わからないよ。私は、人間じゃないから。悲しみも、怒りも、人の感情は私には難しい。遠すぎるもの。でもね、シオン」

 どれだけ頑張っても、手の届かないものがある。
 至恩がどうして怒っているか、レイゼルにはわからない。いや、わかるにはわかるが、理解ができない。だから、至恩が傷ついているその現状だけしか、捉えることができなかった。

 それが定めなら受け入れるべきなのにと思う一方で、運命に抗うから人間なのか。うらやましいと目を細めて、レイゼルは言った。

「シオンはまだ何も分かってない。可能性だけで、予想だけで傷つくのは、早すぎる。傷つくのはイヌラを倒してからでもできるわ。それに」

 その言葉に何か言いかけて、至恩はやめた。
 太陽のように輝く瞳が、ただただ真剣に、この世の誰よりも至恩のためだけに言っていると思ったからだ。

 レイゼルが一呼吸おいて、口を開く。その三秒間、レイゼルの瞳が、湖面に雨がふったようにゆらゆらと揺らいだ。

「──シオンはわかるの? 私が、私がバカで、どうしようもないバカだったから、ただ生まれたくて生まれたくて、それだけのためにママを殺してしまったことを。……その気持ちが、シオンには本当に、わかるの?」

 わからない。
 わかる、はずがない。そんな、そんな、そんなことを。

 声がでなかった。足も動かなかった。首を振ることもできなかった。
 ただ、このワールドエンドを、ひどく傷つけてしまったことだけは分かった。
 そして、ふと思った。このちいさな肩に、自分はひどく甘えているんじゃないかと。
 レイゼルは人間ではない。でも、人でなくても、傷つくのだ。そんな当たり前のことに、至恩から顔をそらしたレイゼルの横顔を見て、理解した。

 至恩の隣を、銀色の髪が通り抜けて、墓を駆け抜けていく。
 五歩はゆっくりと歩いて、六歩目から足早に、そして霊園の丘を銀色の影が振り返りもせずに走って住宅街に消える。消えてしまった。
 追わなければと思うのに、至恩はその姿を呆然と眺めていることしかできなかった。

 レイゼルは泣いていた。立ちすくんだままの至恩の足元で、菊の白い花びらが風に散った。
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