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ワールドエンド邂逅編
第一種遭遇⑵
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「プロトタイプって、前のやつより強いんだっけ?」
「うん。それで、今回どれが来たかが問題なんだけど……デカかエンネアだとありがたいんだけどな」
志恩の足元、金色の影が、悩ましげに動く。
デカとエンネア。つまり、ナンバー10と、ナンバー9のことだ。
プロトタイプは十体。そして、デミタイプは数字が若いほどに強く、増えるごとに弱くなる。
先日の魚が何番なのかレイゼルに聞くと、ナンバーがつかないぐらいの雑魚と答えが返ってきて、志恩は憮然とした。
「それ、どっちか分かんないの?」
「イヌラぐらいになれば魔力量でわかるけど、プロトタイプでも上位にならないと難しいかな。逆に言えば、プロトタイプ内でも上位ナンバーと下位ナンバーは天と地ほどの差があるんだけど……」
「……ちなみに、そのプロトタイプじゃないっていう可能性は?」
「ゼロ。卵を落としてくるような悪趣味はプロトタイプぐらいだよ」
卵?と聞き返す志恩に、行けばわかるよと金色の影、もといレイゼルはつまらなそうに言った。
二人が向かっている場所は、平坂学園。志恩が通う学校だ。
流星は二度流れ、そのどちらもが学園に落ちた。
ムンドゥスで起こったことは現実世界に影響を及ぼさないが、それでも母校がデミの被害に遭っているとなると、気分がいいものではない。志恩は眉をしかめて屋根を蹴る。身体は軽々と十数メートル前方に飛びあがった。
「飛ぶの、だいぶ慣れたね、シオン」
「ああ、うん。前のとき、必死にコツ掴んだから」
「やっぱ地道に練習もいいけど、ちょっと死にかけるぐらいが一番上達するねえ」
「いやもう勘弁だから、それ」
ムンドゥスに交通法はない。
乗る主のいない車、光の消えた信号、無人のスクランブル交差点。
その現実ではまったくあり得ない光景を、目を細めて一瞥したあと、志恩は商店街のアーケード上を飛んだ。
そもそも、この世界そのものが非現実の最たるものだ。
思ったよりも異常に慣れはじめた自分に苦笑していると、不意にレイゼルが至恩を呼んだ。
「シオン」
「うん?」
「本当に行くの?」
駅も亜門マートも飛び越えて、平坂学園は商店街の先にある。
距離はすぐそこだが、三階建てビルの屋上ぐらいでは学園の中まではのぞきこめない。なにせその手前までは、平坂も都会の端くれだと主張するように、ビルの林が乱立している。
学園自体も本物の木に囲まれているから、とりあえず近くのビルに降りて様子をみようとした至恩は、くいと後ろにひっぱられて足を止めた。
いつのまにかレイゼルが影から出ていて、至恩のシャツの裾をぎゅっと掴んでいる。
怪訝そうな顔をする志恩に、レイゼルは心配そうに言った。
「よくないものを、見るよ?」
よくないものとは、なんだろう。
一瞬、レイゼルの母が死んだ光景。そして、化け物に喰われる大量の死体が脳裏をよぎって息が止まったが、目の前の少女の揺れる瞳をみて、その映像を消した。
気づかれないように息を吸い、それがなんでもないことのように至恩は言った。
「行くよ。どちらにせよアイツは俺を喰いにくるんだろ? じゃあ、待ってても仕方ないし」
いつも喰われるのを待っているのも癪だしね。
そう軽口を叩くように至恩が言うと、レイゼルはじっと至恩をみつめて、ぎゅっと抱きついた。
細い腕が巻きつき、腰にレイゼルのちいさな頭がぐりぐりと押し付けられる。とはいえ、相手が絶世の美少女なのに全然ドキドキしない。
これが同い年の女の子なら違ったのかなあと考えながら、至恩はその頭をよしよしとなでた。
妹がいたらこんな感じかな、と思う。いや、本当の妹だったらもっとちゃんと教育しようと思うが。
少なくとも、人の服を勝手にパジャマ代わりに着ないようにはしたい。あと、歯磨きしたあとにチョコレートをこっそり食べようとするのもダメだ。からあげのつまみぐいも注意案件だし、ソファで寝落ちしたまま動かないのも困る。毎回抱っこしてベッドまで運んでやるのも意外と大変なのだ。
と、そんなことを考えていると、
「……ねえ、シオン」
「なに?」
レイゼルが顔を上げた。
勢いよく思い切ったように、そして、ひどく真剣そうに口を開いた。
「シオンには、私がついてるからね」
「うん。知ってる」
コンマゼロ秒で頷くと、レイゼルは大きな瞳をぱちぱちとまたたかせ、にっこりと嬉しそうに笑った。
それから、初雪に触れるように志恩の手を両手で握って、長いまつげを伏せる。魔力の粒子がレイゼルの周りに集まり、ぶわと金の風が吹いたかと思うと、少女の姿が掻き消えた。
まばたきをして目を開けると、かわりに、志恩の黒い影が金色に輝いていた。
残り香のようにはらはらと消える金の粒に指先で触れたあと、志恩はコンクリートを蹴り上げた。
/*/
──最初の異変は、臭いだった。
生臭く、吐き気を催すような汚臭。耳を底から侵すようなぐちゃぐちゃと生理的嫌悪を掻き立てる音。
校庭の木の影の隠れた至恩は、その光景に呆然とし、理性よりも先に身体が反応した。
膝から地面に崩れ落ち、手をついて、胃の中の全てを吐き出した。胃液もなにもかもを吐き出して──しまう前に、ふっと吐き気が収まった。
汚臭も嫌悪感も恐怖もなにもかもが、厚い膜一枚に包まれたかのように薄まった。感情の波が、一気に引いていく。
顔を上げると、レイゼルが心配そうな顔で、至恩の背をさすっていた。
「シオン、大丈夫?」
「……うん。ありがとう」
レイゼルがさすったから、というよりは魔法だろうなと思う。
感情を希薄にさせ、強制的に気分を落ち着かせるような、そういう類のものだ。
至恩はなにかいいかけ、だがやめた。
人の感情を勝手にいじくるのはどうかと思ったが、いつまでも嫌悪感を引きずっていてはどうにもならないし、恐怖に負けたら死ぬだけだ。
それに、人間の道徳を人間でないものにまで適応させるのは、傲慢がすぎる。それを至恩は今日学んだばかりだった。だから、結局は違うことを言った。
「あれは、いったいなんなの」
「デミだよ。でも、あれがプロトタイプじゃない。……言ったでしょ。卵があるって」
目の前に広がっていたのは、まさしく地獄絵図だった。
だが、寺に置いてある地獄絵図のほうが、だいぶマシだと至恩は思った。
鬼のかわりに、学園の校庭には巨大な芋虫のようなものがあふれ、地面に喰い散らかした肉塊の絨毯の上を這いつくばっている。
校庭に開いた穴の中、白い粘膜から、次々と虫が生まれてくる。その虫達の赤い目を、至恩はよく知っていた。
「これでわかった。墜ちてきたのは、デカだ」
レイゼルが目を細め、低く言い放つ。
なぜわかるのかと思ったが、それより先に気になることがあった。恐怖感が薄いからこそ、聞くことができた。至恩はのろのろと立ち上がり、眉をしかめて口を開いた。
「……あいつらが食ってるのって、人間?」
そう至恩が聞くと、レイゼルは腕を組んだまま、表情を曇らせた。
「違う。……違うからと言ってなんにも良くないけど、でも違うと思う。妖力が残ってるから」
「妖力?」
「うん。あれは、たぶん……鬼だ。鬼人だよ」
今はもうその面影すらないけれど。
苦々しくつぶやくレイゼルの声を聴きながら、志恩はふと思い出していた。
鬼人という言葉には聞き覚えがある。
レイゼルの母親が、そんな単語を話していた。頭に角のある、人間のようなもの。鬼だと言われれば、確かにそうだ。絵巻物のような物々しい出で立ちではなく、どちらかというと人間のような華奢な体躯をしていた。
それが至恩が初めて遭遇した人外。そして、死体。あの中には子供もいた。この中にも、いたのだろうか。
以前は恐怖に打ちのめされていたが、今回は違う。緑の瞳を静かな怒りに輝かせて、至恩は言った。
「鬼なんて、一体どこから」
「そりゃ妖界から攫ってくるんだよ。鬼や天狗とか、妖怪だっけ、それが住む日本の星幽界はそう呼ぶんだ。ネノクニやタカマガハラもあるけど──いや、今はそんなことはどうでもいいか。シオン、どうするの?」
志恩に聞きながらも、その言葉の先は既に意思決定がなされている。
業火をくべられたように燃える紅の瞳が、じっと志恩を待っている。
その灼けつくような視線を肩に感じながら、志恩は産まれたばかりのデミタイプ達を真っ直ぐににらみ、言った。
「戦おう。何もかも遅かったけど、やらないよりはマシだから」
レイゼルが微笑み、影に消える。
その姿を見ることなく、志恩は前に駆け出していた。
校庭への土手を滑り走りながらシャツの襟首に手を突っ込む。
乱暴にチェーンを引っ張り上げ、中から取り出した指輪は準備万端だというように白銀の光を放っている。至恩が左手で握りしめると、絡みついた光がまたたく間に銃を形成した。
「──オツ・キィムの顕現。十にして二十二の盟約の果てに、祝福と祈りを望むもの」
至恩には何の意味もわからない言葉が、勝手に口からさらさらとこぼれていく。同時に左腕の銃へ、膨大な魔力が注ぎ込まれるのがわかった。
銃の甲に書かれた図形──生命の樹、円形のセフィラが金にも銀にも見える光に輝きだした。それは怒りの色をしていた。
「なれど原初の栄光はまだ遠く、遺された意志はここに。討ち果たせ、無」
銃口から放たれた光が、血の一滴も啜りあげようと這いつくばる虫たちを一掃する。
白銀に燃える魂の炎が、虫たちごと、血と肉の亡骸を火葬していく。
その光景にわずかに視線を下げ、黙とうしたあと、至恩は地面を蹴り上げて高く飛ぶと、焼けながら生き残ったデミタイプの中へ降り立った。
「レイゼル」
「なあに?」
キィキィと口を開けたデミタイプの口から、次々と細いレーザーが撃たれる。四方八方から向けられたレーザーを、セフィロトの形をしたバリアで防ぎながら、白銀の光をまとった足で、噛み砕こうとするデミタイプの頭を蹴り飛ばす。
息をのむ攻防の最中に、まるでパンケーキのリクエストをするような声音で答えるレイゼルに苦笑いして、至恩は言った。
「デミって、卵生なの?」
「うん。この虫達も、あの魚も鳥も、獣も、プロトタイプだって卵から産まれてくるよ」
「生態系ガン無視じゃん……」
「なんでかわかんないけど、デミ達は、この世界の生物を真似て産まれてくるんだよねえ」
のほほんと世間話のように言いながら、至恩の足元が金色に輝き、銃に熱が注ぎ込まれる。魔力が補充されたのだ。
今度は文句も文言なく、至恩の意志だけで銃から数発の光線が放たれた。
アインよりずっと細い光が、芋虫の首を切り胴を切り、焼き切った部分からは白い体液がどろりと垂れ落ち、地面の血だまりと混ざり合う。
そして、また新たなデミタイプが至恩の前に立ちはだかった。
「レイゼル、キリがない!」
「……卵から生まれ続けてる。あれ、撃って」
「撃ってたって、お前」
簡単に言うなあと舌打ちをして、至恩は前を見た。
前方は虫だらけ、そしてその奥に割れた卵がある。デミタイプは自分たちを産み続ける卵の防衛に入ったのか、障壁を張って並んだ姿は白い巨大な壁のようだった。身体の両側面に張り付かせた四つの赤い瞳が、大そう気持ち悪いが。
「まったく。……無茶言うなよ」
ため息交じりに銃を振り上げる。セフィロトが連続して鮮やかに輝きはじめる。
その光に反応したか、突進してきたデミタイプの頭を踏み台に飛び、横から噛み千切ろうと頭を振ったもう一匹も蹴って、木を軽々と飛び越える高さまで上がると、ようやく補足できた隕石──ではなく、半透明の卵に向かって、銃口を向けた。
半透明のゼリー状の卵の下では、どす黒く赤い光がいくつもうごめいている。
そして、デミタイプが一斉に上空の至恩に向かって口を開けた。それぞれの口に光が集まり、花火が打ち上がる瞬間を思い出させたが、至恩はなにもかも無視して口を開いた。
「願わくば奇跡をここに。それは三十二の言の葉。それは、在りて在るもの。無限」
祈りの言葉とともに、銃口からひときわ純粋で破滅的な光が放たれた。
「遅くなって、ごめん」
デミタイプの口に滴る血に向けてそう呟くと、志恩は目を閉じた。巻き上がる風と光に、とても目を開けていられなかった。
そして、終わった。
──膨大な光の奔流に卵が焼き尽くされ、母胎を守ろうとしたデミタイプもすべて燃え尽きた。
学園の校庭に黒い焦げ跡と、いくばくかの血と粘膜、巨大な穴を残して戦闘は終了した。
/*/
空は以前赤いままで、まだ一番の大物が残っていることを示している。
油断なく地面に降り立った至恩は、自分で放った爆風の残骸に青い髪を揺らし、そして、
「うわっ!?」
突然目の前が見えなくなって、のけぞった。
「なにしてんの?」
「いや、なんか飛んできて……なにこれ。スカーフ?」
志恩の影から飛び出し、不審そうな顔をするレイゼル。
べちっと自分の顔に張り付いた布をつまみ上げ、志恩は変な顔をした。
「……うちの学校の制服じゃん。これ」
スカーフに刻まれた五芒星の校章は、学園の時計台に掲げられたシンボルとまったく同じで、布の赤は中等部一年生の証。
血に濡れ、端の焼け焦げたスカーフを広げて志恩は目を大きくさせたあと、バッと辺りを見渡した。
嫌な予感がした。血の気がさっと引き、喉が引きつる。周囲は相変わらず無人だったが、
「……レイゼル」
「うん?」
「デミが喰ってたのは、本当に、本当に……鬼だけだよな?」
震えそうな声を抑えて志恩が聞くと、レイゼルは不思議そうな顔をしてスカーフを手に取った。
どれどれとのぞきこみ、長いまつげを伏せてスカーフに触れ、
「……え?」
弾けるように、驚いたように至恩を見た。
炎の輝きは消え失せ、ちいさな少女そのものの瞳ですがるように至恩を見たあと、レイゼルは走り出した。
レースのプリーツスカートの裾が土に、粘膜に、血に汚れるのもかまわず地面をまさぐり歩き、ぴたりと止まって座り込んだ。
その折れそうな背中にはじめて恐れを抱き、でも支えないわけにはいかなくて、至恩は頭を振って駆け寄った。
「レイゼル……?」
レイゼルが知ったものを、知りたくなかった。事実が恐ろしかった。
しゃがんだままのベビーピンクのカーディガンに、できるだけゆっくりと手を伸ばし、至恩は口を開きかけたが、
「どうしよう、シオン……エリナ……エリナが……」
暗くなった視界に、言葉など一瞬で消えてしまった。
振り返った半泣きの少女の、泥だらけ血だらけになった手のひらにあるのは、同じく薄汚れた緑のクローバーのヘアピンだった。
確かめるために取り出したのか、揃いで買った赤いクローバーのヘアピンも手のひらに一緒に乗せてある。毎日鏡の前でつけて、くるりとターンして嬉しそうに笑いかけたあと、宝物だからとお守りのように花柄のハンカチに包んで持ち歩いている、そういうものだった。
「いや、違う。……違う、かもしれない。だって、一年生はいっぱいいるし、そのヘアピンだって、同じもの持ってる人かもしれないし」
たとえそうでも人が一人死んだことに違いない。だが、その一点を無視し、現実から目をそらして至恩は言った。
心が恐怖に圧し負ける。瑛里奈じゃない、別の相手だ。きっと違う。そうだ。そうだ。そうだ、そうだ、だから──。
「……シオン」
その嘘を嘘だと知りながら頷きかけて、寸前でレイゼルは踏みとどまった。
「シオン、待って」
至恩の表情に浮かんだ絶望の色に手を伸ばす。
不意に、母を思い出した。化け物に喰われることを必然だと笑った女。食いちぎられてなお、輝きを失わない夜明けの瞳。母の悠然とした微笑みを思い出し、レイゼルはごしごしと涙をぬぐって顔を上げた。
レイゼルにとって、至恩に出会うまで、一番身近であり手本にした人間は母だった。人を慰めることはひどく難しいけれど、慎重に言葉を選び、夜更けの闇のような至恩の髪に触れて、レイゼルは大きく息を吸った。
「大丈夫。たぶん、いやまだ間に合うから。急ごう」
「間に合う?」
「うん。……この残留思念が正しいなら、やっぱり持ち主はエリナだけど、でもここにいたデミ達はエリナには手を出してない。出せなかった。デカが、連れ去ったから」
レイゼルは、泥に汚れた二本のヘアピンをふたたび大事そうにハンカチに包んだ。決して落とさないように、また持ち主に返すために。
残留思念?と聞き返す至恩に、物が持つ持ち主の記憶の余香のようなものだとレイゼルは言った。
スカーフにも、ヘアピンにも残っていた光景がある。白い芋虫に崇められてうごめく黒い化け物が、校庭に立ちすくんだセーラー服の少女を八つの赤い目で見ていた。
やけに鮮明な残留思念だが、残っていたのはそこまでだった。そこまでだったが、レイゼルは至恩の手をつかんで頷いた。
「急ごう、シオン!」
レイゼルの声が、目覚めの鐘のように脳の奥に響き渡る。
暗い思考、暗い視界、暗い未来をまぶたの底に抑えこみ、至恩は深く息を吐いた。
それから、汚れたスカーフをポケットに突っ込み、至恩はレイゼルの手を握り返した。
「どこに行けばいい?」
「えっ……わかんない」
「……お前さあ」
張り切って一歩踏み出して、至恩は思わずこけそうになりながら眉をひそめてレイゼルを見下ろした。
「だって、どうせデカはシオンを狙ってくると思って、迎え撃てばいいやと思ってたから探してないんだよね」
「お前ほんと……いや、だったらなんでデカは最初から俺を狙わないんだよ。俺に来いよ。……なんで、なんでよりにもよって瑛里奈を狙ったんだよ」
「そりゃ、デミだってカレー食いたいときもあればラーメン食べたいときもあるんだよ。プリン食べたかったんじゃない?」
「例えが酷すぎる」
母のときのように、また自分のせいで大事な人が死ぬのか。死ぬ目にあうのか。
また何もかも自分のせいかと責めて拳を握り、血が出そうなほど爪が食い込んだところで、予想外にどうしようもないレイゼルの返答に、至恩は脱力して手を開いた。手を隠すように腕を組んで、じろりとレイゼルを見る。少女は罪なさそうに小首をかしげている。
「とりあえずデカの居場所を探して────」
気を取りなおし、そこまで言ったときだった。
至恩はとっさにレイゼルを抱きしめ、抱き寄せ、庇った。
異様なものが、近づいてきていたからだ。
学園の南、遥か彼方から、光の柱が迫ってきていた。
逃げるべきだったが、今度こそ身体が動かなかった。恐怖や驚愕というよりは、純粋に、頭が真っ白になって何をするべきかもわからなかった。
ただ、本能的にレイゼルを抱き寄せて身を挺してかばった。至恩にできたのは、それだけだ。
ほかに何ができたというのだろう。
無人の平坂の街を、ただただ一本の光の柱が真っ直ぐに飲み込んでくる。道路も、マンションも、家も何もかもが光の柱に溶けて消えた。
それが自分に向かって放たれた巨大なビームなのだと至恩が気づいたのは、光の柱が学園の手前に着弾したときだった。
土が切り裂かれ、木が折れ、コンクリートがめくれ上がる。学校を囲むフェンスがべきべきに折れて、おもちゃのように吹き飛んだ。土やら木やらコンクリートやらの細かい破片が、シャツを切り裂いて、至恩の皮膚を傷つけていく。
目を閉じることも忘れて、その光の柱を見ていた。次の瞬間、
「何してんだ、至恩!! 死にてェのか!?」
聞きなれた罵倒とともに、至恩の身体が浮かんだ。
けたたましい爆音が耳を支配し、一気に景色が変わる。光の柱がほんと数メートル先を過ぎていった。
誰かに腰ごと引き上げられ、身体をずるずると引きずられる。
状況は掴めなかったが、光の柱の延長線上から逃れられたことだけは分かった。よっぽど早く引きずったせいか、靴の裏が異常にすり減って熱いぐらいだったが、そんなことはどうでもいい。
目を白黒とさせながら、至恩が最初にしたことは、レイゼルを離してないかの確認だった。
無事、銀髪の少女はじたばたとしながら至恩の腕の中で五体満足にもがいていた。ああ、この手を離していたら自分を殺しても殺したりなかっただろう。そう安堵して考えたあと、至恩は真っ二つに裂けた平坂学園を見た。
至恩のクラスはもとより、昇降口ごと一本の線のように綺麗に消失している。
その惨状にあんぐりと口を開けて、そして、それから至恩はそろそろと顔を上げた。叱られることを確信した子供のように。
「……コウ、ちゃん?」
誰よりも見慣れた冷めた金髪が、バイクのマフラーから吹き上がる排ガスに揺れている。
絶対にここにいるはずのない幼馴染の不良の名前を、至恩は絞り出すようにつぶやいた。
「うん。それで、今回どれが来たかが問題なんだけど……デカかエンネアだとありがたいんだけどな」
志恩の足元、金色の影が、悩ましげに動く。
デカとエンネア。つまり、ナンバー10と、ナンバー9のことだ。
プロトタイプは十体。そして、デミタイプは数字が若いほどに強く、増えるごとに弱くなる。
先日の魚が何番なのかレイゼルに聞くと、ナンバーがつかないぐらいの雑魚と答えが返ってきて、志恩は憮然とした。
「それ、どっちか分かんないの?」
「イヌラぐらいになれば魔力量でわかるけど、プロトタイプでも上位にならないと難しいかな。逆に言えば、プロトタイプ内でも上位ナンバーと下位ナンバーは天と地ほどの差があるんだけど……」
「……ちなみに、そのプロトタイプじゃないっていう可能性は?」
「ゼロ。卵を落としてくるような悪趣味はプロトタイプぐらいだよ」
卵?と聞き返す志恩に、行けばわかるよと金色の影、もといレイゼルはつまらなそうに言った。
二人が向かっている場所は、平坂学園。志恩が通う学校だ。
流星は二度流れ、そのどちらもが学園に落ちた。
ムンドゥスで起こったことは現実世界に影響を及ぼさないが、それでも母校がデミの被害に遭っているとなると、気分がいいものではない。志恩は眉をしかめて屋根を蹴る。身体は軽々と十数メートル前方に飛びあがった。
「飛ぶの、だいぶ慣れたね、シオン」
「ああ、うん。前のとき、必死にコツ掴んだから」
「やっぱ地道に練習もいいけど、ちょっと死にかけるぐらいが一番上達するねえ」
「いやもう勘弁だから、それ」
ムンドゥスに交通法はない。
乗る主のいない車、光の消えた信号、無人のスクランブル交差点。
その現実ではまったくあり得ない光景を、目を細めて一瞥したあと、志恩は商店街のアーケード上を飛んだ。
そもそも、この世界そのものが非現実の最たるものだ。
思ったよりも異常に慣れはじめた自分に苦笑していると、不意にレイゼルが至恩を呼んだ。
「シオン」
「うん?」
「本当に行くの?」
駅も亜門マートも飛び越えて、平坂学園は商店街の先にある。
距離はすぐそこだが、三階建てビルの屋上ぐらいでは学園の中まではのぞきこめない。なにせその手前までは、平坂も都会の端くれだと主張するように、ビルの林が乱立している。
学園自体も本物の木に囲まれているから、とりあえず近くのビルに降りて様子をみようとした至恩は、くいと後ろにひっぱられて足を止めた。
いつのまにかレイゼルが影から出ていて、至恩のシャツの裾をぎゅっと掴んでいる。
怪訝そうな顔をする志恩に、レイゼルは心配そうに言った。
「よくないものを、見るよ?」
よくないものとは、なんだろう。
一瞬、レイゼルの母が死んだ光景。そして、化け物に喰われる大量の死体が脳裏をよぎって息が止まったが、目の前の少女の揺れる瞳をみて、その映像を消した。
気づかれないように息を吸い、それがなんでもないことのように至恩は言った。
「行くよ。どちらにせよアイツは俺を喰いにくるんだろ? じゃあ、待ってても仕方ないし」
いつも喰われるのを待っているのも癪だしね。
そう軽口を叩くように至恩が言うと、レイゼルはじっと至恩をみつめて、ぎゅっと抱きついた。
細い腕が巻きつき、腰にレイゼルのちいさな頭がぐりぐりと押し付けられる。とはいえ、相手が絶世の美少女なのに全然ドキドキしない。
これが同い年の女の子なら違ったのかなあと考えながら、至恩はその頭をよしよしとなでた。
妹がいたらこんな感じかな、と思う。いや、本当の妹だったらもっとちゃんと教育しようと思うが。
少なくとも、人の服を勝手にパジャマ代わりに着ないようにはしたい。あと、歯磨きしたあとにチョコレートをこっそり食べようとするのもダメだ。からあげのつまみぐいも注意案件だし、ソファで寝落ちしたまま動かないのも困る。毎回抱っこしてベッドまで運んでやるのも意外と大変なのだ。
と、そんなことを考えていると、
「……ねえ、シオン」
「なに?」
レイゼルが顔を上げた。
勢いよく思い切ったように、そして、ひどく真剣そうに口を開いた。
「シオンには、私がついてるからね」
「うん。知ってる」
コンマゼロ秒で頷くと、レイゼルは大きな瞳をぱちぱちとまたたかせ、にっこりと嬉しそうに笑った。
それから、初雪に触れるように志恩の手を両手で握って、長いまつげを伏せる。魔力の粒子がレイゼルの周りに集まり、ぶわと金の風が吹いたかと思うと、少女の姿が掻き消えた。
まばたきをして目を開けると、かわりに、志恩の黒い影が金色に輝いていた。
残り香のようにはらはらと消える金の粒に指先で触れたあと、志恩はコンクリートを蹴り上げた。
/*/
──最初の異変は、臭いだった。
生臭く、吐き気を催すような汚臭。耳を底から侵すようなぐちゃぐちゃと生理的嫌悪を掻き立てる音。
校庭の木の影の隠れた至恩は、その光景に呆然とし、理性よりも先に身体が反応した。
膝から地面に崩れ落ち、手をついて、胃の中の全てを吐き出した。胃液もなにもかもを吐き出して──しまう前に、ふっと吐き気が収まった。
汚臭も嫌悪感も恐怖もなにもかもが、厚い膜一枚に包まれたかのように薄まった。感情の波が、一気に引いていく。
顔を上げると、レイゼルが心配そうな顔で、至恩の背をさすっていた。
「シオン、大丈夫?」
「……うん。ありがとう」
レイゼルがさすったから、というよりは魔法だろうなと思う。
感情を希薄にさせ、強制的に気分を落ち着かせるような、そういう類のものだ。
至恩はなにかいいかけ、だがやめた。
人の感情を勝手にいじくるのはどうかと思ったが、いつまでも嫌悪感を引きずっていてはどうにもならないし、恐怖に負けたら死ぬだけだ。
それに、人間の道徳を人間でないものにまで適応させるのは、傲慢がすぎる。それを至恩は今日学んだばかりだった。だから、結局は違うことを言った。
「あれは、いったいなんなの」
「デミだよ。でも、あれがプロトタイプじゃない。……言ったでしょ。卵があるって」
目の前に広がっていたのは、まさしく地獄絵図だった。
だが、寺に置いてある地獄絵図のほうが、だいぶマシだと至恩は思った。
鬼のかわりに、学園の校庭には巨大な芋虫のようなものがあふれ、地面に喰い散らかした肉塊の絨毯の上を這いつくばっている。
校庭に開いた穴の中、白い粘膜から、次々と虫が生まれてくる。その虫達の赤い目を、至恩はよく知っていた。
「これでわかった。墜ちてきたのは、デカだ」
レイゼルが目を細め、低く言い放つ。
なぜわかるのかと思ったが、それより先に気になることがあった。恐怖感が薄いからこそ、聞くことができた。至恩はのろのろと立ち上がり、眉をしかめて口を開いた。
「……あいつらが食ってるのって、人間?」
そう至恩が聞くと、レイゼルは腕を組んだまま、表情を曇らせた。
「違う。……違うからと言ってなんにも良くないけど、でも違うと思う。妖力が残ってるから」
「妖力?」
「うん。あれは、たぶん……鬼だ。鬼人だよ」
今はもうその面影すらないけれど。
苦々しくつぶやくレイゼルの声を聴きながら、志恩はふと思い出していた。
鬼人という言葉には聞き覚えがある。
レイゼルの母親が、そんな単語を話していた。頭に角のある、人間のようなもの。鬼だと言われれば、確かにそうだ。絵巻物のような物々しい出で立ちではなく、どちらかというと人間のような華奢な体躯をしていた。
それが至恩が初めて遭遇した人外。そして、死体。あの中には子供もいた。この中にも、いたのだろうか。
以前は恐怖に打ちのめされていたが、今回は違う。緑の瞳を静かな怒りに輝かせて、至恩は言った。
「鬼なんて、一体どこから」
「そりゃ妖界から攫ってくるんだよ。鬼や天狗とか、妖怪だっけ、それが住む日本の星幽界はそう呼ぶんだ。ネノクニやタカマガハラもあるけど──いや、今はそんなことはどうでもいいか。シオン、どうするの?」
志恩に聞きながらも、その言葉の先は既に意思決定がなされている。
業火をくべられたように燃える紅の瞳が、じっと志恩を待っている。
その灼けつくような視線を肩に感じながら、志恩は産まれたばかりのデミタイプ達を真っ直ぐににらみ、言った。
「戦おう。何もかも遅かったけど、やらないよりはマシだから」
レイゼルが微笑み、影に消える。
その姿を見ることなく、志恩は前に駆け出していた。
校庭への土手を滑り走りながらシャツの襟首に手を突っ込む。
乱暴にチェーンを引っ張り上げ、中から取り出した指輪は準備万端だというように白銀の光を放っている。至恩が左手で握りしめると、絡みついた光がまたたく間に銃を形成した。
「──オツ・キィムの顕現。十にして二十二の盟約の果てに、祝福と祈りを望むもの」
至恩には何の意味もわからない言葉が、勝手に口からさらさらとこぼれていく。同時に左腕の銃へ、膨大な魔力が注ぎ込まれるのがわかった。
銃の甲に書かれた図形──生命の樹、円形のセフィラが金にも銀にも見える光に輝きだした。それは怒りの色をしていた。
「なれど原初の栄光はまだ遠く、遺された意志はここに。討ち果たせ、無」
銃口から放たれた光が、血の一滴も啜りあげようと這いつくばる虫たちを一掃する。
白銀に燃える魂の炎が、虫たちごと、血と肉の亡骸を火葬していく。
その光景にわずかに視線を下げ、黙とうしたあと、至恩は地面を蹴り上げて高く飛ぶと、焼けながら生き残ったデミタイプの中へ降り立った。
「レイゼル」
「なあに?」
キィキィと口を開けたデミタイプの口から、次々と細いレーザーが撃たれる。四方八方から向けられたレーザーを、セフィロトの形をしたバリアで防ぎながら、白銀の光をまとった足で、噛み砕こうとするデミタイプの頭を蹴り飛ばす。
息をのむ攻防の最中に、まるでパンケーキのリクエストをするような声音で答えるレイゼルに苦笑いして、至恩は言った。
「デミって、卵生なの?」
「うん。この虫達も、あの魚も鳥も、獣も、プロトタイプだって卵から産まれてくるよ」
「生態系ガン無視じゃん……」
「なんでかわかんないけど、デミ達は、この世界の生物を真似て産まれてくるんだよねえ」
のほほんと世間話のように言いながら、至恩の足元が金色に輝き、銃に熱が注ぎ込まれる。魔力が補充されたのだ。
今度は文句も文言なく、至恩の意志だけで銃から数発の光線が放たれた。
アインよりずっと細い光が、芋虫の首を切り胴を切り、焼き切った部分からは白い体液がどろりと垂れ落ち、地面の血だまりと混ざり合う。
そして、また新たなデミタイプが至恩の前に立ちはだかった。
「レイゼル、キリがない!」
「……卵から生まれ続けてる。あれ、撃って」
「撃ってたって、お前」
簡単に言うなあと舌打ちをして、至恩は前を見た。
前方は虫だらけ、そしてその奥に割れた卵がある。デミタイプは自分たちを産み続ける卵の防衛に入ったのか、障壁を張って並んだ姿は白い巨大な壁のようだった。身体の両側面に張り付かせた四つの赤い瞳が、大そう気持ち悪いが。
「まったく。……無茶言うなよ」
ため息交じりに銃を振り上げる。セフィロトが連続して鮮やかに輝きはじめる。
その光に反応したか、突進してきたデミタイプの頭を踏み台に飛び、横から噛み千切ろうと頭を振ったもう一匹も蹴って、木を軽々と飛び越える高さまで上がると、ようやく補足できた隕石──ではなく、半透明の卵に向かって、銃口を向けた。
半透明のゼリー状の卵の下では、どす黒く赤い光がいくつもうごめいている。
そして、デミタイプが一斉に上空の至恩に向かって口を開けた。それぞれの口に光が集まり、花火が打ち上がる瞬間を思い出させたが、至恩はなにもかも無視して口を開いた。
「願わくば奇跡をここに。それは三十二の言の葉。それは、在りて在るもの。無限」
祈りの言葉とともに、銃口からひときわ純粋で破滅的な光が放たれた。
「遅くなって、ごめん」
デミタイプの口に滴る血に向けてそう呟くと、志恩は目を閉じた。巻き上がる風と光に、とても目を開けていられなかった。
そして、終わった。
──膨大な光の奔流に卵が焼き尽くされ、母胎を守ろうとしたデミタイプもすべて燃え尽きた。
学園の校庭に黒い焦げ跡と、いくばくかの血と粘膜、巨大な穴を残して戦闘は終了した。
/*/
空は以前赤いままで、まだ一番の大物が残っていることを示している。
油断なく地面に降り立った至恩は、自分で放った爆風の残骸に青い髪を揺らし、そして、
「うわっ!?」
突然目の前が見えなくなって、のけぞった。
「なにしてんの?」
「いや、なんか飛んできて……なにこれ。スカーフ?」
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べちっと自分の顔に張り付いた布をつまみ上げ、志恩は変な顔をした。
「……うちの学校の制服じゃん。これ」
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嫌な予感がした。血の気がさっと引き、喉が引きつる。周囲は相変わらず無人だったが、
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「うん?」
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震えそうな声を抑えて志恩が聞くと、レイゼルは不思議そうな顔をしてスカーフを手に取った。
どれどれとのぞきこみ、長いまつげを伏せてスカーフに触れ、
「……え?」
弾けるように、驚いたように至恩を見た。
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レースのプリーツスカートの裾が土に、粘膜に、血に汚れるのもかまわず地面をまさぐり歩き、ぴたりと止まって座り込んだ。
その折れそうな背中にはじめて恐れを抱き、でも支えないわけにはいかなくて、至恩は頭を振って駆け寄った。
「レイゼル……?」
レイゼルが知ったものを、知りたくなかった。事実が恐ろしかった。
しゃがんだままのベビーピンクのカーディガンに、できるだけゆっくりと手を伸ばし、至恩は口を開きかけたが、
「どうしよう、シオン……エリナ……エリナが……」
暗くなった視界に、言葉など一瞬で消えてしまった。
振り返った半泣きの少女の、泥だらけ血だらけになった手のひらにあるのは、同じく薄汚れた緑のクローバーのヘアピンだった。
確かめるために取り出したのか、揃いで買った赤いクローバーのヘアピンも手のひらに一緒に乗せてある。毎日鏡の前でつけて、くるりとターンして嬉しそうに笑いかけたあと、宝物だからとお守りのように花柄のハンカチに包んで持ち歩いている、そういうものだった。
「いや、違う。……違う、かもしれない。だって、一年生はいっぱいいるし、そのヘアピンだって、同じもの持ってる人かもしれないし」
たとえそうでも人が一人死んだことに違いない。だが、その一点を無視し、現実から目をそらして至恩は言った。
心が恐怖に圧し負ける。瑛里奈じゃない、別の相手だ。きっと違う。そうだ。そうだ。そうだ、そうだ、だから──。
「……シオン」
その嘘を嘘だと知りながら頷きかけて、寸前でレイゼルは踏みとどまった。
「シオン、待って」
至恩の表情に浮かんだ絶望の色に手を伸ばす。
不意に、母を思い出した。化け物に喰われることを必然だと笑った女。食いちぎられてなお、輝きを失わない夜明けの瞳。母の悠然とした微笑みを思い出し、レイゼルはごしごしと涙をぬぐって顔を上げた。
レイゼルにとって、至恩に出会うまで、一番身近であり手本にした人間は母だった。人を慰めることはひどく難しいけれど、慎重に言葉を選び、夜更けの闇のような至恩の髪に触れて、レイゼルは大きく息を吸った。
「大丈夫。たぶん、いやまだ間に合うから。急ごう」
「間に合う?」
「うん。……この残留思念が正しいなら、やっぱり持ち主はエリナだけど、でもここにいたデミ達はエリナには手を出してない。出せなかった。デカが、連れ去ったから」
レイゼルは、泥に汚れた二本のヘアピンをふたたび大事そうにハンカチに包んだ。決して落とさないように、また持ち主に返すために。
残留思念?と聞き返す至恩に、物が持つ持ち主の記憶の余香のようなものだとレイゼルは言った。
スカーフにも、ヘアピンにも残っていた光景がある。白い芋虫に崇められてうごめく黒い化け物が、校庭に立ちすくんだセーラー服の少女を八つの赤い目で見ていた。
やけに鮮明な残留思念だが、残っていたのはそこまでだった。そこまでだったが、レイゼルは至恩の手をつかんで頷いた。
「急ごう、シオン!」
レイゼルの声が、目覚めの鐘のように脳の奥に響き渡る。
暗い思考、暗い視界、暗い未来をまぶたの底に抑えこみ、至恩は深く息を吐いた。
それから、汚れたスカーフをポケットに突っ込み、至恩はレイゼルの手を握り返した。
「どこに行けばいい?」
「えっ……わかんない」
「……お前さあ」
張り切って一歩踏み出して、至恩は思わずこけそうになりながら眉をひそめてレイゼルを見下ろした。
「だって、どうせデカはシオンを狙ってくると思って、迎え撃てばいいやと思ってたから探してないんだよね」
「お前ほんと……いや、だったらなんでデカは最初から俺を狙わないんだよ。俺に来いよ。……なんで、なんでよりにもよって瑛里奈を狙ったんだよ」
「そりゃ、デミだってカレー食いたいときもあればラーメン食べたいときもあるんだよ。プリン食べたかったんじゃない?」
「例えが酷すぎる」
母のときのように、また自分のせいで大事な人が死ぬのか。死ぬ目にあうのか。
また何もかも自分のせいかと責めて拳を握り、血が出そうなほど爪が食い込んだところで、予想外にどうしようもないレイゼルの返答に、至恩は脱力して手を開いた。手を隠すように腕を組んで、じろりとレイゼルを見る。少女は罪なさそうに小首をかしげている。
「とりあえずデカの居場所を探して────」
気を取りなおし、そこまで言ったときだった。
至恩はとっさにレイゼルを抱きしめ、抱き寄せ、庇った。
異様なものが、近づいてきていたからだ。
学園の南、遥か彼方から、光の柱が迫ってきていた。
逃げるべきだったが、今度こそ身体が動かなかった。恐怖や驚愕というよりは、純粋に、頭が真っ白になって何をするべきかもわからなかった。
ただ、本能的にレイゼルを抱き寄せて身を挺してかばった。至恩にできたのは、それだけだ。
ほかに何ができたというのだろう。
無人の平坂の街を、ただただ一本の光の柱が真っ直ぐに飲み込んでくる。道路も、マンションも、家も何もかもが光の柱に溶けて消えた。
それが自分に向かって放たれた巨大なビームなのだと至恩が気づいたのは、光の柱が学園の手前に着弾したときだった。
土が切り裂かれ、木が折れ、コンクリートがめくれ上がる。学校を囲むフェンスがべきべきに折れて、おもちゃのように吹き飛んだ。土やら木やらコンクリートやらの細かい破片が、シャツを切り裂いて、至恩の皮膚を傷つけていく。
目を閉じることも忘れて、その光の柱を見ていた。次の瞬間、
「何してんだ、至恩!! 死にてェのか!?」
聞きなれた罵倒とともに、至恩の身体が浮かんだ。
けたたましい爆音が耳を支配し、一気に景色が変わる。光の柱がほんと数メートル先を過ぎていった。
誰かに腰ごと引き上げられ、身体をずるずると引きずられる。
状況は掴めなかったが、光の柱の延長線上から逃れられたことだけは分かった。よっぽど早く引きずったせいか、靴の裏が異常にすり減って熱いぐらいだったが、そんなことはどうでもいい。
目を白黒とさせながら、至恩が最初にしたことは、レイゼルを離してないかの確認だった。
無事、銀髪の少女はじたばたとしながら至恩の腕の中で五体満足にもがいていた。ああ、この手を離していたら自分を殺しても殺したりなかっただろう。そう安堵して考えたあと、至恩は真っ二つに裂けた平坂学園を見た。
至恩のクラスはもとより、昇降口ごと一本の線のように綺麗に消失している。
その惨状にあんぐりと口を開けて、そして、それから至恩はそろそろと顔を上げた。叱られることを確信した子供のように。
「……コウ、ちゃん?」
誰よりも見慣れた冷めた金髪が、バイクのマフラーから吹き上がる排ガスに揺れている。
絶対にここにいるはずのない幼馴染の不良の名前を、至恩は絞り出すようにつぶやいた。
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